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産経の真価発揮!―低劣なデタラメ報道

2011年07月17日 12時30分06秒 | 社会全般
少し前にも思ったのだが、産経新聞のウソは目に余るものがある。最高裁とか検察は、一般個人の犯罪を厳しく取り締まるわけだが、何故か報道機関のウソ八百は放置するということになっているらしい。まあ何でも菅でも取り締まれ、ということを言いたいわけではないが、報道機関の暴走を止める術を持たないのが危険ではある。報道は何を書いても許されるといったような、誤った認識が定着しているかのようである。

さて、参考までに振り返っておきたい。
産経新聞の社説子は、福島第一原発の5・6号機について、東北復興の電力として必要だ、ということを書いていたはずだ。
産経が愚かな社説を書ける不思議~エイプリルフールだから?(笑)

産経新聞の方々は、今すぐ5号機6号機の発電を開始し、電力需要の逼迫している東北に供給して下さい。そういうことを大々的に主張するということは、それが可能だからですよね?
それとも、マスコミ批判が集中する菅総理みたいに、「個人の希望、考えに過ぎない」とか言い訳する積りですか?
まさか、できもしない理想を、何の根拠もなく、具体的な道筋や工程もなく、方法論もなしに、大新聞の社説に書いただけ、なんてことはありますまいね?産経新聞が菅総理のそうした「無責任な言動」を徹底的に批判するのであれば、まずその基準を自らに適用するべきではないでしょうか。

産経社説によれば、要すれば
「第1原発の5、6号機は十分に復旧可能なはずで、合わせて約200万キロワットの発電力、これから東北地方が復興を目指して立ち上がる時に必要となるのが電力エネルギー」
ということですから、素直に読めば「2基200万キロワットを東北復興の電力に使え」ということですわな。あれ?そういう積りで書いているわけじゃないって?
そう読めるように書いているという、テクニックに過ぎないって?

日常生活で、特殊な言い方をする人間って、そんなにいますかね?スーパーなんかで買い物をしている時に、例えば
「このカレーのルーは250円でお得な商品だ」
「今晩のカレーライスにはルーが必要だ」
そういう発言を連続でしたのなら、「きっと、今晩のカレーライスを作るのに、このルーを買えってことなんだろうな」と受け取るのは普通ではないですか?
ところが、産経新聞社説子なんかだと、「このルーを買えとは一言も言ってない」みたいな詭弁を弄するのかもしれん(笑)。
ものは言いようだな。復旧は今すぐ可能とは書いてない、とか。後から何とでも言い訳できるという書き方になっている、ということですかな?

で、マスコミが記事を作る時には、都合よく切り取ってきて、それを繋ぎ合わせて、言ってもいないような(真意とはかけ離れた)ことを生みだすテクニックだってありますぜ、と。さすが、本職。


今回のは、脱原発宣言が人を殺す、という話に展開。
【名言か迷言か】ついに死者!!菅首相の思いつきで続出する3次被害+(1/3ページ) - MSN産経ニュース

菅総理の宣言と、一体全体どういう関係があるのか?
熱中症で死亡者が出ていることと、菅総理の13日会見での「脱原発依存」社会の意向表明と、何らかの関係があるということを言えるのか?(笑)
こういうのは、ただのデマでなくて、一体何なのだ?
死亡者は10日までの数であり、宣言は13日では?
だとすると、菅総理の発言があってもなくても無関係に、「死亡していた」ということであって、出鱈目の記事ではないか?見出しも記事の一部なのだろう?
新聞のこうしたウソは認められ、一般個人がネット上で根拠に乏しい記事を書けば犯罪者に仕立て上げられる、と。
「ついに」という語で、読み手の誤認を抱かせるような記事を意図的に書いているのは、許されるのか。

今年の7月は暑い、それはそうだろう。だが、節電と関係があるかといえば、そうじゃない。例えば高校野球の県大会で搬送された選手が続出したりしたが、あれは節電とは何の関係もないし、ましてや菅総理の脱原発依存宣言とは何の因果も脈絡もない。それでも、「搬送されている人数」は暑けりゃ増えるんだろうよ。そういうことを考えることなしに、こじつけだろうとデマだろうと、「物は言いよう」ということで、出鱈目記事を書けるというその根性が許し難い。産経新聞の記事は、まさしく卑怯なこじつけに過ぎない。マスコミとか新聞報道の恥とも言うべき状況が、そこにはあるということを同業他社は考えるべきだろう。


政治状況が劣悪なのは、こうした出鱈目報道、ウソつきマスコミが蔓延ることが、その一因なのではないのか。その存在が許されるのは、誰も糺すことができないという特権ゆえであろう。普通の企業などでは、存在できないはずなのだ。
自浄なきマスコミは、人々の信頼を失う。
今の若い世代には、そうした感覚とか認識が確実に定着してきているだろう。ゴシップ紙以下の存在として認知されるということだ。
あまり信用ならないものの代名詞となる日が、彼らには近づいているだろう。




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