国家犯罪!731から辺野古まで!!

2016-03-12 08:45:23 | Weblog

※Internet Explorer よりグーグルクローム(Google Chrome)で見るとスムーズに画面が動きます。

●731部隊(1)
●731部隊(2)
●731部隊(3)
●731部隊(4)
●陸軍軍医学校50周年記念行事について
●南京大虐殺
●昭和天皇
●教科書問題
●陸軍登戸研究所
●日航123便の怪
●日本とドイツの違い
●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!!
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展

●731問題
731部隊の設置許可、人体実験、毒ガス戦・細菌戦実施の許可した昭和天皇とそれに協力せざるを得なかった日本医学界の責任、戦後、その人体実験、毒ガス戦・細菌戦を全く裁判にかけなかったマッカーサーとアメリカ政府の責任、1990年代から2000年代にかけて行われた裁判において、事実を認めながら、それを放置している司法の責任、全く無視している政治の責任、731に対する国民の認識は?
戦後70周年、中国の人々から日本の我々に届いた重いメッセージ!
虐殺された人々(日本人を含む)の声なき声にどう応えるか?
日本人はこの731問題にどう向き合うか?重い課題!!
日本には本当に三権分立があるのかが問われている!!

731(1)


・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である???
黒い太陽№15


※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。

朝枝繁春の証言


●横浜「戦争と加害」のパネル展


細菌戦(「戦争と加害」のパネル展in横浜)

毒ガス(「戦争と加害」のパネル展in横浜


参観者の感想
・素晴らしい企画です。今後も頑張って継続してやって下さい。敬意を表します。60代男性

「戦争の加害」テーマに 13日まで横浜でパネル展



●戦争が起きたら、必ず原発が狙われ、地球は汚染される!!脱原発!!
原発事故5年 福島の漁業 本格再開に課題

原発震災…やっぱり あの場所には 戻らない。(。-_-。)

菅元首相「5000万人避難も紙一重だったのになぜ再稼働?」3.11原発事故から5年、6000人が抗議

東電、終わらぬ償い 「生かされている」 宿命 

高浜原発3・4号機の運転差し止め仮処分について。- 2016.03.09


社説[大震災5年 原発事故]教訓生かされていない

韓国の慰安婦映画、米国・カナダ・英国でも公開=韓国ネット「世界が韓国のつらい歴史を知るきっかけに」「日本人に一番観てほしいのに…」

震災5年 県外に移ったまま戻らない子ども 約1万人

豪に海自潜水艦が4月初寄港

震災5年、防潮堤の予算っていくら? 総延長400キロの巨大事業

除染で出た土 福島以外の7県 処分先決まらず

首長の66%が原発低減求める 全自治体調査、防災見直しも

「原発関連死」1368人について。- 2016.03.06


放射性物質「不安」68% 廃炉作業も「不安」85% 福島県民世論調査

戦争の足音が聞こえる!!
米専門家 日本でプルトニウム増え続ける現状に懸念

東電から東京ガスへ電気契約客が雪崩的大移動…ガスとセットで割安、客の東電離れ加速

「ABC企画NEWS第100号」より
―写真で学ぶ『高知と戦争』展―
関心を集めた「731部隊と高知」
平和資料館・草の家 副館長:岡村啓佐
・731部隊は「フクシマ」につながっていた

731部隊幹部の戦後は、戦犯免責の理由に人体実験の資料を米国に引き渡すこと、広島・長崎への原爆投下直後の米政府が創設したABCCに元軍医達の参加でした。このABCCの日本側代表が重松逸造(海軍軍医)で、福見秀雄(731部隊軍医・長崎大学学長)と深い関係のある人物です。
米国の指示で設立した国立予防衛生研究所(予研)も初代所長に731部隊関係者が就きABCCの調査に参加し「原爆被害は軍事機密」の下で内部被爆を隠蔽します。
1975年、ABCCとその予研が再編し放射能影響研究所(RERF)を設立。第3代理事長に重松逸造が就き、1990年にIAEAは、重松逸造を委員長に、長瀧重信らをチェルノブイリに調査団として派遣。子どもたちの健康被害を無視し、「甲状腺結節は子どもにはほとんどみられなかった」と発表し原発事故を過小評価する役割を担います。
そして今、長瀧重信(重松の弟子)が、福島原発事故直後から「放出放射能は微量」「健康に直ちに影響は無い」と発言。山下俊一(長瀧の弟子)は「このくらいの放射能なら安全」「福島事故で健康被害を受けたものは1人もいない」と発言。福島県立医大で学生を前に「研究のチャンス」だと講演。こうして「悪魔」のDNAは、米国の庇護の下で亡霊のように生き続け「フクシマ」につながっていたのです。
福島は5年目を迎えます。新たな「安全神話」で再稼動のへの前のめり、事故を「忘却の彼方」に追いやろうとする巨大な力に抗うべく『フクシマの今』を加えました。
憲法が危機を迎えています。憲法が求める立憲主義と民主主義、平和と人権を守る国づくりとは何か、私たち主権者ひとりひとりが、歴史をいかに学び、未来を紡いでいくかが問われる重要な年を迎えているいえます。

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着くより
=== 重松逸造 ====

重松逸造は御用医学者を語る上で極めて重要な人物、キー・パーソンである。

彼は終戦当時、ラバウルで海軍軍医をしており、731部隊で研究していたわけではないようだ。
しかし彼の恩師や同僚は731関係者が非常に多い。とくに長崎大教授たちとは深い交流があった。
福見秀雄とは共著で論文を書いているし、林一郎とも知己であった。
斎藤幸一郎とは金沢大で働いている。
その金沢大(旧金沢医大)も、戸田正三、石川太刀雄丸、二木秀雄などが在籍し、長崎大と並ぶ
731出身者の巣窟であった。

重松は彼らから731部隊の悪魔的な思想・精神をしっかりと受け継いだと考えてよい。


三権分立などしていない日本の現状!!
大飯高浜原発の差し止め却下


福島原発事故 東電がメルトダウン判断遅れを謝罪

制服組自衛官が権限大幅移譲要求 防衛省、背広組は拒否

国産初のステルス戦闘機開発に向け、試作機の滑走試験

武器輸出にも投融資 国際協力銀、豪潜水艦など検討か

・日本医学界は、なぜ731のことに謝罪しない?なぜ脱原発の声明を出さないのだ!!
・国策:原発推進反対!!

小出裕章先生:多くの国民にこんなことが起きてるということに気づいてほしい


小出裕章先生:多くの国民にこんなことが起きてるということに気づいてほしい

小出裕章先生:一刻も早く原子力の夢からさめて…



首相の改憲発言 与党内でも受け止めに温度差

彼らは本気だ。安倍晋三首相は、夏の参院選で改憲勢力による「3分の2」の議席を目指すという。どうしたらいい?
彼らと真逆の憲法は作れないか?
・憲法9条を守る!!・外交を強化する・自衛隊は災害救助隊に
・象徴天皇制を廃止して、大統領制にする
・脱原発 ・靖国神社を廃止して、戦争懺悔慰霊碑の建立
・日米安保条約見直し・国連改革


・憲法9条(侵略戦争の反省から憲法9条が生まれた!)
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


09
想像してごらん、
9条がゆきわたった世界を。

想像,
的世界充满了第九条。

Представить,
Мир заполнен со статьей 9.




IMAGINE9 (『イマジン9 想像してごらん、戦争のない世界を。』(文:星川淳・川崎哲、絵:成瀬政博 2007年12月1日発行、合同出版)
解説
世界は、9条をえらび始めた。
憲法9条はまるで、神が私たち人類に送ってくれた宝物のようです。
―中国、40代・男性

9条は、明らかに戦後の東北アジア地域のパワーバランスを保ってきた一要因です。
―モンゴル、60代・男性

9条は、日本が多くの残虐行為をおこし、侵略戦争を行った反省から制定されたものです。その9条をなくすことに賛成はできません。
―韓国、60代・女性

9条の平和主義は、私たちの世代だけでなく、次の、その次の世代の平和にも重要です。
―中国、40代・男性

すべての国が憲法9条を持つようになり、平和が最後の手段としてではなく、唯一の手段となる日が来ることを願っています。
―イギリス、20代・男性

平和が武器によってつくられるものではないということに世界中の国が気づき、すべての国が憲法9条をもつようになることを願っています。
―オーストラリア、20代・女性

このグローバル9条キャンペーンに非常に感動しました。憲法9条を維持しようというこの草の根運動には、日本がアジアの国々との関係に誠意をもって向かっている姿勢がうかがえます。このキャンペーンに多くの日本人が賛同し、成功することを望みます。がんばってください!
―韓国、30代・男性

憲法9条に賛同します。このような憲法があることで、私たちは、戦争のもついかなる攻撃性に対して共に、立ち上がるような地域社会の結びつきを強くしていくことができると思います。私たち一人ひとりの協力こそが、最高の平和の武器だと思います。
―ベルギー、50代・男性

日本のような歴史を持つ国が、憲法9条を広めようという行動をとることは、世界のほかの国々にとっての模範です。ほかの国々もそれに続くことを祈って、私たちに必要なことは平和への挑戦です。
―コスタリカ、20代・女性

日本国憲法第9条の改定に反対です。
―ロシア、20代・男性

ある国が戦争放棄を掲げるということは、世界のほかの国々への力強いメッセージになると思います。
―イギリス、30代・男性 

第2次世界大戦の悪夢を経験したひとりとして、私は力ではなく正義と社会秩序による国際紛争の解決手段があること、そしてそれに基づいた国際平和と理解が達成できることを信じています。紛争解決は、交戦ではなく平和的な方法でなされるベきだと思います。
―フィリピン、60代・男性

僕の国はベ トナムで戦争をして、何百万人ものベトナム人と何万人もの自国の兵士を犠牲にし、何も得ませんでした。それなのに、今も戦争をしています。アメリカは、根本的に反省しなかったんです。こういう国にしたがって日本が憲法を変えようとするのは、非常に残念です。
―アメリカ、50代・男性

武器でいっぱいの世の中に暮らすことは、自分の墓を掘っているようなものだと思います。現実には、世界の指導者たちが行っていること、とくに軍事力を増強していくことは、私たちにとってまったく無益なことだと思います。お金をこうして無駄にするのではなく、教育の拡大と貧困の撲滅のために利用したほうがよっぽど有効だと思います。
―フィリピン、60代・男性

私は第2次世界大戦の経験者として、日本国憲法第9条をいかなる手段でもっても排除すべきではないと思います。戦争は、人の命を奪い、人びとを苦しめました。武器はこの世に必要ではありません。世界に脅威を与えるべきではありません。過去の過ちを繰り返さないで下さい。
―ロシア、60代・男性

平和を探る ことが人類の進化だと思います。
私たちが本気になって平和を模索しなければ、いろいろな問題は改善されるどころか、悪化してしまいます。
―アメリカ、40代・女性

日本が軍隊を持たないという約束を破ろうとしているのではないかと、私たちはとても心配しています。日本政府が憲法9条を守り、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という決断を決して変えることがないことを願っています。
―ベルギー、40代・男性

日本の皆さんが9条を世界に広げようとしている大義を、私たち、ケーララ州コーチンの市民は、心から支持し、その取り組みに全面的に協力と支援をいたします。
―インド、50代・女性

私の地域では、絶え間ない暴力が解決のめどもつかないまま50年間続いています。戦争は、プレイステーションのゲームではなく、マンガでもありません。あなたの愛する人の現実の死なのです。日本が戦争を放棄したことの意味を、もう一度見つめてください。
―レバノン、20代・女性

武器や核兵器による絶え間ない脅威は、世界の病というべきものです。私の国、コスタリカは武器を持たない国であり、世界のほかの国々も同じようにあるべきだと思います。現在の日本の憲法9条は非常にすばらしいものであり、いかなる権力によってもこれは変えられるべきではないと思います。日本は永遠に平和な国として存在するべきです。
―コスタリカ、60代・男性
「グローバル9条キャンペーンに寄せられた世界からの声」

防衛相 豪外相に潜水艦開発でアピール
ぐんじ と ひんこん アベちゃんのもくろみ…(´ε`;)
武器輸出三原則
今の現状防衛装備移転三原則

●ご案内


残留孤児:中島幼八さんのお話




731日本軍細菌戦部隊などの戦争遺跡を巡る旅【5月3日(火)~5月7日(土)】

お問い合わせ・申込先 国際ツーリストビューロー                              
TEL 078-351―2110
FAX 078―351-2140
メール ktb@silver.ocn.ne.jp

・締切  3月17日(木)

●ニュース
国連が慰安婦を「性奴隷制」と指摘 日本反論

沖縄県、14日に係争委申し出 辺野古是正指示で

東京大空襲71年 墨田区で平和の壁画披露

果たしてどのくらい究明できるのでしょう??
巨人老川新オーナー「一刻も早く事実関係の究明を」

サンデー毎日報道で稲田氏が敗訴 判決で在特会との関係指摘 大阪地裁


乙武さんの自民から出馬報道について。- 2016.03.10



「保育園落ちた」待機児童問題について。- 2016.03.08


北欧発の“超小型”バイオマス設備が日本上陸、「新市場を作りたい」

辺見庸が語る「時代の正体」



【お知らせ】と「第163回小出裕章ジャーナル」

マニラ市街戦、東京大空襲 


フィリピンの元慰安婦、天皇陛下に公式な謝罪を要求へ


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国家犯罪!731から辺野古まで!!

2016-03-12 08:44:40 | Weblog

●昭和天皇と731部隊
昭和天皇と731部隊のことを考えています。
1928(昭和3)年、治安維持法改正・・・国体変革を目的とした結社の組織者、指導者に対して最高刑に死刑が導入され、天皇制軍国主義が強化される。
治安維持法の犠牲者小林多喜二
【 あの人の人生を知ろう~小林 多喜二 】

1928年11月10日、即位の礼(御大典)が盛大に行われた。正式に現人神になった。
昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼


1928年~1930(昭和5)年、石井四郎海外視察に出かける。
※自費で行ったとは、考えられない。昭和天皇即位の礼とは関係していなかったのか?
1928年、ジュネーブ議定書の批准見送り、1929(昭和4)年、ジュネーブ捕虜条約の批准を保留した。 
「日本軍が将来犯すことになる戦時虐殺の土台もこの時期に築かれた。1928年、田中内閣は化学・生物兵器禁止国際議定書〔1925年調印の「窒息性ガス、毒性ガス又はこれらに類するガス及び細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書」のこと。日本の批准は1970年〕の批准を見送った。翌年には枢密院が軍の要求に応えて、ジュネーブ捕虜条約〔1929年調印の「捕虜の待遇に関する条約」〕の批准を保留した。枢密院顧問官は、天皇の兵士は捕虜になることを許されない以上、捕虜の待遇に関する条項は寛大過ぎてとても実行できないという、陸海軍大臣と外務大臣の主張を容れたものである。特にこの決定は、のちの日本が捕虜と戦傷者の待遇に関するこの国際条約の効力を否認するのに道を開いた」。
『昭和天皇』(上)p231
1929(昭和4)年11月7日、昭和天皇陸軍軍医学校視察



自衛隊では毒ガスの製造が明らかになりましたが、生物兵器、核兵器の製造はしていませんか?


2016年3月9日、東京都世田谷区にある三宿駐屯地の自衛隊衛生学校の彰古館(しょうこかん)に元衛生学校校長の金原節三氏の寄贈した『金原文書』を探しに行ってきた。私は前回1月に行ったので2回目である。戦前、戦中731部隊で生物兵器を開発し、実戦に使用しているので、戦後の自衛隊ではどうなっているのかを調べるためである。『衛生学校記事』の第1号には生物戦に関する翻訳記事が実際に載っている。
なぜ、『金原文書』を探すのかといえば、その中に、731部隊関連資料で私たちが公開を求めている『衛生学校記事』(「金原寄贈目録」には延べ冊数88冊)が含まれているからである。
『衛生学校記事』は、最初、「情報公開法」に基づき、開示請求したが、防衛大臣が、「保有していない」ことを理由に、不開示にした。こんなことが世間であるだろうか?
『衛生学校記事』を発行しているのは、自衛隊の衛生学校である。なぜ発行元が1冊も保有していない?おかしくないですか。
それで、公開されないもんだから、なんと裁判にまで、訴えて、公開を求めているのである。
1昨年(2014年)、裁判の途中で被告の防衛省側から「『衛生学校記事』の一部(28冊)が見つかりました。発見された文書には731の記述はありませんでした。」という回答が口頭であった。だが、見つかった場所は、発行元ではない「防衛医科大学の図書室」からである。これも色々考えると、さもありなんなんか?医科大学で生物兵器の研究?731 の記述はないが生物戦の記述はどうだったのか?文書での回答はない。
前回、1月に行って調べた時にも、「金原寄贈目録」2028点のうち防衛省は641は彰古館にあると回答していたが、我々が調べるとその他にも16点見つかった。そして昨日行ったらまた、何点か見つかった。資料の管理はどうなっているのだろうか?
そもそも、自衛隊の衛生学校の元校長が寄贈したものを、衛生学校が一部を廃棄するとは考えられない。国民の税金で、運営されている機関であれば、そんなことは絶対あってはならない。縦社会の厳しい自衛隊で、元校長が寄贈した物を簡単に廃棄するとは考えられない!!
ましてや、外務省や防衛省などは、色々な情報を国民に積極的に開示しなければならない機関だと思う。戦争を防ぐためにも。
※金原節三は戦時中、1941年当時陸軍省医事課長として731部隊細菌戦に深く関与していた軍医大佐であり、戦後自衛隊衛生学校の校長にもなった。
※『衛生学校記事』は1957(昭和32)年7月~1959(昭和34)年まで月刊で18号出版され、その後、1961(昭和36)~1967(昭和42)年までは季刊本で24冊、出版された。
その後は、誌名を『ふかみどり』に変更し、1971(昭和46)年からは、衛生学校にきちんと保管されている。しかし、『ふかみどり』の1~15巻は、無い。「30年保存なので、満期になったものから徐々に廃棄しました」という回答。何で廃棄する?
※衛生学校に行ったら、教範(自衛隊の教科書)は情報公開請求しないと見せてくれないと言う。何で自国民に見せてくれないのだろうか。「武器の性能などがばれると、まずい」と言う。自衛隊は、サリン等の毒ガスを作っておきながら、それも伏せていた。影で、化学兵器、生物兵器、核兵器開発の「防護」のためと言って、何をやっているのか、国民は全く知らされていない!!
いや、シビリアンコントロールするはずの政府でさえ、自衛隊が何をしているのか、詳しくは知らないのではないか?
※『化学学校記事』の公開も求めているが、防衛省からのいまだに回答がない。疑問が膨らむばかりである。






●今の情報を公開しない姿勢は、戦前からずっと続いている!!
秘密保護法施行・・・何を政府はたくらんでいる?
防衛の名のもとに、軍事力は増強されている!!

特定秘密保護法はジャーナリズムに何をもたらすか(ラジオフォーラム#158)

ちょっと古いが、参考になる本なので紹介します。1972(昭和47)年10月9日初版藤井治夫著『日本の国家機密』より


第二章国家機密の構造

国家機密と軍事機密
厖大な秘密文書 
次に各省庁の秘密保全規程を瞥見しておこう。警察庁は「警察庁の秘密文書の取扱に関する訓令」(昭和29年12月25日訓令第18号)により、すでに廃止されたはずの53年次官会議申合せと同様の4段階の秘密区分を設けている。法務省(公安調査庁、検察庁、刑務所などを含む)もまた、1953年7月23日付訓令「秘密文書等取扱規程」により、同じく4段階の秘密区分を定めている。破防法によって設置された公安調査庁は、発足以来の訓令・通達だけでも4200件を超えている。そのすべてが秘密扱いであり、そのうち一部だけなら公表できるのが4件、他は件名さえ明らかにできないという。 「その秘の件名自体から内容がうかがわれて調査に支障を来たす」との理由で国会への提出さえ拒否している(衆院法務委72・3・22、川口公安調査庁長官)。その他の調書、資料入手調書も完全に秘匿されている。このようにして憲法違反のスパイ活動がなされているのであ。法務省と 同じく、経済企画庁の「秘密保全に関する訓令」も53年のものである


南京大虐殺があったことは国民に知らせず(これも国家機密であったのか?)、陥落を喜ぶニュース映像!
南京陥落 東京の風景






●南京大虐殺
・証言
私は旧から旋子巷に住んでいて、一家は4人、夫婦で娘を2人連れ、小さな商売をして生活していました。1937年の冬月に日本軍が南京を占領した時、乾河沿難民区の芦の筵の小屋に隠れました。私たちの門の中に片目の人が1人いて、私と同じ難民区に住まっていました。難民区ではやる商売がなく、ご飯を食べるにもおかずを食べるにも困難が生じました。ある日、片目のその人が、私を誘って何か探しに出かけました。その時私は頭に毛糸の帽子をかぶり、身には長い綿入れを着ていて、出かけて間もなく、日本軍2人とぶつかり、日本軍が「バカヤロー」と言ったので、私は「違うよ」と言いました。日本軍は私にびんたを1つ食らわせ、片目のを放って、私に一緒に物を探しに人の家に行かせ、かっぱらった物を引きずらせました。道々2人は見た物は何でもかっぱらい、ある家に行ったら、2人が物をひっくり返しに入って行き、私は外で立って待っていました。その家の人が私に「お前なんだって奴等にくっついて人の家の物をかっぱろうとするんだ」と言ったので、私は「俺がしようとして来たんじゃないよ、奴等が俺を引きずって来たんだよ」と言うと、「お前逃げられないんか」とその人が言いました。そう言われて、私がやっと気が付き、ふっと思い付いて「あんたの家に裏門があるんか」と聞いたら、「あるさ」と言うので、その家の裏門を出て、帽子をつまみ取り、綿入れを脱いで、懐に抱え、懸命に家の方へ逃げ、一気に難民区まで走りました。家に戻って私は妻に大きい娘を連れて金陵女子大学の難民区へ隠れに行かせ、私1人で小さい娘を連れてそのまま乾河沿に住まっていました。
ある日の午後、乾河沿のうずたかくなった所に立っていて、その下の道で、男の青年が1人日本兵を見て逃げ、その逃げるのを日本兵が見て、1発で撃ち殺したのをこの眼で見ました。(王培義が記録)

南京大虐殺 世界記憶遺産登録で世界の教科書に掲載可能性も





●日本や中国各地に毒ガスが遺棄されている!!生活に支障をきたさないのか?
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗





自衛隊は防護のためと称して昭和20年代後半から毒ガスの研究をし、1964年にはサリンを合成し、VXガス、タブンも作った。最新の無能力化ガスBZは1973年に成功している。1970年日本政府ジュネーブ議定書締約、1993年化学兵器禁止条約日本署名、1994年6月松本サリン事件、1995年3月地下鉄サリン事件発生、自衛隊とオウムの関係は?
2013年度の「核・生物・化学兵器対処関連事業」費71億8200万円。何に使っているのだろうか?

死者13人、約6300人の被害者を出した地下鉄サリン事件(1995年3月20日発生)

・自衛隊では、サリン合成に成功したのは東京オリンピック(1964年)の年だった。
・1973年、自衛隊は、当時最新の毒ガスBZガスの合成に成功。

週間金曜日 2013年6月21日号
自衛隊とサリン 第5回 
「『防護』というなら国民を守ってほしかった」
・繰り返された毒ガス殺人と未遂(オウム事件)
1993年11月・・・創価学会の池田大作名誉会長をサリンで襲撃失敗
1993年12月・・・同上
1994年5月9日・・・滝本弁護士をサリンで襲撃
1994年6月27日・・・松本サリン事件
1994年9月20日・・・ジャーナリスト江川紹子さんに毒ガス「ホスゲン」噴霧。
1994年12月12日・・・浜田忠仁さん殺人事件(VXガス)
1995年1月4日・・・永岡弘行さん殺人未遂事件(VXガス)
1995年3月20日・・・地下鉄サリン事件
1995年4月30日、5月3日、5月5日・・・東京新宿の地下トイレでテロ未遂事件(青酸ガス)
・(地下鉄サリン事件)事前に漏れた強制捜査の日にサリンは撒かれた
・警察も自衛隊のサリン製造を知らなかった?
・(自衛隊の情報)闇に閉じ込めておくとチェックも出来ない!!秘密にするな!!

それとも、自民党も毒ガスの製造、貯蔵のことを知っていたが、嘘を言って国民をだましているのか?
戦争前は「防護目的」、戦争になったら大量生産?毒ガス兵器、核兵器!!




機密ばかりが多いと、国民はいつもだまされる?
・非核3原則も嘘だった!!
佐藤栄作の遺族は早く故人のノーベル平和賞を返上しろよ
本来、アメリカが出すべきお金を、日本政府が肩代わりして出していた現実!!
こんな問題もあった!!沖縄密約
沖縄毒ガス 

日本軍の毒ガス被害

昭和天皇の“沖縄メッセージ”






●731問題
・「ABC企画NEWS第100号」より
―写真で学ぶ『高知と戦争』展―
関心を集めた「731部隊と高知」
平和資料館・草の家 副館長:岡村啓佐
・・・・
・四国4県出身兵士が731部隊を支えた事実に衝撃


『731部隊と高知』では、731部隊で安達(アンダー)での野外実験など様々な生体実験に関わった(故)尾原竹善さんの証言は参加者に衝撃となって、改めて戦争とは何かを感じ取っていただいたようです。尾原さんの証言をまとめた資料は追加印刷しその数は800セットを超えました。
また731部隊には6つの中心支隊・機関が存在し、その支隊に高知県人で編成されたハイラル支部(543部隊)があり、4名の部隊員の「ネズミを捕まえ、飼育する」「ネズミを入れる籠を作り、この籠にペスト菌を注射したネズミを入れて731部隊に送った」との証言も熱心に読んでいました。
そして、林口に「162部隊」(香川県出身)、孫呉に「673部隊」(徳島県出身)、海林に「643部隊」(愛媛県出身)などの各支部があり、731部隊が四国4県の兵士らによって支えられていた事実に皆一様に衝撃的に受け止められたようです。



終戦50周年731部隊1


終戦50周年731部隊2



731部隊→ABCC(被爆者は治療もされずに、原爆の影響を調べられた。・・・731部隊員の協力)→放影研→重松逸造・・チェルノブイリ原発事故について・・・汚染地帯の住民には放射能による健康影響は認められない。→福島原発事故・・原子力を進めてきた人たちは、福島で今、甲状腺がんが多発しているけれども、それは被曝との因果関係はないと主張している。







なぜ、日本政府は、731部隊の生体実験、細菌戦を認め、謝罪しないのか?
731部隊のドキュメンタリー 




アメリカは、将来の戦争で毒ガスや細菌兵器を有効な手段として使うかもしれないということで、東京裁判では、毒ガス・細菌戦などは追及しなかった!!
毒ガス戦はなぜさばかれなかったのか?

※しかし、これは、アメリカにとって「後日、深刻な問題をもたらす」ことになるのではないか?
・但是,如果这是不是成为“在以后的日子,造成了严重的问题”的事情对美国?
・그러나 이것은 미국에게 "나중에 심각한 문제를 초래"하게되는 것은 아닐까?
・However, if this is not to become "at a later date, resulting in a serious problem"thing for the United States?
・Однако, если это не становится "на более поздний срок, в результате чего серьезные проблемы" вещь для Соединенных Штатов?
・Jednakże, jeśli nie jest to, aby stać się "w późniejszym terminie, w wyniku poważnych problemów" rzecz dla Stanów Zjednoczonych?
・Wenn dies jedoch nicht, sich "zu einem späteren Zeitpunkt, was zu einem ernsten Problem", was für die Vereinigten Staaten?
・Toutefois, si cela ne veut pas devenir ≪à une date ultérieure, résultant en un problème grave" chose pour les États-Unis?

アメリカは、ハルピンの731部隊に於ける人体実験、生体解剖、奉天の捕虜収容所における731部隊員による米兵らに対する人体実験、また、化学戦部隊516、526部隊等と組んで行った悲惨極まりない毒ガスの人体実験を、東京裁判で裁くことなく見逃してしまったからだ!!
ドイツのニュルンベルクの裁判では、人体実験に加担した医学者が厳しく裁かれた。ところが、東京では、戦犯免責だ!!このダブルスタンダード!!


「結局、ワシントンは「国家の安全」を理由に731部隊の免責を是認した。免責付与是非を論じる米軍高官の覚書の中にはこんな一文がある。

彼(石井)らの人体実験は、本政府が目下ニュルンベルクで、ドイツの科学者および医学者をそれゆえに訴追している人体実験とはそう違わないものである」


(『731免責の系譜』太田昌克著より)



・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!

中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!


夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より

日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



・「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

第2部
うずもれた青春


「お前たちは、誰の為になぐられたのか、わかるだろう。・・・浜中、貴様のせいで戦友がなぐられたのだぞ。それでも貴様、黙ってみているのか?自分さへ痛くなければかまわんというのか?」
「自分をなぐって下さい」
浜中は鼻白んだ表情で半歩前に出て、心もち顔を突き出すようにした。
「そら、おあつらえだぞ。お前たち、思い切ってなぐってやれ」
近江属の意地汚いやり方は見え透いている。私は決意して、浜中の顔を力一杯平手打ちをくわした。浜中にすまないと思いながらも、それが私にできる近江属への反抗の表現であるかのようになぐった。森島と来住野は手加減したので、やり直しを命じられた。3人になぐらせておいて近江属は、その夜は、半端なままにして帰り、翌日も、その翌日も浜中の在否を確かめにきた。
しかし、浜中は、以来ぷっつり夜の逢瀬を断念したかのように、自分の席に向かって動かなかった。私は、彼のその姿を見るだけで心が暗かった。同じ部屋にいる同僚の間で、あい反目しているような重苦しさがたまらないのである。
「すまなかった。悪く思わないでくれ。俺たちだって、しょうがなかったんだから」
とうとう耐え切れず2日後の消燈間際に私は浜中に言った。


(参考)
イレッサ訴訟
子宮頸がんワクチンの危険性 - Thinker
子宮頸がんワクチン接種、通学できぬ少女 推奨中断2年
ワクチンについて シェリー・テンペニー博士


厚生省・国民健康保険について(消えた細菌戦部隊より:常石敬一著より)
医務局長としての小泉の実績は、確かに先の、「意欲・鋭さ・執拗さ」という言葉に見合ったものとなっている。すなわち今日の厚生省及び国民健康保険法を作ったのが小泉であった。
※小泉親彦(ちかひこ)・・・陸軍軍医学校校長、陸軍軍医総監、陸軍医務局長、厚生大臣を歴任、毒ガス戦、細菌戦を積極的に推し進めた人物
1945年9月、自決。

・・・・・・
健兵対策の一環として厚生省は設立されたのだった。こうした設立の経緯が、今日の厚生省の弱者に冷たく、福祉行政に消極的な理由となっているのかもしれない。



真実を知ろう!!(権力側が流す情報にだまされるな!!)
開示された文書「何で黒塗り?」


ガン治療のウラ 4/8


「こんな都市に住んではいけない」船瀬俊介の船瀬塾







医学革命!
軍陣医学(戦場医学)から「活人医学」へ
「悪魔の飽食」から「小食へ」(体質改善への道)
医師 甲田光雄2/6 ラジオ深夜便











●ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(下)より
第13章 遅すぎた降伏
1945年2月〔7日から26日にかけて〕、昭和天皇は重臣7名に、戦争についての意見を求めた。上奏が始まったのは沖縄侵攻の6週間前、アメリカ海兵隊の硫黄島上陸作戦を目前に控えたころであった。7名とは平沼、広田、若槻、岡田、近衛、東条の首相経験者6名と、元内大臣の牧野伸顕である。会見は空襲により中断されたが、ほとんど全員が戦争継続を主張した。
ヨー ロッパでドイツおよびナチス体制が敗北へ向かっていた。第3帝国の崩壊がどれほど早く訪れるかは不明だった。しかし、その終焉は確実に近づいていると思われた。日本の状況もドイツと同じく、厳しかった。ビルマの陸軍は崩壊していた。在中国の陸軍は幾分ましだった。1944年の「1号作戦」の攻勢は、華北の北京から武漢に通じる幹線鉄道と、武漢から中国最南の広東省の広州に通じる幹線鉄道に沿って回廊を開いた。しかし、占領していたすべての省で情勢は逆転していた。支配地域は細く延び切っており、対ゲリラ戦に1944年だけで臨時軍事費の64バーセントを注ぎ込んでいた。
1945年の時点で、中国の陸軍は、北方からのソ連の侵攻と上海地域へのアメリカ軍の上陸の双方を予想しており、そのための態勢を整えなければならなかった。本土防衛のために、中国と満州に駐在する部隊の中から精鋭部隊をさくことは、できなかった。甚大な損害を被っていた海軍も、陸軍を十分に輸送することはできなかった。

瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」




●『天皇の陰謀』

天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた


ディビット・バーガミニ 著
松崎  元 訳より

第三章

敗戦
(その1)

婦女と狼人間


アメリカからの侵入者を受け入れるにあたり、東久邇宮と首席国務大臣の近衛宮にとって、国民の忠誠心を維持することは、目下の最重要な国内問題であった。降服のその日、内閣は「政府貯蔵物資の放出」(3)を命じた。武器自体は連合軍に引渡されなければならなかったが、その他の「決戦」のための備蓄品は放棄されようとしていた。およそ100億ドル相当の乗用車、トラック、ガソリン、ゴム、スズ、屑鉄、銀線、銅、靴、毛布、制服、紙幣、火薬は、陸軍の倉庫から民衆に配給された。数年後、国会がこうした配給の横領を調査したところ、わずか2百万ドル分が正規に配給されていただけであった。残りの99億9800万ドルは、旧陸軍々人の過去あるいは予定されていた役務への報酬として、ことごとく消え去っていた(4)。


全文は「ノブのノート」で!!

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