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聖グイニア殉教者

2024-03-23 00:00:05 | 聖人伝
聖グイニア殉教者                                    記念日 3月 23日


 聖パトリックが5世紀にアイルランドを改宗させようと努力していた時、クリト王の宮廷で侮辱され、追い出されたことがあった。しかし王子のグイニアは父王よりも礼儀正しく、まだキリスト教徒ではなかったが、パトリックの信心深さを認めて、自ら立ち上がって自分の椅子を彼に差し出した。後に狩りをしながらキリスト教について考え、ついに信者となった。そして自分の馬を手放して隠修士として暮らし始めた。クリト王の死後、彼は宮廷に帰ったが、王位にはつかずに、770人の男女の信徒(改宗した妹のビアラも含めて)を集めて、ウェールズとブリタニーにキリスト教を広めた。

 ブリタニーのプビグナーで聖人が行ったと言われる奇跡の一つは動物に対する愛を示すものであった。水が不足したので聖人が地面を打ちたたいたところ、3つの泉が湧き出たので、その一つは自分の為、他の二つは彼の犬と牛の為とした。

 聖人とその仲間の多くは殉教者として天に召された。英国コーンウォールの暴君チューダーはキリスト教信者たちを長い間憎み、湖の中に爬虫類をたくさん入れておいて、自分の嫌いな人を投げ入れた。チューダーは、グイニアの仲間の後をつけてきて、彼等を殺したと言われている。

 グイニアは、彼等の死体を見て自分の殉教も遠くないことを知って、残された自分の仲間に言った。「みなさん、ここは私達の休む場所です。神様は、私達が働きを止めるようにと定められました。ですから喜んで私達の生命を神の為にささげましょう。体を殺す者を恐れてはなりません。むしろ体と魂の2つを地獄に投げ入れる力を持つ方を恐れましょう」。

 まもなく、グイニアはチューダーに捕らえられて首を切られた。彼の墓の上には後世、教会が建てられ、グイニアという村の名が、今に至るまで残り、ブリタニーで尊敬されている。