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中村天風さんについて

2016年09月30日 | 魂の人間学
中村天風さんについて

20代から30代に安岡正篤さんをよく読んだが、ある時、中村天風さんの本が目について1冊目を購入して読んで興味を持ち、続けて読むようになった時期があった。記憶をたよりに書いてみる。
中村天風さんは、明治生まれだが、現在の九州福岡あたりになるのだろうか、旧柳川藩領の生まれで、武士の家系だったようだ。気性は荒く、剣道なども強かったらしい。

今の高校生の年齢の時に、喧嘩をした相手が、刃物をもってきて、もみ合いになり、逆に相手を刺して相手が死んでしまうという事件があったとのことだ。
その時は、正当防衛が認められて、無罪になったらしいが、手がつけられない気性の荒い暴れん坊ということで、学校にはいられなくなり、頭山満の玄洋社に預けられた。
そこで軍の将校のかばん持ちとなって、中国に派遣されることになったそうだ。いわゆる諜報員、軍事探偵だ。

玄洋社の頭山満さんは、そういう血気盛んな若者をたくさん抱えていて、軍に協力して中国に送っていたようだ。一度行ったら、ほとんどの者が帰って来られない過酷な勤務だったようだ。万里の長城にいる時に銃撃されて、すんでのところで10メートル以上はあるところから下に飛び降り、下に槇のようなもの積まれていて、運よく命は助かったが、その衝撃で、一生つきまとわれる耳鳴りに悩まされるようになってしまったらしい。
またある時は、敵方に捕まってしまい、木に括りつけられて銃殺される寸前に、味方からの手榴弾の攻撃で命からがら助かったこともあったという。

そんな過酷な状況の中で、使命を終えて日本に帰国した。
頭山満さんに帰国の挨拶に行くと、夫婦着物姿で出てきて、大変丁寧に迎えられたという。ほとんどの者が帰って来られない中で、帰って来た者は、今後も生きて何か大切な使命があるからなのだ、というような理由だったようだ。
それから、頭山満さんの秘蔵っ子のような者になっていったらしい。 

中年になると、それまでの特別に元気だった身体に反作用が出るように、原因不明の体調悪化に悩まされるようになってしまう。中国での戦いで殺した人たちの怨念ではないか、というふうに思ったという記述もあったように記憶している。
たくさんの医者にかかり、様々な療法を試したが、一向に良くならない。治癒を求めて、世界中を旅したということだった。鏡を見て笑う療法とか、様々に試したが、結局体調は悪化したままだった。意気消沈して、もうこのまま死ぬことになるのか、と諦めて船で日本に帰国する途中で、いわくありそうなインド方面系の少し老齢の人物と偶然会うことになった。
その人は、中村天風さんを一目観て、肺に病があるようだが、私についてくれば、必ず治る。ついてくるか? と言われて、ふつうなら疑うところを、素直に「はい」と言ってしまい、そのままそのどこの誰ともわからないその人物について行ってしまった。

その人は、カリアッパ師と言う人で、インドだかチベット方面の人だったようだ。山奥に住んでいて、ヒマラヤのふもとの深山幽谷のようなところだったようだ。でも、世界旅行の客船に乗っていたわけだから、高僧のような人には違いない。
天風は、そこで何年も修行することになる。岩の上で座禅を組んだり・・。でも、最初は、カリアッパ師は、自ら積極的には何も教えてくれなかったらしい。不審に思った天風が、食ってかかるように問答し始めて、その問答の中からいろいろ教えてくれるようになったらしい。自らに質問、疑問が芽生えなければ、師は特に何も教えないということだったのだ。
しかし、それから数年すると、天風の病気は、自然と治っていってしまった。深山幽谷の清い空気がそうさせたのもあったのかもしれないが、天風は、結果的に、そのカリアッパ師のもとで、修行することで、病気が治ってしまったのだ。

日本に帰国する途中で、寄った中国では、頭山満の弟子として、孫文の革命が成功するところに居合わせたようだ。破格の待遇だったらしい。
日本に帰国すると、銀行の経営者になった。毎晩酒を飲んで、湯水のごとくお金を使ったようだ。傍目から見れば、せっかくの修行が何のためだったのだろうか。まあ、病気を治すため、ということであれば仕方がないのだが・・・。
しかし、天風は、そういう生活から、自ら足を洗うことになる。社会的地位から言えば、銀行の頭取だから、大変な成功者だろう。でも、天風は全く飽き足らず、そういう社会的な地位の一切を捨ててしまう。
そして、日比谷公園あたりで人生の真理のようなものについて、辻説法を始めたのだ。修行の時に蒔かれた種が、時を経て、芽が出て成長するように。
毎日、辻説法していると、その内容も良かったこともあり、結構な人がその説法を聴くようになっていった。その時にある人が、天風の話を聴いて、「この人は、市井で辻説法しているような人ではない。」ということで、講演会をするようになっていったということだ。

銀行をやめて、辻説法を始めることを奥さんに告げた時、奥さんは、怪訝な顔をして、「頭山先生には相談したの?」と聞く。「したよ。」「そしたら何ておっしゃったの?」「にやにや笑いながら、やれって」「そう。」というような会話があったことも書かれていて面白かった記憶がある。

そうやって、後世に何冊も読み継がれる本を残しているのだ。肉声のテープ(音源)も残っている。
天風会という公益財団法人も存続している。