始まりに向かって

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 白蓮教と“後ろ戸の神”・・弥勒とアジア(7・終)

2011-04-21 | 弥勒
たびたび引用させていただいている宮田登編「弥勒信仰」という本に、鈴木中正氏の「元・明革命と白蓮教」という文章がありますので、少し紹介させていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


        *****

(引用ここから)

1337年、棒胡は妖言を弄して乱をなし、村を焼いた。

平定に当たった漢軍が弥勒仏の個旗や紫金の印などを押収したというから、弥勒仏の下生信仰を奉ずる信者集団が反乱の基盤に存したことが想像される。

棒胡の捉えられた直後、別の妖僧が寅年寅月寅日の日に、反乱を起こした。

かれは治病の術に長じ、また背中に「仏」の字を書いておけば刀兵の傷を逃れうると称し、また人に弥勒仏を念じることを勧め、夜になると大きな火を燃やして香を炊き、偈を念じて礼拝させた。

弥勒仏信仰の他に、治病や護身に関する呪術信仰が彼の宗教の中心をなし、信者組織が存在したことも確実と見られる。


白蓮教大乱の幕を切って落とした一団は、祖父の代から白蓮協会を組織していた。

弥勒仏を拝し、焼香するものであった。

この一団が反乱した際に、「天下大乱・弥勒仏下生」というスローガンが掲げられた。

彼らは、一城を陥れるごとに人間を食料にし、そこの人間を食いつくすと、また次の一か所を陥れるという手口を使ったから、その通った所は赤地千里のありさま、たいていの町がみな破壊されたという。



1357年、一行は元の都の宮殿を焼き、その後一部は高麗にむかい、その年の末、3000余りの紅巾軍の先兵は平城も陥れた。

紅巾軍の破壊は実にすさまじく、高麗の都を陥れて残虐をほしいままにした。

高麗軍はやがて反撃に転じ十万余りの侵入軍を破って都を奪回したが、侵入軍は人々をあぶり殺し、妊婦を焼いて食うなど、すさまじい残虐を働き、その通過した地域は想像を絶した破壊をこうむったのである。


 弥勒は何たる神か、禍胎をはらむ
 むささび地を動かして、風、地理を起こす
 人生百年、この役に遭う

と歌われ、弥勒仏はすさまじい破壊の神として描かれている。

彼らが自称した「大明王」「小明王」という名について見ると、最近中国では明王を明経(すなわちマニ教)の明と結びつける考え方が有力であるが、どうか。

なぜなら弥勒仏は単独で出現するのではなく、天輪聖王と並んで出現すると考えられていたので、彼らは「大・小明王」と名乗ることで天輪聖王を自任していたのではないだろうか。



(引用ここまで)


      *****


白蓮教に関する文章はなかなか見当たらないので、わかりにくい文章ですが紹介してみました。


最後にふたたび、菊地章太氏の「弥勒信仰のアジア」から、すこし引用させていただきます。
アマゾンなどでご購入になれます。


     *****


     (引用ここから)


ところで、中国にはもう一つのタイプの弥勒像がある。

でっぷりしたおなかを丸出しにして、大声で笑っている、あの布袋さまが実は弥勒なのだ。

布袋さまの正体は、かいしという変人の坊さんだという。

交脚の弥勒はスマートな青年だが、布袋の弥勒はみっともない中年である。

それから後の中国では、弥勒像といえば、この布袋の姿に決まってしまった。


布袋の弥勒像は本尊である釈迦像の「裏仏」になっていることが多いという。

「後ろ戸に祀る」、というのはなかなか意味深長である。

「白蓮教徒」の守り神も、この布袋弥勒であった。



韓半島では、弥勒を信仰することと弥勒の像を作ることがしばしば結びついている。

ところが中国では、疑経に語られたような信仰は弥勒像を作ることには直結しなかった。

場合によっては隠れて信仰するのだから、像はいらない。

あったとしても、それは歴史の表面には現れないだろう。


       (引用ここまで)


         *****


筆者によると、白蓮教の信者たちが礼拝していた弥勒像は、布袋様の姿をしていたのだということです。

布袋様、福々しい顔の神様ですが、実は破壊神なのかもしれません。

筆者は続く文章で、弥勒は「後ろ戸に祀られてきた」、と言っています。

「後ろ戸の神」とは、天台宗の阿弥陀仏の祭壇の裏側にそっと安置されている、素性のよく分からない暗い謎の神様です。


弥勒は「後ろ戸の仏」。。

この一語は、古代神・弥勒の姿をよく表わしているのではないかと思います。

時に慈悲の神として、時に破壊神として、時に少年のような無垢な神として、様々に姿を変えて、歴史の表に、また裏に、息づき続けている古代神。

なんと魅力的な古代神であることか。。

この古代神は日本にも来ているようなので、日本での在り様も知りたいと思っています。





 wikipedia「布袋」より

布袋(ほてい)は、唐末の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したとされる伝説的な僧。

水墨画の好画題とされ、大きな袋を背負った太鼓腹の僧侶の姿で描かれる。
日本では七福神の一柱として信仰されている。

本来の名は釈契此(しゃくかいし)であるが、常に袋を背負っていたことから布袋という俗称がつけられた。

四明県の出身という説もあるが、出身地も俗姓も不明である。

図像に描かれるような太鼓腹の姿で、寺に住む訳でもなく、処処を泊まり歩いたという。

また、そのトレードマークである大きな袋を常に背負っており、生臭ものであっても構わず施しを受け、その幾らかを袋に入れていたという。

雪の中で横になっていても布袋の身体の上だけには雪が積もっていなかった、あるいは人の吉凶を言い当てたなどという類の逸話が伝えられる。

彼が残した偈文に「弥勒真弥勒、世人は皆な識らず、云々」という句があったことから、実は布袋は弥勒の垂迹、つまり化身なのだという伝聞が広まったという。

その最期についても不思議な逸話が伝えられており、仙人の尸解に類している。

天復年間(9世紀末)に奉川県で亡くなり埋葬されたにもかかわらず、後日、他の州で見かけられたというのである。

その没後あまり時を経ないうちから、布袋の図像を描く習慣が江南地方で行われていたという記録がある。

なお、布袋を禅僧と見る向きもあるが、これは後世の付会である。

10世紀後半に記された『宋高僧伝』巻21「感通篇」に立てられた「唐明州奉化県釈契此」(布袋)の伝には、彼と禅との関係について一切触れていない。



 wikipedia「摩多羅神」より


摩多羅神(またらじん)は、天台宗、特に玄旨帰命壇における本尊で、阿弥陀経および念仏の守護神ともされる。

常行三昧堂(常行堂)の「後戸(うしろど)の神」として知られる。

『渓嵐拾葉集』第39「常行堂摩多羅神の事」では、天台宗の円仁が中国(唐)で五台山の引声念仏を相伝し、帰国する際に船中で虚空から摩多羅神の声が聞こえて感得、比叡山に常行堂を建立して勧請し、常行三昧を始修して阿弥陀信仰を始めたと記されている。

しかし摩多羅神の祭祀は、平安時代末から鎌倉時代における天台の恵檀二流によるもので、特に檀那流の玄旨帰命壇の成立時と同時期と考えられる。

この神は、丁禮多(ていれいた)・爾子多(にした)のニ童子と共に三尊からなり、これは貪・瞋・癡の三毒煩悩の象徴とされ、衆生の煩悩身がそのまま本覚・法身の妙体であることを示しているという。

江戸時代までは、天台宗における灌頂の際に祀られていた。

民間信仰においては、大黒天(マハーカーラ)などと習合し、福徳神とされることもある。

また一説には、広隆寺の牛祭の祭神は、源信僧都が念仏の守護神としてこの神を勧請して祀ったとされ、東寺の夜叉神もこの摩多羅神であるともいわれる。



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2 コメント

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天輪聖王 (///)
2011-04-22 13:12:47


「天輪聖王の分身として四輪=金輪王、銀輪王、銅輪王、鉄輪王がある」

二万六千年スパンの歳差周期で6500年ごとに起こる文明荒廃
グノーシス十字架のシンボリズム原型となった思想形態ですね

西洋のカバリストたちはこう考えていました



ギリシア人の黄金時代にあたる「クレダユガム」あるいは第一の時代、
つまり「無垢の時代」には、美徳は大地の上にしっかりと立つ。
牡牛はしっかりと四本の足で立っている。

「トレダユガム」あるいは第二の時代、つまり「銀の時代」になると
牛は衰え、もはや三本足でしか立っていない。「トゥヴァバラユガム」
あるいは第三の時代、つまり「青銅の時代」になると足は2本に減る。

そして最期に我々の時代である「鉄の時代」になると、周期牡牛あるいは
人間的美徳は衰弱と老化の極みに達している。たった一本の足で
グラグラしながら、かろうじて立っているのだ。

これは第四番目の時代で最期の時代である「カルユガム」すなわち
「荒廃、貧困、不幸」の時代である。
現代の「鉄の時代」には死の印璽があるだけである。

その象徴はサトゥルヌスの標章ーーー「時の満了を示す空の砂時計」と
「変化、破壊、消滅の数字」=「7」をあらわす鎌を手にした骸骨である。

すべてのもののうち「最期」であるが、われわれにとっては
「最初」のものである。なぜなら、それは神に選ばれたごく一部の者を除いて
われわれが皆そろって死ななくてはならないことを教えるからである。

・・・・・・・・
牡牛 (veera)
2011-04-23 20:08:47

///様

コメントどうもありがとうございます。

人間は堕落の道を辿っている、という見解は、もっともだという気がしますね。

原発は、途方も無い量の放射能を放出しているということですし、今後、地球が(再び)滅びに至ったならば、それは人間の罪過のためだと思われますね。

牡牛と人間の結びつきも、興味深いですね。

とても深いつながりがあるに違いありませんね。





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