こんにちは
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先日頂いたコメントに長らく返信できなくて、ごめんなさい。
皆様から、とても励まされました。
ありがとうございます。
産後の戻りも良く、娘の分も、元気にしています。
今回は…料理ブログ記事ではありません(ご了承ください…。。)
娘がこの世に存在した証として残したく、書き留めました。
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2008年9月15日、昨夕からの陣痛がようやく等間隔になり、朝方病院へ。
朝8時5分、逆子のまま何とか自然分娩で出産!女の子、とても嬉しい。涙。
隣の部屋で聞こえる産声に耳を澄ます。聞こえなくなる。別室に行ったかな?
一方、私の体内から胎盤が出てこない。子宮内でボロボロになっているとのこと。
子宮から外に抉り出し、その後大量出血、後陣痛や複数回の点滴のため動けず、
結局次女と対面できないまま、薄っすらとした意識のなか、
このあと午前中ずっと分娩室に居ることとなる。
産声が聞こえなくなったころから外部が騒がしく感じる。
院長が血相を変えている。
「この子は色が白い。」
重症の貧血と伺う。娘が大病院に搬送されるらしい。
何が何だかよく分からない。
「いまの医療は進んでる、大丈夫よ。」
助産婦の言葉に何故か納得し、早く抱きたい気持ちが一層募る。
すぐに私の元へ。そう思い、分娩台の上で明るい今後を思い描いていた。
「貧血」日常よく聞く言葉。
大丈夫。
何で院長はあんなに慌てていたんだろう。
夕方、大病院からの一報。私に面会に来ないか、と。
「え?」会える気持ち、容態の不安を胸に、産後の身体を庇いつつ、大病院へ。
NICU
人工呼吸器
耐えうるギリギリの薬剤投与
大量の輸血
強心剤
それでも、やっと会えた。顔を見れた。かわいい、とてもかわいい女の子。
特別許可で、私はそのまま大病院へ転院。NICU内でこの子を見守る。
小康状態が続く。もし心拍数が90を切ると、それ以上心拍はあがらないと言われた。
夜中、心拍数が70台になった。それでも、それ以下にならない。
1時間、2時間・・・まだ、ずっと70台。
「この子のがんばりだけが、命を繋げている。」
先生からの言葉に、枯れた涙がまた頬を伝う。
少し休憩室に席を離れると、複雑な思いが頭をよぎる。
「がんばれ!おかあさん、おとうさんが近くについているよ。」
「もう、苦しいでしょう、がんばらなくても良いんだよ。」
分からない、混乱していた。
朝方、NICUに戻る。
娘の顔をじっと見る。
今までの中途半端な思いが消えた。
「ありがとう」としか、言葉が出てこない。
生まれたばかりの知らない世界の中で、一生懸命に生きている姿。
私が逆に励まされている。
ありがとう。ありがとうね。
うっすらと、娘の片目が開いた。目が合った。
すぐに機械に目を向けると、心拍数102。
主人に「102!」と伝えた横目に映ったのは、92,60,そして、0。
9月16日、6時50分。
病名は「母児間輸血症候群」
胎児の血液が何らかの原因で母体に戻ってしまう。
通常のヘモグロビンは14-17。
13の数値はかなり低いとされる。
そして、NICUの先生から聞いた娘の数値は、2 だった。
退院許可を得て、産後翌日、自宅へ戻る。
機器の取れた身体、にっこりと笑っている安らかな顔。
不思議と涙が出ない。ただただ、とてもかわいい。
翌日は身体を楽にさせてあげた。お骨を拾う。とても愛おしい。
一日を一生分生き抜いた娘。
生きようとする凄さを娘から教わった。
私と主人と長女の絆を一層強めてくれた。
生きているありがたさを知った。
娘は一生懸命に生きて、NICUの先生方は、最後まで最善を尽くしてくれた。
悔やむことは何もない。
何気ない日々の幸せに感謝し、私達の、娘の幸せへと繋げていきたい。
永いねんねに就いた娘。これからも近くで見守っていてね。
おかあさんの娘になってくれて、ありがとう。
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これが、全記録です。
また、日常の普通の生活を日記に書いていこうと思います。
ちょくちょく更新していきますので、また応援よろしくお願いします!