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弥勒とシュタイナー(2)・・進化した仏陀・マイトレーヤと“弥勒問題”

2011-01-22 | 弥勒
人智学のシュタイナーは、弥勒仏をどう考えているのでしょうか。

シュタイナーの翻訳者西川隆範氏編「釈迦・観音・弥勒とは誰か」を、引き続き紹介させていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


             *****


           (引用ここから)


シュタイナーが神智学協会と、たもとを分かつきっかけになったのは、1909年神智学協会第二代会長がクリシュナムルティを「ロード・マイトレーヤである」と宣言した事件であった。


1911年にはクリシュナムルティを弥勒の化身だとする「東方の星教団」が協会内に作られている。


クリシュナムルティは弥勒菩薩を受け入れる器になるとされ、1910年にイニシエーションが行われた。


1922年の春、クリシュナムルティは瞑想のなかで弥勒菩薩に出会ったと言っている。


「わたしの前にわたしの身体があり、私の頭の上に明るい星が見えた。


そしてわたしはロード・マイトレーヤのバイブレーションを感じた。


わたしはロード・マイトレーヤとKH大使を見た。」



しかし1929年8月、クリシュナムルティは


「わたしのただひとつの関心は、人間を絶対かつ無条件に自由にすることなのです。」
と言って、東方の星教団を解散した。


彼は後に、1929年以前の記憶を喪失したという。


「誰が弥勒菩薩なのか?」という「菩薩問題」についての古典的な研究は、アレンソンの「ルドルフ・シュタイナーと20世紀の菩薩」(1930年)とフレーデの「人智学=アントロポゾフィー協会における菩薩問題」(同年)の二つである。


アレンソンは「エーテル的なキリストの告知」という20世紀の菩薩の使命が、ルドルフ・シュタイナーによって果たされたという点を重視している。


しかし、誰が弥勒かということに関心を向けるよりも、弥勒はさまざまな人に高みからの霊感を送っている存在であると見るべきであろう。


         (引用ここまで)


             *****



同じ本に入っている「新しい形の仏教の流れ」というシュタイナーの文章を以下に少し載せます。


             *****


          (引用ここから)
 


「紀元前5~6世紀に生きた仏陀に眼を向けよ。それが仏陀の教えなのだ。」
と語る人々がいる。


それに対して「精神科学=霊学」は、薔薇十字的な意味で、次のように語る。


「仏陀が紀元前5~6世紀の地点に立ち止まっているかのように語るのは誤りである。


君たちは仏陀が進化していないと思っているのか?


君たちは当時正しかった教えを今なお語っている。


紀元前5~6世紀に正しいと見られたブッダの教えを、君たちはいつまでも語っている。



私たちは進化した仏陀を見る。


仏陀は霊的な高みから、人類の文化に絶えざる影響を及ぼしている。


私たちは、霊の領域で更に進化した仏陀を見る。


この仏陀は今日、わたしたちに大切な真理を語る。


(引用ここまで)


           *****



本の編者であり、シュタイナーの翻訳者である西川隆範氏は、後書きで「シュタイナーの仏教論」を大きくまとめて、以下のように示しています。


            ・・・


1、 仏教は、人智学的な「精神科学=霊学」に霊感を与えている。

2、 薔薇十字的な意味で、仏陀からは瞑想する者に力が流れてくる。

3、 「ルカ福音書」から流れ出るものは仏教である。

4、 仏教とキリスト教は、今日合流点に立っている。

5、 弥勒はキリスト教の最大の教師である。


           ・・・


このように見ると奇妙な主張に見えますが、シュタイナーが用いる「キリスト」や「仏陀」という概念は、普通に言うキリスト教や仏教のものからははるかにへだたったものだと思われます。


「仏教とキリスト教は、今日合流点に立っている」とシュタイナーは述べていますが、“キリストのまわりに座る菩薩たちの姿”(前出)を観じる彼は、東西文明の壁のかなたの根源の世界を直感していたのだと思われます。



>「精神科学=霊学」は、薔薇十字的な意味で、次のように語る。

>私たちは進化した仏陀を見る。

>仏陀は霊的な高みから、人類の文化に絶えざる影響を及ぼしている。

>私たちは、霊の領域で更に進化した仏陀を見る。



シュタイナーは、「弥勒」とは“活ける仏陀”そのものであり、それは“活けるキリスト”と同じ源を持つと感じているのだと思います。


しかし、「誰が弥勒なのか?」という問いがおこるたびに、それは翻訳者西川氏言うところの「弥勒問題」という名の問題をはらみがちであるということが、苦々しく言及されているのだと思いました。



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