美奈は、さっきと打って変わって、驚くほどスムーズに夢の世界に降り立つことが出来た。
(あのおじさんの夢は・・・)
美奈は、まだ形をなさない自分の夢空間で、出口を求めて左右を見回した。普段なら、あちこちに出口に当たる穴や扉が浮かび、美奈の到来を誘っているはずだ。ところが今は、それがたった一つの扉しか見つけることが出来なかった。まるで門のように頑丈そうな、観音開きの分厚い扉である。そういえば半年前に初めてこの男の夢を見たときも、欧州の教会の入り口のように、古色蒼然とした扉の装飾に好奇心を刺激されたのがきっかけだった。この男に目をつけられたきっかけを思い出して軽く息をつくと、美奈は思い切ってその凝った作りの取っ手に手をかけた。扉は、その外観からすれば思いの外軽く、禁断の入り口を開けた。
(こ、この夢は!)
美奈は、扉を開けたことを心底後悔した。あの、忌まわしき悪夢が再び目の前に現れたからだ。暗く、じめじめした地下牢のような空間。左側に、危険な光を跳ねる長大な鎌を携えた、黒づくめの男。シルクハットからはみ出した銀髪。人を射るように突き出した鷲鼻。醜悪な頭蓋骨を露出する半面と、闇の瞳孔に宿る妖しの光。その影の如き死神の前に据えられた、跪く一人の女性。すらりとした白く輝く背中に、濡れたような漆黒の髪をはらりと打ちかけ、ただ黙って頭を垂れている。右側には、無音の絶叫を止むことなく上げ続けている男、高原の姿がある。西洋鎧のようないでたちで、死神につかみかかろうと両手を前に伸ばしながら固まっている。ただ、顔に溢れる脂汗と、両目に溢れる熱い涙だけは止めどなく流れ落ち、宙に浮いた高原の足下に水たまりを生み出していた。
やがて、死神が鎌を大きく振り上げ、黒髪の女性目がけて無造作に振り下ろした。鮮やかな赤が鮮烈な彩りを地下牢に描き出し、女の頭が、白い顔と黒い髪を交互に見せつけながら、くるくると高原の足元まで転がり落ちた。
「キャーッ!」
美奈は思わず声を振り絞って悲鳴を上げた。途端に地下牢は弾けるように消え、驚いたことに、瞬きする間もなく、空間が暖かな西洋風の居間へと変化した。
「今度は随分早かったな」
高原は、いつの間にか王侯貴族がまとうような豪奢なローブに身を包み、暖炉の前に置かれた革張りのアンティークなソファに身を沈めていた。煉瓦造りの暖炉から漏れる炎の明かりを受けて、半身が赤く染まっている。
「こっちに来たまえ」
高原は立ち上がると、手前のテーブルに美奈を招いた。綿密に彫刻を施した大きなテーブルには花差しと燭台が置かれ、それぞれ数輪の可憐なコスモスと、大きな蝋燭が立てられている。一歩踏み出して毛並みの深い絨毯に気づいた美奈は、目の端に入った姿見に映る自分の姿の場違いぶりに赤面した。美奈は、朝から着ているただのパジャマ姿だったのである。
「そうだった、女の子はやはりそれらしくしないとな」
高原が呟いた途端、美奈の衣装が一瞬にして水色の半袖パジャマから今まで着たこともないあでやかなピンクのドレスに変化した。レースがふんだんに使われたフレアスカートと、大胆に肩を露出し、肘まである手袋を付けたデザインが、愛らしくもちょっと小悪魔的な雰囲気を醸し出す外観である。
「さあ」
高原はきちんと美奈の後ろに付いてイスを引き、美奈に座るよう促した。
「あ、ありがとう・・・」
戸惑いを隠せない美奈が椅子に納まると、高原は対面になる奥のイスに移動しながら美奈に言った。
「何か飲むかね?」
美奈は、まださっきの光景が目に焼き付いていて、それどころではなかった。素早く首を横に振った美奈は、震える口で辛うじて声を出した。
「あ、あの、さっきの夢、あれは・・・」
すると、高原はそのままイスに座り、両肘をテーブルに付けて、手で顎を支えながら美奈に言った。
「ああ、さっきは済まなかった。驚かすつもりはなかったんだがね。私の夢の日課だよ」
「夢の日課?」
「ああ、ああして夢を見るときにはいつも再現するようにしているんだ。あの忌まわしい記憶を、怒りと恨みをけして忘れてしまわないようにするためにね」
忘れないために自分で見ている? 美奈は絶句して言葉を出すことが出来なかった。あんな夢をわざわざ自分から見ているというのか。もし自分だったら、一晩見ただけで二度と眠りたくなくなるだろう。だが、高原はそんな美奈の驚愕を無視して、話を続けた。
「さて、外では計測器が勝手にデータを取ってくれているから、取りあえずやることはここではない。実験のため君をこの夢に招待はしたが、さて、何をしたものかな?」
美奈は席についたものの、まだ動悸が収まらないまま、慣れない雰囲気に居心地の悪い思いを募らせていた。できるならいっそのこと早く目を醒ましたい。そんなことを考え始めたとき、慌てたように高原が言った。
「待ちたまえ。今夢から覚めてもらっては折角のデータを取り損ねる。もう少しここにいてくれ」
美奈は、意外な思いで高原を見た。常に上からの視線で威風堂々と美奈に対していた高原が、口調はともかく美奈にお願いをしたのだ。美奈は浮きかけたお尻を今一度ゆっくりとイスに沈めた。ようやくさっきの衝撃が和らぎ、美奈はまともに高原の顔を見ることが出来るようになった。
(あのおじさんの夢は・・・)
美奈は、まだ形をなさない自分の夢空間で、出口を求めて左右を見回した。普段なら、あちこちに出口に当たる穴や扉が浮かび、美奈の到来を誘っているはずだ。ところが今は、それがたった一つの扉しか見つけることが出来なかった。まるで門のように頑丈そうな、観音開きの分厚い扉である。そういえば半年前に初めてこの男の夢を見たときも、欧州の教会の入り口のように、古色蒼然とした扉の装飾に好奇心を刺激されたのがきっかけだった。この男に目をつけられたきっかけを思い出して軽く息をつくと、美奈は思い切ってその凝った作りの取っ手に手をかけた。扉は、その外観からすれば思いの外軽く、禁断の入り口を開けた。
(こ、この夢は!)
美奈は、扉を開けたことを心底後悔した。あの、忌まわしき悪夢が再び目の前に現れたからだ。暗く、じめじめした地下牢のような空間。左側に、危険な光を跳ねる長大な鎌を携えた、黒づくめの男。シルクハットからはみ出した銀髪。人を射るように突き出した鷲鼻。醜悪な頭蓋骨を露出する半面と、闇の瞳孔に宿る妖しの光。その影の如き死神の前に据えられた、跪く一人の女性。すらりとした白く輝く背中に、濡れたような漆黒の髪をはらりと打ちかけ、ただ黙って頭を垂れている。右側には、無音の絶叫を止むことなく上げ続けている男、高原の姿がある。西洋鎧のようないでたちで、死神につかみかかろうと両手を前に伸ばしながら固まっている。ただ、顔に溢れる脂汗と、両目に溢れる熱い涙だけは止めどなく流れ落ち、宙に浮いた高原の足下に水たまりを生み出していた。
やがて、死神が鎌を大きく振り上げ、黒髪の女性目がけて無造作に振り下ろした。鮮やかな赤が鮮烈な彩りを地下牢に描き出し、女の頭が、白い顔と黒い髪を交互に見せつけながら、くるくると高原の足元まで転がり落ちた。
「キャーッ!」
美奈は思わず声を振り絞って悲鳴を上げた。途端に地下牢は弾けるように消え、驚いたことに、瞬きする間もなく、空間が暖かな西洋風の居間へと変化した。
「今度は随分早かったな」
高原は、いつの間にか王侯貴族がまとうような豪奢なローブに身を包み、暖炉の前に置かれた革張りのアンティークなソファに身を沈めていた。煉瓦造りの暖炉から漏れる炎の明かりを受けて、半身が赤く染まっている。
「こっちに来たまえ」
高原は立ち上がると、手前のテーブルに美奈を招いた。綿密に彫刻を施した大きなテーブルには花差しと燭台が置かれ、それぞれ数輪の可憐なコスモスと、大きな蝋燭が立てられている。一歩踏み出して毛並みの深い絨毯に気づいた美奈は、目の端に入った姿見に映る自分の姿の場違いぶりに赤面した。美奈は、朝から着ているただのパジャマ姿だったのである。
「そうだった、女の子はやはりそれらしくしないとな」
高原が呟いた途端、美奈の衣装が一瞬にして水色の半袖パジャマから今まで着たこともないあでやかなピンクのドレスに変化した。レースがふんだんに使われたフレアスカートと、大胆に肩を露出し、肘まである手袋を付けたデザインが、愛らしくもちょっと小悪魔的な雰囲気を醸し出す外観である。
「さあ」
高原はきちんと美奈の後ろに付いてイスを引き、美奈に座るよう促した。
「あ、ありがとう・・・」
戸惑いを隠せない美奈が椅子に納まると、高原は対面になる奥のイスに移動しながら美奈に言った。
「何か飲むかね?」
美奈は、まださっきの光景が目に焼き付いていて、それどころではなかった。素早く首を横に振った美奈は、震える口で辛うじて声を出した。
「あ、あの、さっきの夢、あれは・・・」
すると、高原はそのままイスに座り、両肘をテーブルに付けて、手で顎を支えながら美奈に言った。
「ああ、さっきは済まなかった。驚かすつもりはなかったんだがね。私の夢の日課だよ」
「夢の日課?」
「ああ、ああして夢を見るときにはいつも再現するようにしているんだ。あの忌まわしい記憶を、怒りと恨みをけして忘れてしまわないようにするためにね」
忘れないために自分で見ている? 美奈は絶句して言葉を出すことが出来なかった。あんな夢をわざわざ自分から見ているというのか。もし自分だったら、一晩見ただけで二度と眠りたくなくなるだろう。だが、高原はそんな美奈の驚愕を無視して、話を続けた。
「さて、外では計測器が勝手にデータを取ってくれているから、取りあえずやることはここではない。実験のため君をこの夢に招待はしたが、さて、何をしたものかな?」
美奈は席についたものの、まだ動悸が収まらないまま、慣れない雰囲気に居心地の悪い思いを募らせていた。できるならいっそのこと早く目を醒ましたい。そんなことを考え始めたとき、慌てたように高原が言った。
「待ちたまえ。今夢から覚めてもらっては折角のデータを取り損ねる。もう少しここにいてくれ」
美奈は、意外な思いで高原を見た。常に上からの視線で威風堂々と美奈に対していた高原が、口調はともかく美奈にお願いをしたのだ。美奈は浮きかけたお尻を今一度ゆっくりとイスに沈めた。ようやくさっきの衝撃が和らぎ、美奈はまともに高原の顔を見ることが出来るようになった。
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