再就職&これが私の修行の道!

再就職して時間だけ無駄に経過しています

実家

2022-07-09 19:47:01 | Weblog
この日休みの子どもと私は実家に。
家人は仕事である。

道の駅でコーヒーでもと思ったが、結局はコーヒーは店が開いていなくてプリンになったのである。

実家で母と妹と子どもとプリン食べて父の物の片づけが始まったのである。
入院中の荷物、自宅に残った衣類等他、トラウマになりそうだなと思ったのだが、あろうことか古い写真がいっぱい出てきたのである。
その中に親戚の叔父が長髪だったころの、結婚式の集合写真が出てきたのである。流行っていたのだろうけど、これ見て妹が死ぬほど笑っている。
そして、妹が姪の真似をして、今度は子どもと私が腹筋崩壊するほど笑ってしまう。「〇〇さん、その顔・・・あははははは(笑)その顔をするのはずるいだろう(笑)」

お父さんいなくなって悲しいけど、やっぱりメンツが悪かった。
笑いを取る人間しかいなければそんなもんか。母に頼まれたものを片付け、子どもはある骨董品を見つけそれを譲り受けることになった。
「これ、もらう!!」
ただし、そいつは面倒なネタ。
だが、維持に金がかかってもこれは連れて帰る!他がというなら、自分より似合えば喜んで譲ってやるわ!!

だが、それ聞いた家人ですら文句言わなかったけど、普通なら文句言って反対するんじゃないか????家人も子どももずれてるが、私は父が所有者選んだと思った。
その上病気する前に作っていたスーツが子どもにぴったりだったのである。それでスーツと一部のネクタイを連れて帰ることにした。
一つは私が修学旅行で買い求めたネクタイで1度着用していたのを見たことがあるが、30年経ってもヘタってもいなければ弱ってもいないそいつを見て、「あーお父さん、これ取っていたくれたんだ。それにしても洗濯表示見たらシルクじゃねえわ!!!”(;^ω^)当時の価格でもかなりふざけていたのに、シルクじゃないってことは大半キャラクター料金か???高いものしか着なかったのにごめんなさい。子どもー!!これ、私が高校の時におみやげに買ってきたやつ。あんたちょうどいいわ。これ使えば(笑)」
子どもが困っていたが、世の中わからないものである。

ついでに家人にも形見としてネクタイ連れて帰ってきた。
葬式の写真と、亡くなるわりにぎりぎりまでつけていた時計も私がもらい受けた。
高いものではないと母は言ったし、ブランドでもなかったのだが、これ以上を望む気もない。
通夜葬儀で貧乏くじ引かされたと思ったけど、これ以上はなかったなあと。

だが実家に居ればどなたかが弔問にいらっしゃる。
昼ご飯を幼馴染が開いている近くの店でいただいた後、今度は別の押し入れから整理をしたら、今度は保育園の卒園証書が出てきたのである。ただし私のではない。

その時いらしていたのは、当時の保育園の担任の先生たちである。
それで、「これ・・・先生に見せに行くか!!」

それで仏間に乱入して、「さっき掃除したらこれが出てきたのですか?」
先生はそれを開いて、「これは!!この卒園証書には担任だった私の名前まで記載されている。自分が所長をやっていた時に何度も卒園証書は渡してきたが、これは見たことがなかった!!お父さん大事にしていたんですね。いいものを見せてくださりありがとうございました!!」

世の中わからんことだらけである。父が死んでもう会うこともないだろうと思った人が会いに来られたり、どうにも見えない力が動いているとしかおもえないようなことがあったり。

掃除も済んだので、子どもと妹を連れて帰ることにした。JRが運休したら妹は帰れないからである。

そしたら、思いもかけないことが出てきたのである。だがそれは内緒。
それと、私が夜伽に出られなかった状況を知って謝ってくれたのである。
「本当なら子どもが母親がいないと寝ないというなら、あっちが一旦帰るべきで、あいつさっさと寝て線香番とかやらなかったのだけど!!以下略」

はあ。
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なんだかなあ

2022-07-08 16:35:58 | Weblog
本来なら、父の為に寺に出向く日だったのだが、歯医者でブリッジ入れなきゃならない私は母から「じゃああんたが遠慮して!とやられたので、朝から家人の指圧をして、歯医者に行き、買い出しをして帰宅をした。

子どもが非番だったので、昼どうするか?と聞いたらコメダ珈琲に行きたいという。一番近くなら5キロ先くらい。
子どもの誕生日もやっていなかったので、子どもと二人で出向く。

私はグラタンとコーヒーを、子どもは頼みたいものを頼みたいだけ注文していて、今後の話になった。
「おかんはどうするつもりなのか?」と。
「嫁に出た以上、実家に口を出すつもりはない。しかし仕切るというものがいるのであれば、そいつらは最大限周りに配慮してくれる人間でないとだめだろうとは思う。それに母がやったことは悪気がなかったとはいえ、結果的にうちは軽く見ても良いと親戚の前で晒したことになる」と。
そして、テーブルに頼んだものが並べられて「じいさんに食べさせてあげたかったな・・・」と。
最後1か月は絶飲食だったのである。

そんな中昨日の鍼灸院ネタからどうだったか?とメールが着たのだが、どうもこうも・・・
効果あまりないとも言えないし。黙ってスルー&疎遠しかないだろうに。

コメダ珈琲に慰められて帰宅のち、今度はエステの勉強となったのであるが・・・簡易ベッドも買い、色々やったものの、言うほどでもなかったのであった。そもそも子どもはモデルを渋々やってくれるが、足とデコルテはアウトのようで・・・
ライセンスも、父がいなくなった以上、半分習う意味がなくなったのである。

やる気もすっかり削げたのである。

一方で、お寺にお参りに行き、お寺でお斎をもらった人が無神経にもLINEに上げていたのである。結果遠慮せざるを得なかったこちらに配慮もないのである。その上次の日には実家に片付けに来いときた。

怒り?ピークに決まっているだろ!
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葬儀

2022-07-06 19:14:10 | Weblog
この日朝にシャワーを浴び、自宅からホールに。

この先は割にえぐいので、グロいのとかが嫌いな方は読まないでください。

到着して、居た奴らにいきなり殴りかかりそうになったのを何とか堪え「おはよーございます♡」
(こいつら一人でも遠慮していれば夜伽は出来たはずだよなあ?それにしても病院担当に名乗りも上げていないのに担当させられ大変だった私はこういう貧乏くじが当たり前なのだなあ(笑))

「あ、もしかして〇〇ちゃん(私の名前)?」
親戚の第一声であった。ホテル泊まろうとか思わなかったかな?!ってホント喉まで出かかった。

その上ホール入り口で親族の挨拶に立てという。
他の奴何もしてないかおいしいところしかやってないんだけど?!と思いつつとりあえず一人で立って挨拶していたら、姪がやってきて「どうしておじいちゃんは死んで年が2つ増えてるの?」と。
「後ろに親戚のお兄さんがいるから、そっちに聞いてごらん。詳しいはずだから」
姪は一生懸命聞いていたので、「姪ちゃんはこれ、ちゃんと覚えておくようにね。無理でも頭の片隅に置いておくとよいよ。この先必要になってくることだから」
「なんで??」と姪は言っていたけど、長く生きるほど必要になってくるのです。こういう知識。

一方で幼馴染のお父さんで父の友達が私のところにやってきて「おい!!お父さんいなくなって寂しくなったな!!」「はい(TT)」
そこでおじさんと握手。結婚するまでは良く近所で捕まっていろんな話を聞いたし、そもそも就職活動の際に手を貸そうとしてくださったこの方に向かって「おじさんもしかして窓際族~?」と大層失礼なことを言い放った私であるが、おじさんはその50倍くらいは・・・
その次が父と先ほどのおじさんと仲良くしていたもう一人の家のお母さんが来られて(そこのおじさんも入院中)「〇〇ちゃん?お父さんいなくなって寂しいねえ(TT)」って抱き寄せてくださったのであった。
だが聞けば、現行一人暮らしになったそのお母さんと母はよく茶をしているようで。ありがたいことである。母が一人ではないと言うのが。
通夜も葬儀も焼香は終わりに近い方であるが、子どもと私だけ示し合わせたように二人で焼香を済ませた。

葬儀もだし、出棺もだし、実子というのに美味しいところがまるでない私であったが、車は各自で運転していくことになり、家人と私はアオに乗り、子どもは代わりに運転してやろうと母の車を運転することになり、霊柩車の後ろに行けば、さっそくしゃしゃり出て霊柩車すぐの後列に車が・・・
出棺前もそうだけど、親せきって言ってもまあありゃ血が濃い順に動くネタであって、間違ってもいとこのお前じゃねえ!って話なのよ。何考えているんだろ。

だが、こっちも車のアオは目立つ。早速知らない皆さんが引いていたが、私の現状は子どもは社会人になり、生活も余裕が出て家人も子どももまあ健康である。そういうことだ。一番驚いていたのが、近所の方。仕事ネタで言えば家人より格上だもんなあ(笑)格下のあたしらが乗っている車があれっておかしくねえ?って思われてもおかしくはないだろう。

ちなみに火葬場でも義兄がやってくださったが、まあいい。父の「またやった!!」という声が聞こえたような気もするが。
どうにも家人より上座に行かないと気が済まない様で、以前も家人と子どもが父に自宅法要の際に「どこに座ったらよいですか?」と聞いて、「亭主と子どもはここ」と言ったとたん、義兄がそこに黙ってやってきて座ったんですと。
父はメンツ潰され、婿殿には悪いことをしたとずっと気にしていて、食道がんの手術の前の日に「あの時、家人と子どもに悪いことをしてしまった。代わりに謝っておいてくれ」と言ったネタとかぶってしまった。
だが、そのあとに気が付いた。何かどんでん返しがあるなあと。それは後日の話になる。

その上収骨でもそう、子どもに「じいさんの膝のボルト付きの骨、アンタが拾ってやりなさい」と言った端から、父のいとこが聞いてか聞いてなかったかわからないが、いきなり拾って骨壺に入れやがった!!
(お前なあ、どこまでしゃしゃれば気が済むんだ。順番から言えばあたしらの方が先だし、この非礼は一体?この場じゃなきゃ私がキレているよなあ(#^ω^))
子どもと私が顔を見合わせた。

父は骨になってしまい、現状はさっさと誰かが一番に実家に戻らないといけない。従って家人と私が急いで実家に帰宅することになった。

その後初七日。
お経がすんだ後、あの辺の風習で数日後に寺に行かないといけないのだが、そこで予定を立てるのがその他大勢がいる前で。
そしたらお寺さんの指定してきた日が私は午前が空いてない、他は午後が空いてないときて母がその場で「あんたが我慢して」とのたもうたそのあとは、顔にも態度にも出さないが切れた。
(はいはい、どこまでないがしろにしたら気が済むのかね。いくら悪気がないにしても、母がやったことは結果的に私は軽く扱ってよいと言うことだなあ)と。

それでも帳場の金の整理はして帰宅したが、やっぱり怒りは収まらなかったのである。
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通夜

2022-07-05 21:26:07 | Weblog
亡くなった日は学校で、訃報を聞く前に亡くなったのがわかった私だが、家人以外勤務先が黒いので(笑)、まず私がやったのは会社に休み申請をすること、一方で以前上司が、父が死にかけた際に私に事情を聞かず、私に休みをくれてやってシフト変更を先にした方が良いとかどうとか、私を烈火のごとく怒らせ騒いでくださった経緯があり、頭に来ていた私は「休みは1週間欲しいが、結果出勤日は3日だから、有給3日くれ!」と責任者に申請したのである。

一方で、葬式に出るのなら支度はしなければならない、ご飯も自分は食べたくなくても作らないといけない、金はやばいと聞いておろしていたので問題はなかったのであるが。
朝、家人と子どもと私とで実家に向かう。通夜葬儀は実家でやらないが、母が仏間にある骨董品を片付けてくれと。その骨董品は売ってくれという母と手続きしようとした私を止めた人間が片付ける話になっていたのに、私たちが片付けない約束だったのに、結局は家人と子どもとで移動させることになった。ただし、時間がかかると言っていたのに、家人と子どもは3分もかけずに重たいものを移動して終了。

それから各自買い物をしてホールに。
家人と私が一番早くに到着したのであるが、そこには母の一番上の姉夫婦と母の実家の義理姉とその息子が。

私は義理姉(伯母)が大好きで会いに行きたかったが、あちらのご家庭事情を鑑みたら出入りはしない方がと言われてずっと行かずにいたが、伯母さんは私に色々教えてくださったりして、会えないのは嫌で仕方なかったのであるが、やっとここで会えたのである。私も携帯持ち出して伯母と記念撮影して伯母たちは「また夜に来るから」と帰って行かれた。

一方で、ここでやっと父と対面したのだけど、6月30日の検査付き添いが最後になった私である、後悔するようなネタは作ってはこないようにしていたが、強引に病院内で引きはがされたことだけは後悔していた。
一方で母と他の人間で食事を簡単に済ませ、子どもと私は実家に忘れ物を取りに行くことになった。

その後も買い出しとか、お茶出しとか。
ご挨拶もであるが、問題のご挨拶は前のケアマネさんがわざわざ来てくださったことである。実家の玄関に貼りだされたものを見て慌ててきてくださったそうである。それでなくなる前に父が何をされたか知って母にお詫びばかりされていたのであるが、悪いのはその人でもなくなった病院の営業担当者でもない。悪いのは死が近い人間に「もう長く無いですから」と言い放った方である。結局その病院は当事者にどういう始末をつけたんだか。

結局席順も割に末席になった。

通夜終了後、本来なら娘の私に夜伽の権限くらいあっても良かったと思うのですけど、布団の数が足りないそうで、私たち一家は一旦自宅にすっこむことになった。って言うか配慮ないんか?って思ったけど。

泊まったのは喪主である母、妹、姉と姪、親せきだそうで。
遠慮ないんか!!どいつもこいつも。

そこに向けて昼写メした伯母に挨拶したのだが、気が付いたら伯母に抱き着いていた私である。
そこで伯母が「長い事会えなかったが今度はいつ会えるかねえ?」「このコロナ禍では・・・伯母さん!!」気が付いたが最後、伯母さんと抱き合って泣いていたのである。
こっちにしたら母に止められて伯母にも何年も会うことが出来ない、やっと会えたら父の通夜、その上夜伽の権利はく奪かよと思ったら、気が付いたらそれで、周りがびっくりしていたようだが、伯母さんには中学の時に長い事泊めていただいて感謝しかないのである。
雑な私の扱いも大変だったと思う。

他の者もお気に入りの伯母さんとかいると思うけど、私は母の実家にいる伯母が好きである。
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早いんですけど

2022-07-04 20:38:00 | Weblog
父が逝きました。

私は朝学校に行く前に母と連絡をして、少し愚痴を聞いて「私は学校だから気を付けて病院には行くように」と。
ついでに母は前日、病院の窓口となった方に連絡をしたそうである。
また聞きみたいな状態なので、正しくない部分があるかもしれません。

心無いナースの一言で、見舞った娘と孫が泣いて帰ってきた。あの子たちは自分の親が長くないって言うのは知っていても、死が近い当事者に聞かせる言葉ではないと言っている、私もそう思うがどう思われますか?みたいなことを問うたらしい。

ちなみにです、父が入っていた病院は県下でも入院費が決して安くないところである。収入等で支払いが変わってくるが一番高い金額での入院だったというのに、前の親身になって下さったケアマネージャーさんがあそこなら大丈夫!と紹介してくれた病院なのに、前のケアマネージャーさんの言葉が嘘になったこと。

それを聞いた担当の方は激怒なさったそうです。
自分が必ずそのナースについては決着をつけると。
自分を信頼してくれて預けてくださったのに、院内の教育がなっていなかったこと、今後の課題とすること、当事者には何らかの処分が下りること、前のケアマネさんにも申し訳ないことをしたし、患者さんとその家族にも申し訳ないことをしましたと。

私もその方は存じ上げている。見た限り一流の営業担当である。
その話の後に、危篤状態になり、私が授業受けている時に逝きました。
連絡はその前に来ていたけど、間に合わないとわかっていたこと、職場で休みが確実にもらえないと動けない事もあって、私は動かないことにした。
それに30日に父は無意識だっただろうが、私にお別れを告げている。

私は人様の顔の施術をしていて、その時間にふと「あ・・お父さん逝ったわ」とわかったのである。
だが、亡くなる前に親指の力がなくなると聞いていたので、その辺のチェックは怠っていなかったが、流石現役の時に筋骨隆々の人は子ども全員だましとおしたのである、その上目が澄んでいたけど、他の死相は最後に会った時はまだ出ていなかったので、余命宣告されたところで、もう少し生きるんじゃないかと思っていた。

とりあえずバスで自宅に戻り、もろもろの支度をして、休み申請出した後、はっきりとした話がきて、以後はダダダダーと事が進んでいったのであった。

母が看取ったのなら、父は幸せだったのではと思う。
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泣いて帰ってきたそうだ

2022-07-03 18:12:57 | Weblog
父の余命宣告は母に伝え、他の兄弟に伝え、「早く会っておきたい奴は病院に行け!」とやったあと、思いもかけない人間からメールがきていたのである。

年明けて私が本気で切れた相手からであった。
私の流儀としては、来るもの拒まず去るもの追わずで、正直付き合いが切れるならもうそれまで!ただし、されたネタについてはいずれ潰す予定でありました。言いたい放題言われたからね。こっちはすべての退路は断たないと決めているから抑えに抑えた。
ただし無視だけはしないと、今は動けないとお詫びメールだけ。
だがあたしは知っている、お客様激減したんじゃないのかなあと。

ちなみにあの後、父が亡くなる一日前に他の兄弟と姪がお見舞いに行ったそうである。
そしたら病室にいた時に点滴をまともに交換してくれなかったと、それでお願いしたら2回目に来たナースに「(この人は)あまり長くないですからね」と言われたのだそうで、3人とも泣いて帰ってきたという。

一方で、割に高級車と割に迫力のある生き物を引き連れて伺っていた私にはそういうのは一切なかったのです。(本当です)実際先日父に付き添った際に降りてきたナースの方は私の車チェックや他個人情報を確認くださったのであるが、私は他の者と違い迫力あるんだろうね、きっと。迫力のある生き物共々。
おばあさんには優しいが、切れたらなあ・・・・

母も一部のナースの方にぞんざいな扱いをされていたという。

おめでたいのは私だけかよ・・・

母は次の日病院に行くという。私は学校である。
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