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「愛に基づく経済」 ーーー 資本主義の次に来るべきもの 

2016年07月13日 | 随筆
 少し前から、資本主義の終焉という内容の論調を聞くことが多くなったように思う。私はこの方面には、専門知識が乏しいのではあるが、最近読んだ本や過去読んだ本などの知識と思索から、少しだけ述べさせていただきたい。
資本主義にもいろいろ定義があるだろうが、グローバル化に対して、元外務官僚の馬渕睦夫さんは、「日本の敵」と表現されたが、ここで言うグローバルとは、アメリカウォール街などを中心とするグローバル(金融)資本主義に対して言っているのだと思う。
 
 第1次大戦、第2次世界大戦後の欧州統合への道、EUへの流れなどを見ていても戦争を防ぐ目的での、国境で、パスポート提示がいらないなどの広義のグローバル化の流れは、その精神面では、私は間違っていないのではないかと思っている。もちろん、移民が入ってきて、税金を払わずに医療費や福祉を受けられるなど、税金を払っている国民が納得できない面も理解できないわけではない。この流れが一因となって、先月のイギリスの国民投票でのEU離脱につながったのだと思う。
 自国の主権の一部を、EUの主権に譲るわけだが、このEUのルールにも大変複雑なルールがあったと聞く。

 ただ、グローバル資本主義については、その国の幸福や状況などを一顧だにしないで利益のみを追求することが、大いなる欠点であると思う。
「利他の精神」や「愛」というものが全く感じられないのだ。1997年頃の韓国やタイの通貨危機の際に感じたことだ。
自分だけ儲かれば、その国の人たちがどれだけ苦しもうが知ったこっちゃない、という姿勢がグローバル資本主義の正体だと言っても良いのではないかと思う。
 
 資本主義なのだから、そんなことは当たり前だ、という向きもあろうが、これが、この資本主義の限界で、資本主義より、良い制度を模索するべき根拠となると私は思う。
日本は明治維新後に西洋からの制度を取り入れる際にも渋沢栄一が「論語とそろばん」などの書を著して、日本独自の商業道徳のようなものを近代化の初期に根づかせてくれたと思う。江戸期の儒教などへの学問の蓄積やレベルの高さがあったとも思う。

 西洋の文明をそのままストレートに取り入れるのではなくて、日本の文化や伝統、精神・アイデンティティに合うように換骨奪胎して、造り替えて、取り入れてきたのが、近代日本の発展が成功している一因だと思う。
しかし、バブル以降の最近の失われた20年などという言葉は、アメリカの制度をうまく換骨奪胎しないで、造り替えないで、グローバルスタンダードとして、ストレートに取り入れてしまったことが、日本経済の停滞の一因になっているのではないかと思うこともある。やはり、自国の伝統・文化に合う形で取り入れないとうまくいかないのではないかと思うのだ。

 以前、「プラウト」という言葉を聞いたことがある。この「プラウト」は、資本主義の次に来るべき望ましい制度として提唱されていたと思う。
確か、ラビ・バトラという人の本で読んだと記憶する。プラウトの構想自体は、ラビ・バトラさんの構想ではなく、ラビ・バトラさんの先生に当たる、サーカー師と言う方が、考えられたものだということだった。
 
 このプラウトについて、当時の私の理解としては、直観的には、資本主義と社会主義のミックスのような感じで受け止めた。
 当時の私の感覚からすると、この「プラウト」の内容が、日本の税制というか、日本の制度に似ているな、と思ったものだった。サーカー氏はインド生まれ、ラビ・バトラ氏は、パキスタン生まれでインドの大学を卒業している。サーカー氏が日本の制度にそれほど詳しくなかったとしても不思議ではないが、その提唱した資本主義の次に来るべき「プラウト」と日本の制度が似ているな、と思ったことが、この「プラウト」という言葉を今でも覚えている理由だと自分としては思っている。

 アメリカの資本主義は、資本主義の権化のようで、貧富の差が激しい。
日本の資本主義は、社長と新入社員の給料が7倍程度の差であると結構前に聞いたことがある。一方、アメリカは100倍以上の開きがあるのが普通とのことだった。
 
 アメリカは自由主義マックスで日本と比較して極端だと思うが、この資本主義を日本の精神的なアイデンティティに合うように造り替えて取り入れてきたのが、日本独自の制度につながったのだと思う。
この「プラウト」の提唱者が、西欧の人ではなく、東洋の人だったということも偶然ではないだろう。西欧から始まった資本主義が、日本で、日本らしい形で存在している、ということが私見ながら大変印象的だったのだ。
 
 経済とは、もともと「経世済民」の略語として生まれたものだ。「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」という言葉からきている訳だ。
 もっと簡単に一言で言ってしまえば、「愛に基づく経済」というものが、次なる新たな「◎◎主義」になればいいと思うのだが・・。

「天地のために心を立て、生民の為に命を立て、往聖の為に絶学を継ぎ、万世の為に太平を開く」

2016年07月11日 | 魂の人間学
 中国、宋の時代の碩学・張横渠の有名な言葉に「天地のために心を立て、生民の為に命を立て、往聖の為に絶学を継ぎ、万世の為に太平を開く」というものがある。
 1945年8月15日に放送された、昭和天皇の終戦の詔勅の中で、「万世の為に太平を開く」という言葉があるが、この御言葉は、この張横渠の言葉から引用されたものである。
 前にも記したことがあるが、この終戦の詔勅の原稿には、安岡正篤さんが関わっている。
 安岡さんは、天皇陛下から出た御言葉は、「綸言汗のごとし」と言う通り、発せられたらもう戻らないし、天皇陛下から発せられたお言葉は、すでに自分のものではなく、天皇陛下の御言葉であるという理由で、この終戦の詔勅の文章作成過程、いきさつについては、マスコミがいくら聞いても、口を開かなかったという。
 但し、一度だけ、ごく親しい人たちだけに、経緯を語られたことがあり、そのいきさつを読んだことがある。この「万世の為に太平を開く」は、安岡正篤さんが、誰かが作成したもとの原稿の「永遠の平和を確保せしむることを期す」という言葉を書き直したものだという。
 
 もう一つ、「義命の存するところ」というところも安岡さんが書き直されたところということだった。こちらの方は、その後の大臣などの会議で、わかりにくいということで、「時運のおもむくところ」と書き直されてしまい、これが採用されてしまったとのことで、大変残念がっておられた。
 この「義命の存するところ」という言葉は、中国古典の「春秋左氏伝」中の「信以て義を行い、義以て命を成す」かたとったものとのことだ。
 普通にいわれる大義名分よりもっと厳粛な意味を持っている。 国の命運は義によって造られて行かねばならず、その義は外交においても、政治においても信がなければならない。   
 その道義の示す所によって終戦の道を選ぶのである。と言う意味を込めたものだった。これが、「時運のおもむくところ」、といような、なりゆきまかせのような表現になってしまったことに大変残念な思いを持っておられたということだった。