細菌戦から核戦略へ!!

2024-04-17 07:57:48 | Weblog
●日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】 
 
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 
 
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。 
 
 RENUNCIATION OF WAR Article 9.
 Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, 
the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes. 
In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. 
The right of belligerency of the state will not be recognized.
 
IMAGINE9 
解説 
 
9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。 
 
07
戦争にそなえるより戦争をふせぐ世界
 
紛争予防のためには、日頃から対話をして信頼を築き、問題がもち上がってきたときにはすぐに話し合いで対処することが必要です。こうした分野では、政府よりも民間レベルが果たせる役割の方が大きいといえます。どこの国でも、政府は、問題が大きくなってからようやく重い腰を上げるものです。ましてや軍隊は、問題が手に負えなくなってから出動するものです。市民レベルの交流や対話が、 紛争予防の基本です。市民団体が、政府や国連と協力して活動する仕組みをつくり上げることも必要です。
 
 
 
※次期戦闘機の輸出が閣議決定され、色々な武器を自民党は輸出しようとしているし、武器の輸入も拡大している!!

 

 


鹿屋(かのや)航空基地  史料館』(鹿児島県鹿屋市)について 

 ~ご理解していただきたいことを文章にしました~ 
 2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)
 
 
鹿児島県鹿屋市には戦中、海軍鹿屋航空基地がおかれていて、戦後は、海上自衛隊鹿屋基地になりました。その敷地内には、「鹿屋航空基地史料館」があります。主に特攻隊で出撃して戦死した人たち(908名)の遺影や、遺書、遺品などが展示されています。私の地元でもありますので、30年以上前の頃2回ほど、史料館の見学に行ったことがありますが、それ以後は一度も行っていません。
 
 
 
 

PTSDの日本兵と家族の思いと願い・大阪証言集会

 
 

黒井さんのメールより 

授業の生徒感想文の一部を紹介いたします。 
2024年2月16日、50分の授業を受け持ちました。 
★感想文 
4、黒井さんが常にみんなに強く訴えかけるようにして話していたから心にめっちゃ響いた。現代でも戦争(元兵士)によって苦しんでいる人、PTSDだった人はこんなにいるんだと思った。「みなさんのおじいちゃんおばあちゃん、ひいおじいちゃんひいおばあちゃんが戦争を経験し生き残ったからあなた方がいるんですよ」。あたりまえのことだと思ったけど、改めて聞くと全然あたりまえじゃないと思った。
 
 
 
 

黒井秋夫さんのメールより 

「戦争のない世界」 
戦争が世界を席巻しています。
戦争を仕掛ける集団(国家)と対抗する集団がこの瞬間も殺し合いを続けています。
戦争は集団同士の殺し合いです。
私は戦争することを決めた集団の意思と集団に属する個人の意思の尊重を考えます。
そもそも戦争することはどういう過程を経て決まったのでしょうか。国会で、大統領権限で、集団の長の意思で、あるいは集団の総意でしょうか。集団の多数意見でしょうか。
戦争をしている兵士は全て志願兵でしょうか。殺し合いの場である戦場に派遣されることに強制されたりしていないのでしょうか。全て自由意志でしょうか。
 
 
 
 
 祝 PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会
(元・PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会) 
立ち上げ6周年 
 
 ★2018年1月17日の立ち上げ宣言・全文 
 
父は戦争の事だけでなく他の事にも無口でした。
1948年生まれの私はそういう父を生来の父の姿と思ってきました。
しかしベトナム戦争で米兵の3割前後が悲惨な戦争体験で精神を崩し、元の社会に復帰できないという。
同じような日中戦争や太平洋戦争を体験した日本兵も、つまりは私の父たちも精神を侵されたとして不思議ではない。
本当は父は正常な精神に戻りたいと必死に戦後社会を生きていたのではないだろうか。
私は快活だったかも知れない出征前の父は知らない。復員した後の無口な父しか知らない。
私は「本当の父」を知らないままに父を亡くしたのではないだろうか。
2~3年前からそんな思いで父を振り返るようになりました。
だとしたら、父も私も不幸だった。本当の自分を見せることも心の内を語ることもできずに苦しんだかもしれない父。
そんな風には生前一度も思ったことの無い息子。
その無口の父に反発し続けた私。父を通じて私も又戦争の傷を心に負ったのかもしれない。
私たちの世代にも呼びかけたい。
父親たちを見直そう。父親たちの精神世界を想像してみよう。
語り合おうではないか。
若い人たち、我々の子供たち、孫たちにも戦争は兵士のみならずその家族をも。戦争が終わったその後も家族を通じて長い間影響を与え続けるのだと伝えたい。
この指にとまってほしい! 
 
2018年1月17日  黒井秋夫。

 


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