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池江璃花子選手、20歳の誕生日おめでとう!応援してるぞ!

2020年07月03日 | 人間学
 2年ほど前、日本国内の女子水泳選手で最も輝いていた池江璃花子選手。
 私が若いころのマーク・スピッツや、もっと後のイアン・ソープ、あるいは、マット・ビオンディーを思わせるような、1回のオリンピックで、金メダルを何個も獲得するような、過去にいなかったようなレベルの女子の水泳アスリート。
 絶好調の日に、突然発病した白血病で入院して1年9か月。昨日、練習風景が公開され放映されていた。
 今年10月の学生の大会インカレと呼ばれる学生の大会に出場することを目指しているという。回復後、コロナも重なり、病み上がりの体で、泳げるだけでも奇跡のような中で、徐々に調子が出てきているという。
 今月、もし東京五輪が予定通り開催され、池江選手がもし白血病にならずに順調にいっていたら、多分金メダルを3個以上獲っていても不思議ではなかったはずだ。
 もしかしたら5個獲っていたかもしれない。少なくともメダルは5個くらい獲っていたのではないだろうか。本当に強力な選手だったのだ。
 全く予期しない白血病の発病。縁起でもないが、昔だったら、命を落としている可能性もあったかもしれない。しかし、最新の治療を受けて、奇跡的に回復している。
 好事魔多しというが、自分の責任でなく、何の前触れもなく、否応なく病にかかるのだから、如何ともし難い。天が与えた試練なのかもしれないが、あまりにも劇的というか、ショッキングな出来事だった。
 実は私は中学時代、夏だけ発足する水泳部に所属していた。夏休みは、学校のプールで練習し、9月に開催される区の大会に出場したりしていたのだ。
 だから、レベルは全く違うが、水泳が今でも好きで、自分の娘よりさらに若い池江選手のすごさをテレビで見て感動し、応援していたのだ。
 それなのに、全く予期しない白血病の発病。報道に耳を疑ったものだ。 これが人生のドラマでなくて何がドラマであろう。
 そして、明日7月4日が誕生日で、20歳になるという。アメリカの独立記念日が誕生日で、明日が成人のお祝いの日なのだ。本当におめでとう!とoお祝いの気持ちを伝えたい。病からの回復とプールで泳げるまでになったこと、インカレやパリ五輪という目標を設定できることに、そして、成人である20歳になったことに。本当におめでとう!!
 今のブランク後の体力では、どこまでできるかわからないが、私は今後も池江選手の活躍を応援するし、奇跡のカムバックを見せてほしいと切に願っている。
 池江選手はすでに世界大会で金メダルを獲っている。2024年のパリ大会を目標にしているというが、結果だけでなく、その生き様が素晴らしい。人生は結果も大事だけれども、その過程も大事だ。明日の二十歳の誕生日をお祝いするとともに、今後の健康とご活躍を願って、最大限のエールを贈りたい。
 がんばれ!池江選手! そして20歳の誕生日。おめでとう!
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輪廻転生の思想  人は生まれ変わる

2020年07月03日 | 魂の人間学
  これも仏教の教えだが、輪廻転生の思想というものがある。思想というか、仏教では現実のこととして教えている。これは、肉体の死後の生命存続の思想であり、教えである。また、いいことをすれば天国へ行き、悪いことをすれば地獄へ行く、という勧善懲悪の教えの部分もある。
ただ、死後の世界は死んでみないとわからないから、この話を信じない人には、受け入れてもらえない。信じる人は、あの世もあることだから、人の道を踏み外さず、良いことを積み重ね、積善をして、あの世で極楽の天国に行く。
 悪いことを重ねてきた人は、死後、地獄に落ちる。地獄には種類があって、血の池地獄、阿修羅地獄、火炎地獄、無間地獄、その他多種類の地獄があるようだ。
 生まれ変わりの時には、地獄から反省を終えて、天国に昇っていないと生まれ変わることができないという。
 だから、生まれた時には、性善説が正しいことになる。しかし、生まれてから成長するにつれて、心に闇を作っていってしまうと生きながら心に地獄の部分を持つこともある。
 これは、真から反省し、悔い改めれば、心の地獄の部分を消し去ることもできる。しかし、どんどん地獄を広げてしまう場合もある。人間には自由意志というものが認められており、いかにお釈迦さまが教えを説いて諭しても、自分から進んで地獄の心を呼び込んでいる者には、お釈迦様でも、その自由意志を止めることができない。
 しかし、自らまいた種は自ら刈り取らなくてはならない。この世で反省し、悔い改めることができなかった人は地獄に行って、反省することになる。あの世に行くと、心の喜びは10倍くらいになるが、心の苦しみも10倍くらいになる。だから地獄は結構厳しいところなのだ(これは、現代の心理学や科学で、顕在意識が10%以下、潜在意識が90%以上という事実にも関連している。潜在意識はあの世の意識とつながっていることになる)。
 しかし、いいことを積み重ねた人は、天国に行く。その積善の大きさに応じて、極楽のような場所にいける。これもいい種をまいた結果としていい実がなったということになる。原因結果の法則である。いい種をまけばいい実がなり、悪い種をまけば、悪い実がなるという、小学校で習う道徳のごとき話である。
 ただ、ヒルティも言っているが、死後の生命存続の思想を信じることなしに、この世を生き続けることは困難と思うこともある。理不尽な現実にこの世の精算だけでは決して納得できないし、そのことが、あの世があることの証明なのだ、と言った聖職者もいるくらいだ。
 但し、死後の生命存続の思想を信じている人には、理不尽と思われる多くのことが納得できるようになる。
 渡部昇一先生が、パスカルの言葉を用いて、生命存続の思想を信じるか、信じないかと、損得勘定で、もし、言ったとしても、これを信じた方が得だ、と結論づけている。
 私も、この科学万能の時代に・・・と若いころ思っていたことがったが、今は、断然、死後の生命存続、生まれ変わりを信じている。というか、それが当たり前の常識のように思っている。








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八正道について

2020年07月01日 | 魂の人間学
仏教の言葉に八正道というものがある。
人生の指針となる言葉だ。
八正道とは、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定、の8つの正しい道ということである。
正見とは、正しくものを見るということ。邪見ではだめなのである。素直に正しくものを見る。洞察力が必要な場合もある。
正思とは、正しく思うこと。人間は、内心は誰にもわからないのだから、何を考えていても、何を思っていても、人にバレなければいいのだ、ということではなく、人にわかっていようが、誰にもわかられていなかろうが、正しい思いを常に持つということ。天知る、地知る、我知る、人知る(後漢書 楊震の言葉)である。
これは、道を志す初心者にとっては、結構難しいものだ。邪な思いを持っていても、黙っていれば、気づかれない。しかし、それが高じて、長い時間のうちに習い性となり、邪な行動に結びついてしまう。その邪な気持ちを、根本から断つ方法でもある。常に正しい思いを持つようにすること。
そしてもし、邪な思いを持ってしまったり、行動をしてしまった時は、必ず反省することだ。反省することで、心を正しい思いに戻して行くことが大切だ。
正語とは、正しく語ること。これは、正しい思いを持っていれば、素直に正しい言葉が出てくるものだ。邪な気持ちを持ちながら正しく語ろうと思っても、自己欺瞞であり、偽善であって、良心の呵責が伴ってします。まず、正しい思いを持つことが、正しく語ることにつながっていく。
正業は、正しく仕事をするということだ。渋沢栄一に「論語と算盤」という著作があるが、資本主義だから利益を得るのは当然と、利益ばかりを追い求めて道を踏み外した商売をしていても通常は長続きしない。一時は羽振りの良い時があっても長い目で見れば、周りからの信用も人望もなくして長続きしないのが常だろう。正直に正しく仕事をしていくことが大切だ。
正命は、正しく生活するということだ。たとえば、睡眠を十分とり、暴飲暴食を避け、読書の習慣を保ち、適度な運動をする、健康を保つことなどが挙げられると思う。
 正精進は正しく精進する、ということだ。正進ともいう。仏教修行者であれば、正しく修行するということにもなろうか。ただ一般のいわゆる在家の人間であれば、仕事以外の時間に本を読ん勉強するとか、在家ながらも精進はできるはずだ。広義では、体を鍛えるとかも該当するのかもしれない。
正念とは、正しく念じること。正しく思うことの発展形でもあろう。
念ずれば花開く、という言葉があるが、願望を実現するためには、常々念じることが必要だ。しかし、この念じる内容が正しくなくてはならない。 正しく思うことを土台にしてこの正念があるのだ。
 最後に正定。正しく定に入るということだ。仏教用語であるから、正しく禅定する、ということである。先ほどの反省も正しく行う、禅定を正しくするということ。
 この8つを指針を元に実践し、人生を生きていくことで、正しい人生、未来の拓ける人生になっていく、というものだ。
 

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会社員のような一般社会人にとっての専門とは何か

2020年06月30日 | 随筆
 第1次南極越冬隊長の西堀栄三郎氏は、「専門の無いのが私の専門や。」とおっしゃられていたそうだ。実は私にも思い出がある。高校3年生に進級する時に、文化系か理科系かを分けるように科目選択があったことだ。
 私は、この時、文化系と理科系を分けるという選択ができなかった。具体的に言うと、数Ⅲは選択しない代わりに英語を選択し、化学Ⅱと生物Ⅱを選択するというものであった。今から思えば、たったこれだけのことであるが、私のクラスは、教育学部だったり、看護師や薬剤師、スポーツ学部や教養学部、人間科学部といった、当時は、あまりメジャーでなかった学部に進学する人も多かった。
 渡部昇一先生は、30代で英語学の世界的権威となる論文を書かれて博士号を取得し、上智大学では、それ以降、専門にとらわれない自由な研究を許容してくれたそうだ。そういう点で、国立ではなく、私学に在籍していた大いなるメリットがあったと言っていいだろう。
 その後は、英語の研究を専門の軸として、歴史、文明考察、日本の針路にまで幅広く言及される碩学であられた。
 2017年に亡くなられたが、たった一人でも闘うという姿勢、生き様は、親父の背中を見せてくれているようだった。
 渡部昇一先生とは、ちょうど30歳、年が離れている。先生は私の父親母親の世代と一致する。私の父は大正生まれだったが、母は昭和8年生まれだ。
渡部先生は昭和5年だから、ちょうど父と母の中間の年齢だった。
この世代の人は、貧しいのが当たり前。戦争を肌で経験している。爆弾を落とされたり、機銃掃射を受けたり、伝聞と肌感覚は全く違う。そして同時代に戦争が進捗していたのだ。大本発表であっても、ニュースが刻々と入ってくる。
 20年8月15日の玉音放送も何らかの形で聞いているはずだ。
そういう時代背景に育った人と、終戦から15年経過して生まれた子供の世代では、肌感覚は全く違うと言っていいだろう。私も渡部先生の本は専門の英語学の本以外は結構読んできたが、大いに勉強させていただいたが、やはり当然のことながら、肌感覚が違うということは否めなかった。
 私の世代は、私の世代の肌感覚と、時代背景を受けて、先生に大いに学ばせていただいたことを糧として、微力であっても、自分思考、自分の言葉、そして自分なりの行動で未来を拓いていかなければいないと思う。
話がそれたが、専門というのは、学問の世界では必要だろう。渡部昇一先生のように30代でその学問の専門領域では世界のトップレベルになることが、渡部先生のこの世的な礎を築き、専門外のことを勉強・研究して、評論家として、歴史や文明史のような領域まで研究したうえでの発言が光っておられた。
 私のような会社員では、学問的な専門領域では、研究者には及ぶべくもないが、実務を通じた肌感覚や、常識のようなものは、年齢とともに身についているつもりだ。
 40年近くも社会人をやってきて、それなりの経験は経てきている。そしてありがたいことに、読書という趣味があったからこそ、渡部昇一先生、安岡正篤先生、カール・ヒルティ、中西輝政先生、森信三先生、神渡良平先生、松下幸之助さん、新渡戸稲造先生、諸先生から読書を通して、学ばせていただくことができた。
 会社員のような一般の社会人にとっての専門とは、予め出来上がった専門分野を歩くことではなく、「僕の前には踏み固められた道は無かったけれど、僕の後に道ができる」ような、各人一人ひとりが、歩んできた「専門の道」があるように思っている。
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伊能忠敬のふるさと 佐原を訪ねて

2020年02月11日 | 歴史探訪
 伊能忠敬のふるさと 佐原を訪ねて

佐原の名主としても活躍した商家の家督を長男に引き継いで隠居し、50歳を超えてから江戸に出て、30代の若い幕府の天文方、高橋至時に師事して勉強して天文学や測量を学び、55歳を超えてから17年をかけて正確な日本地図を完成させた伊能忠敬の里、佐原を訪ねた。





 小江戸と言われる街並みが保たれていて、利根川につながる川には舟に乗れる観光スポットになっていた。
 街の観光のメインの場所は、やはり「伊能忠敬記念館」と川をはさんだ向かいにある「伊能家旧宅」だ。
 私が、記念館で見て、感心したのは、伊能忠敬の蔵書目録だった。天文や測量を学ぶ前に、すでの多くの書物を読んでいたのだった。商家を29歳で任され、49歳までの20年間に売り上げを3倍にしたというから大したものだ。村のまとめ役のような名主もつとめて幕府(江戸)にも何回も往復している。
 その間に、たくさんの本を読んでいたことになる。大したものだ。
そして、天文学への意欲がふつふつと沸いて、隠居して江戸へ。まだ、30代の幕府の天文方、高橋至時に師事して、天文学や測量を学び、55歳の時、私財も出しつつ、第1回目の測量の旅に出ることになった。自身や師の至時との共通の研究課題である子午線、緯度1度の長さの測定も兼ねていた。
 伊能忠敬の偉大なところは、50歳から本格的に勉強を始めて、日本地図をつくるべく17年にもわたって、測量を続け、正確な日本地図を完成させたことにある。
 現代であれば、60歳や65歳で会社を定年してから全く畑違いの分野で勉強してコツコツ努力して大きな偉業を成し遂げたというようなことになるのであろう。
 なかなかできることではない。もちろん、時代的に幕府が正確な日本地図を必要としていたこともあろう。しかし、自らの勤勉さや誠実さ、努力が実を結んでその運命を引き寄せたと言える。
 人生100年時代などと言われる昨今、是非、見習いたい人物のひとりであろう。
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