物事を考える時、多くの場合には「効果大」と「効果小」とか、それとも無効とか、そういった考え方はあると思う。これは、例えば高く飛ぶということがある時、自分の足、ホッピー、トランポリン、という風に、どれを用いるかで飛べる高さが異なるのと似ている。わざわざお金を出してホッピーを用意した挙句に、柿の木の柿を取ろうとしても届きませんでした、というのでは、マヌケだね、という話である。それなら、自力の垂直跳びでもいいじゃないか、そちらの方が最高到達点が高いよね、という比較ができる。トランポリンがあればもっと高く飛べるよね、ということであるとして、トランポリンをその場にどのように用意できるか、という実行可能性とか容易さの問題はある。効果を判定するというのは、そういう部分も見なければならない、ということだ。今すぐ、目の前にある柿をジャンプして取りたいのなら、トランポリンが最大効果を得られると判っていても、スポーツ店までわざわざ車をとばして買いに行き運んでくる人というのは、滅多にいないものだ。
財政政策などもこれと似ており、同じ1円を使うなら効果が最大限得られたらいいよね、という発想が多いのだろうと思うが、その判定には慎重さが必要であろうと思うのである。よく言われる政策について、個人的見解に基づいて整理すると、次のようなイメージである(長、短というのは時間経過の長期と短期という傾向のことである。相互に重なる部分があるので、順序は歴史の年号の如く絶対というわけではない)。
長
↑
①構造改革
②公共事業
③政策金利の変更
④政府消費・投資
⑤減税・消費クーポン
⑥為替介入
↓
短
以下、個別に若干の説明を加えると次の通りである。
①構造改革
定義により人によって用いられ方が違っていたりするが、一応、産業構造などの変革といった長期的変化をもたらすもの、ということで話をする。昔で言えば、農業の衰退、炭鉱の閉鎖、繊維産業の衰退、といったようなものである。かつて日本の経済にかなりのウェイトを占めていた産業ではあっても、社会的或いは構造的変化により資源配分のシフトが起こる、というものである。規制緩和やルールの変更などによって、そうした変化を促す可能性はあるものの、それが奏功するかどうかは不確かなことが多いのではないかと思われる。喩えて言えば、銀行業を許認可廃止にして免許不要でできるという規制緩和を行った場合に、どういった障害を生ずるかというような問題である。
長期的には構造改革などと呼ぶような手を打たなくても、変化はもたらされることがないわけではない。中東戦争で原油高となり不景気となったのに、「炭鉱の生産性が低いからダメなんだ、炭鉱を潰す政策が正しい」みたいにいくら言ってみても不景気のままで変わりはなく、これは経済対策でも何でもない。ただの妄言みたいなものでしかない。「炭鉱を潰して生産性の高い製造業にするのが正しい」といくら言ってみたところで、目の前の失業者たちを働かせられる工場がないからこそ、不景気なわけですからね。
炭鉱閉山が相次いで第二次産業に労働力がシフトしたとしても、やはり「生産性の低下している製造業が主力だから日本の経済はダメなんだ、これからは構造改革で金融だ」ということで、90年代を通じて海外に工場を移転し就業者数の削減を図ってきたのに、やっぱりそういう第二次産業の就業人口の多い構造がダメだ、もっと金融や保険といった第三次産業に構造転換を図らねばならないんだ、構造改革だ、ということで、長期的には大きな誤りであった、というような意見を言い出す人がいるかもしれない。
こういう発想は共産主義経済に近いように思われ、政府が計画して産業構造を規定し、それに向かって社会全体の構造を政策的に変えようというものである。そう簡単にいくのだろうか、という疑問があるわけである。ならば、大昔に炭鉱を閉山して銀行や保険業をやれと60年代や70年代から取り組めば良かったのであり、工場をあれこれ建設したりしたのは全て無駄な投資であったということになるだろう。当時にどれほど雇用を支えたとしても、構造の誤りだ、ということなのであろう。こういうのは、ほぼ後付けの理屈であり、そんなもんはあと20年くらいもするとどうなっているかは判らない。
こうしてみた方がいいんじゃないか、ということはあるとしても、それは株を買う時、「どの企業に投資してみようか」と考える程度のものであって、それを確実に割り出せるような理論は未だかつて存在していないのではないか。理論的に判定できる、という人がいるなら、是非提示してもらいたい。政府がどの分野に投資をするか(産業政策?みたいなもの)というのも、株と同じようなものなのだ、ということ。
更には、急を要するような場面では全くの無効である。
言うなれば、今飛行機が墜落しそうです(ハドソン川の奇跡の時みたいな)という時に、
「機体の構造改革が必要だ」
みたいに言うのと同じようなものです。
「機体設計を変えよう」「材料を変えて強度を増そう」「エンジン推力を増やそう」「エンジンを単発から双発にしよう」「安全設計を増やそう」といった、今墜落しそうです、という場面では何の役にも立たないものばかりを言うようなものであり、どれも「(飛行機の)構造を変えよう」的ではあるのですよね。
◎構造改革は、景気悪化を改善するものではない
◎構造改革は変化が遅く、かなり長期的な変化しか期待できない
◎構造改革は緊急時には役に立たない、最も遅効性
②公共事業
小さなものであれば短時間でも発動可能な場合がある。判りやすい例でいうと、道路。補修工事のような小さい工事を増やすことができるから。
(けれども、過去にこうした「あまり意味のない工事」を繰り返してきて、無駄に交通渋滞を招いてきたという非難もあるかもしれない。だから、公共事業と名の付くものであればいいかというと、そうではない。英米なんかに比べて、日本は特にそうだ。
長期工事で完成までに20年を要するといったことは、これまでにも多数あった。いったん予算を付けてしまうと、そこに吸い付いて離れないという悪しき部分があるのだ。なので、従来型の公共事業を増やすことには個人的には反対である。)
既に決まっている事業などについては前倒しで進めることも可能なので、短期的な対応能力がないわけではない。しかし、これは予算規模が限られてしまうだろう。大型の公共事業ということにはならない場合が多いのではないか。
そうなると、ある程度中期的な事業を選別、設定し、優先順位の高い事業から実施されてゆくであろうが、目の前で景気悪化が起こっている時には、効果が発現してくるまでラグがあるであろう。仮に10兆円の公共事業を決めたとしても、この予算が消化され経済効果として波及してくるまでには、数年単位でかかってしまうだろう、ということだ。必ずしも単年度で全ての効果が発現してくるわけではないし、必要になる雇用量も急激には増やせない。年末の「派遣切り」騒動のような場面では、やはり多くが無力であろう。公共事業は予算規模が大きくなればなるほど小回りも、速効性も期待できなくなってゆくだろう。幾度か書いたけれども、3年後の工賃で今夜のメシは食えない、という意味はそういうことだ。
それと、予算の取り合いが必ず起こるので、政治的困難さが増す可能性は高くなるだろう。つまりは、「どこに予算を貼り付けるか」ということによって、利害関係者たちの分捕り合戦が激しくなり、そうなれば発動が遅れるということを招き易いだろう。恣意性が問題になる可能性というのが高くなる。これは90年代の公共事業で懲りたのではないか(日本と欧米は違うと思うので、これは日本に多い問題なのかもしれない)。
◎公共事業は選別、設定が難しい
◎利害関係者の衝突や恣意性が問題になる可能性
◎巨額になれば短時間で発動するのは難しい
◎効果発現はやや遅い
◎乗数効果は他の政策よりも期待されうる
③政策金利の変更
これは最も一般的な経済政策である。不景気になれば金利を下げ、引き締めが必要になれば引き上げる、という基本的な説明が与えられる。株式市場、債券市場や為替市場などは比較的早期に、広範な影響を受ける。実体経済に効果が波及してゆくには、もう少しラグがあると考えられており、半年~1年という程度で効果が発現したとしても、ラグが小さいとまでは言えないかもしれない。
政策としては、過去の実績が多い、知見も多く得られている、他の政策に比べれば(どちらかというと)安定性がある、予知性もそれなりにある、政策発動のハードルが他よりも低い(実施可能性では最も容易)、といった多くの利点を備えている。変化自体も、多くの場合にはマイルドな印象、調節性も悪くはないので、ファースト・チョイスとしては望ましい。「over dose」的問題は残されている。つまりは、効き過ぎについての判定が難しい、というようなことだ。引き締め過ぎ、緩和し過ぎ、といったことによる「副作用」を重大と考える人々はそれなりにいる(逆に、あまり重大と考えない人たちもいる)。
◎ファースト・チョイス的政策
◎効果発現までラグはある
◎投資市場では早期に効果発現
◎他の政策に比べて利点は多い
◎緊急時には効果が十分とも言えないが投資市場ではそれなりに効く
◎「やり過ぎ」問題
④政府消費・投資
公共事業とあまり違いがないじゃないか、という意見はあるかもしれない。とりあえず分けてみました、ということでご了承を。
例えば、政府が「政府専用車としてエコカーを千台購入します」とか、「パソコンを1人1台支給します」とか、決定できるので、無理矢理にでも需要を生み出せる、というもの。他には、一般的な政府補助金、優先的低利融資や利子補給、研究開発援助、債務保証、等があるのかな。
公共事業の選別と似ていて、どの分野に投資(資金投入)するか、というのは、やってみなければ判らない、という程度のものであり、ここでの利害関係者の衝突は起こりえるだろう。早い話が、分捕り合戦ということかな。公益に資するもの、という大義名分が立てば、大方の事業は含まれてくるだろう。仮に、バイオ関連、環境ビジネス関連、新エネルギー関連、といったものに資金配分を行うとして、それが妥当な政策なのかどうか、というのは、その時には正確には判りようがないだろう。後で振り返ってみれば、産業政策的に「うまくいったのかもしれない」というようなことはあるかもしれない。
それとも、もっと「基礎研究に資金投入すべし」とか「旧国立大学授業料を半額にした方が良かった」とか「成績優秀者全員に奨学金を与え学費を無料」とか、そういうのと比べると現実にどうなのかというと、中々効果判定は難しいかもしれない。
公共事業に比べると、政府消費や政府投資は短時間で実施できる範囲は多いと思われ、効果発現はやや早いと考えられる。が、研究開発投資や教育投資などであれば、成果として判定するのが難しい場合や長期的にしか期待できない面はあると思われる。日本の経済構造からすると、これまでよりも増やした方がよい分野ではあると思う。
◎効果発現は早めのものが多い
◎利害関係者の衝突や恣意性が問題になる可能性
◎日本はもっと増やす方が望ましいのでは
⑤減税・消費クーポン
「バラマキだ」批判の集中している減税モノですが、どうしてこれほどまでに責められねばならないのか、理解できない。こんなに文句を言ってる国は、恐らく日本だけではないかと思う。減税と似たものに小切手とか商品券のようなものがあり、乗数効果が低いとか言われるが、公共事業などよりも速効性に優れ、利害衝突のような障害が少ないので、実現可能性というのは割りと容易なものである。
金利引下げや公共事業が間に合わないというような場合には、短時間で効果発現という速効性(ただし効果の持続時間も短い)の長所を活かして投入することは問題とも思われず、急を要する時にこそ有効となるだろう。一般国民のマインドを変える、という点においても、効果はそれなりに期待されるかもしれない。
◎効果発現までの時間が短く速効性
◎公共事業のような利害衝突がなく実施が比較的容易
◎乗数効果が公共事業に比べると劣る可能性
◎消費マインドに影響がある可能性
⑥為替介入
ヘタをすると米国に為替操作国認定をされる可能性がある政策(笑)。
市場の調節機能を重視する立場ならば、操作が不適切であると考えるであろう。自動車の価格が下がり過ぎたからと言って、政府介入で自動車を買い続けるということは行われないのだから。しかし、投機的通貨攻撃への防衛ということは、有り得ないわけではないだろう。インフレ抑制といった「深刻な国内経済の事情」という場面がないわけでもないだろう。なので、必ずしも否定されるべき手段とは思わないが、「為替介入によって自国通貨安を招来し、輸出産業を支える」という構図は、望ましいものではないだろう。
人為的に介入することによって、目に見えて効果は直ぐに現れる。
目標とする為替水準まで介入することは可能である場合は多い(特に日本では)。円の減価により、企業業績や株価には短期間で効果が反映される。実体経済へはプラスに働き、経常利益は増加し獲得外貨は増える。ただし、介入が途切れると為替水準が戻ってしまうといった問題はある。外貨準備高が高水準で積みあがったままになってしまう、という問題もある。いずれ為替損が現実損になってしまうことも十分考えられ、その場合には政府債務が増大する。
もし、日本経済にとって円の減価は「経済成長率を上げる」「優良輸出企業の多い日本の産業構造にとって有利」ということであるとして、そうであるなら毎年「円は減価」が継続することが望ましいということになってしまう。10年連続で10%減価を達成した場合、約3分の1まで通貨安が進むが、この時の日本経済というのはどうなるのだろうか?モデル上では成長率がプラスのまま続いていくのかもしれないが、本当にそんなことが可能なのだろうか?個人的にはそれが正しいとは考えていない。
◎超短時間型の効果発現
◎副作用がそれなりにあるかもしれない
◎短期的には株式市場や輸出企業にプラスに作用
◎効果が持続できれば成長率にも好影響
◎しかし長期持続可能な政策ではない
◎為替損など政府債務増加要因となりえる
通貨安をもたらせる手段としては、為替介入だけではなく、最近話題の「政府通貨」という方法も取りえるので、できれば国内的に減価を来たすような政策を選択する方が望ましいのではないかと考えている。円金利が下がる、通貨供給を増加させる、というような方法が取れるのであれば、それを実施することの意味はあると思う。
財政政策などもこれと似ており、同じ1円を使うなら効果が最大限得られたらいいよね、という発想が多いのだろうと思うが、その判定には慎重さが必要であろうと思うのである。よく言われる政策について、個人的見解に基づいて整理すると、次のようなイメージである(長、短というのは時間経過の長期と短期という傾向のことである。相互に重なる部分があるので、順序は歴史の年号の如く絶対というわけではない)。
長
↑
①構造改革
②公共事業
③政策金利の変更
④政府消費・投資
⑤減税・消費クーポン
⑥為替介入
↓
短
以下、個別に若干の説明を加えると次の通りである。
①構造改革
定義により人によって用いられ方が違っていたりするが、一応、産業構造などの変革といった長期的変化をもたらすもの、ということで話をする。昔で言えば、農業の衰退、炭鉱の閉鎖、繊維産業の衰退、といったようなものである。かつて日本の経済にかなりのウェイトを占めていた産業ではあっても、社会的或いは構造的変化により資源配分のシフトが起こる、というものである。規制緩和やルールの変更などによって、そうした変化を促す可能性はあるものの、それが奏功するかどうかは不確かなことが多いのではないかと思われる。喩えて言えば、銀行業を許認可廃止にして免許不要でできるという規制緩和を行った場合に、どういった障害を生ずるかというような問題である。
長期的には構造改革などと呼ぶような手を打たなくても、変化はもたらされることがないわけではない。中東戦争で原油高となり不景気となったのに、「炭鉱の生産性が低いからダメなんだ、炭鉱を潰す政策が正しい」みたいにいくら言ってみても不景気のままで変わりはなく、これは経済対策でも何でもない。ただの妄言みたいなものでしかない。「炭鉱を潰して生産性の高い製造業にするのが正しい」といくら言ってみたところで、目の前の失業者たちを働かせられる工場がないからこそ、不景気なわけですからね。
炭鉱閉山が相次いで第二次産業に労働力がシフトしたとしても、やはり「生産性の低下している製造業が主力だから日本の経済はダメなんだ、これからは構造改革で金融だ」ということで、90年代を通じて海外に工場を移転し就業者数の削減を図ってきたのに、やっぱりそういう第二次産業の就業人口の多い構造がダメだ、もっと金融や保険といった第三次産業に構造転換を図らねばならないんだ、構造改革だ、ということで、長期的には大きな誤りであった、というような意見を言い出す人がいるかもしれない。
こういう発想は共産主義経済に近いように思われ、政府が計画して産業構造を規定し、それに向かって社会全体の構造を政策的に変えようというものである。そう簡単にいくのだろうか、という疑問があるわけである。ならば、大昔に炭鉱を閉山して銀行や保険業をやれと60年代や70年代から取り組めば良かったのであり、工場をあれこれ建設したりしたのは全て無駄な投資であったということになるだろう。当時にどれほど雇用を支えたとしても、構造の誤りだ、ということなのであろう。こういうのは、ほぼ後付けの理屈であり、そんなもんはあと20年くらいもするとどうなっているかは判らない。
こうしてみた方がいいんじゃないか、ということはあるとしても、それは株を買う時、「どの企業に投資してみようか」と考える程度のものであって、それを確実に割り出せるような理論は未だかつて存在していないのではないか。理論的に判定できる、という人がいるなら、是非提示してもらいたい。政府がどの分野に投資をするか(産業政策?みたいなもの)というのも、株と同じようなものなのだ、ということ。
更には、急を要するような場面では全くの無効である。
言うなれば、今飛行機が墜落しそうです(ハドソン川の奇跡の時みたいな)という時に、
「機体の構造改革が必要だ」
みたいに言うのと同じようなものです。
「機体設計を変えよう」「材料を変えて強度を増そう」「エンジン推力を増やそう」「エンジンを単発から双発にしよう」「安全設計を増やそう」といった、今墜落しそうです、という場面では何の役にも立たないものばかりを言うようなものであり、どれも「(飛行機の)構造を変えよう」的ではあるのですよね。
◎構造改革は、景気悪化を改善するものではない
◎構造改革は変化が遅く、かなり長期的な変化しか期待できない
◎構造改革は緊急時には役に立たない、最も遅効性
②公共事業
小さなものであれば短時間でも発動可能な場合がある。判りやすい例でいうと、道路。補修工事のような小さい工事を増やすことができるから。
(けれども、過去にこうした「あまり意味のない工事」を繰り返してきて、無駄に交通渋滞を招いてきたという非難もあるかもしれない。だから、公共事業と名の付くものであればいいかというと、そうではない。英米なんかに比べて、日本は特にそうだ。
長期工事で完成までに20年を要するといったことは、これまでにも多数あった。いったん予算を付けてしまうと、そこに吸い付いて離れないという悪しき部分があるのだ。なので、従来型の公共事業を増やすことには個人的には反対である。)
既に決まっている事業などについては前倒しで進めることも可能なので、短期的な対応能力がないわけではない。しかし、これは予算規模が限られてしまうだろう。大型の公共事業ということにはならない場合が多いのではないか。
そうなると、ある程度中期的な事業を選別、設定し、優先順位の高い事業から実施されてゆくであろうが、目の前で景気悪化が起こっている時には、効果が発現してくるまでラグがあるであろう。仮に10兆円の公共事業を決めたとしても、この予算が消化され経済効果として波及してくるまでには、数年単位でかかってしまうだろう、ということだ。必ずしも単年度で全ての効果が発現してくるわけではないし、必要になる雇用量も急激には増やせない。年末の「派遣切り」騒動のような場面では、やはり多くが無力であろう。公共事業は予算規模が大きくなればなるほど小回りも、速効性も期待できなくなってゆくだろう。幾度か書いたけれども、3年後の工賃で今夜のメシは食えない、という意味はそういうことだ。
それと、予算の取り合いが必ず起こるので、政治的困難さが増す可能性は高くなるだろう。つまりは、「どこに予算を貼り付けるか」ということによって、利害関係者たちの分捕り合戦が激しくなり、そうなれば発動が遅れるということを招き易いだろう。恣意性が問題になる可能性というのが高くなる。これは90年代の公共事業で懲りたのではないか(日本と欧米は違うと思うので、これは日本に多い問題なのかもしれない)。
◎公共事業は選別、設定が難しい
◎利害関係者の衝突や恣意性が問題になる可能性
◎巨額になれば短時間で発動するのは難しい
◎効果発現はやや遅い
◎乗数効果は他の政策よりも期待されうる
③政策金利の変更
これは最も一般的な経済政策である。不景気になれば金利を下げ、引き締めが必要になれば引き上げる、という基本的な説明が与えられる。株式市場、債券市場や為替市場などは比較的早期に、広範な影響を受ける。実体経済に効果が波及してゆくには、もう少しラグがあると考えられており、半年~1年という程度で効果が発現したとしても、ラグが小さいとまでは言えないかもしれない。
政策としては、過去の実績が多い、知見も多く得られている、他の政策に比べれば(どちらかというと)安定性がある、予知性もそれなりにある、政策発動のハードルが他よりも低い(実施可能性では最も容易)、といった多くの利点を備えている。変化自体も、多くの場合にはマイルドな印象、調節性も悪くはないので、ファースト・チョイスとしては望ましい。「over dose」的問題は残されている。つまりは、効き過ぎについての判定が難しい、というようなことだ。引き締め過ぎ、緩和し過ぎ、といったことによる「副作用」を重大と考える人々はそれなりにいる(逆に、あまり重大と考えない人たちもいる)。
◎ファースト・チョイス的政策
◎効果発現までラグはある
◎投資市場では早期に効果発現
◎他の政策に比べて利点は多い
◎緊急時には効果が十分とも言えないが投資市場ではそれなりに効く
◎「やり過ぎ」問題
④政府消費・投資
公共事業とあまり違いがないじゃないか、という意見はあるかもしれない。とりあえず分けてみました、ということでご了承を。
例えば、政府が「政府専用車としてエコカーを千台購入します」とか、「パソコンを1人1台支給します」とか、決定できるので、無理矢理にでも需要を生み出せる、というもの。他には、一般的な政府補助金、優先的低利融資や利子補給、研究開発援助、債務保証、等があるのかな。
公共事業の選別と似ていて、どの分野に投資(資金投入)するか、というのは、やってみなければ判らない、という程度のものであり、ここでの利害関係者の衝突は起こりえるだろう。早い話が、分捕り合戦ということかな。公益に資するもの、という大義名分が立てば、大方の事業は含まれてくるだろう。仮に、バイオ関連、環境ビジネス関連、新エネルギー関連、といったものに資金配分を行うとして、それが妥当な政策なのかどうか、というのは、その時には正確には判りようがないだろう。後で振り返ってみれば、産業政策的に「うまくいったのかもしれない」というようなことはあるかもしれない。
それとも、もっと「基礎研究に資金投入すべし」とか「旧国立大学授業料を半額にした方が良かった」とか「成績優秀者全員に奨学金を与え学費を無料」とか、そういうのと比べると現実にどうなのかというと、中々効果判定は難しいかもしれない。
公共事業に比べると、政府消費や政府投資は短時間で実施できる範囲は多いと思われ、効果発現はやや早いと考えられる。が、研究開発投資や教育投資などであれば、成果として判定するのが難しい場合や長期的にしか期待できない面はあると思われる。日本の経済構造からすると、これまでよりも増やした方がよい分野ではあると思う。
◎効果発現は早めのものが多い
◎利害関係者の衝突や恣意性が問題になる可能性
◎日本はもっと増やす方が望ましいのでは
⑤減税・消費クーポン
「バラマキだ」批判の集中している減税モノですが、どうしてこれほどまでに責められねばならないのか、理解できない。こんなに文句を言ってる国は、恐らく日本だけではないかと思う。減税と似たものに小切手とか商品券のようなものがあり、乗数効果が低いとか言われるが、公共事業などよりも速効性に優れ、利害衝突のような障害が少ないので、実現可能性というのは割りと容易なものである。
金利引下げや公共事業が間に合わないというような場合には、短時間で効果発現という速効性(ただし効果の持続時間も短い)の長所を活かして投入することは問題とも思われず、急を要する時にこそ有効となるだろう。一般国民のマインドを変える、という点においても、効果はそれなりに期待されるかもしれない。
◎効果発現までの時間が短く速効性
◎公共事業のような利害衝突がなく実施が比較的容易
◎乗数効果が公共事業に比べると劣る可能性
◎消費マインドに影響がある可能性
⑥為替介入
ヘタをすると米国に為替操作国認定をされる可能性がある政策(笑)。
市場の調節機能を重視する立場ならば、操作が不適切であると考えるであろう。自動車の価格が下がり過ぎたからと言って、政府介入で自動車を買い続けるということは行われないのだから。しかし、投機的通貨攻撃への防衛ということは、有り得ないわけではないだろう。インフレ抑制といった「深刻な国内経済の事情」という場面がないわけでもないだろう。なので、必ずしも否定されるべき手段とは思わないが、「為替介入によって自国通貨安を招来し、輸出産業を支える」という構図は、望ましいものではないだろう。
人為的に介入することによって、目に見えて効果は直ぐに現れる。
目標とする為替水準まで介入することは可能である場合は多い(特に日本では)。円の減価により、企業業績や株価には短期間で効果が反映される。実体経済へはプラスに働き、経常利益は増加し獲得外貨は増える。ただし、介入が途切れると為替水準が戻ってしまうといった問題はある。外貨準備高が高水準で積みあがったままになってしまう、という問題もある。いずれ為替損が現実損になってしまうことも十分考えられ、その場合には政府債務が増大する。
もし、日本経済にとって円の減価は「経済成長率を上げる」「優良輸出企業の多い日本の産業構造にとって有利」ということであるとして、そうであるなら毎年「円は減価」が継続することが望ましいということになってしまう。10年連続で10%減価を達成した場合、約3分の1まで通貨安が進むが、この時の日本経済というのはどうなるのだろうか?モデル上では成長率がプラスのまま続いていくのかもしれないが、本当にそんなことが可能なのだろうか?個人的にはそれが正しいとは考えていない。
◎超短時間型の効果発現
◎副作用がそれなりにあるかもしれない
◎短期的には株式市場や輸出企業にプラスに作用
◎効果が持続できれば成長率にも好影響
◎しかし長期持続可能な政策ではない
◎為替損など政府債務増加要因となりえる
通貨安をもたらせる手段としては、為替介入だけではなく、最近話題の「政府通貨」という方法も取りえるので、できれば国内的に減価を来たすような政策を選択する方が望ましいのではないかと考えている。円金利が下がる、通貨供給を増加させる、というような方法が取れるのであれば、それを実施することの意味はあると思う。
コメントを書いたご本人の方ならば、お分かりになると思いますので、ご了承下さいませ>新●殿