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ムンクが聞きとった「叫び」声とは?・・南アメリカと南太平洋(4)

2017-04-12 | アフリカ・オセアニア



「南海文明・グランドクルーズ・・南太平洋は古代史の謎を秘める」という荒俣宏氏・篠遠喜彦氏共著の本を読んでみました。続きです。

荒俣氏のお話の部分をご紹介します。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


             *****

          (引用ここから)


スペイン人が到来した頃、ペルーではインカ帝国が栄えていました。

ペルーはたしかに造山活動や地質の関係で「金」がたくさん出る場所でした。

そしてインカの人々は、「太陽神」を崇拝していました。


「太陽神」を崇拝するということから、すぐに連想されるのは「黄金」です。

「黄金」は「太陽」の色だとして、多くの民族が「金」を一番価値の高い金属として、「金」を「太陽」の代わりに用いたり、装飾に使ったりしていました。

インカもまったく同じでした。

「太陽の都」の「太陽の宮殿」には、「黄金」が飾られていたのです。

ピサロたちがはじめてインカに入った時に腰を抜かしたのが、クスコにあったこの「太陽の神殿」でありました。

現在は、当地には、「黄金」は全くありません。当時のスペイン人たちが全部持って行ってしまいましたから。

だから今は石組しかないのですが、当時はずっと続く石壁に20~30センチの「黄金」の装飾をつけた帯が施され、宮殿の中には「黄金」で出来た泉があり、その泉の真ん中には噴水があり、水が流れていた。

そのまわりには「黄金」で作った小さな畑があり、そこにインカの人々が非常に重要な食べ物としていたトウモロコシの「黄金」の模型が置いてあった。

たぶん皇帝が、毎年トウモロコシがよく実るようにと、そこで儀式をやっていたのでしょう。

「黄金」のトウモロコシが並び、「黄金」のアルパカやリャマの像が宮殿の中庭に飾られていたというのです。

しかも「太陽の宮殿」の場所には「黄金」で作った像が立ててあり、その周りに歴代の王のミイラが並べて置いてあった。


エジプトのツタンカーメンもそうですが、王様のミイラはだいたい「黄金の仮面」を被っています。

「黄金」は「太陽」のシンボルであり、「太陽」は不老不死で、年中出てきますから、「太陽」の力を王様の力として借り受けるために「金」製品を使っていたと考えられます。

金のゴブレットでお酒を飲んだり、金の茶碗や金の杯、金のフォークで物を食べるというのもある。

金を食べれば、あるいは金を使っていれば、不老不死になれるかもしれない、という無意識的な願いを、私たちはずっと受け継いでいるのではないかと思えるくらい、私たちは「金」が好きなんです。

             (引用ここまで)

              *****



我が家にも、あります。謎の金の粉が。。
どなたかのお土産ですが。。

             *****

            (引用ここから)

インカのミイラもやはり同じように「金」で装飾されたり、あるいは「金」の糸の布で巻かれていたりしました。


これを見て、スペインの征服者たちは驚きました。

なんとものすごい、「黄金」の国なんだろう?

やっぱりここが「エルドラド」だったのか、と皆で万歳三唱をして、ほとんどの「金」を剥がしてヨーロッパに運んでしまいました。



インカの「黄金の文明」が、そこでずうっと展開していたのを、スペイン人たちはついに発見してしまいました。

「エルドラド」を発見したと思い込んで。

ですから瓢箪から駒で、日本を中心に語られていたマルコポーロの「黄金郷」伝説は、ひょんなことから現実のものになってしまったのです。

彼らがヨーロッパに持って行った「金」は、ヨーロッパ市場に流れました。

よほどの量が持ち込まれたのでしょう。「金貨」の価値は下がり、貨幣の価値は下がり、ヨーロッパは一気に大インフレになってしまいました。


その後も味をしめて、ヨーロッパから来る人々は、「金」探しに熱中しました。

それは、カリフォルニアの1850年代におけるゴールドラッシュまでつながっているのです。

誰もが「金」探しに一生懸命だった。


「ソロモン諸島」なども、まさに「金」探しにやって来た人々が、どうも財宝がある島らしい、というので「ソロモン王の宝窟」からとって「ソロモン諸島」などという名前をつけました。

「エルドラド」は、非常に強い魅力を人々に振り撒きました。



さて、「黄金卿」と同時に、太平洋が発見されました。


ではなぜ太平洋は「大きくて平らな海」という名前が付いたのでしょうか?

最初、ピサロやバルボアが発見した時は、南の「黄金郷」に行く海だと信じていましたから、まさか「太平洋」などという名前はつけませんでした。


この名前をつけたのは、世界一周をしたマゼランです。

太平洋のアメリカ沿岸は波が荒いし海も冷たく、「平穏で気持ちのいい楽園のような海」というイメージはないんです。

マゼランだけがどうしてそういうイメージを抱いたかと言うと、南米南端にマゼラン海峡というのがありますが、マゼランは南米の先端をずうっと回って、太平洋に入ってきました。

これはピサロとは全然違う方向です。

ピサロはパナマの方から一回陸に上がって、マゼランは下の方から、海をぐるっと回ってきました。


マゼラン海峡は、地球上で想像しうる最も航海しにくい場所だと言われています。

とにかく南極のそばですから、気候がひどくて、氷河はあるし、しかも風がびゅーびゅー吹いていて海は荒れている。

おまけにフエゴ人が少し住んでいるぐらいで、誰もいません。

「フエゴ」とは「人」という意味ですが、それくらい、そこに住んでいるごく少ない民族が村で灯していた火が有り難く見えたわけです。

ほとんど人もおらず、難破したらどうしようもない場所だった。

その先端をマゼランは一生懸命通ってきました。

そこを通り抜けたわけですから、逆に言うと、どの海を見ても静かに思えたのでしょう。

ようやく南アメリカの先端を回って太平洋に入り、今のセブ島やフィリピン、あるいはグアム島のような亜熱帯の海を回った時に、「ああ、これは楽園だ」と思ったに違いない。

それで「非常に静かで有り難い楽しい海」だから「太平洋」という名にしようと、マゼランたちは思いました。


「インカ文明」というのは、そんなに古くないんです。

多分10世紀前後に、ティアワナコというチチカカ湖の周辺で成立し、それが勢力を伸ばしてクスコを自分たちの都とし、それから四方八方に兵を出して制圧をして、南アメリカの太平洋側を支配するような大きな国になったのは、ちょうどスペインのピサロたちがやってきた当時のことでした。

南アメリカに大帝国ができてきたのは、その頃で、それまでは小さな文化が出たり消えたりしていました。

一番最初にお話しした「ナスカ文化」も、2000年から1000年前くらいの間に栄えた小さな文化で、あっというまに消えたものの一つでありました。

しかし「インカ帝国」だけは非常に大きな力を持ち、ヨーロッパ人たちが入ってきた16世紀初めぐらいは、その絶頂期にあたっていました。

「黄金の文明」でありましたから、たくさんの「黄金」を持っていた。



19世紀末にムンクという孤高の画家が描いた「叫び」という作品がありますね。

両手で頬を抑えて「アーッ」と口を開けている人の絵。

あの「叫ぶ人」のモデルは、インカのペルーの「ミイラ」です。

19世紀末にパリで万博が行われた時に、ペルーの「ミイラ」が展示されました。

それを見たムンクが、「これはすごい顔だ」と。

そのイメージが頭から離れなくなって「叫び」を描いたと言われています。

「叫び 」の顔は、まさにペルーの「ミイラ」の顔なんです。


「ミイラ」と並んでもう一つ興味深いのは、魂の転生を信じていたことです。

「インカ」の人々は、人間の肉体というものを、死んだ後に別の世界でもう一度暮らし直すための必需品と思っていました。


これらはすべてエジプト人と同じです。

そのために死体を保存しようという動きが昔からあり、それで「ミイラ」ができたのです。



           (引用ここまで)

            *****

写真(下)はムンクの「叫び」という絵画ですが、(光が当たったので後で差し替えます)もし、筆者ムンクが博覧会でインカのミイラを見て受けたインスピレーションで、この絵を描いたのだとすると、彼はインカのミイラを見て、途方もない不安と恐怖を呼び起こす「叫び」声を聞いた、ということではないでしょうか?

「叫び」声は、描かれている人物が発しているのではなくて、人物は、その「叫び」声を聞いて、おびえているのではないでしょうか?

わたしには、その「叫び」声としか言いようがないような、不可思議な音が、古代南米文明を考える時に、いつも通調低音のように聞こえるように思われます。

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