瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

是として生きる

2017-12-11 04:28:52 | 随想
過去は美化されるとか、記憶は捏造されるとかいう言い方がされることがよくある。つまり過去は書き換えることが出来るのである。

確かに過去に起きたことは変えられない。しかし私たちは過去を起きた事実のみで記憶するのではない。その事実をいかに受け止めたかとともに記憶するのである。
ならば、その受け止め方、思いや解釈を変えれば楽しくない過去も楽しい過去に変わる道理である。

固定され動かし難いと思っている過去が書き換えることが出来るのであれば、流動的な現在が如何ようにもなることは言うまでもない。

是が非か。そんなことは私たちには判らない。判らないということは、どちらにでもなるということである。それならば、起きることを非として生きるよりは是として生きるほうがいい。否定していては生きているのが辛くなるばかりである。肯定してこそ生きる甲斐があるというものだ。

過去は美しかったし、現在は楽しい。そして未来はうれしいことに溢れている。

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