瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

超能力

2017-10-10 19:59:20 | 随想
自然の摂理に反する能力を超能力と定義するなら、超能力なんぞ存在はしない。

と書くと反論する者は必ずいる。
予知ができる人がいる。
念力で物を動かせる人がいる。
などなど、あれこれと事例をあげる。

私はそれが偽物だ、と言っているのではない。そんなものはトリックで超能力でもなんでもない、ということを書いているわけではない。

真偽のほどはさておき、現にそのような能力が示されるのであれば、それは「超」能力ではなく、単なる能力に過ぎない。
それを「超」能力と認識するのはその能力が自然の摂理を「超」えているとの認識からである。
が、そのような能力が在るのであればその存在は自然の摂理を「超」えて在るはずがない。存在する以上、自然の摂理の内である。存在を「超」えて存在するなんて馬鹿な話はない。

そこにあるのは超能力ではなく、我々の認識不足である。自然の摂理なるものに対する誤解である。

だからいわゆる超能力に接したところで驚くには及ばない。ましてや奇跡だなどと崇め奉るなんぞ愚の骨頂である。
そのような能力に接したら、我々の認識をただ改めるだけである。誤解を正すだけである。

超能力を信じている者、信じていない者。どちらも自分の認識を信じて疑わないという点では同類である。よくもまあ自分の認識を絶対視できるものだ。呆れてしまう。

私たちは如何ほどのことを知っているというのか。
自分は何も知らない、何も解っていない。ここがすべての出発点である。
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