カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

いよっ!松山城へ。

2015-10-01 09:22:49 | おしろ
四国旅行、最初の目的地は愛媛県の伊予松山城でした。
松山城と言えばここなのですが、他にも全国各地に幾つかありますね、
近くなら岡山県の備中松山城。大河ドラマ・黒田官兵衛で有名に。



伊予の松山城は別名、金亀城(きんきじょう)。
勝山(標高132m)山頂にあるので勝山城とも呼ばれます。
大天守は日本で12カ所しか残っていない『現存12天守』のひとつ。
現存建築は21棟にまで減少したものの、建造物の現存数は京都の二条城の
28棟に次ぐもので、すべて重要文化財に指定されています。

松山市内のど真ん中にあるのかな、と言うか松山市はこの城を中心に
発展したのでしょうね。平山城なので市内一円からお城が見えます。


〈松山城ロープウェイのりば〉

連休のせいか、結構混雑してました。
お城のキャラクター「よしあきくん」がお出迎え。(^_^ゞ



築城主が加藤嘉明なんですね。
豊臣秀吉の子飼衆で、賤ヶ岳の七本槍・七将の1人だったのですが
関ヶ原の戦いでは徳川方・東軍として手柄を立て、この地に城を
築くことになります。「松山」と名付けたのも嘉明ですが、
城の完成前に会津藩へ転封となり入城はしていないはずです。




ロープウェイ往復券:510円でリフトも選べます。
ロープウェイなら約3分、リフトは約6分です。ロープウェイに
乗りましたが、すし詰め状態。帰りはリフトにしようかな・・・



ワンちゃんも空中散歩♪
降りれば天守閣まで徒歩約10分です。
ちなみに徒歩での登城ルートは4本あり、20~30分ほどのようです。




大手門跡よりの眺め。遠くに見えているのが松山城天守。




石垣も綺麗、天守に辿り着くまでも見どころが多いので飽きません。
こんなんともすれ違うし・・・


外人観光客も大喜び?(^_^ゞ
赤い甲冑姿は女武将でしたよ♪










画像の解説無しの手抜き・・・
天守に行くまでも、眺望の良いとこが多々。海も見えます♪









いよいよ、伊予 松山城の天守に近づいて来ました。(^_^ゞ

山頂の本丸北部には本壇という天守曲輪を持ち、大天守と小天守・
南隅櫓・北隅櫓を3棟の渡櫓で連結した連立式天守をなしています。
これは姫路城、和歌山城と並ぶ日本三大連立式平山城だそうです。



むむむ、連休だからかな・・・

天守観覧券は510円、ロープウェイのりばで観覧券+往復券の総合券も
買えるはずが「本日は観覧者多数のため、開城時間内に観覧できるか
分からないため、総合券は販売しておりません。天守にてご判断下さい」
なんてアナウンスがありましたが、観覧券を買ったので並ぶしかない。
そう言えば、姫路城に行った時も松本城の時も2時間待ちの行列で
諦めてしまいましたが、今回はそれほどでも無さそうなので・・・



よしよし、入城。下を見ればまだ並んでる・・・



天守閣の中はいろんな歴史資料が展示してあり、興味深いです。









城の構造もなかなか面白い。解説無しの手抜きです。



これはこの隙間から石垣を登ってくる敵に熱湯を掛けたり岩を落としたり
時には糞尿を?なんて仕組みなのかな。

鎧兜の試着コーナーもありました。外人さんが意外とお似合い
ラストサムライのトムクルーズみたい?(^_^ゞ













天守閣最上階からの眺望は、まさに絶景♪
松山市って案外、都会なのね。

さてさて、帰りましょう。足元に気をつけて・・・



そうそう、松山城の紋章は徳川家の「三つ葉葵」になっています。
築城に着手したのは、加藤嘉明公ですが完成直前に会津藩へ転封となり、
次に藩主となった蒲生忠知公が二之丸などを完成させましたが、
7年目の参勤交代の途中で病死。跡継ぎがいなかったため蒲生家は断絶。
後に松平定行公が藩主となり、明治維新までの235年間に渡り、松山は
四国の親藩としての役目も担いました。
この間、天守は1642年に五重から三重に改修され、更に1784年の落雷で
焼失した後、1854年に再建されました。これが今の大天守であり、
わが国最後の完全な城郭建築である天守は、黒船来航の翌年に落成した
ことになります。

明治以後、廃藩置県では松山県だったそうです。愛媛県になったのは
1873(明治6)年からのようです。同時に松山藩の松平家は旧姓である
久松を名乗ることとなり、廃城例により松山城は松山市に寄贈される
ことになりました。(大正12年)






記念写真も忘れずに。
あれあれ、スタンプも・・・って、スタンプ帳忘れたので


貼っておきました。〈日本100名城スタンプ帳〉

ちなみに世界最大級の旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」の
「行ってよかった! 日本の城ランキング」で去年、松山城は熊本城に
次いで2位にでしたが、2015年はどうやら松本城、姫路城に抜かれて
4位に後退したようです。(一昨年は6位)
熊本城は3年連続1位、くまもんも歓んでるやろな・・・




5時が過ぎていました。ロープウェイの営業時間は5:30。



わんさか押し寄せてる、間に合うのかッ?
リフトはロープウェイより30分前に終了なので、すでに乗れず・・・
ま、何とかロープウェイには乗れましたが。



2015.9/21、松山城にて。
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城 at 伊丹

2014-06-14 00:34:39 | おしろ
有岡城(伊丹城)跡は、昭和54(1979)年に国の史跡に指定されています。

猪名川の西岸、伊丹段丘東縁部の一角に位置し、南北朝から戦国時代にかけて
伊丹氏が城を築いていたところです。
天正2(1574)年、織田信長の家臣・荒木村重がこの城を攻め落とし、城主と
なります。そして大改修を行い、城の名も有岡城と改めます。
発掘調査により天守台をもち、侍町と町屋地区をも堀と土塁で囲んだ
惣構(そうがまえ)の遺構が出土、日本最古のものと考えられています。

近くのショッピングセンターにクルマを停めて歩き出すと、それらしいものが





平城なので、お城に登るって感覚はありません。今は有岡城跡史跡公園として
整備されているので、なおさら・・・

しかもJR伊丹駅の真ん前。屋外エスカレーターまであります。







「古城橋」が架っています。と言っても駅へ通じる陸橋でした。
駅が近くて便利なお城?実はこの駅、遺構の上に建ってしまってます。

私、わざわざ此処へ寄ったのは「あっ!官兵衛」シリーズ?のため。
大河ドラマでも長々と描かれていた場所です。



官兵衛ゆかりの藤まであります♪



放送を機に植えたってか・・・(^_^ゞ

で、城跡はこんな感じ! 言われてみないと、ただの広場?



よくよく見ると、当時のまま?の井戸跡や土塁、石垣が見られます。














石垣には、荒木村重が改修工事を急いだのであろう五輪塔の基壇や宝篋印塔
などが自然石に混じって積み込まれている。

荒木村重はこの地を5年間ほど統治、城主として働いたようだが
突然、信長に反旗をひるがえしこの城にたて籠って毛利の援軍を待ちます。
官兵衛の元主君でもある小寺政職(こでらまさもと)もこれを機に織田から
毛利に寝返ります。そのことで説得に来た官兵衛に村重を説得するよう命じ、
有岡城に向かわしますが、あろうことか村重には官兵衛を殺すよう頼むのです。
しかし、村重は官兵衛を殺せず幽閉。自らは籠城中の城から単身抜け出します。
やがて織田軍により落城、信長の荒木一族根絶やしの命により残された者は
非道なまでの処刑をされます。逃げ延びた荒木村重は、信長の死後も大坂で
茶人として復帰し、千利休らと親交をもったとされています。

ちなみに官兵衛を亡き者にしようとした小寺政職ですが、御着城落城後も
毛利領へ落ち延びます。残された小寺家の嫡男・氏職は官兵衛の計らいで
黒田氏に仕え、子孫は福岡藩士として代々続くことになります。
なお、小寺家も官兵衛の嫡男・長政によって復興されます。
酷い目に遭わされながら偉いやっちゃな・・・ま、ドラマの主人公って
こうでなくっちゃね。(^_^ゞ


あ、クルマを停めたところ「ARIO アリオ」って言うのか・・・なるほど。









有岡城は落城後、信長の家臣の子、池田之助(ゆきすけ)が入城しますが、
それも3年程で、廃城となり放置されるがまま江戸時代には地元の人々から
「古城山」と呼ばれるまでになります。やがて明治になり鉄道建設のため
主郭部の東半分が失われることに。近年の発掘調査で予想以上の貴重さが
明らかになったようです。が・・・

現地は、まさに 夏草や兵どもが夢の跡 状態でした。



2014.6/1、有岡城跡にて。
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静かな湖畔の・・・長浜城。

2014-06-03 23:57:17 | おしろ
信長に仕えて約20年、浅井長政攻め(姉川合戦など)の功で織田信長から
湖北三郡を拝領した秀吉、当時今浜(いまはま)と呼ばれていたこの地を
信長の名から一字もらって長浜に改名。
自らもこの頃から信長の有力家臣だった丹羽長秀と柴田勝家から一字ずつを
もらい受け、木下から羽柴姓に改め羽柴秀吉と名乗るようになっています。
何かこう、節操がないと言うか、おべっかが上手いというか・・・(^_^ゞ



城は浅井氏の居城であった小谷城の資材や浅井氏が竹生島に隠し置いていた
木材などを見つけ出して築城したとか。城下町も小谷城下をそのまま移転。
琵琶湖を最大限に活用した城だったようです。石垣は湖水に浸り、城内の
水門から直で船の出入りができるようになっていたり。


長浜城再現図(現地説明板に加筆・転載)

城下町も信長に見習い楽市楽座を置くなど、商業都市として栄えたようです。





井戸の跡が残されていますが、水はたっぷりあったろうに・・・

このタイミングで長浜城を訪ねてみたのはこれが目的でした。
官兵衛の子・黒田長政が人質として預けられたと伝わる城ですからね。





現在は、豊(ほう)公園として整備され、建物は鉄筋コンクリート造りの
復興天守です。
長浜城は1573年に築城され1615年廃城になるわずか40年程。
その間、本能寺の変後の清洲会議で長浜の支配権を獲得した柴田勝家の甥の
柴田勝豊が入城するも、まもなく勝家と対立した秀吉に攻められ落城。
その後、山内一豊が6年間在城します。徳川の世になり内藤信成・信正が
最後の城主ということになります。
ただ、建物や石垣の大半は彦根城の築城に際して移され、重要文化財指定の
天秤櫓(てんびんやぐら)や隅櫓は長浜城の遺構といわれています。また、
長浜市内の大通寺台所門、知善院表門もこの城の遺構として名高い。







市民の熱い要望で昭和58年(1983)に城郭様式の博物館として再興され、
『長浜城歴史博物館』になりました。
なお、黒田官兵衛博覧会は7月18日までの予定。



天守、展望台からの眺め。案内板には戦国時代をしのぶ拠点の位置が
示されていました。








築城に際して人柱となった「おかね」さんの話が伝えられています。
若くして聡明、長浜一の美女と評判の「おかね」さんが選ばれ、けなげにも
湖北地域一円の繁栄を願い、自らの命を捧げたというものです。


〈本丸橋〉


テレビでよく見かける犬かな・・・?


河童だから甲羅干し?・・・仰向けやん!熱中症には気をつけましょう。




2014.5/18、長浜城にて。
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天空の城「竹田城跡」晴天なり。

2013-05-29 19:08:17 | おしろ
兵庫県朝来市(あさごし)にある『竹田城跡』は全国一の山城遺跡といわれています。
標高353.7mの山頂に位置し、城の築かれている山全体が、虎が臥せているように
見えることから別名:虎臥城(とらふすじょう・こがじょう)、TigerCastle です。

気象条件が合えばでしょうが、早朝には朝霧が発生し雲海に包まれた城の姿が見られ
その幻想的な光景は、天空に浮ぶ城。日本のマチュピチュなどと呼ばれています。
国指定史跡であり、日本100名城のひとつにもなっている。こりゃもう行くしかない!
7駆さんも2年程前、ご家族で2度目の登城を果たされていることだし・・・

人気スポットであることはネットでも確認していたのですが、
一説では駐車場まで1時間待ちだったとか・・・


土曜日の午前10時過ぎ、すでに駐車場が満車のため待ち車列。止まってますw

城へ通じる道は順路が決められており、1400m手前で駐車場と連絡をとりながら
通行規制されてます。道も狭くて、バスは通行不可。普通車でも離合できません。
そのため、一方通行。登りと降りとではコースも違います。
そんなこと知らんので、降りてくるクルマ全然無いやんと思いながら待つこと20分。

70台収容の中腹駐車場に到着。確かに満車、でも駐車場も入場料も無料です♪



ここまでクルマで登ってきたから、すぐにお城・・・ってな甘い所ではありません。
ここから徒歩で700m、約15分。この先、トイレは無いとのことで済ませましょう。
大手門までは舗装路ですが、これまた結構息切れもんの坂道。
当然、私らは常設の杖のお世話になります。それでも楽な方の亀さんコース。
以前は急坂登りのウサギさんコースがあったようですが、今は降り専用で登りは
禁止されています。危険だったからでしょうか、ビーチサンダルの息子さんを
連れて登った人もいるのに・・・(^_^ゞ

お城の説明はこれで楽させてもらいます↓

読めない方は wiki でも。


ここからはいよいよオフロード。

徐々に空が近くなってきます。









まだまだ序の口ながら、絶景です。

JR竹田駅から登山道(急斜)で歩いてこられる方も多いようです。




ちょっと団体さんに紛れて、ガイドさんの説明を盗み聞き・・・(^_^ゞ





ちょっと普段の行いが良過ぎたせいか、お天気はピーカン!
気温もこの日は真夏日、歩いていると暑いけれど風が吹いていて心地良かった♪




おや、あんなところにベンチが。





此処は映画のロケ地としてもよく使われているようです。
その中で高倉健主演の『あなたへ』の撮影時、撮影現場では決して座らない
という伝説をもつ健さんが、このベンチには座って静かに眺望を・・・だとか。
(さっきのガイドさんが言ってたよ)

ん~、確かに日本一贅沢な席かも・・・




おッ!伝説の男か!銅像でもできるかな? ・・・家内が撮影しました。(^_^ゞ




おふざけはさて置き、此処での気分昂揚感は感動的。来て良かったと思えます。











最も高い天守跡、以前はハシゴが掛かっていただけのようですが、
立派な階段が付けられていました。ハシゴも残しておいて欲しかったな・・・



ここが古城山(虎臥山)の山頂になっているようです。




日本のマチュピチュ? 本物のマチュピチュは行ったこと無いですが。(^_^ゞ







朝から歩き回ってます、そろそろ・・・



絶景を眺めながら食べる、この上ない贅沢なランチ。最高でした♪
・・・麓のコンビニで調達したものですが。













飛行機雲も心なしか低く見えます。自然石を巧みに積み上げた
穴太積み(あのうづみ)も見事です。

石垣だけが残された城郭址ではあるけれど、400年を経た今でも当時の威容を
感じ取れる素晴らしい遺跡でした。



余談、日本100名城のスタンプは「山城の郷」もしくわ「JR竹田駅」にて押せます。






2013.5/25、但馬・竹田城跡にて。
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at 郡山城跡

2013-05-18 10:42:31 | おしろ
ぶらり奈良へ出掛けたのは銀竜草を見に行ったのですが、往馬大社で見られなかったら
大神神社(おおみわじんじゃ)へも行くつもりでした。ここでも銀竜草やササユリが
見られるってことでしたので。一応向かったもののすでに銀竜草も見れたことだし
時間的にもキツくなっていたので、途中の大和郡山探索とあいなりました。(^_^ゞ



かつては大和国の中心都市であり、郡山藩、郡山城の城下町として繁栄していたが
明治の廃藩置県により奈良県となり県庁所在地は奈良市に移り衰退。
今は金魚の町として有名です。市のキャッチフレーズも「金魚が泳ぐ城下町」♪


ここでは、どうしても、どうしても!欲しいものがありました。
お店の住所・電話を控えて行ったのですが、なかなか辿り着けず探し回るハメに。



日本中探しても此処でしか買えない『きんとっと焼』!やっと見つけました!!
某ブログのたい焼きフリーク氏の鼻を明かすにはコレしかない!と、以前から
画策しておりました。氏はアンコウならぬ「餡香やき」なるものも食されております。

この「きんとっと焼」、大和郡山市商工会女性部が名物にしようと平成14年に
デビューさせた特製品。年に数回、市のイベントの時にのみ実演販売されていた
ものですが、平成20年に常設店「味 たこ惣」に依頼譲渡(?)。
いつでも購入できるようになったのですが、
ここの店主・おっちゃん、病院通いのため不定休なんてのがあるんですね・・・

長年の夢、折角辿り着いたのに不安が的中。お休みでした。(・_・、)ザンネンムネン
この日はどうも食べ物系にはツイてなかったようで・・・


失望落胆の心癒されぬまま、「郡山城ホール」の駐車場にクルマを停めて
向いの郡山城跡を見物に行きました♪


郡山城ホール



近鉄のレールの向こうに城跡が見えます。






内堀は残っています。





大手門(梅林門)〈復元〉

築城は1162年、郡山衆及び筒井氏によるものですが後に、豊臣秀吉の実弟羽柴秀長が
100万石の居城として拡張、改築したもののようです。

ところで「郡山城」とした同名の城は幾つかあるようですね、例えば
陸奥国(宮城県・仙台市)の郡山遺跡、陸奥国(岩手県)には別称高水寺城と
呼ばれる郡山城が、陸奥国安積郡(福島県)、摂津国(大阪府)、石見国(島根県)
にも城跡があり、安芸国(広島県)にも吉田郡山城と言うのがあります。


洋風の図書館跡?











江戸時代、1724年からは柳澤氏が入城し大和地方の経済・文化を養いました。
もともと甲府城主であった柳澤吉利が幕府の命を請け転封されたもので、
この時、郡山に養蚕を持ち込み奨励し、経済を振興。また、趣味で飼っていた
金魚も運んだことから、金魚養殖が始められるようになったと言われています。






柳澤邸として使われていた庭園や建物が、歴史的資料や地域資料を扱う図書館として
保存会が運営しているようです。






城跡内には柳澤神社もあります。






天守台跡として残されている石垣には、平城京羅城門の礎石や石地蔵、五輪塔などが
積み込まれています。その中で仏身90センチという地蔵立像が逆さに積まれている
と言うのですが・・・確認できませんでした。(^_^ゞ


モノクロ写真も少しだけ・・・












城跡に夕陽は似合うかな・・・







2013.5/3、郡山城にて。
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いざ上野城へ!

2011-10-01 23:55:02 | おしろ
ぽか~んの集い〔10/23・道の駅いが〕の下見に行ったついでに
『伊賀上野城』へ行ってみました。



「日本100名城」のひとつにも選ばれているこのお城のプロフィールを簡単に・・・ただし、現存する天守は昭和10年(1935)に再建されたものです。
最初にこの地に城を築いたのは、秀吉お気に入りの(?)筒井定次。豊臣政権下で大坂城を守るための城として築かれました。それが天正13年(1585)。
・・・が、関ヶ原の合戦ではこの筒井定次、家康側東軍(反石田三成)に属します。家康からはたんとご褒美をもらい伊賀上野藩主に収まるのですが、元々豊臣家臣。豊臣滅亡を企む家康は、失策を理由に筒井定次を改易。(※改易=武士の身分を剥奪して所領と城・屋敷を没収)
信任厚い藤堂高虎にこの地を与え、来るべき大阪攻めのための城を築かせる。慶長16年(1611)。高虎は城造りの名手といわれており、大規模な拡張改修を行ったとされる。ただ、完成間近の五層天守閣は大暴風雨に襲われ倒壊。豊臣滅亡後も結局再建されることは無かった。
一国一城制でも上野城は伊賀の国の城として認められ、藤堂氏の支城として(藤堂の本城は津城)明治まで城代を置いて存続した。
〔伊賀・上野城 国指定史跡 別名:白鳳城 形態:平山城〕













ん、忍者変身処?・・・辺りを見回すと。





いるわいるわ、目立ってナンボの忍者達。(^_^ゞ
かき氷ねだる忍者も居るし・・・

暑かったもんね、この日は。




で、入城すると・・・






今度は甲冑武将たちがアチコチに。


ノロマそうな忍者も・・・今は動かへん、誰も入ってへんし(ナイショ)


お城の中は資料展示館になってます。撮影OKは嬉しいな。




バニーちゃん?所属はプレイボーイ隊かな?


伊勢エビやん・・・


槍で突かれた跡?


おおっ!曲者じゃ!!




ここの最大の見物は・・・藤堂高虎が築いた高石垣。



日本一・二の高さ・・・なんやハッキリせぇへんなぁ。

実は日本一の高石垣は大坂城の30mと言われてます。ここは29.7mだとか
悔しいんでしょうね、二番じゃイケないのでしょうか?(レンホー)



これでも充分、高いやん!





しかも手すりも何もありません。(^_^ゞ

黒澤映画「影武者」のロケにも使われたそうな。





さて、お城を出て、ちょっと城下を見てまわると。
この小学校、気が利いてるな!


「たのしいもん」やて・・・♪


正門の方へまわると「元気だもん」。校舎もなかなかgood♪

丸の内地下道を通って上野駅に向うと・・・何処やココ?東京?

伊賀鉄道の上野市駅でした。(^_^ゞ


『忍者列車』を見に来たんだけど、出たとこだったとか・・・
ま、可愛いラッピング電車は見れたけど。ワッ!ここにも曲者がッ!!





2011.9/11、伊賀上野城。
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国宝・松本城天守

2010-05-16 16:03:10 | おしろ
国宝四天守(彦根城・姫路城・松本城・犬山城)の内、3つめに訪ねた松本城。
その外観の色から「白鷺城」と呼ばれる姫路城に対し、こちらは漆黒の「烏城」。
黒漆を外壁板に塗った黒く輝く天守です。
黒い城といえば熊本城もそうですが、熊本城の別名は「銀杏城(ぎんなんじょう)」
岡山城も同じく黒漆塗下見板張りの壁面でしたが「金烏城(きんうじょう)」の別名で呼ばれています。



『日本100名城』の中でも現存天守は、わずか12城。
弘前城・松本城・丸岡城・犬山城・彦根城・姫路城・松江城・備中松山城・丸亀城・松山城・宇和島城・高知城。
太平洋戦争前の昭和20年頃までは20城ありましたが、戦火により
水戸城・大垣城・名古屋城・和歌山城・岡山城・福山城・広島城が焼失。松前城も昭和24年、失火により焼失してしまってます。

現存12天守のうち、前述のように松本城を含む4天守が国宝として保存されてます。

ゆっくり観たかったのですが・・・




行ったのがゴールデンウィークってこともあり、またしても入れずw
姫路城に続き、100名城スタンプ帳にスタンプは増えず…未だに3つだけ。



それでもここは、遮るものが無いので内堀回りを歩けば、外観は丸見え♪
平城なのでラクチン、天守見物ができます。



向かって左から、乾小天守・大天守・辰巳付櫓・月見櫓。




時間が無くて入れなかったのは残念ですが、辰巳付櫓・月見櫓です。






二の丸枡形一の門(櫓門形式の太鼓門)が特別公開中だったので入ってみます。






タダで見物、こんな手も↑あったわけで・・・(^_^ゞ





暑い日でしたが、雪を被った北アルプスの連峰が涼しげ。



遅咲きでしょうか?桜もまだ見られて・・・


ちらっと城下町をそぞろ歩き。


縄手通りの入り口でやたら目に付く「ガマ侍」のモニュメント。
(東京芸術大学デザイン科寄贈だそうで)

どうやらここのシンボルがカエルらしい・・・



江戸期の城下町松本の風景を再現した商店街で、面白そうなお店が
50ほど並んで、賑わってました。露店としては明治中期から発展してたようです。


商店街の裏には女鳥羽川が流れ、城の南惣堀(外堀)とこの川に挟まれた
縄のように長い土手と言われたのが名前の由来とされてますが
築城の際、外堀の外側に測量のため張った縄が由来とも、いずれにしろ
自然の川と外堀の二重構造は珍しいかも。

城下町そぞろ歩きは、まだ続きます。



2010.5/2、松本城にて。
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白鷺城、お堀さくら。

2010-04-01 22:28:58 | おしろ
姫路城、お城には入れなかったので
とりあえずお堀沿いに1周してみることにしました。






ところどころ桜も咲いてるようです。



堀の水面に我が身を映して 何想う



姫路城にどうしても行っておこうと思ったのは、先月の3日に
『NHK歴史秘話ヒストリア』姫路城 美と強運の400年物語
と言うのを見てたので・・・。昨日、うだうだ書いたのもこれの受け売りだったりして。



さくら、さくら 濠のお日さまが呼んでいる



築き積み上げたものに 満開の拍手を



高く咲く花は 輝きを失い

地に咲く花は 輝いて見えますよ




新版名城を歩く 1 姫路城 (PHPムック)

PHP研究所

このアイテムの詳細を見る






2010.3/28、姫路城にて。
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姫路城、総攻め状態?

2010-03-31 22:41:55 | おしろ
先の日曜は朝から兵庫県の『姫路城』を目指しました。
京都はもう桜渋滞、西へ逃れることにします。
お城と桜、改修工事が始まり5年間見られなくなる天守閣もしばし見納め。
そんなこともあり多少、人出も多いかなと心配しつつ・・・



姫路城は超有名なお城で、ご存知の方も多いと思いますが、
日本で初の世界文化遺産となり、同じく世界遺産のピラミッド、ベルサイユ宮殿などと肩を並べる世界の宝です。
国宝8棟、重要文化財74棟を含む国の特別史跡で、日本の宝でもあります。
美しい白漆喰の城壁から「白鷺城(はくろじょう/しらさぎじょう)」と呼ばれ、現存天守をもつ国宝四城(姫路城・松本城・彦根城・犬山城)の一つです。

築城は1346年とも言われてますが、当時は城と呼べるような建造物は無かったようです。その後、幾度となく増改築、修築を繰り返し、1580年、織田信長の家臣として播磨に進駐した羽柴秀吉が中国平定を成し、ここを居城とした際に大改修を行い、天守を設け、城下町、石垣で囲む総構えの近世城郭に改め、山陽道まで曲げ姫路の城下を通るようにしてます。
その後、秀吉が天下人へ昇り詰めたところから「出世城」なんて呼ばれかたも・・・
さて、徳川家康が関ヶ原で勝利すると、その功績で池田輝政が城主となり、西国を牽制する拠点としての役割から姫路城は、またしても大改修を受け(1601~1609年)広大な城郭となった。天守も今の姿はこの時のものだろう。
しかしその後、城主はめまぐるしく替わる。西国に睨みを利かす必要も無くなったにもかかわらず、あまりにも立派な城故に15万石の姫路藩には負担が大きい。天守の重量に地盤、礎石が耐えられず沈み込んでいくので、たびたび修理を重ねなければならなかったのも財政を圧迫したようだ。
それでも幕末期は、西国の連合軍を威嚇する歯止めとして威光を放つ・・・思惑も、新政府軍に包囲されるや否や、落城を逃れるため(?)あっさり開城。城を明け渡した。
明治時代になり廃城令により、姫路城も競売に付される。落札したのは金物商で23円50銭(今の価値に換算しても十数万円?)で!瓦を売るのが目的だったようだが、解体費用がかさむという理由で断念、解体されずに済んだ。後、陸軍省に買い上げてもらい歩兵連隊の基地となる。
昭和に入り国の史跡に指定され大改修に着手、やっと平安が訪れるかと思えば、太平洋戦争勃発、またしても陸軍が駐屯。姫路大空襲で、城下は灰燼に帰したが城は奇跡的に難を逃れた。天守を直撃した焼夷弾も不発だった。
長々と書きましたが、この城は数奇な運命に晒されながらその都度、奇跡的な幸運に恵まれ現在までその姿を守ってきました。
「不戦の城」「奇跡の城」、「幸運城」と呼んでもイイのかも。

その幸運城に、はるばる着いたのに何やら不安的中?



お城がまだ遠くなのに、臨時駐車場。しかも満車の看板w
それでも何とか入ることができ、てくてく城を目指して歩きます。

なんなんですか、この看板・・・






あれ、あれッ? 最後尾は何処に・・・









城外までぐる~っと! 人、人、人。軍勢だったら一気に落城しそう。






入城するまで80分。城内でも将棋倒しにならないよう
順路どおりにこの調子で列を守って、出てくるまで3時間半はかかるとか・・・

諦めました・・・桜を飾った「しろまるひめ」の可愛い笑顔が
なんか虚しい。



桜もまだちらほら咲き。何でこんなに人が集まるねん!



4月の半ばにはすっぽり覆われてしまう天守、しばし見納めです。
つーか、もっと近くで見たかった・・・



ま、お城には入れなかったけれど嬉しいこともありました。

往きの高速で、岐阜ナンバーのギャラグレNCと遭遇。
挨拶を交わし、前になり後ろになり連れツーリング状態・・・
どうやら同年代のカップル。
前に出てSA(権現湖)に入ってみる。着いてこられるかなと思いつつ
予想通り、同行され、クルマを降りてご挨拶、
しばしミーティングとあいなりました♪





お話すると、歳も1学年違うだけ。楽しいお話を聞かせてもらい
最後は写真を撮りっこ・・・再会を願ってお別れしました。

改めてロドスタが紡ぐ縁を感じてしまいます。
同じクルマを乗っているというだけで、高速道路上で遭遇しただけで・・・
この連帯感というか仲間意識は、面白いものですね。
良い出逢いができたと思ってます。




2010.3/28、市立美術館より姫路城。
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ゆるさ満点ひこねこ、ひこにゃん♪

2009-03-19 22:39:17 | おしろ
今や彦根城以上に有名?ゆるキャラの火付け役とも言われてる
「ひこにゃん」です。
僕の場合、彦根城に行く=ひこにゃん見に行く・・・だったわけで。



看板見て、がっくり・・・この時点で3時半でしたから。
とりあえず、急げばまだいるかもしれないと橋を渡ったら







おりましたっ! お終いのあいさつちぅ・・・

さて、ここでひこにゃんのプロフィールを。
彦根藩二代藩主である井伊直孝公をお寺の門前で手招きして雷雨から救ったと伝えられる
"招き猫”と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備えの兜を合体させて生まれたキャラクター。
ってことで『ひこにゃん特設サイト』『ひこにゃんブログ』
他にひこにゃんファンブログ多数・・・人気の程がはかれますね。


この後、ひこにゃん退場の際も





見失いそうになるくらい



ひこにゃんも名残惜しそう・・・



このひこにゃん、なかなかの芸達者でリクエストして、気が向けば
モチバウアー、モチーズブートキャンプ、欽ちゃん走りに志村の変なおじさん
などなど色んなことをして見せてくれる。
ちなみにモチと付くのは、スタッフやファンからモチと呼ばれてるからです。
ひこにゃんのあだ名?そのいわれは定かでは無いが、
スタッフの友達が初めてひこにゃんを見たときにモチ(餅)みたいと言ったからとか・・・

さぁ、みなさんご一緒に!
ひこにゃん音頭


特別サイトにもムービーがありますよ。お暇な方はどうぞ。



お城にも城下町にもひこにゃんがあふれてます





ネット通販でも・・・
 



屋形船のりばにて。
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築城400年、城主はにゃんこ?

2009-03-18 18:00:19 | おしろ
彦根城 別名:金亀城(こんきじょう)国宝・重要文化財など




屋形船乗り場 馬屋

築城400年祭を去年に終えた、往時の姿をそのまま残す希少なお城でもあります。
関ヶ原合戦に功のあった井伊直政は、徳川家康から近江国石田三成の旧領十八万石を与えられ、
落城した三成の佐和田山城は使い物にならず、この中世山城を修築することなく
新たに鉄砲戦に適した近世城郭の築城を目指した・・・が、
関ヶ原で受けた鉄砲傷が癒えず没した。かわって嫡男の直継(のちの直勝)が
父・直政の意志を継いで築城にあたった。

この地は中山道と北陸道(北国街道)が合流、京への水路もある交通の要所。
関ヶ原も近いですがこれまでも上洛、天下を盗るに重要な拠点でもあり
織田信長は長浜に羽柴秀吉、和田山に丹羽長秀を配したし、秀吉が天下を盗った時も
譜代筆頭の石田三成を、そして家康も同じく譜代筆頭の井伊直政を配し、
彦根城築城にあたっては、幕府の総力を上げて支援した。


内濠と大手門橋



城の形式は連郭式平山城。琵琶湖畔の小高い丘、亀山に造られている。
また、現存例の少ない倭城築城の技法である「登り石垣」が良好な形で保存されている。





大手門と表門からの道が合流する要(かなめ)の位置に築かれた櫓(やぐら)は
天秤櫓(てんびんやぐら)と呼ばれ、堀切(ほりぎり)には廊下橋という橋が架かってます。
この城の特徴的な見どころでもあり、構造的にもこの橋を渡らないと櫓の石垣を登らない限り
本丸へとは侵入できないようになってます。



天秤櫓の中は意外と広く、見晴らしもイイ。おや?井伊さんが・・・



ケイタイ電話をいじってるようですが・・・?
この真っ赤な鎧兜、戦装束は「井伊の赤鬼」と恐れられた井伊軍の赤備え。
赤備え(あかぞなえ)と言えば、有名なのは甲斐武田の山県隊などの赤備え軍団。
実は武田滅亡後、その旧臣達が井伊直政軍に編入されたことで、伝統にあやかり
全軍を赤備えとしたようです。



ちなみに幕末期、第二次長州征伐で芸州口の先鋒を務めた井伊直憲率いる彦根藩は
赤備えに火縄銃。一方、長州軍は射程距離の長いミニエー銃の遊撃隊による
アウトレンジ戦法。彦根藩は見事に一方的に破れることに。
目立つ赤揃えが格好の標的になったようで
彦根藩は伝統の赤鎧を脱ぎ捨て敗走・・・したようだ。

そう言えば、プロ野球の「赤ヘル軍団」広島カープの新球場の名前が
「マツダ zoom-zoom スタジアム広島」になったようだ。
赤ヘル広島ファンは、新球場開幕をムズムズしながら待ってるのかな・・・





天守は3階3重、規模は小ぶりですが、屋根は「切妻破風(きりづまはふ)」「入母屋破風(いりおもやはふ)」「唐破風(からはふ)」を多様に配しており、2階と3階には「花頭窓(かとうまど)」、3階には高欄付きの「廻縁(まわりえん)」を巡らせるなど美しい姿をしています。



階段はお城特有の超急角度、ミニスカートでの見学はご注意・・・



北側には玄宮園という大名庭園があります。



通し柱を使わない積み上げ式の構造で、梁も複雑。
昭和32~35年に解体修理が行われ、それにより元は5層構造のものを移築した
ことが分かり、大津城の天守を移築したものと考えられてます。






着見櫓跡の着見台(つきみだい)からは、三十五万石の城下や琵琶湖が望めます。


さて、次は ひこにゃんに登場してもらおうかな






2009.3/8、彦根城にて。牛蒡積みの石積み、西の丸三重櫓。
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今年はお城巡り?

2009-01-04 17:23:33 | おしろ
今年も相変わらずリアルタイムな記事になりません。
それでも何処へ行ったかなって記録は後に結構役立つもので・・・

昨年になりますが、12月28日。岡山県に行ってきました。
恒例の年末1泊旅行♪
ちょっと近場過ぎて日帰りでも行けそうですが

まずは、岡山城へと向かいます。
ウチからだと217kmほど、ほとんど高速道路で行けるので
3時間ほど?
途中「権現湖」PAでトイレ休憩したら


淡河PAリニューアルのポスターにロドスタクーペの絵を発見!
何と珍しいクルマを取り上げたものだ・・・


権現湖を眺めながら、カレーパンを。美味しいよ、ここのカレーパン!


かくして、9時前に家を出てお昼前には岡山城に足を踏み入れることに。



お城、戦国時代の物語は好きなんだけれど
歴史的な経緯は頭の中で整理できてない・・・w
岡山城に関しては「こちらのHP」で確認願いたい。えへっ(^_^;ゞ









天守閣の礎石跡があった、昭和20年の戦災で消失。と言うことは
国盗り合戦の戦ででは無く、おそらく相手はB-29? 
でも昭和41年に元の位置に鉄筋コンクリートで
再建とある。何処かなと探せば現れたのが・・・



ちょっと新し過ぎ・・・w









家内いわく、住宅展示場のモデルハウス?的。
重厚さには欠けるが、これはこれで立派なものだ。

黒塗りの外壁で、烏城(うじょう)と呼ばれている。
カラス城と言えば松本城も烏城と呼ばれるようだが、
それと別けるためか岡山城は金烏城なんて呼び方もするようだ。(かつては屋根瓦が金箔で飾られていた)
黒城と言えば有名なのは加藤清正の熊本城。白城の姫路城と
その美しさを競うもので、姫路の白鷺城に対して黒鷲城とでも
言うのかと思えば、意外や別名は銀杏城・・・w


お城の中はお決まりの資料館になってます。


  おっと、ここは撮影禁止のようでしたw

もちろん展望も・・・


ももの飾り瓦が岡山らしい(おそらく現代の観光アイテム?)


姫(?)も大名駕篭で。 ここは撮影OKだよ~♪


城下町、庶民の暮らしぶりの展示もありました。






このお城、正面南口より北側から見る方が格好が良いかな。




売店で ついつい買ってしまったのが・・・



『日本100名城ガイドブック』・・・スタンプラリー帳付きw



も、もちろん スタンプラリーなんて本気ではやりません!
札幌五稜郭~沖縄首里城までなんて、ロドで回りきれませんから!
でも幾つかは回ってみるつもり、新カテゴリーも作ったことだし・・・



お城フェチな方には、ここのHPもおすすめ『ザ・登城』

お城バイブル?『学研 よみがえる名城』シリーズ


●日本名城紀行 DVD-BOX(全8巻)  


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