今は「フレンチ・ショック」に続き「ダッチ・ショック」で失意の中にあるEUであるが、これはある意味折込済みなのかもしれない。まず無理筋ということのようですし、いかに長い歴史の中で離散・集合を繰り返してきたEU諸国といえども、経済的結合以上の繋がりを他民族間で求めるというのは困難であることには変わりがなく、ローマ帝国なみに集権的でなければEUという大国は出現し得ないということなのでしょうか。
これは人類に与えられた試練の一つに違いない。世界の中でEUという基盤は弱くはないが、政治的には未だ個々に進むべき道がある、ということなのでしょう。大昔のフランク王国を思わせる大国の復活という偶然は、歴史的には数少ないことなのかもしれない。ソ連が誕生してからまだ百年もたっていないことを思えば、次のチャンスは、もっとずっと先の話のような気がする。それでもEUの地位が低下した訳ではないし、世界の極の一つであることには変わりがない。
世界の軍事的・政治的バランスを考えれば、アメリカという超大国のみに依存する世界を長期間維持し続けることは困難だと思う。その理由というのは明確には分らないが、過去の歴史から見て、そう感じてしまうのである。恐らく将来的には、環境・エネルギー・食糧・資源などの分野で、超大国であるが故の弱点を持つようになるのではないか、と思ったりする。
アジアでは、日本が早い段階で近代国家へと変貌を遂げていったが、それでも明治以降の僅か百数十年である。国としての歴史は長いのであるが、「世界」デビューはかなり遅い方だ。それでも日本民族の国としての歴史が長くあったことは、「世界」デビュー後の急速な成長へと繋がった。例えて言えば、日本のプロ野球で経験を積んでいたので、大リーグへデビューしてもすぐに活躍できるような選手になれたのと同じような感じかな。極東に一つの極を作り上げたのが、今の日本であると思う。
中国は、日本以上に大国としての歴史を長く持ち続けたが、歴史的には分裂・混乱と統一が訪れるという印象であり、今後もそういう流れであるだろうと思ったりする。まあ、分裂がこれから起こるのかどうかは分らないが、大きな混乱というのは起こってしまう可能性はあると思う。ソ連も一つの大国としての存続というのは難しかった。これと単純に比較などできないし、国の形も歴史も異なってはいるが、人々が求めるものというのが、おおよそいつの時代にも同じようなものであるならば、大きな混乱に見舞われることも有り得るだろう、っていう程度の感想ですので。厳しく突っ込まないで下さいね。その中国は元の時代以来、世界の中心からは遠のいており、逆にどんどん影響力を失っていった感が否めない。今後主役に躍り出ることがあるのか、という点に関しては、恐らくアメリカのような超大国にはなれないし、政治的には英仏独以上にもならないだろう。少なくとも今の中国でそれは無理だと思う。経済的に見ても、模倣文化をどうにかしない限り商品価値が高まったりはしないだろうし、違法コピー・海賊商品の横行が中国国内でさえ競争力のある製品等を生み出す意欲を奪うだろう。
かつて覇権国家群は、長い歴史の中で見れば光輝く時もあったのだが、何れも世界一の覇権は失われていった。それは滅亡を意味するものではないが、世界一の超大国ではなくなったということだ。それが、歴史の常であると思う。そういう流れはアメリカにも必ずやってくると思っている。それは、政治的、国家的な混乱というよりも、世界の中での影響力が低下するということを意味するだけであるが。フランス、イギリス、スペインなどが世界をリードしていた時代が終わったように、アメリカにもそれは訪れるであろう。
アジアやアフリカ諸国がそれぞれ国として成長し、社会基盤整備が進むと、先進国と似たような生活様式を求めるようになっていくだろう。そうなると、地球上全体のバランスで見た時に、エネルギー需給・食糧需給は今のレベルでは到底追いつかないでしょう。いつだったか、読売新聞の「地球を読む」にアルビン・トフラーが書いていたと思うが、中国人が今のアメリカ人と同じような生活をした場合に、必要となる小麦や牛肉や石油というのは、現状の世界的生産規模では全く追いつかないというような主旨であった(正確な数字とかは忘れました)。これは全くその通りであり、地球上の人類のうち、先進国のような生活をしている人間が少ないから、今の生活が可能なのである。もしも、全人類が同じ生活様式となってしまったら、地球の環境は破壊され、酸素・二酸化炭素バランスは崩壊し、食糧は完全な供給が不可能になるのではないか。今は飢餓の多い地域が存在するおかげで、先進国の浪費が許容されているとも言えるかもしれない。途上国全てが本気であちこちの土地を開発し、高層ビルを建て、森林を切り開いて牛を飼うための牧草地などに転換していこうものなら、地球上に人間が住める環境ではなくなってしまうかもしれない。
大体、肉1kgを生産するのに鳥や豚に比べて、牛は、大量の飼料(当然エネルギー効率は最悪である)を消費するし、大量のゲップで二酸化炭素をたくさん放出するし、摂取エネルギーの多くは熱変換されるから温暖化に繋がるし、世界的な牛肉消費増加は地球環境の破壊行為でしかない(極端な話をすれば、人間だって肥満体型とか体重の重い人達は、やせて小柄な人達よりも食糧や酸素を多く消費し熱エネルギーや二酸化炭素を多く放出するので、環境には悪いってことになってしまう。笑。これは冗談ですからツッコミ入れないでくださいな)。いずれこの傾向にも限界が訪れるだろう。なので、全人類が同じように牛肉消費をすることは不可能だ(宗教的に牛肉などを食べないインド人のような人達もいますから、全部ではないだろうけれど)。肉の生産に適しているのは鳥で、次に豚、そして最も不適切なのが牛であろう。
しかも人口が増えると(もしくは今の世界中の飢餓がほとんどなくなる程度の基盤整備が進めば)、その分の食糧供給が必須になるので、牛の飼料に回すほどの余裕はなくなっていくだろう。今までは途上国で子供のうちに死亡する数が多かったから、食料消費は限られていたが(それでも飢餓は無くなっていないですが)、その殆どが先進国なみの生存率(平均余命の上昇、ってことかな?)になったら、世界的な計画生産とか供給割り当てシステムとかにしなければ、60億人(あと30年後だと何億人くらいになるのでしょうか?)分以上の食料需要を満たすのは大変なのではないのかな、と思いますけど・・・。地球表面積は限られているから、森林とか山とか農地とか砂漠・・・そういう区分けで、面積配分を考え、地球全体の食糧生産効率を上げることになるだろうから、牛の頭数に制限を設けないと不可能になるのではないかと思うのである。放牧地を農地に変え、牛に食べさせていた飼料生産を減らし、人間用に変える必要が出てくるかもしれないと推測している。
将来、アメリカ的文化様式は世界中で否定的になり、環境・食糧への配慮・制限が各国に求められるようになるかもしれないと思えば、アメリカの経済を支えてきた旺盛な大量消費の限界を迎えると思う。日本のような食料輸入大国は必然的に弱い立場になるかもしれません。また、あらゆるエネルギー・資源の消費大国は数量的制限を受けるようになるのではないだろうか。それは、京都議定書のように、勝手に無視するとか、守らない、というのは許されなくなっていくのが世界的な潮流ではないのかな、と。そのような時代になった時に、果たしてアメリカはどういうパワーを持ち続けているだろうか。
マンハッタン計画以後、アメリカの核兵器関連に投入された費用は5兆8千億ドル以上で、同じ期間における教育・雇用・環境など非軍事7部門の連邦予算総額を上回っているという試算があるらしい(米・ブルッキングス研究所)が、こうした多額の軍事コストを払い続けられる程の体力がいつまで確保されるのか不明であると思う。軍事力需要が減少させられれば、アメリカの影響力は相対的に弱まるかもしれない。人類が賢明であれば、地域紛争は減少していくかもしれないが、それには全ての国の国家・生活基盤が整えられることが必要であり、それが充足するまでには長い時間を要する。それまでは、やはりアメリカの軍事力に頼らざるをえない、ということだろう。
米国を支える真の源泉は経済的パワーであり(それこそ、「アメリカがくしゃみをすれば日本がカゼをひく」とまで言われるように)、世界大戦によってもたらされた恩恵は、いずれその効力を次第に失っていくだろう。戦争で国内産業の大きな破壊を受けなかっただけでも、戦争終結時に他のどの先進国よりもリードしていたと思えるからである。日本やEU諸国が復興を遂げる頃には、アメリカは強力な経済基盤を築きあげることに成功していたのだと思う。だが、その貯金はいずれ吐き出されるように思うのである。それは、「諸行無常」を私は信じているからである。いつの時代にも、太陽はいずれ沈むものである(百夜もあるよ、とか言わないでね)、それがいつになるのかは判らないのであるが。
これは人類に与えられた試練の一つに違いない。世界の中でEUという基盤は弱くはないが、政治的には未だ個々に進むべき道がある、ということなのでしょう。大昔のフランク王国を思わせる大国の復活という偶然は、歴史的には数少ないことなのかもしれない。ソ連が誕生してからまだ百年もたっていないことを思えば、次のチャンスは、もっとずっと先の話のような気がする。それでもEUの地位が低下した訳ではないし、世界の極の一つであることには変わりがない。
世界の軍事的・政治的バランスを考えれば、アメリカという超大国のみに依存する世界を長期間維持し続けることは困難だと思う。その理由というのは明確には分らないが、過去の歴史から見て、そう感じてしまうのである。恐らく将来的には、環境・エネルギー・食糧・資源などの分野で、超大国であるが故の弱点を持つようになるのではないか、と思ったりする。
アジアでは、日本が早い段階で近代国家へと変貌を遂げていったが、それでも明治以降の僅か百数十年である。国としての歴史は長いのであるが、「世界」デビューはかなり遅い方だ。それでも日本民族の国としての歴史が長くあったことは、「世界」デビュー後の急速な成長へと繋がった。例えて言えば、日本のプロ野球で経験を積んでいたので、大リーグへデビューしてもすぐに活躍できるような選手になれたのと同じような感じかな。極東に一つの極を作り上げたのが、今の日本であると思う。
中国は、日本以上に大国としての歴史を長く持ち続けたが、歴史的には分裂・混乱と統一が訪れるという印象であり、今後もそういう流れであるだろうと思ったりする。まあ、分裂がこれから起こるのかどうかは分らないが、大きな混乱というのは起こってしまう可能性はあると思う。ソ連も一つの大国としての存続というのは難しかった。これと単純に比較などできないし、国の形も歴史も異なってはいるが、人々が求めるものというのが、おおよそいつの時代にも同じようなものであるならば、大きな混乱に見舞われることも有り得るだろう、っていう程度の感想ですので。厳しく突っ込まないで下さいね。その中国は元の時代以来、世界の中心からは遠のいており、逆にどんどん影響力を失っていった感が否めない。今後主役に躍り出ることがあるのか、という点に関しては、恐らくアメリカのような超大国にはなれないし、政治的には英仏独以上にもならないだろう。少なくとも今の中国でそれは無理だと思う。経済的に見ても、模倣文化をどうにかしない限り商品価値が高まったりはしないだろうし、違法コピー・海賊商品の横行が中国国内でさえ競争力のある製品等を生み出す意欲を奪うだろう。
かつて覇権国家群は、長い歴史の中で見れば光輝く時もあったのだが、何れも世界一の覇権は失われていった。それは滅亡を意味するものではないが、世界一の超大国ではなくなったということだ。それが、歴史の常であると思う。そういう流れはアメリカにも必ずやってくると思っている。それは、政治的、国家的な混乱というよりも、世界の中での影響力が低下するということを意味するだけであるが。フランス、イギリス、スペインなどが世界をリードしていた時代が終わったように、アメリカにもそれは訪れるであろう。
アジアやアフリカ諸国がそれぞれ国として成長し、社会基盤整備が進むと、先進国と似たような生活様式を求めるようになっていくだろう。そうなると、地球上全体のバランスで見た時に、エネルギー需給・食糧需給は今のレベルでは到底追いつかないでしょう。いつだったか、読売新聞の「地球を読む」にアルビン・トフラーが書いていたと思うが、中国人が今のアメリカ人と同じような生活をした場合に、必要となる小麦や牛肉や石油というのは、現状の世界的生産規模では全く追いつかないというような主旨であった(正確な数字とかは忘れました)。これは全くその通りであり、地球上の人類のうち、先進国のような生活をしている人間が少ないから、今の生活が可能なのである。もしも、全人類が同じ生活様式となってしまったら、地球の環境は破壊され、酸素・二酸化炭素バランスは崩壊し、食糧は完全な供給が不可能になるのではないか。今は飢餓の多い地域が存在するおかげで、先進国の浪費が許容されているとも言えるかもしれない。途上国全てが本気であちこちの土地を開発し、高層ビルを建て、森林を切り開いて牛を飼うための牧草地などに転換していこうものなら、地球上に人間が住める環境ではなくなってしまうかもしれない。
大体、肉1kgを生産するのに鳥や豚に比べて、牛は、大量の飼料(当然エネルギー効率は最悪である)を消費するし、大量のゲップで二酸化炭素をたくさん放出するし、摂取エネルギーの多くは熱変換されるから温暖化に繋がるし、世界的な牛肉消費増加は地球環境の破壊行為でしかない(極端な話をすれば、人間だって肥満体型とか体重の重い人達は、やせて小柄な人達よりも食糧や酸素を多く消費し熱エネルギーや二酸化炭素を多く放出するので、環境には悪いってことになってしまう。笑。これは冗談ですからツッコミ入れないでくださいな)。いずれこの傾向にも限界が訪れるだろう。なので、全人類が同じように牛肉消費をすることは不可能だ(宗教的に牛肉などを食べないインド人のような人達もいますから、全部ではないだろうけれど)。肉の生産に適しているのは鳥で、次に豚、そして最も不適切なのが牛であろう。
しかも人口が増えると(もしくは今の世界中の飢餓がほとんどなくなる程度の基盤整備が進めば)、その分の食糧供給が必須になるので、牛の飼料に回すほどの余裕はなくなっていくだろう。今までは途上国で子供のうちに死亡する数が多かったから、食料消費は限られていたが(それでも飢餓は無くなっていないですが)、その殆どが先進国なみの生存率(平均余命の上昇、ってことかな?)になったら、世界的な計画生産とか供給割り当てシステムとかにしなければ、60億人(あと30年後だと何億人くらいになるのでしょうか?)分以上の食料需要を満たすのは大変なのではないのかな、と思いますけど・・・。地球表面積は限られているから、森林とか山とか農地とか砂漠・・・そういう区分けで、面積配分を考え、地球全体の食糧生産効率を上げることになるだろうから、牛の頭数に制限を設けないと不可能になるのではないかと思うのである。放牧地を農地に変え、牛に食べさせていた飼料生産を減らし、人間用に変える必要が出てくるかもしれないと推測している。
将来、アメリカ的文化様式は世界中で否定的になり、環境・食糧への配慮・制限が各国に求められるようになるかもしれないと思えば、アメリカの経済を支えてきた旺盛な大量消費の限界を迎えると思う。日本のような食料輸入大国は必然的に弱い立場になるかもしれません。また、あらゆるエネルギー・資源の消費大国は数量的制限を受けるようになるのではないだろうか。それは、京都議定書のように、勝手に無視するとか、守らない、というのは許されなくなっていくのが世界的な潮流ではないのかな、と。そのような時代になった時に、果たしてアメリカはどういうパワーを持ち続けているだろうか。
マンハッタン計画以後、アメリカの核兵器関連に投入された費用は5兆8千億ドル以上で、同じ期間における教育・雇用・環境など非軍事7部門の連邦予算総額を上回っているという試算があるらしい(米・ブルッキングス研究所)が、こうした多額の軍事コストを払い続けられる程の体力がいつまで確保されるのか不明であると思う。軍事力需要が減少させられれば、アメリカの影響力は相対的に弱まるかもしれない。人類が賢明であれば、地域紛争は減少していくかもしれないが、それには全ての国の国家・生活基盤が整えられることが必要であり、それが充足するまでには長い時間を要する。それまでは、やはりアメリカの軍事力に頼らざるをえない、ということだろう。
米国を支える真の源泉は経済的パワーであり(それこそ、「アメリカがくしゃみをすれば日本がカゼをひく」とまで言われるように)、世界大戦によってもたらされた恩恵は、いずれその効力を次第に失っていくだろう。戦争で国内産業の大きな破壊を受けなかっただけでも、戦争終結時に他のどの先進国よりもリードしていたと思えるからである。日本やEU諸国が復興を遂げる頃には、アメリカは強力な経済基盤を築きあげることに成功していたのだと思う。だが、その貯金はいずれ吐き出されるように思うのである。それは、「諸行無常」を私は信じているからである。いつの時代にも、太陽はいずれ沈むものである(百夜もあるよ、とか言わないでね)、それがいつになるのかは判らないのであるが。
でもまあ、環境負荷のあれやこれやは杞憂に終わるのかもしれませんよ。現代の黒死病と懸念される鳥インフルエンザの脅威はすぐそこまで迫っているようですから・・・
鳥インフルエンザは、確かに脅威ではありますが、スペイン風邪ほどの被害には繋がらないと思いますけれども・・・