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会社員のような一般社会人にとっての専門とは何か

2020年06月30日 | 随筆
 第1次南極越冬隊長の西堀栄三郎氏は、「専門の無いのが私の専門や。」とおっしゃられていたそうだ。実は私にも思い出がある。高校3年生に進級する時に、文化系か理科系かを分けるように科目選択があったことだ。
 私は、この時、文化系と理科系を分けるという選択ができなかった。具体的に言うと、数Ⅲは選択しない代わりに英語を選択し、化学Ⅱと生物Ⅱを選択するというものであった。今から思えば、たったこれだけのことであるが、私のクラスは、教育学部だったり、看護師や薬剤師、スポーツ学部や教養学部、人間科学部といった、当時は、あまりメジャーでなかった学部に進学する人も多かった。
 渡部昇一先生は、30代で英語学の世界的権威となる論文を書かれて博士号を取得し、上智大学では、それ以降、専門にとらわれない自由な研究を許容してくれたそうだ。そういう点で、国立ではなく、私学に在籍していた大いなるメリットがあったと言っていいだろう。
 その後は、英語の研究を専門の軸として、歴史、文明考察、日本の針路にまで幅広く言及される碩学であられた。
 2017年に亡くなられたが、たった一人でも闘うという姿勢、生き様は、親父の背中を見せてくれているようだった。
 渡部昇一先生とは、ちょうど30歳、年が離れている。先生は私の父親母親の世代と一致する。私の父は大正生まれだったが、母は昭和8年生まれだ。
渡部先生は昭和5年だから、ちょうど父と母の中間の年齢だった。
この世代の人は、貧しいのが当たり前。戦争を肌で経験している。爆弾を落とされたり、機銃掃射を受けたり、伝聞と肌感覚は全く違う。そして同時代に戦争が進捗していたのだ。大本営発表であっても、ニュースが刻々と入ってくる。
 20年8月15日の玉音放送も何らかの形で聞いているはずだ。
そういう時代背景に育った人と、終戦から15年経過して生まれた子供の世代では、肌感覚は全く違うと言っていいだろう。私も渡部先生の本は専門の英語学の本以外は結構読んできたが、大いに勉強させていただいたが、やはり当然のことながら、肌感覚が違うということは否めなかった。
 私の世代は、私の世代の肌感覚と、時代背景を受けて、先生に大いに学ばせていただいたことを糧として、微力であっても、自分思考、自分の言葉、そして自分なりの行動で未来を拓いていかなければいないと思う。
話がそれたが、専門というのは、学問の世界では必要だろう。渡部昇一先生のように30代でその学問の専門領域では世界のトップレベルになることが、渡部先生のこの世的な礎を築き、専門外のことを勉強・研究して、評論家として、歴史や文明史のような領域まで研究したうえでの発言が光っておられた。
 私のような会社員では、学問的な専門領域では、研究者には及ぶべくもないが、実務を通じた肌感覚や、常識のようなものは、年齢とともに身についているつもりだ。
 40年近くも社会人をやってきて、それなりの経験は経てきている。そしてありがたいことに、読書という趣味があったからこそ、渡部昇一先生、安岡正篤先生、カール・ヒルティ、中西輝政先生、森信三先生、神渡良平先生、松下幸之助さん、新渡戸稲造先生、諸先生から読書を通して、学ばせていただくことができた。
 会社員のような一般の社会人にとっての専門とは、予め出来上がった専門分野を歩くことではなく、「僕の前には踏み固められた道は無かったけれど、僕の後に道ができる」ような、各人一人ひとりが、歩んできた「専門の道」があるように思っている。