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橋梁談合事件と「けじめの時代」

2005年05月24日 11時57分14秒 | 社会全般
「けじめの時代」、この流れはどこからやってきたのだろうか。そうだな、21世紀という時代の流れ、日本人の「これからの生き方探し」的な漂泊感、そういったものが、連綿と続けられてきた古きシステムを壊すことを求めているのかもしれぬ。小泉首相の登場と、時代の要請にマッチした「構造改革」という名の、守旧勢力を打破するべき政治的手段を手に入れたことは、飼いならされてきた国民にとっては大きな意味があった。「欺瞞の構造改革主義信奉」という、批判的立場の「学究の徒」もいるだろうが、それは多分今知られている経済原理の中にある幾つかの指標しか見ていないからである。人間には心がある。心の客観的数値化など、今のちっぽけな人間の科学レベルでは不可能である(もしそれが出来るならば、こっそり私にだけ教えて欲しい。投資とか恋愛とかにフル活用なんだけどな・・・笑)。政治に最も重要なのは「民心の安寧」であり、これを数値化して経済学的原理の中に組み込むことができるならば、今まで以上に正確な経済学的法則を一般化して適用出来るようになるだろう(と思う、かな)。


自然界の凄いと思えることは、およそ人間の考えられるような一般的法則・原理がだいたい含まれているところであり、何万年かに渡って積み上げられてきた人間という種の生き抜く知恵が自然界から見出され、後世に伝承されたかのようである。それが、宗教とか、何かの経験則とか、そういうものが何かの教えとなって今まで残されたような気がする。人間の浅はかさや欲望など、2千年以上前から何も変わってなどいない。中国の宦官たちやお役人達の賄賂も、時代劇に登場するような「ぐえっへっへっへ、そちも悪よのう」的お代官様や「越後屋さん」(本当はワルではないそうです、笑)も、現代の繰り返し起こる談合も、どれも同じようなもので、人間の行動原理など大きな違いがなく、進歩のない人間というのが必ず存在するということなのであろう。単なるバカだな。


そんな訳で、毎度まいどのこうした談合事件とか贈収賄事件とか、その犯罪構造は似たりよったりです。お役人達や政治家の関与は、今までに何人も挙げられてきたので昔に比べればはるかに薄まっているでしょうけれど。ですが、談合で活躍する人達というのは、お役所、お役所仕事、役人の人なり、公共事業システムなどを熟知している人達なのではないのかな、とも思います(それは天下った方々が主なのでしょうか?よく判りませんが)。


今回のような大型の事件は、恐らく明るみに出る前から噂とかで知られていたのでしょうけれども、公取が動いて告発しておりますから、捜査当局の本気が見てとれます(これからも頑張れ、公取!)。今後もこうした大型の事件は出てくる可能性はあるかもしれません。行政システムにはびこる抵抗勢力に対する見せしめ的な意味があると思うからです。また、これも言うなれば「国策捜査」という一面があるのではなかろうかと思います。「けじめの時代」がこうした不祥事追及を要求するのでしょう。政官業スクラムの切り崩しは、小泉内閣の「構造改革路線」がなければ行われなかったかもしれない、と思えば、大きな意味があったと言えるでしょう。


しかしながら、菅直人氏曰く「官僚主権国家」の本体であるところの、「霞ヶ関の深淵なる闇」への切り込みは、まだまだ遠いと言わざるを得ません。今回の談合事件の背景にある、国家予算の配分システム・遣われ方というものについて正しい評価を行うことがあらゆる分野での不正を減らすことに繋がるわけですから、霞ヶ関本体の闇を取り除くことこそ、国民の、そして時代の要請であると思います。今後の内閣及び経済財政諮問会議の、「官僚主権」からの脱却を進める政策・指導力が試されるでしょう。



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