森中定治ブログ「次世代に贈る社会」

人間のこと,社会のこと,未来のこと,いろいろと考えたことを書きます

ウクライナにおける人間の盾から人類が戦争をやめる方法を思いつく

2022-08-17 16:17:02 | 人類の未来

ロシアとウクライナの戦争は今もって続いています。
日本も中国と戦争になるのではないかと、とても不安な気持ちです。

来年の市民シンポジウムでは、「人類は戦争を廃止することができるのか?」と言ったタイトルで、人類が未来永劫に戦争を廃止する方法について論じたいと思っています。

以下の内容はそれを論じたものです。
私のアイディアの半分ですが、先般のアムネスティー・インターナショナルの報告でそのヒントを得ました。

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毎日新聞がこの8月上旬に、ウクライナ軍が住宅地に軍拠点を置いていることは国際法違反だとして、アムネスティー・イターナショナルがウクライナ軍を批判する報告書を出したと、報道しました。
https://mainichi.jp/articles/20220806/k00/00m/030/027000c

ウクライナは自国の一般市民を盾に使っていると、数ヶ月現地を見てきたアムネスティーの人が感じたようです。

ウクライナ軍とロシア軍が殺し合いをする。
ウクライナ軍は自国での殺し合いだから自国の市民の中に混じり込むことができる。ロシア軍が撃とうとすると、ウクライナ軍は一般市民の中に混じり込む。

「ロシア軍よ!どうだこれでも我々を撃てるか!」と言ったところでしょう。
これを現地でつぶさに観察してきたアムネスティーの人が、これじゃウクライナ市民は、ウクライナ軍のためのロシア軍に対する盾だと感じたのでしょう。

戦争は殺し合いです。
相手がこちらを殺そうと銃撃してくるのに、相手がいるところに一般市民が混じっているからロシア軍は撃てない。
双方対等の殺し合いではなく、一方が不利な殺し合いになります。
これではロシア軍はたまったものではないから、結局は市民がいても撃ちます。
これで殺し合いとしては対等ですが、ロシア軍は一方的に極悪非道になります。
なぜならロシア軍は一般市民を撃っているからです。
普通の人間なら誰もがそう思い、ロシア軍は許せない!となります。
確かにロシア軍は極悪非道ですが、ウクライナ軍もロシア軍を撃っているくせに、自分達は一般市民を盾にしてロシア軍の良心に訴えて、撃たせないようにしています。

人間は本来、心の底に優しさや他人に対する暖かさ、いわゆる良心を持っています。兵士がいくら心を鬼にするように訓練されても、その心の奥底の人間らしさを失ってはいないでしょう。だからPTSDになるのでしょう。
ウクライナ軍は、自分は撃っているのに、ロシア軍には心の奥底の人間らしさを利用して撃たせないようにしているのです。それでも撃てば、今度は真の人でなし!鬼になります。
これってどちらが悪どいでしょうか。

世界中の誰もがロシア軍を悪くいう。しかし現地にいたアムネスティーはウクライナ軍が自国市民を人間の盾に使って、ロシア軍を鬼にしていることを感じ取ったのです。
ゼレンスキー大統領は、ロシア軍の極悪非道の上を行く存在だと思います。
アムネスティー・インターナショナルの報告書はそれを言っているのでしょう。
ゼレンスキー大統領の怒りに押されて言葉を濁してしまいましたが、報告書は撤回しませんでした。

私は、プーチン大統領やロシア軍の極悪非道さ、さらにその上を行くゼレンスキー大統領やウクライナ軍の極悪非道さを言いたいのではありません。

戦争とは、一度始まってしまったら、人を鬼にするものだということを言いたいのです。

この報告書が出て、アムネスティーウクライナ代表がこの報告書はロシアに利するとして、代表を辞めてしまいました。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022080600530&g=int

もしこの報告書が全くの間違いだとか、嘘だとかいうのであればこの代表者は絶対に辞めないでしょう。アムネスティーの代表者になるくらいの方です。強い意志と人間愛、信念を持った方でしょう。徹底的にこの報告書の撤回を求めて闘うはずです。

辞めるというのは、それについて自分は何も出来ないから、その責務から降りるということ、逃げてしまうことです。
これは、この報告書が真実を語っていることを意味します。そして、ウクライナ代表は、だからと言って今まさに自国とロシアが殺し合っていて、ロシア軍に利することなど言えない。人間個人の能力を超えるから、個人ではどうにもできないから、辞めざるを得ないのです。

私も、このロシア・ウクライナ戦争がどういう結末になるか、未来を見通すことができません。全くわかりません。

戦争が始まってしまったらもう遅い。人間には、始まってしまった戦争に適正に対処する能力がないのです。

「戦争とは、その種蒔きがあって、蒔かれたその種が芽を出し、育ち、そして戦争という死の花が咲く」のです。戦争という死の花が咲いてしまったら、どちらが悪いと上から目線のジャッジをしても解決しない。
種のうち、芽のうちに摘み取ってしまうのです。それなら人間の個人の持つ能力でやれることがたくさんあります。

私は、安倍元首相の国葬にロシアを呼ばないとの政府の揚げたアドバルーンを耳にしました。日本がロシアに対して、「お前は俺たちの仲間じゃないので来るな!」と言っています。悪意を含んだ意地悪です。それを察知してプーチン大統領は、日本に通告される前に、私は行かないと言った。日本が蒔こうとした戦争の種を、蒔かせなかったのです。

広島市民は、原爆の追悼である広島平和記念式典にロシアを呼びませんでした。広島市民は、ロシア人は原爆で死んだ人のために祈る必要はない。来るな!と言っています。なんということでしょう。それを事前に察したロシアは、広島平和記念公園で献花し原爆での死者とその後遺症に苦しんでいる広島市民及び他の被曝者のために祈りを捧げました。
どちらが戦争の種を蒔き、どちらが戦争の芽を摘もうとしたのでしょうか?

このような時点でのことなら、我々一般市民も声を上げたり、行為を止めたり、反省を促したり、個人レベルで対応ができるのです。こういった戦争の種蒔きに敏感に対応すること、こまめに戦争の芽を摘むこと、これこそが人類が未来永劫に戦争を廃止するための我々一般市民がなしうる行為だと思います。
戦争が始まってから、上から目線で一方的にジャッジし退け!退け!と言っても遅いと思います。

日本が戦争をするとすれば、相手は中国、ロシア、北朝鮮です。今からはそれらの国と信義と友好を心がけ、少なくとも同じ人間としての礼節を保ち、戦争の種を蒔かないようにすることが一番重要であるし、またそれは一市民の個人の能力でできることです。

我々は、できないこと、人間の能力を超えることをやるのではなく、人間の能力の範囲内にあることやるのです。それだけで戦争をなくすることは十分できると思います。

始まってからでは、その適正な対処は、もはや個人というより人間の能力それ自体を超えていると私は思います。

 

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