4月12日に開催された市民シンポジウム「対論!人類は原発をどうするのか?」は650名近いご参加を頂きました.有り難うございました.終了後沢山のコメントを頂きました.頂いたコメントのほとんどが感動した,真の対論を見たというものでした.
例えば,以下の通りです.
>人間の知恵が分断され対立している限り、永遠に平和が来ないので、森中さんのシンポジウムのときのような立場で問題を考えていかないとあかんなあと思います。先入観、偏見、差別意識(富や価値観による優越感)が人類としての知恵の結合/創造を妨げています。
>コメントでも述べられていましたように、賛成意見、反対意見、中間意見に自民党政治家まで巻き込んでの”対論”はなかなか良い企画で成功でしたね。会場には一見やみくもに反対のために反対を叫びそうな雰囲気の方たちも居たように思います(全くの偏見です)が、小出先生、森中先生はじめ飯野、後藤両コメンテーターや秋本、小山、木下、鈴木、須永、山脇、吉岡各ゲストの先生方の話が心に響いたのではと合点しております。
>近年にない”ビッグシンポ”でした。
>トリウム炉の技術的是非を問うことに終始するのではないかと非常に心配していました。実際には「ポジション・トーク」が実践され、脱原発であろうとトリウム炉推進であろうと、次世代に引き継ぐ未来をよいものにしたい、という熱意が共通していることを知り、一安心しました。
>生物地理学についても、トリウム溶融塩炉についても、詳しいお話しをうかがったのは初めてでしたので、大変勉強になりました。また、「学問と市民の接点を作る」「異分野間での研究交流を深める」という主旨にもたいへん共感いたしました。今回のシンポジウムの内容を自分なりに消化して、知り合いにも伝えたいと思います。
>対論、対話がいかに大事であり、社会のすみずみまで日常的に行われるように、日頃の実践を通して取り組んで行きたいと改めて思いました。
頂いたコメントがあまりに偏っているので,私は以下のように考えました.
賛成派と反対派が聴衆の目に見える形での対決のあるシンポジウムはいままでも開催された.多くの人はそれに出てどんなものかそれなりに身に感じた.私もそういう対論の場には聴衆として参加し,私なりに印象をもっています.
その印象がよくないのです.言葉ばかり丁寧ではあるけれども,相手の主張の肝心のポイントはスルーし,それに答えない.相手もそれを見過ごしそのまま放っておく.そして自分の言いたいことだけ強調する.こういった感じの不毛な場になった事が多かったと思います.
おそらく多くの人も私と同じだと思います.だから,今回のシンポジウムのやり方に,感動を受けたというメールばかり来たのだと私は思いました.結局日本人というのは,言葉による真の議論が困難なのではないかと思います.であれば.それに代えてそれに近づけるような工夫が必要です.今回はやり方が的を得たのではないかと思っています.また機会があれば,やってみたいと思います.
この市民シンポジウムでは,プルトニウムは核爆弾にするには最低8kgいるけれども,100gでも可能であること,ハイテクのミサイル技術なども不要で,プルトニウムをもし1-10ミクロンの微粉末にして銀座や新宿の上空で撒けば,核爆弾が炸裂したのと同じ心理効果を及ぼすだろうと述べ,プルトニウムを産み出す者は”人類の敵”であり1日も早くこの世から消滅させるべきであると主張しました.人類は,戦争を止めるときが来ているのです.この私の考え方の基になっているのが,拙著『プルトニウム消滅! 脱原発の新思考』です.この内容を原点にして,今回の市民シンポジウムでお話しさせて頂きました.
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