瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

映画でも観るように

2019-01-19 22:10:16 | 随想
最短距離だと思って突き進んでいたら、想定外のトラブルで足止めをくう、なんてことがあるかと思えば、道に迷って目的地に着くかどうかも危ぶまれるような状況で、ひょいと目的地に出てみたり。何がどうなるかは分かりませんな。

真っ只中にいるときは有頂天になるようなことでも、後から振り返れば最悪の始まりだったとか。逆に夜明けは本当に来るのだろうか、と思っていた日々が実は夜明け前どころか新しい朝が始まってずいぶん経っていたとか。

現在の状況や選択に対する評価は所詮現時点の評価でしかありません。大局的に見たときの評価は変わり得る。

人は目の前の出来事に一喜一憂するものですが、所詮目の前、ピンポイントでの一喜一憂です。今、一喜一憂したら次の瞬間にはそんなこと忘れたほうがいい。大局的にはどんな展開になるのか分からないのだから。一喜一憂したのちは、淡々と対処するだけ。対処しつつ来たるべき展開を待つ。

喜びと憂い、成功と失敗、幸福と不幸、などなど相対(あいたい)するものはいつだって同居しています。どちらか片方だけ、なんてことはあり得ません。だから常にどっちも体験してるんですよ、同時に。大局的に見ればね。
それをピンポイントでしか見ないから片方だけしか見えず一喜一憂するはめになる。

どっちもある、両方ある、すべてがあるんだから、片方だけ見て、はしゃいだり落ち込んだりすることなんてありません。起きている事態を冷静におもしろがっていればいいと思いますよ。映画でも観てるみたいにね。

全体の構図を見て取れば、状況に振り回されることなく細大漏らさず楽しめます。

 

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