高校時代は、正直学校で課題図書になったり宿題になったりするもの以外、本らしい本を読まなかった。しかし、受験勉強最終盤ころに、無性に受験に関係のない本が読みたくなってしょうがなかった。
そして、最初に自発的に読んで感動した本は、「カーネギー名言集」だった。父親の本棚にあったのが目について手に取ったのだった。箴言集のように短い文章がテーマ別に並んでいて、カーネギーが感動した様々な偉人の言葉の抜粋だから、若い私には、たくさん本を読まずして、重要なエッセンスのみを読むことができたということもできる。カーネギーの抜粋もさすがに素晴らしいものだったと思う。箴言集のようなものでいえば、三木清とかも読んだ記憶がある。パスカルのパンセも最初から読む、というスタイルではなく、目次を見て興味があるところを拾い読みするようなスタイルで結構読んだ記憶がある。
大学に入学すると、堰を切ったように授業にまったく関係のない本を読むようになったのだった。カーネギー名言集の次は、亀井勝一郎という人の本を読んだと思う。実は、亀井勝一郎や小林秀雄といったひとは、当時の受験国語によく出題されると言われていたが、出題されるから読む、というほど余裕もなかったので、受験準備としては読まなかったのだが、受験が終わって大学に入学してから、受験とは全く関係なく読んだのだった。
今で言えば、少し古かったかもしれないが、青春期の読書としては、タイムリーだったと思う。私より結構上の世代の人たちは、「三太郎の日記」という本を読んでいた、という話を聞いたが、私は、その本を手にとったのだが、結局ほとんど読まなかったと思う。
そして、そうこうするうちに、ヒルティに出会ったのだ。
W・ダイアーの「自分の時代」という本も、三笠書房から新刊で出ていたので、少しおしゃれっぽい新しくできた喫茶店に入って、2時間くらい粘って読んだ記憶が忘れられない。高校時代には決して入らないような喫茶店の記憶とあいまって、忘れられないのではないかと思う。
ヒルティの幸福論の中に「エピクテトス」という項目があるが、ダイアーは、現代のエピクテトスのようだと渡部昇一さんが述べられていたのを思い出す。
ただし、ダイアーは、現在もバリバリの現役だが、「自分の時代」は初期の1冊であり、著者の年輪、成長とともにどんどん内容が深く変わっていっている。現在は、スピリチュアル的な内容も自然に入っているようだ。
なお、余談ではあるが、亀井勝一郎さんの生誕の地に偶然通りがかったことがある。函館観光をしていて、それほど大勢の人が行くわけではない、海を見渡せる景色の良い場所を目指して歩いている時だった。そのときは、突然だったので、正直言って、こんなところで生まれたのか、というような感覚を持ってしまったが、自分も良い海景色を求めてそこに行ったので、そういう景色が最高のところで生まれた、生まれ故郷が景勝地だった、という見方もできるだろう。幼少時代~子供のころの周辺の環境というのは、その人の人物形成の上でも影響があると思うわけでもあるし。写真が残っているので、掲示する。
そして、最初に自発的に読んで感動した本は、「カーネギー名言集」だった。父親の本棚にあったのが目について手に取ったのだった。箴言集のように短い文章がテーマ別に並んでいて、カーネギーが感動した様々な偉人の言葉の抜粋だから、若い私には、たくさん本を読まずして、重要なエッセンスのみを読むことができたということもできる。カーネギーの抜粋もさすがに素晴らしいものだったと思う。箴言集のようなものでいえば、三木清とかも読んだ記憶がある。パスカルのパンセも最初から読む、というスタイルではなく、目次を見て興味があるところを拾い読みするようなスタイルで結構読んだ記憶がある。
大学に入学すると、堰を切ったように授業にまったく関係のない本を読むようになったのだった。カーネギー名言集の次は、亀井勝一郎という人の本を読んだと思う。実は、亀井勝一郎や小林秀雄といったひとは、当時の受験国語によく出題されると言われていたが、出題されるから読む、というほど余裕もなかったので、受験準備としては読まなかったのだが、受験が終わって大学に入学してから、受験とは全く関係なく読んだのだった。
今で言えば、少し古かったかもしれないが、青春期の読書としては、タイムリーだったと思う。私より結構上の世代の人たちは、「三太郎の日記」という本を読んでいた、という話を聞いたが、私は、その本を手にとったのだが、結局ほとんど読まなかったと思う。
そして、そうこうするうちに、ヒルティに出会ったのだ。
W・ダイアーの「自分の時代」という本も、三笠書房から新刊で出ていたので、少しおしゃれっぽい新しくできた喫茶店に入って、2時間くらい粘って読んだ記憶が忘れられない。高校時代には決して入らないような喫茶店の記憶とあいまって、忘れられないのではないかと思う。
ヒルティの幸福論の中に「エピクテトス」という項目があるが、ダイアーは、現代のエピクテトスのようだと渡部昇一さんが述べられていたのを思い出す。
ただし、ダイアーは、現在もバリバリの現役だが、「自分の時代」は初期の1冊であり、著者の年輪、成長とともにどんどん内容が深く変わっていっている。現在は、スピリチュアル的な内容も自然に入っているようだ。
なお、余談ではあるが、亀井勝一郎さんの生誕の地に偶然通りがかったことがある。函館観光をしていて、それほど大勢の人が行くわけではない、海を見渡せる景色の良い場所を目指して歩いている時だった。そのときは、突然だったので、正直言って、こんなところで生まれたのか、というような感覚を持ってしまったが、自分も良い海景色を求めてそこに行ったので、そういう景色が最高のところで生まれた、生まれ故郷が景勝地だった、という見方もできるだろう。幼少時代~子供のころの周辺の環境というのは、その人の人物形成の上でも影響があると思うわけでもあるし。写真が残っているので、掲示する。