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山田方谷の詩

2022年09月07日 | 魂の人間学
 前項でも記載したが、山田方谷が塾生たちに教えながら、晩年居住した、岡山県 大佐郡の刑部(小阪部)から数キロくらいに程近い、方谷の父母の菩提寺近くにある山田方谷記念館で、方谷関係の本がたくさん並べてあったと書いた。
 その中で、「山田方谷全集(全3冊 山田準編)」と、「山田方谷の文 方谷遺文訳解(浜 久雄)」 「山田方谷の詩 その全訳(宮原 信)」(いずれも明徳出版社)が、目についた。
 そして、比較的新しいものでは、山田方谷伝(上下2巻 宇田川敬介著 振学出版)というものもあった。
 最後の「山田方谷伝 上下2巻」は、大河ドラマになることを待望して書かれたような、小説でもあり、事実に即してはあるが、一部、(テレビ向けに?)フィクションの出来事や登場人物等を登場させながら、わかりやすい物語として書かれている。確かに大河ドラマのネタ本というかシナリオとしては、ふさわしいものだと感じた。

  この項で、触れたいのは、「山田方谷の詩 その全訳(宮原 信)」である。山田方谷は、陽明学徒らしく、結果として実践を重んじた人生だった。その人生は、幕末明治にかけて、飛びぬけた業績を伴った人生でもあった。
 しかし、方谷は、著作らしい著作は残していない。江戸修行時代に「理財論」という論文を書いているようだが、これ自体は素晴らしいものであるが、後述の安岡正篤先生によれば、著作の範疇というより、修行時代の研究発表論文のような位置づけになるようだ。
 強いて言えば、晩年の閑谷学校の陽明学の講義を生徒たちが筆記したものが、残っていて、これが、方谷の著作にはなっている。
 しかし、方谷は、上記の「山田方谷の詩 その全訳」で、1056編の詩を残しているのだ。
 若い時から、晩年に至るまで、年代順に掲載され、漢詩の形態であるけれども、その訳文がすべてに付されている。方谷没後100年を機に出版されたもののようだが、著者の労力には、敬服するし、頭が下がる。後世のものには、大変ありがたい業績だ。
 山田方谷は、維新時の徳川幕府老中(板倉勝静)の顧問というか相談役でもあり、備中松山藩の今でいう総理大臣である参政を務めた人物だ。維新後は、その卓越した手腕を認められて、新政府に出仕を求められたが、逆に、現在、方谷駅がある長瀬から、さらに山奥の実母の生まれ故郷である小阪部に移り住んで、拒絶の意向を行動で示すような形となった。その真意が、年齢によるものや、二君に使えず、という理由以外、奥深くの心情までは、よくはわからなかったが(もちろん、方谷の魂の傾向に「隠遁」を求める心のようなものもあったのだろうが)、詩の中で、殷が滅び、周の時代になった時の伯夷・叔斉のように暮らそう、という一節があり、より、深い心情が読み取れた。
 そして、この分厚い本の、解説は、安岡正篤さんが、書いている。結構長い解説だ。
 思えば、私が、山田方谷先生のことを知ったのは、安岡正篤さんの著作を通してだった。
「山田方谷の理財論」ということで、安岡さんの何冊かのご著書で紹介されていたのだった。
 1056編の詩を全部読むことはまだ、できていないが、安岡正篤さんの解説は、読み終えた。結構長い解説で、相当、心血を注ぎ、力を入れて書かれたものだということがわかる。
 安岡さんの解説の中で、紹介されている詩をその掲載番号とともに照会していると、方谷先生の人間・山田方谷としての息吹や考えが、直接伝わってくるようだ。
 安岡さんの解説では、維新前後の5年間くらいの詩が、最も素晴らしいものであるとともに、明治維新時の幕府方の中枢にいた人の心情をうつした歴史的価値としても絶大なものがある、と言及されていた。
 明治維新から154年ほど経過した現代では、薩長土肥を中心とした新政府と旧幕府側という区分けだけでなく、日本の歴史上、特筆すべき幕末明治の維新期を共に近代化を目指し、大国の植民地にならないよう、命がけで新たな国造りをするために、いわば日本の「坂の上の上の雲」を目指すべく、遣わされたような、維新の志士たちや、幕府側であっても有能で活躍した、一群の人々、新・八百万の神々のような人々の中で、いわば突出した人々ともいうべき人たちに、方谷先生もいらしゃった、というような位置づけに見える。
 この詩集は、山田方谷先生の業績面や、外面的な歴史に加えた、「人間・山田方谷」としての、一生を通した魂の精髄のようなものが、自然に吐露されている第1級の資料のように思えるのだ。


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