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四旬節 断食(大斎・小斎) カーニバル

2018-02-16 05:00:57 | キリスト教入門
◆ 四旬節 断食(大斎・小斎) カーニバル - カトリック中央協議会

 復活祭(イースター、復活の主日)は、キリストの復活を記念する、キリスト教の最も重要な祭日です。

 復活祭前の準備期間を四旬節と呼びます。古くから、復活祭に洗礼を受ける志願者の直前の準備期間と考えられてきました。また、すでに洗礼を受けた信者も、この期間をとおして節制と回心につとめ、自分の生活をふり返ります。

 四旬節は「40日の期間」という意味です。40という数は、イエスが荒れ野で40日間断食をしたことに由来していて、それにならって40日の断食という習慣が生まれました。けれども実際には、復活祭の46日前の水曜日(灰の水曜日)から四旬節が始まります。それは、主日(日曜日)には断食をしない習慣だったからです。灰の水曜日に教会では、回心のしるしとして頭か額に灰をかける「灰の式」という典礼があります。

 キリスト教が根付いている国では、この灰の水曜日の直前に、「カーニバル(謝肉祭)」というお祭りがあります。古代や中世期の信者たちは四旬節に肉食を断っていたので、その前にごちそうを食べて大いに騒いでいました。その習慣がこんにちまで続いているのですが、教会とは直接関係ありません。

 断食については、現在では完全に食事を断つというよりも、十分な食事をひかえることと考えられていて、以下のように「大斎・小斎」があります。大斎と小斎を守る日は灰の水曜日と聖金曜日(復活祭直前の金曜日)、小斎を守る日は祭日を除く毎金曜日です。
大斎 1日に1回だけの十分な食事とそのほかに朝ともう1回わずかな食事をとることができ、満18歳以上満60歳未満の信者が守ります。
小斎 肉類を食べないことですが、各自の判断で償いの他の形式、とくに愛徳のわざ、信心業、節制のわざの実行をもって代えることができ、満14歳以上の信者が守ります。

(大斎も小斎も、病気や妊娠などの理由がある人は免除されます)

https://www.cbcj.catholic.jp/faq/lent/

今日は聖金曜日

2017-04-14 04:54:59 | キリスト教入門
◆、四旬節

カトリック金沢教会ホームページより

質問 01:四旬節とは何ですか?

 復活祭の準備期間、つまり、やがて来る復活祭へ向けて、私たちも主の復活を生きることができるよう、集中的に心の準備をする期間です。悔い改めによる浄化と福音に沿った生き方への転換を促す40日間のことです。


質問 02:なぜ40日間なのですか?

 聖書には40日間という数字が象徴的に出て来ます。40日間の洪水、モーセがシナイ山に滞在した40日間、エリヤがホレブ山へ向った40日間、ニネベが悔い改めに要した40日間…、等々、刷新を前にした試練、祈り、罪の浄め、準備に関係することが多いようです。最も重要なのは、イエスが公生活を前に荒れ野で断食し、悪魔の誘惑を受けた40日間です。私たちは、イエスとともに試練と祈りにあずかるよう招かれています。


質問 03:四旬節はいつからいつまでですか?

 現在のカトリック教会では、四旬節は灰の水曜日(復活祭から数えて46日前)に始まり、復活祭3日前の聖木曜日、主の晩餐のミサ直前に終ります(以前は復活祭前日の聖土曜日まででした)。日曜日は省かれます。厳密に言うと、現在では40日に少し足りないということになります。


質問 04:なぜ日曜日は省かれるのですか?

 日曜日は本来、イエス・キリストが私たちの救いのために亡くなられた後、復活されたことを記念する日なので、断食や節制をしたり罪を嘆いたりするよりも、喜びのうちに祝う方が相応しいからです。復活祭の前の日曜日は、聖週間の幕開けとなる「枝の主日」で、イエスのエルサレム入城を記念します。教会では、信徒たちが聖別されたシュロの葉を手に持って、主を称えて行列をします。


質問 05:灰の水曜日とは何ですか?

 四旬節の第1日目で、神への回心の望みを公に表明する日です。信徒は教会で頭かひたいに十字架の形に灰を付けてもらい、回心して福音を生きたいと願う気持ちを表明します。ちなみに、この灰は、前年の枝の主日に聖別されたシュロの葉を燃やしたものです。


質問 06:ひたいに灰を付けるのはなぜですか?

 灰は、「ちりにすぎず、ちりへ戻る」人間のはかなさ、小ささを思い出させます。罪の結果としての死から免れ得ない状態にある人間ゆえに、神の赦しと助けがどうしても必要であることを、灰は象徴しているのです。


質問 07:回心とは何ですか。また、どうすればよいのですか?

 回心とは心を神に向けること、神との和解です。自分の罪を心から悔い、神がお望みではないすべてのものから自分を遠ざけ、神のみ心にかなった行き方へと自分を変えることです。回心は、常に行ないを伴わなければなりません。例えば、1)信徒ならゆるしの秘跡(痛悔と告解)を受けに行き、簡潔明瞭に具体的かつ完全な告白をする、2)兄弟姉妹を赦し、分裂を超えて愛を育む、3)善行を行なう、などです。


質問 08:四旬節の間じゅう、断食や節制をするのですか?

 現在では、四旬節初日の灰の水曜日に大斎と小斎、金曜日ごとに小斎を行なうことになっています。大斎は、1日に1度だけ普通の食事を取り、その他に1度ごく軽いものを取ってよいとされます。小斎は、肉、または肉に限らず自分の好物を断ちます。復活祭前の聖金曜日も、大斎と小斎の両方が義務づけられています。


質問 09:それは、信徒全員の義務ですか?

 原則として、大斎は18歳以上60歳未満、小斎は14歳以上の信徒の義務ですが、病気や妊娠、疲労、衰弱、労働その他で影響が懸念される場合は、当然免除されます。大斎・小斎でいちばん大切なのは、犠牲を払い欲望を我慢することによって、節制や節度、謙虚さを強め、愛徳の行ないへと自分を向けることです。習慣だから、皆がやっているからという理由で仕方なく大斎や小斎を守るようでは、あまり意味がありません。


質問 10:四旬節中、信徒に奨励されていることは何ですか?

 教会は、みことばに耳を傾け、祈り、隣人と分かち合い、善行をすることを通して、四旬節をキリストへの道として生きるよう奨励しています。したがって、四旬節はゆるしの時、兄弟姉妹との和解の時です。四旬節に限ったことではなく、日々、生涯を通じて、私たちの心に他人への憎しみや恨み、妬み、嫉みがあるなら、それは神への愛に反することですから棄てなければなりません。また、四旬節はイエスの十字架の意味を知り、味わう時期です。復活の栄光に達する喜びを胸に、私たちもそれぞれ自分の十字架を担います。カトリックの伝統的な祈り「十字架の道行き」を行なうことも奨められます。当教会では、四旬節中の毎金曜日に「十字架の道行き」を行なっています。


質問 11:四旬節は昔からあったのですか?

 紀元4世紀から、復活祭に洗礼を受ける求道者の洗礼準備期間として、また、既に洗礼を受けた信徒の悔い改めと刷新の期間として、断食と節制を伴う40日間の習慣が全教会に見られました。四旬節の断食等の実践は東方教会ではそのまま厳格に受け継がれていますが、西方ではその精神性をより重視して次第に軽減されてきています。


質問 12:四旬節直前の謝肉祭(カーニバル)のことはよく耳にしますが…?

 四旬節の断食は、昔は今よりずっと厳格でした。長い間肉を断たなければならないため、人々は、四旬節に入る前に精一杯肉を食べました。それがどんちゃん騒ぎのお祭りに発展したのがカーニバルです。日本語で謝肉祭と言いますが、カーニバルの語源はラテン語の ”carnem(肉を) + levare(取り上げる)” → ”carnelevarium(肉を取り上げること)” から来ています。世俗の現象で、教会の行事ではありません。(一ヵ所訂正)

四旬節とは

2017-03-02 06:15:24 | キリスト教入門
◆、四旬節

カトリック金沢教会ホームページより

質問 01:四旬節とは何ですか?

 復活祭の準備期間、つまり、やがて来る復活祭へ向けて、私たちも主の復活を生きることができるよう、集中的に心の準備をする期間です。悔い改めによる浄化と福音に沿った生き方への転換を促す40日間のことです。


質問 02:なぜ40日間なのですか?

 聖書には40日間という数字が象徴的に出て来ます。40日間の洪水、モーセがシナイ山に滞在した40日間、エリヤがホレブ山へ向った40日間、ニネベが悔い改めに要した40日間…、等々、刷新を前にした試練、祈り、罪の浄め、準備に関係することが多いようです。最も重要なのは、イエスが公生活を前に荒れ野で断食し、悪魔の誘惑を受けた40日間です。私たちは、イエスとともに試練と祈りにあずかるよう招かれています。


質問 03:四旬節はいつからいつまでですか?

 現在のカトリック教会では、四旬節は灰の水曜日(復活祭から数えて46日前)に始まり、復活祭3日前の聖木曜日、主の晩餐のミサ直前に終ります(以前は復活祭前日の聖土曜日まででした)。日曜日は省かれます。厳密に言うと、現在では40日に少し足りないということになります。


質問 04:なぜ日曜日は省かれるのですか?

 日曜日は本来、イエス・キリストが私たちの救いのために亡くなられた後、復活されたことを記念する日なので、断食や節制をしたり罪を嘆いたりするよりも、喜びのうちに祝う方が相応しいからです。復活祭の前の日曜日は、聖週間の幕開けとなる「枝の主日」で、イエスのエルサレム入城を記念します。教会では、信徒たちが聖別されたシュロの葉を手に持って、主を称えて行列をします。


質問 05:灰の水曜日とは何ですか?

 四旬節の第1日目で、神への回心の望みを公に表明する日です。信徒は教会で頭かひたいに十字架の形に灰を付けてもらい、回心して福音を生きたいと願う気持ちを表明します。ちなみに、この灰は、前年の枝の主日に聖別されたシュロの葉を燃やしたものです。


質問 06:ひたいに灰を付けるのはなぜですか?

 灰は、「ちりにすぎず、ちりへ戻る」人間のはかなさ、小ささを思い出させます。罪の結果としての死から免れ得ない状態にある人間ゆえに、神の赦しと助けがどうしても必要であることを、灰は象徴しているのです。


質問 07:回心とは何ですか。また、どうすればよいのですか?

 回心とは心を神に向けること、神との和解です。自分の罪を心から悔い、神がお望みではないすべてのものから自分を遠ざけ、神のみ心にかなった行き方へと自分を変えることです。回心は、常に行ないを伴わなければなりません。例えば、1)信徒ならゆるしの秘跡(痛悔と告解)を受けに行き、簡潔明瞭に具体的かつ完全な告白をする、2)兄弟姉妹を赦し、分裂を超えて愛を育む、3)善行を行なう、などです。


質問 08:四旬節の間じゅう、断食や節制をするのですか?

 現在では、四旬節初日の灰の水曜日に大斎と小斎、金曜日ごとに小斎を行なうことになっています。大斎は、1日に1度だけ普通の食事を取り、その他に1度ごく軽いものを取ってよいとされます。小斎は、肉、または肉に限らず自分の好物を断ちます。復活祭前の聖金曜日も、大斎と小斎の両方が義務づけられています。


質問 09:それは、信徒全員の義務ですか?

 原則として、大斎は18歳以上60歳未満、小斎は14歳以上の信徒の義務ですが、病気や妊娠、疲労、衰弱、労働その他で影響が懸念される場合は、当然免除されます。大斎・小斎でいちばん大切なのは、犠牲を払い欲望を我慢することによって、節制や節度、謙虚さを強め、愛徳の行ないへと自分を向けることです。習慣だから、皆がやっているからという理由で仕方なく大斎や小斎を守るようでは、あまり意味がありません。


質問 10:四旬節中、信徒に奨励されていることは何ですか?

 教会は、みことばに耳を傾け、祈り、隣人と分かち合い、善行をすることを通して、四旬節をキリストへの道として生きるよう奨励しています。したがって、四旬節はゆるしの時、兄弟姉妹との和解の時です。四旬節に限ったことではなく、日々、生涯を通じて、私たちの心に他人への憎しみや恨み、妬み、嫉みがあるなら、それは神への愛に反することですから棄てなければなりません。また、四旬節はイエスの十字架の意味を知り、味わう時期です。復活の栄光に達する喜びを胸に、私たちもそれぞれ自分の十字架を担います。カトリックの伝統的な祈り「十字架の道行き」を行なうことも奨められます。当教会では、四旬節中の毎金曜日に「十字架の道行き」を行なっています。


質問 11:四旬節は昔からあったのですか?

 紀元4世紀から、復活祭に洗礼を受ける求道者の洗礼準備期間として、また、既に洗礼を受けた信徒の悔い改めと刷新の期間として、断食と節制を伴う40日間の習慣が全教会に見られました。四旬節の断食等の実践は東方教会ではそのまま厳格に受け継がれていますが、西方ではその精神性をより重視して次第に軽減されてきています。


質問 12:四旬節直前の謝肉祭(カーニバル)のことはよく耳にしますが…?

 四旬節の断食は、昔は今よりずっと厳格でした。長い間肉を断たなければならないため、人々は、四旬節に入る前に精一杯肉を食べました。それがどんちゃん騒ぎのお祭りに発展したのがカーニバルです。日本語で謝肉祭と言いますが、カーニバルの語源はラテン語の ”carnem(肉を) + levare(取り上げる)” → ”carnelevarium(肉を取り上げること)” から来ています。世俗の現象で、教会の行事ではありません。(一ヵ所訂正)

志村辰弥神父『キリスト教について - 神の示しによる人の道』、1

2016-07-24 05:00:25 | キリスト教入門
志村辰弥神父『キリスト教について - 神の示しによる人の道』

 キリスト教は、天地を創造された神を知り、その神に仕えるための人の道であります。そこで、神とはどんなお方か、人とはなんであるか、また人が神に仕えるには、どうずればよいかなどのことを知らねばなりません。

◆ 著者略歴

 志村辰弥1904年誕生、1933司祭叙階、1934年ローマ・ウルバノ神学大学卒業 主著「ルルドの出来事」「聖地巡礼2週間」「この事実を何と見る(神と霊界との探求)」「聖書による予言と奇跡」上記の姉妹編「命をたいせつに」「カトリック生活の手引」現在(投稿者注 この著書の発刊時)東京カテドラル大聖堂勤務 司祭のマリア運動会員 ブルー・ア一ミー(反共世界平和連動)

1、神

◆ 神はおいでになる

 近代の学者たちは、天地(または宇宙)はおよそ100億年から、50億年前に現われたと言っています。それを説明するのはむずかしいですが、宇宙がだんだん拡大してゆくことや、物質を形づくる元素がいつ生じたかなどを調べればわかります。時計があればそれを作った時計師がいることや、家を見たらそれを建てた大工があることがわかるように、結果があれば、それにふさわしい原因がかならずなければならぬことは、だれでも認める真理です。それで、宇宙にはじめがあることは、それができて来るように働いた原因、すなわち偉大な力がなければなりません。キリスト教では、それを神と呼ぶのです。

志村辰弥神父『キリスト教について - 神の示しによる人の道』、2

2016-07-24 05:00:01 | キリスト教入門
志村辰弥神父『キリスト教について - 神の示しによる人の道』

◆ 神はおいでになる(2)

 また、宇宙は驚くべき法則や秩序に従って、生成発展しています。わたしたちが住んでいる地球は、太陽系とよばれる星の群れに属していて、太陽を中心に、同じ平面上を、右廻りに、秩序正しく廻っています。仲間の星は水星、金星、地球などの順に九つ並んでいますが、その走る早さや廻る時間は、きちんと決っていて、異状がないかぎり、殆んど変わりがありません。たとえば、地球は毎秒三〇キロメートルの早さで、三六五・二六日かかって太陽を一週します。それらの星は、すべての空間にかかっていて、互いに引き合う引力で調和を保ちながら運行しています。人間が宇宙旅行をしたり、コンピューターなどどんな精密な機械を作っても、宇宙の星の運行のからくりのすばらしさと較べたら、問題になりません。そうした法則や秩序があることは、そのような法則や秩序によって宇宙を支配する知力を認めねはなりません。なぜなら、法則や秩序は知恵の働きの結果だからです。キリスト教では、そのみなもとの知恵の働きの源を神というのです。