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もんじゅと住基ネットと行政裁判

2005年06月01日 14時29分04秒 | 法関係
もんじゅ判決は、波紋を呼んだ。最高裁での逆転判決であり、行政の安全審査についてどの程度のレベルが求められるのか、ということの判断をしたのだと思う。2審の高裁判決は、原子力関連の行政訴訟で住民側の連続敗訴を変えた唯一の判決であったが、再び行政側の勝訴となった。過去の判例がどうなのか、というのは確かに重要なのだと思うが、20年もかかったことに加えて、当時の状況と今の状況では変わってしまったし、ましてやもんじゅは95年のナトリウム漏れ事故を起こして以来停止したままで10年も経過してしまっていたのであり、そうした事態を知らなかった時の判例を現時点に適用するのが果たして合理的なのか疑問に思う。


勿論、法学的な専門的立場では、色々な意見があるのでしょうけれども、法の解釈や適用というものが絶対的ではないことを思えば、時代によって求められる安全基準は異なっても不思議ではないように思える。医薬品や医療技術の求められる安全レベルにしても、時代によって新たな知見や技術が加わることで当然高い水準が求められることは確かであるから、同じように考えると行政側に求められる安全審査水準はハードルが高くなっても当然であると思う。原子力施設の安全設計というのは元来多重構造になっており、事故発生を防ぐ安全対策が幾重にも施されているが、現実には事故が起こってしまった。それが、スリーマイル島とチェルノブイリの事故であった。


スリーマイル島の事故は、当時の安全審査では「10億年に1回」という確率でしか起こりえないとされたことが、現実には起こったのだ。また、チェルノブイリでは、幾つものヒューマンエラーが重なり、安全対策は無効となってしまった。そうした過去の事例を踏まえながら、日本の原子力施設は設計・工事され、安全対策が講じられたとは思うが、それでもやはり、もんじゅのナトリウム漏れが起こってしまった。原子炉の形式なども異なるし、一概に比較などできないが、安全審査基準が妥当なのかどうか、ということだけ考えてみても、行政の責任が果たされてきたのかは疑問である。もしも万全と言える施設ならば、そもそももんじゅの事故は起こらなかったのではないか?事故が起こる時には、通常事前に専門家達が考える「想定内」の出来事ではないことが起こるのである。原子力施設という、万が一にも事故が発生した場合の甚大被害を考慮すれば、十分なまでの慎重さが求められることは当然であると思う。また、細部に渡る安全基準の責任を行政が負わなければ、一体誰がこの責任を負うのであろうか。


その意味では、今回の最高裁判決はそうした「基準の甘さ」というものには触れずに、”用意された専門家”の判断基準をもって「適法」としたことは、大いに疑問が残る。最高裁の「行政寄り」と言われてしまう所以は、こういうところにあるように思う。10年も放置されている高速増殖炉に求められる基準ということについて、具体的な「危険性」「重大事故可能性」という部分への認定が行われるべきであり、行政に求める「クリアすべき基準」というものについても判断を示しておくのが住民側に立った判決なのではないか。私には法的判断の是非について述べられるほどの知識もないのであるが、司法が行政への踏み込んだ判断をしてくれることも必要であると思っている。今後の課題は原子力行政の見直しであり、高速増殖炉自体の存在が本当に必要なのかは、広く国民の議論・判断をする必要がある。現状では、原子力行政への国民の信頼は乏しいと言わざるを得ない。諸外国では欧州を中心に高速増殖炉建設中止が相次いでおり、日本でも昔の政策決定当時と現状の認識は一致しているとも言えず、もんじゅ運転再開が妥当なものなのか、私には疑問である。



これとは別に、住基ネット裁判では、全く逆の判決が2つ出た。個人情報への判断が分かれたのだと思うが、これからの社会の形を考えるに、ネットワーク社会への参加を全く拒否することは難しいのではないだろうか。勿論個人が自由意志でネットワークへの不参加を決めるということは有り得なくはないと思うが、昔みたいに戸籍謄本台帳みたいなのを作って、不参加の人達の為だけに分厚い電話帳みたいなのをいくつも管理するというのは、非効率的であるし、検索する時の手間も大変である。「住民票をお願いします」と言って役所に行くと、ぱらぱらと台帳をめくって探し出し、コピーして公印を押し、発行するという面倒があるんじゃないだろうか。でも、電子データならば、時間も手間も省けるのである。離脱する人達だけ管理費を上乗せして別途徴収することにでもしない限り、非効率を続ける意味はない。


住基ネットは政策決定に当たって、当時のIT業界育成といった側面はあっただろうし、官公庁からの受注で急速に業績拡大が出来たということもあっただろう。また、将来像というのはe-japanに代表されるようなものがあったのだろうが、現実の政策として住基ネットに付加していくものが追いついていかなかったということがあると思う。私の提案は、前から述べているように、社会保障番号と納税者番号を搭載するというもので、これは住基ネットのようなネットワークを利用する以外にないと思っている。こうした管理は、行政システムの効率化には必要であると考えているからである。


例えば、大きな大学病院のようなところに行けば、個人情報は電子化され磁気カードの診察券となり、各診療科、各種検査、処方箋発行、会計などで統合的に用いられており(多分そうだと思う、高齢者が複数科を受診しても一体処理されていて、受付もATMみたいな機械で自分で出来るし)、この院内LANと全国的なネットワークはシステムとしては違うが、情報の扱われ方としては似ており、まさかそこに行った時に「自分の情報だけLANに載せないで下さい」とも言えまい。個人情報の管理についての選択権が各個人にあるとしても、情報の管理・運用段階で余程の過失がなければ業務遂行の為に利用されることは許容されるべきである。もしも、ネットワークでの個人情報管理を拒否するならば、個人がそういった情報の使われ方を全くされない場所のみを利用する以外にない。そういう個人の為に、行政に非効率なアナログ部分を多く残した場合、そのコストを誰が負担するのか、という問題も議論されるべきかもしれない。


いずれにしても、行政裁判(全ての裁判でそうなのかもしれないが)における法解釈というものは、判断が全く分かれてしまうような曖昧なものなのであり、国民自らが判決に関心を寄せることが重要であるということだろう。


参考記事:

公共事業は誰の為にあるか
社会保障番号の導入
新社会保障の重要因子2
電子マネーは紙幣を殺すのか?(笑)



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
判決が本質を隠してしまいますよね (Nagarazoku)
2005-06-01 19:41:55
オジャマシテイマス。



判決の結果はさておき、炉の方式がいかなるものであっても、原子力発電が技術的な面で大きなリスクを背負っていることは誰が見ても明白です。そのリスクがどういった形で表出するか、あらゆる可能性を考えたなら導き出せる答は明白なものです。それが蔑ろにされ物事が進んでゆくのには腹立たしさを覚えます。



住基ネットの問題は運営/運用の手順が確立されていないことでしょう。システムが第一世代だというコトを考えれば、あたりまえの話です。まさくにさんの仰るように、秘めている価値はとても高いものです。有効性だけを謳うのではなく、そこに存在する全てのKPIを洗い出し、適切な運営方法を確立することが急務なのですが、残念ながら、そういった「重たい荷物」は誰も背負いたがりません。勢い、実装だけが先走りしてたりします。

まだ表には出てきていませんが、住基ネットのバックアップ・サーバのずさんな管理体制も問題です。各都道府県のバックアップ・サーバは、普通のデータセンターの普通のラックに名札を貼って置いてあったりするのですから。エンジニアや業界全体に蔓延っている性善説への依存体質の改善も最優先課題です。



第二世代とは言いません、でも第三世代では住基ネットも確実に価値を生み出してくれると思います。そのためには、私達末端のユーザが運営側の動きを見つめ、牽制し続けてゆかねばならないのでしょうケド。



P.S.

ブックマークの件、ありがとうございました。アタシの方もリンクに追加させていただきました。
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リンク有難うございます (まさくに)
2005-06-02 14:08:12
いつも有難うございます。

住基ネットの問題点は専門家たちから見れば色々あると思いますが、行政システムの中に組み込んでうまく利用していくしかないと思います。先行投資も大きいですが、効率化には電子化が欠かせないと思っています。



原子炉は高速増殖炉に疑問を感じるばかりです。これを行政だけの問題で終わらされるのも、国民としては「納得できない」(郵政民営化反対派のご意見と一緒ですが)です。
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