スピリチュアル・ライフ by birch99

スピリチュアリズムを小脇に抱えて・・・スピリチュアルな視点で日常を綴ります。

スリ・ユクテスワの霊界通信5

2010-02-28 12:08:05 | ◆スリ・ユクテスワの霊界通信
以上で霊界通信の内容は終わりですが、霊界通信の内容を大雑把に表にしてみましょう。
マイヤーズ通信で語られた霊界と対比するのも面白いと思います。



●類魂に触れる記述は一切ないが、下記のような記述がある。

幽界に生まれる者は、宇宙意志の力を借りて精妙な幽質の波動を凝縮し、自分の性
質に応じた幽体をつくる。地上で死んだ人間は、同じような精神的および霊的傾向
をもつ幽界の家族のもとへ招き寄せられて、そこに生まれるのだ。

幽界人は、折にふれて、彼がかつて地上に何回も生まれ変わっていた間に縁を結ん
だ父や、母や、夫や、妻がそれぞれ何人も、無数の親戚、友人などともに、幽界の
あちこちに住んで居るのに出会う。すると彼は、自分にとってだれが特に親しい相
手なのか戸惑いを感ずる。だが、こうして彼は、すべての人々を、同じ神の個別表
現である神の子として平等に愛することを学ぶのである。

●35の基本的観念(19の精神的・生命的要素と16の鈍重な要素)

個々の魂としての人間は、本質的には観念体をもった存在である。この観念体は、
神の創造活動に必要な三十五の基本的観念の母体で、神は後にこれから、十九の要
素から成る鈍重な肉体をつくられた。

幽体の十九の要素とは、精神的、生命力(ライフトロン)的なもので、それらは、
理性(英知)、自我意識、直覚、感覚意識の四つと、五つの感覚器官ー肉体の視聴
嗅味触の五官に相当する幽体器官ーと、五つの行動器官ー生殖、排泄、会話、歩行
、手仕事等を行う精神的器官ーと、五つの生命力の器官ー身体の細胞形成、消化、
廃棄、新陳代謝、循環等の機能を遂行する器官ーによって構成されている。これら
十九の要素で出来ている精妙な幽体は、十六の鈍重な要素で出来ている肉体が死ん
だ後もなお存続するのである。

ヒトの必須16種元素
主要ミネラル(必須主要元素):ナトリウム、カリウム、燐、カルシウム、マグネシウム、硫黄、塩素
微量ミネラル(必須微量元素):鉄、亜鉛、マンガン、銅、沃素、セレン、クロム、モリブデン、コバルト

スリ・ユクテスワの霊界通信4

2010-02-26 00:00:07 | ◆スリ・ユクテスワの霊界通信
●観念界
観念界における欲望は、知覚作用のみによって満たされている。観念体だけを身に
着けている魂は、いっさいの執着や束縛からほとんど解放されている。彼らは全宇
宙を、神が夢みられた観念の具現化したものであると観ており、どんな物でも、ま
た、どんな事でも、想念の中で実現させ、客観的に知覚することができる。彼らの
繊細な感受性は、もはや肉体の感覚的喜びや、幽界人の楽しみを、粗野で息苦しい
ものとしか感じない。創造主と同じように、いろいろな宇宙をつくり出すこともで
きる。

魂は本来、姿や形をもたないものであって、身にまとう衣すなわちからだをもつこ
とによってのみ識別される。しかし、一つでもからだをもっているということは、
また、満たされぬ欲望があることを意味している。しかし、英知によって完全な無
欲の境地に達すると、ついに束縛の殻から脱け出して無限なるものと一つになり、
完全な自由(解脱)を達成るのである。

観念界の人々はみな、物質界の究極の構成要素が電子でもなければ、また、幽界の
根本要素がライフトロンでもなく、両者とも実は神の想念の超微粒子から出来てい
て、それがマーヤという相対性の法則によって分離され、そのために、被造物が創
造主とも、またお互いどうしとも、別個に存在して見える、とうことを会得してい
る。

観念界の魂たちは、お互いを、至福の宇宙霊が個別化した点として認識している。
彼らにとっては、自分の周囲のことがらはすべて自分が考えたことがらなのだ。彼
らは、自分のからだと想念との違いは単に観念の問題にすぎないことを知っている


観念界の住人は、考えるだけで見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり、さわっ
たりすることができる。彼らは、宇宙心の力によって、どんな物でも創造したり分
解したりすることができる。

観念界では、死も生まれ変わりも想念の中にある。ここの住人たちは、尽きること
のない永遠に新しい知識を聖なる唯一の楽しみにしている。彼らは平安の泉を飲み
、何の執着も残さぬ知覚の大地を自由自在に歩きまわり、果てしない至福の大海を
泳いでいる。

観念体をまとった魂は、たいてい数千年間観念界にとどまっている。そして、さら
に深い至福を経験することによって完全に解脱すると、ついに一個の観念体から脱
け出して、広大無辺な観念宇宙を自分のからだとするようになる。こうなると、そ
れまで身に着けていた個別的な観念の渦や、個々の力、愛、意志、喜び、平和、直
感、安心、自己統御、精神集中等のあらゆる波が、永遠の至福の海に溶け込んでし
まう。魂はもはやその喜びを、一個の意識の波として経験する必要はなくなり、大
宇宙意識の海と一つに溶け合って、そのすべての波をわがものとする。それは永遠
の笑いであり、永遠の歓喜であり、永遠の感動である。それはついに、個性をもっ
たまま、無限なるおかたと一つになるということである。

●イエス
イエス・キリストの魂は、イエスとしてこの地上に生まれる前にすでに最高の解脱
を達成しておられた。すなわち彼もまた、その過去世において三つの進化段階を経
て、宇宙霊の中によみがえる力を獲得されたのである。彼の死から復活までの三日
間は、人間が解脱に至るこの三つの段階を象徴している。

霊的に未熟な人間は、三つのからだから脱け出すまで、地上界、幽界、観念界に無
数の生まれ変わりを経験しなければならない。しかし、ひとたび最高の解脱を達成
した大師たちは、人々を神のもとに導くために救済者すなわち救い主とし再び地上
に生まれることも、また、わたしのように幽界にすむことも自由なのである。

●地上界~幽界~観念界のつながり
地上から来た魂が長く幽界に住みつくことができるようになるためには、その前に
、肉体的カルマや欲望をすべて果たし終えなければならない。

幽界には二種類の魂が住んでいる。まだ果たしきれぬ地上のカルマをもち、それを
果たすために地上に再生する必要のある者は、肉体の死によって地上から幽界に来
ても、一時的訪問者として、幽界の定住者とは区別される。

地上のカルマをまだ果たしきっていない魂は、幽界の滞在期間が終わって幽体を脱
ぐ時期が来ても、すぐに高い観念界にはいることは許されず、引きつづき肉体と幽
体に交互に身を包んで、地上界と幽界の間を往復しなければならない。

霊的にもっと未熟な魂の場合は、肉体の死によって幽界に移っても、その間のほと
んどが死の眠りという深い昏睡状態に陥っているため、幽界の美しさすら意識しな
い。そして、幽界でしばらく休息すると、再び物質界での経験を積むために地上に
帰って行く。こうして何度か訪問の旅をくり返しているうちに、彼はしだいに精妙
な幽界に自分を順応させることができるようになる。

幽界の定住者は、すべての物質的欲望から完全に解放されているので、もはや粗雑
な波動で出来た地上の世界に帰る必要はない。彼らに残っているのは、幽体のカル
マと、観念体のカルマだけである。彼らは幽体を脱ぐと、より霊妙で限りなく精妙
な観念界に昇って行く。そこで、宇宙法則によって定められたある一定の期間を過
ごすと、今度は幽界で果たしきれなかったカルマを完全に取り除くために、再び新
しい幽体を身に着けて、ヒラニャローカまたはこれに似た同様の高い幽界の星に生
まれ変わって来るのである。

地上のたいていの人間は、生前、幽界生活のより高い喜びや幸せを瞑想によって味
わう修練を怠っているために、死後もなお地上の粗野なはかない快楽に戻りたいと
願う。ちょうどそれと同じように、多くの幽界人もまた、彼らの幽体が正常に崩壊
してゆくときでも、観念界の高い霊的喜びの状態を想像することができないために
、依然として幽界の濃厚ではでな幸福に執着して、再び幽界の楽園に生まれ変わり
たいと希望する。このような人たちは、幽界のそうした根強いカルマを完全に果た
さないうちは、創造主との間にわずかな薄い仕切りしか残していない観念界に定住
することはできないのである。

魂が、もはや目に楽しい幽界の経験を願わず、また、そこに帰りたいという誘惑に
も陥らなくなったとき、初めて観念界にとどまることができるようになる。そして
、さらにそこで、いっさいの過去の欲望の種子である観念体のカルマを完全に根絶
し終わったとき、魂は、これまで自分を閉じ込めていた三つの無知の栓の最後の分
を開いて、観念体という最後の容器から脱け出し、ついに永遠なるおかたと一つに
融け合うのである。

●最後に
この精妙なからだも、精妙な星も、結局いつかは消え去ってゆくだろう。それは神
が宇宙夢の中で演じておられる観念の相対的表現にすぎないのである。

スリ・ユクテスワの霊界通信3

2010-02-24 08:42:02 | ◆スリ・ユクテスワの霊界通信
●三重のからだ
幽体の死とは、幽体の生命を構成しているエネルギーの顕現形態であるライフトロ
ンが消散することである。

地上の人間が死ぬと、彼はその肉体意識を失い、生まれ変わった幽界の精妙な幽体
を自分自身として意識するようになる。そしてやがて幽界の滞在期間が終わって幽
体の死を迎えると、彼は、幽体の生死を自分の生死と思う意識から、再び肉体の生
死を自分の生死と思う意識に変わる。こうして肉体と幽体との間に生まれ変わりを
くり返すいわゆる輪廻は、迷妄の中に生きるすべての人間にとって、避けることの
できない運命なのである。

個々の魂としての人間は、本質的には観念体をもった存在である。この観念体は、
神の創造活動に必要な三十五の基本的観念の母体で、神は後にこれから、十九の要
素から成る鈍重な肉体をつくられた。
幽体の十九の要素とは、精神的、生命力(ライフトロン)的なもので、それらは、
理性(英知)、自我意識、直覚、感覚意識の四つと、五つの感覚器官ー肉体の視聴
嗅味触の五官に相当する幽体器官ーと、五つの行動器官ー生殖、排泄、会話、歩行
、手仕事等を行う精神的器官ーと、五つの生命力の器官ー身体の細胞形成、消化、
廃棄、新陳代謝、循環等の機能を遂行する器官ーによって構成されている。これら
十九の要素で出来ている精妙な幽体は、十六の鈍重な要素で出来ている肉体が死ん
だ後もなお存続するのである。

神は、観念体の三十五の観念を基にして、それらを入念に組み合わせ、十九の要素
から成る幽体と、十六の要素から成る肉体を、それぞれ人間の観念体の似姿につく
られた。

肉体は、創造主の夢が固形化され、客観化されて出来たものである。肉体を脱いで
も、魂は依然として幽体と観念体に包まれている。人間の三つのからだを結び付け
ている力は、欲望である。物質的あるいは肉体的欲望は、利己心と感覚的快楽に根
ざしている。感覚的経験がもたらす誘惑や強制は、幽界における楽しみや、観念界
における知覚的欲望よりもはるかに強力なものである。

幽界人の欲望は、物事を波動として楽しもうとするものである。彼らは天界の霊妙
な音楽を楽しみ、万物を、たえず変化して尽きることのない光の表現として眺め楽
しんでいる。彼らはまた、光を嗅いだり、味わったり、さわったりもする。彼らは
あらゆる事物や経験を、光で描き出したり、、あるいは想念を凝縮した夢にしたり
して楽しむ能力をもっている。

●地上人間
人間の三つのからだが互いに関連しあっている証拠は、いろいろな面で人間の性質
の三重性となって現れている。地上の人間は、目を覚ましているとき、その意識は
多かれ少なかれ三つのからだのうえにある。視聴嗅味触の感覚に集中しているとき
は、彼は主として肉体を通して働いているし、想像したり計画したりしているとき
は、おもに幽体を通して働いている。また、観念体は、思索や、内観や、瞑想に深
く沈潜しているときに活動している。天才といわれる人たちの宇宙的な構想は、自
己の観念体とたえず接触している者に降来するのである。この意味で人間は、官能
的人間と、知能的人間と、霊感的人間に分類されるだろう。

人間は一日のうち、目を覚ましている十六時間は、自己意識が肉体にある。それか
ら眠って夢を見ている間は、自己意識は幽界にあって、幽界人と同じように何でも
自由につくり出すことができる。また、夢も見ないほど十分に睡眠が深いときは、
数時間意識の座を観念体に移すことができる。このような眠りには、心身の疲労を
回復させる力がある。夢を見ているときは、意識は観念体ではなく幽体にあり、こ
のような睡眠には十分な回復力はない。

スリ・ユクテスワの霊界通信2

2010-02-22 08:29:40 | ◆スリ・ユクテスワの霊界通信
●人間の魂

人間の魂は三重のからだで包まれている。第一に他の二つのからだの根源をなす観
念体(根源体)、第二に人間の知能や感情の座である精妙な幽体、そして第三に粗
雑な肉体である。
地上の人間は、肉体的感覚器官をそなえている。
幽界の人間は、意識と直覚と、ライフトロンで出来た幽体で活動している。
観念体のみをまとった人間は、至福に満ちた観念の世界に住んでいる。

わたしの仕事は、幽界から観念界に進む準備をしている人々を対象とするものだ。

●幽界
幽界には、幽界人のおおぜい住んでいる幽質の星がたくさんある。
そこの住人たちは、一つの星から別の星へ旅行するのに、幽体の飛行機である光の
かたまりを用いる。これは電気や放射性エネルギーよりも速いものだ。

幽界の宇宙は、いろいろな色彩に輝く精妙な光の波動から出来ていて、その大きさ
は、物質界の宇宙の何百倍もある。物質界全体は、幽界という巨大な光り輝く気球
の下にぶら下がっている小さな固形のバスケットのようなものだ。

幽界の星座にも太陽や月があり、物質界よりもはるかに美しく、光はオーロラに似
ている。

幽界の昼と夜は、地上の昼と夜よりも長い。

幽界は、限りなく美しく、清潔で、純粋で、整然としている。

幽界は常に春のような暖かさで、ときおり光り輝く白雪や、多彩な光の雨が降る。

幽界の遊星には、オパール色の湖や、きらきら輝く海や、虹色の川がたくさんある。

普通の幽界には、地上から来たばかりの何百万という人間と、無数の妖精、人魚、
動物、妖鬼、小人、魔人、精霊などが、それぞれのカルマによる資格に応じて、異
なった遊星に住んでいる。

善霊は自由に旅行することができるが、悪霊は限られた区域に閉じ込められている。

地上の生き物と同じように、幽界の生き物も、それぞれの階級に応じて適当な波動
領域を割り当てられている。

他の世界から追放されたいわゆる悪魔(地獄に落ちた天使)たちの間では、ライフ
トロンの爆弾や、呪文という精神光線による戦いや争いが繰り返されている。これ
らの人々は、陰惨な下層幽界に住んでいて、邪悪なカルマを遂行している。

こうした一部の暗い牢獄のような区域を除いては、すべてが広大な光の領域で、そ
こではあらゆるものが美しく輝いている。

幽界にあるものはみな、本来神のご意志の具現化したものだが、部分的には幽界人
の意思によって改造されたものもある。彼らは、神がおつくりになったものの形や
美しさを、好みに応じて修正したり改良したりする能力をもっている。

幽界では、幽界人の意志だけで、直ちに固体を液体や気体やエネルギーに変えるこ
とができる。

幽界は、調和と平和の幸福を楽しんでいる。

幽界の生き物は、自分の姿形を意のままに解体したり、つくり変えたりすることが
できる。花や魚や動物でさえも、一時的には人間の姿に変身することができる。容
易に語り合うこともでき、カルマによる一定の制約はあるが、どんな生き物にも等
しく自分の姿形を自由に選ぶ権利がある。幽界の万物は、活力にあふれる神の創造
の光で出来ているのだ。

幽界に生まれる者は、宇宙意志の力を借りて精妙な幽質の波動を凝縮し、自分の性
質に応じた幽体をつくる。地上で死んだ人間は、同じような精神的および霊的傾向
をもつ幽界の家族のもとへ招き寄せられて、そこに生まれるのだ。

●幽体
幽体は、温度その他の自然条件の影響を受けることはない。

人体の幽体構造の根幹は、千枚の花びらをもつ光の蓮の花にたとえられる幽体の脳
と、スシュムナと呼ばれる幽体脊髄に並ぶ六つの目覚めた中枢だ。

幽体の心臓は、幽体の脳から光と宇宙エネルギーを導入し、それを幽体の神経や細
胞(ライフトロンで出来ている)に送っている。

幽界人は、ライフトロンの力や聖なるマントラの振動によって、自分の姿形に変化
を加えることができる。

幽界人のまとっている幽体は、ほとんどの場合、前世において肉体の内側にまとっ
ていた原型と同じ姿をしている。顔つきやからだつきは、前世の地上における青年
時代のそれとよく似ているが、私のように年をとってからの姿を好んでとる者もい
る。

幽界は、総合的な第六感すなわち直覚によって認識される世界だ。直覚だけで見た
り、聞いたり、嗅いだり、味わったり、さわったりしている。彼らは三つの目をも
っており、そのうち二つは半ば閉じている。第三の目は、ひたいの中央に垂直方向
についていて、開いており、これが最も主要な目だ。

幽界人は、目、耳、鼻、舌、皮膚等の外面的な感覚器官をみなもっているが、すべ
て直覚によって経験している。

希薄な幽体もまた、ときには切り傷や打ち傷を受けることがあるがそれらは治そう
という意志を働かせることのよって直ちに治ってしまう。

幽界における人の美しさとは、外見的な容貌のことではなく、霊的な性質をいう。

幽界人には、新しい多彩な幽体に自由に衣替えをする特権が与えられている。地上
の人たちが祭の日などの晴れ着を着るように、幽界人も、ときには特別な趣向をこ
らした姿で身を飾ることがある。お祝いのときなどには、主はその愛する信仰者を
喜ばせるために、彼が望むどんな姿でもおとりになる。

過去世において友達どうしだった者は、幽界ですぐにお互いをそれと見分けること
ができる。彼らは友情の不滅を喜び合い、地上で死別したときに悲しみとともに疑
った愛の不滅性をあらためて悟るのだ。

幽界人の直覚は、地上の人間の活動を、次元のヴェールを貫いて見透かすことがで
きるが、地上の人間は、ある程度第六感を発達させなければ幽界を見ることはでき
ない。

幽界人どうしの意思の伝達は、すべて幽界のテレパシー(精神感応)とテレヴィジ
ョン(視覚的精神感応)によって行われる。

幽界人は呼吸を必要としない。主として宇宙光で生命を保っている。幽界の畑には
発光体のような光の野菜が豊富にある。幽界の住人は、野菜を食べ、輝かしい光の
泉や幽質の川から甘露を汲み上げて飲んでいる。幽界の住人は、エーテル中に浮遊
している目に見えない、神のつくられた野菜その他の植物の青写真を、自らの意志
で幽体化する。用が済むと再びエーテル中に解消してしまう。

ヒラニャローカのような高い天国の部類に属する星の住人は、ほとんど食べる必要
から解放されている。そして、さらに高い観念界に住むほぼ完全に近い解脱に達し
た魂たちは、至福のマナ以外には何も食べない。

幽界人は、折にふれて、彼がかつて地上に何回も生まれ変わっていた間に縁を結ん
だ父や、母や、夫や、妻がそれぞれ何人も、無数の親戚、友人などともに、幽界の
あちこちに住んで居るのに出会う。すると彼は、自分にとってだれが特に親しい相
手なのか戸惑いを感ずる。だが、こうして彼は、すべての人々を、同じ神の個別表
現である神の子として平等に愛することを学ぶのである。

宇宙のあらゆる原子には、消すことのできない個性が与えられているので、幽界の
友人がどんな衣裳を着けていても、すぐにそれと見分けることができる。

幽界人の寿命は、地上の人間の寿命よりもはるかに長い。普通の進化程度の幽界人
の平均寿命は、地上時間の五百年ないしは一千年くらいだろう。当人の物質的カル
マの程度により、おのおのの定められた期間だけ滞在すると、再び地上い帰って行
く。

幽界人は、その光の幽体を脱ぎ捨てる際に、死と苦闘する必要はない。いくらか心
残りを感じる程度である。

幽界では、自分の意志に反して死んだり、病にかかったり、老衰したりすることは
ない。

スリ・ユクテスワの霊界通信1

2010-02-20 14:53:16 | ◆スリ・ユクテスワの霊界通信
’あるヨギの自叙伝’ パラマハンサ・ヨガナンダ (著) の中に、スリ・ユクテス
ワによる幽界から語られた霊界通信があります。霊界の様子が詳しく述べられてい
ますので、まとめてみようと思います。

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スリ・ユクテスワは、’1936.3.9 9時’に死去したが、’1936.6.19 15時’に復活
し、ヨガナンダの元に物質化して訪れた。
(以下は、復活後二時間ほどの中で行われた霊界通信です)

●スリ・ユクテスワの身体

これは血の通った肉体だ。わたしの目にはエーテルのように希薄に見えるが、お前
の目には紛れもない肉体に見えるだろう。わたしは、宇宙原子から全く新しいから
だをつくったのだ。

わたしはほんとうに復活したのだ。ただし、地球にではなく、幽界の星にだ。
そこの住人たちは、地球の人々よりも、はるかによくわたしの高い水準に順応する
ことができる。

私は、たこのようにしっかりと先生にしがみついていた。私には、ほのかななつか
しい先生特有の快い体臭が感じられた。先生は、半分は言葉で、半分は精神感応に
よって、その意思を伝えられた。こうして私は、先生が伝えられる思想を非常な速
さで理解することができたのである。(ヨガナンダ)

私のこの新しいからだは、前の古いからだと全く同じに出来ている。わたしはこの
からだを、いつでも自由に、しかも地上に居たときよりもずっと頻繁に、物質化し
たり解体したりしている。からだを急速に解体することによって、わたしは今では
、一つの星から他の星へ、あるいは、幽界から観念界や物質界へ、光という特急で
あっという間に旅行することができる。(スリ・ユクテスワは地上生活中も、遠方か
ら物質化してヨガナンダの前に現れたことのある記述がある)


●スリ・ユクテスワの仕事とヒラニャローカと呼ばれる星

スリ・ユクテスワは生前、弟子のカルマを軽減してやるために、ときおりその病の
重荷を自分の身に引き受けられたが、それと同じように、幽界においても救い主と
して、ヒラニャローカの住人たちがすみやかに進化を遂げてより高い観念界へ昇れ
るように、彼らのカルマの一部を代わりに背負ってやることを言われたのである。
(彼の仕事は、地上から昇って来た魂よりも、観念界から戻って来た魂を助けるこ
と。それが神のご命令である。)

完全に解脱した魂の中には、再び観念界に戻って、そこの住人がすみやかに観念体
に包まれた生存期間を終えて’絶対の自由’を達成するよう助力する仕事に携わる
者も居る。

ちょうど預言者たちが、地上の人々の肉体的カルマの成就を助けるために地上につ
かわされたように、わたしもまた幽界の人々の救済者として奉仕するように神から
命じられたのだ。
そこはヒラニャローカと呼ばれる星で、幽界の中でも目覚めた魂たちの住んでいる
星だ。わたしはそこで、霊的に進化した人々の幽体的カルマを取り除き、幽界での
生まれ変わりから解放されるよう手助けするのだ。ヒラニャローカの住人たちは、
すでに霊的に高い進化を遂げており、みな最後の地上生活で、自己の肉体から意識
的に脱出する能力を、瞑想によって会得したひとたちだ。地上の生涯で、サビカル
パ・サマディを超えてさらに高いニルビカルパ・サマディの段階に達した者でなけ
れば、このヒラニャローカに来ることはできない。

ヒラニャローカに生まれて来る人たちは、地上で死んだ人々のほとんどが行かなけ
ればならない普通の幽界の生活をすでに卒業して来た人たちだ。かれらはここで、
前の幽界生活でまいたカルマの種子を完全に取り除くのだ。(地上から来て、まだ
地上のカルマを少しでも身につけている魂は、ヒラニャローカのような高い幽界の
星にすぐに昇ることはできない)

’幽界の太陽’’幽界の天国’ともいうべきヒラニャローカにはまた、もっと高い
観念界(根源界)から来たほぼ完成の状態に近い魂も住んでいる。
ヒラニャローカの進化した住人たちは、宇宙政治上の複雑な問題の解決や、神を忘
れて物質のとりこになっている魂たちの救済に尽力している。

幽界の住人は、まだ精神的苦悩から完全に解放されてはいない。高い段階のヒラニ
ャローカに住む人たちは、真理の知覚や遂行に何か誤りがあったりすると、非常に
苦痛を感じる。こららの進化した人たちは、自分の意志や行為がすべて完全に霊的
宇宙法則にかなうよう努力している。

崖の上のポニョ

2010-02-18 23:22:29 | ◆スピリチュアリズムを小脇に抱えて
’スピリチュアル日記’カテゴリーからの投稿です。

2010.2.5 テレビで’崖の上のポニョ’を見ました。絵が綺麗でしたね。ストーリーが、よ
く解らないとの感想はあちこちで聞いて知っていましたが、幻想界(霊界の一つ)の出来事
だと思えば、こんな感じかも知れませんね。イマジネーションを広がる訓練になるようにも
思いました^^

思ったとおり、アンデルセン童話の’人魚姫’が、映画全体のモチーフとなっているようで
すが、どんな生物だったか忘れましたが、神様に人間にしてもらう代わりに記憶を消されて
しまうような物語もあったように思います。

この映画の一部を霊界と比較してみてみましょう。マイヤーズ通信の「魂の旅の旅程表」
よると、霊界は七つの階層(意識レベル)から成るとされています。物質界(地上界)から
幻想界(天国、極楽、常夏の国、サマーランドなどと呼ばれています)を経て到達する形相
界(色彩界)という階層があるのですが、ここでは、形態を統御することができ、またそれ
に生命を吹き込むことができるようです。いわゆる霊力を自在に操る事ができるという事で
しょうか。

また’マイケル・ニュートンの退行催眠中間域全記録’によると、成長する魂の項目には、
レベルⅢの魂の世界の中には’創造と非創造の世界’があり、個人的に創造力の練習をする
ことを求められ、無生物からはじめてだんだんと生物をつくれるようになり・・・との記述
があります。

ポニョの父、フジモトはこの階層レベルの魂(霊)で、ポニョを生み出した・・なんて考え
るのも面白いかもしれませんね。そして、ポニョの母、グランマンマーレは、同階層上部、
もしくは、一つ上の階層の魂(霊)^^

ところで、宮崎駿監督は、12~13歳の自分をほとんど覚えておらず、高校三年間もほとんど
寝ていたそうです。現世で魂が目覚めるまで睡眠中、向こうの世界へ行って修行していたの
かもしれませんね。今でもインスピレーションの源泉は、太いパイプで繋がれた霊界からの
働きかけによるもののようにも思います。

ちなみに、生物学的には人は魚から進化してきたようですが、霊魂的には魚から人へという
記述は見当たりませんね。シルバーバーチは「新しい霊ーはじめて人間の身体に宿る霊は、
動物の類魂の中の最も進化した類魂です。その動物は犬です。(霊訓5 P101-2)」と話して
います。

その大きな理由は人間が犬を可愛がったからのようです。ポニョも宗介の愛情を受けて、宗
介が大好きになり、その愛の霊力によって導かれ、自ら進化して人間となっていく・・・・
なんてどうでしょう^^

’スピリチュアリズムを語る’

2010-02-16 23:33:20 | ◆スピリチュアリズム・本
’スピリチュリズム・本’カテゴリーからの投稿です。
---------------------------------------------------------------------------
スピリチュアリズムを語る (単行本)
江原啓之 (著)

内容紹介
スピリチュアリズムへの疑問に答えた真実の書がついに刊行!「スピリチュアリズムは、ひ
とつの「哲学」です。そして、その哲学を基にした「生き方」です」
世間にあふれる「間違いだらけのスピリチュアリズム理解」を解き、ほんとうのスピリチュ
アリズムへの理解と実践をうながすために、ついに語られた「スピリチュアリズムの歴史と
真実」。
「人生を生きる意味とは」「たましいって本当にあるんですか」といったスピリチュアリズ
ムの歴史と真実にかかわる問題や、幸運と不運、職業について、また結婚や出産、病気につ
いてなど、スピリチュアリズムから見た人生の考え方。

そして、霊視、霊能力者についてや、霊的な現象や出来事についての、スピリチュアリズム
から見た霊的事象の考え方までが、あなたの質問・疑問に答えるようにわかりやすく丁寧に
語られています。

内容(「BOOK」データベースより)
スピリチュアリズムは、ひとつの「哲学」です。そして、その哲学を基にした「生き方」で
す。

単行本: 320ページ
出版社: パルコ; 新書判並製版 (2009/12/17)
言語 日本語
ISBN-10: 4891948132
ISBN-13: 978-4891948139
発売日: 2009/12/17
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霊能相談依存症の方には、なかなか手厳しい内容です。物質主義への批判もさることながら
、スピリチュアリズム教条主義の方々にも手厳しいです。いろいろな方面に対して、怒って
います。まさに、’孤高のスピリチュアリスト’といった感じです。

怒っていることはすべてまっとうだと思います。しかし、メディアバッシングからの反論書
の要素も多分にあるようにも思います。

逃げなのか卒業なのか
小我なのか大我なのか

自らの理性を重んじ、良心の声に気づき、動機は何処にあるかを知れば、経典主義に傾くこ
とも、右往左往することも無くなるでしょ・・・・そんなメッセージを受け取りました。

今後、江原さんの長年の願いだったホスピスの建設が始まるようです。医師から余命宣告を
受けている、生活保護を受けている、身寄りがなく天涯孤独である、といった条件の人を受
けいれる予定だそうです。

今後のご活躍を期待しております^^

満月の出会い

2010-02-14 12:23:05 | ◆スピリチュアリズムを小脇に抱えて
’スピリチュアル日記’カテゴリーからの投稿です。



先日、横浜に行った時の事ですが、写真を撮るのが好きなので友人との約束の時間まで、待
合せ場所の近くをフラフラしていました。いつもなら海方面へ行くのですが、ふいに山の方
へ行ってみようと思い小高い山の方へと向かいました。

取り立てて面白い被写体はありませんでしたが、ちょうど夕焼けが綺麗で、歩道橋の上から
夕焼けや富士山のシルエットを撮りました。その後、待合せ場所へ向かおうと坂を下り始め
たら、前方東の空に得体の知れない大きな赤い物体が浮かんでいました。後から解ったので
すが、それは今年最大の満月でした。

急いで、歩道橋に戻り写真を撮りました。その時、反対側の夕焼けを撮っている犬を散歩さ
せている女性の方がいました。満月の事を教えてあげようと思いながらも、赤から黄色に変
わっていく満月に魅せられて写真を撮り続けていました。

ひとしきり撮って、教えてあげようと思ったら、その女性の方から’あれ何ですか?’と話
しかけてこられました。さすがに大きな満月に感動されていたようです。いろいろと話をし
たら、占いをされる方でした。この方もこの日は、普段とは違う散歩コースを選び、この歩
道橋に来たそうです。

果たして第六感覚による引き合わせかどうかは解りませんが、こんな出会いもあったりする
のですね^^

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先日、メールを打っていて、後少しで完成というところで、パソコンの画面が真っ黒になっ
てしまいました。(かつてこんな事はない)どうやっても駄目で、結局再起動をかけて立ち
上げましたが、打った内容は保存しておらず、全て打ち直しになってしまいました。

しかし、ああ、ついてないな・・という解釈より、伝えるべき文面ではなかったのかなと解
釈しました。しばらくしたら、別のインスピレーションを受け取りましたので、その文言も
織り交ぜて、もう一度打ち直しました。

こんな細かい事象も、スピリチュアル・ライフワークの一つです(笑)

’あるヨギの自叙伝’

2010-02-12 08:35:54 | ◆スピリチュアリズム・本
’スピリチュリズム・本’カテゴリーからの投稿です。
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あるヨギの自叙伝 (ハードカバー)
パラマハンサ・ヨガナンダ (著)

出版社/著者からの内容紹介
ヨガを行ずる者をヨギという.本書は,ヨガの聖者,パラマハンサ・ヨガナンダ師が,波瀾
に富んだ自己の生涯,インドの偉大なヨガの聖者たち,ヨガの数々の奇跡を近代科学の言葉
で記述した興味つきぬ自伝.読者諸氏は,師の魅力的な人物,生涯,そしてヨガが有する霊
的世界に,必ずや引きこまれるであろう.

ハードカバー: 604ページ
出版社: 森北出版 (1983/09)
言語 日本語, 日本語, 日本語
ISBN-10: 4627999313
ISBN-13: 978-4627999312
発売日: 1983/09
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ヨガについては、あまり知識がありませんでしたのでよい勉強になりました。といっても
実践的な事が書かれてわけではありません。

深遠なるヨガの世界は、まさにスピリチュアリズムそのものです。ただし、当然ながら
内的鍛錬、神との合一等の修行に重点がおかれているようです。が、ヨガナンダさんの魂に
は、教育や奉仕、クリヤヨガの普及など役割が課せられていたように思います。

この本は、ともすれば、物質化現象、透視、テレパシー、テレポート、半世紀以上飲食をし
ない女性など、心霊的(サイキック)な超能力者がクローズアップされがちですが、これら
の能力はあくまで霊性の開発(スピリチュアル)の通過点の出来事なのでしょう。

’第43章 スリ・ユクテスワの復活’には、他界したユクテスワ氏が、ヨガナンダ氏のもと
に物質化して現れ、幽界・霊界の様子を詳しく説明しています。他の霊界通信や退行催眠
中間域記録で語られている内容とほとんど同じですが、いずれ比較してみようと思います。

あらためて、’人間’は、’霊’なんだなと思わせる非常に濃い内容の本でした。

予兆や守護

2010-02-10 00:15:35 | ◆スピリチュアリズムを小脇に抱えて
’スピリチュアル日記’カテゴリーからの投稿です。

昨年末、仕事で練馬ICから関越自動車道に乗り、しばらく走ったら、ハザード点滅、事故
による渋滞のビジョンが浮かんできました。
車は空いていて、そんな事はあり得そうにないと思っていましたが、5分ほど走ると渋滞が
始まりました。しばらく走ると追越車線で3台の追突事故。更に500m程先でも2台の追
突事故が発生していました。まだ事故って間なしという感じでした。

かつて車を走らせていて、どう表現していいか解りませんが嫌な予感がして、スピードを落
とした直後に、子供の乗った自転車が目の前を横切って行ったりといったケースは何回かあ
ります。

偶然と言ってしまえばそれまでですが、予感や予知、虫の知らせというものは、数え切れな
い程、報告されていますね。このような情報入手の感じ方が、いわゆる第六感覚なのです
が、自分自身が’ある所’から情報を入手しているのか、それとも霊界の守護霊などからの
働きかけによる情報入手なのか、それを判別することは不可能でしょう。


また、やはり昨年末、酔っ払って重い荷物(4~50kg)を二人で階段の上へ運んでいる
時に、ほぼ二階まで登っていた輩が足を滑らせて、その荷物を床下まで落としてしまいまし
た。その際、下を支えていた私も落下した訳ですが、気がついたら、何故か転ばずに床面に
立っていました。
かなり酔っていたので、どうなって落ちたのかは全く覚えていませんが、周りの人からも、
振り向いたら私が床面に立っていたそうです。翌日、左太ももの打撲痛と右足首の軽い捻挫
をしていることが解りましたが、ほんとにこの程度で助かりました。

友人からは、日頃の行いが良いからじゃないと、冗談を言われましたが、このようなケース
も結構あちこちで聞きますね。自分としては、守護霊に守られたと思っています^^

7.シルバーバーチとの出会い

2010-02-08 00:02:46 | ◆スピリチュアリズムに辿りつくまで
’スピリチュアリズムに辿りつくまで’カテゴリーからの投稿です。

2006.8 シルバーバーチとの出会い

仕事で高速道路を走っていた時に、’本屋さんに行くように’とのイメージが浮かびまし
た。インターを降り、客先の近くの本屋さんの奥に引き寄せられるように進むと、一冊の本
が目に留まりました。本をめくると、次のような言葉が飛び込んできました。

「あなたがもし古い神話や伝来の信仰をもって、これで十分と思い、あるいは、すでに真理
の頂上を極めたと自負されるならば、本書は必要ありません。しかし、もし人生とは一つの
冒険であること、魂は常に新しい視野、新しい道を求めてやまないものであることをご承知
ならば、ぜひ本書をお読みいただいて、世界のすべての宗教の背後に埋もれてしまった必須
の真理を見出していただきたい。そこには、すべての宗教の創始者によって説かれた訓えと
矛盾するものは何一つありません。地上生活と、死後にもなお続く魂の旅路に必要不可欠の
霊的知識が語られています。もしもあなたに受け入れる用意があれば、それはきっとあなた
の心に明かりを灯し、魂を豊かにしてくれることでしょう。」
(シルバーバーチのスピリチュアル・メッセージ―真実の愛であなたが変わる)

それは、とても魅力的な言葉でした。うつ病再発後、しばらく精神世界からは遠ざかってい
ましたので、こんな方面に興味があったなと購入し読み始めました。読み進めるうちに、興
味などという感覚ではなく、魂の深いところに入り込んでくる感じがしましたね。ゆっくり
、ゆっくり味わうように読み進めていきました。

引き続き、’シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q&A―崇高な存在との対話’を読み
、読み終わる頃には、今まで知識としてあった精神世界や、私の身に起きた数々の出来事の
何もかもが全て繋がったように感じましたね。それは、ようやく辿り着いたという感覚でし
た。その後、三ヶ月程で薬を飲むこともなくなり、体調もどんどんよくなっていきました。

その後、勉強会に参加したり、このブログで紹介しているようなスピリチュアリズム関連の
本を読み進めるにしたがい、少しずつ少しずついわゆる霊的真理が根付いていきました。同
時に心身ともに正しいコントロールができるようになり、体力・気力も若い頃に比べて同等
以上の充実したものが得られるようになりました。

私たちの実相は’霊’なのであり、私たちの思考や精神が霊を形づくります。ならば、その
正しい思考や精神を養うことこそがこの世に生きる目的であり、何よりも大切で大事なこと
になるわけです。そこに価値観を見出し、潜在的に備わっている良心の声に耳を傾け、言動
や行動の動機を見極めていく・・・そんな生き方を目標に日々をおくっています。

真理の探究、悟りの境地には終わりはありません。一段登れば、また次の山が見えてきま
す。それは永遠に続く魂の旅路です。まだまだ山あり谷あり螺旋階段の如く続いていくこと
でしょう。

6.うつ病

2010-02-07 03:54:46 | ◆スピリチュアリズムに辿りつくまで
’スピリチュアリズムに辿りつくまで’カテゴリーからの投稿です。

2003.4 実父他界

2~3年前から実父が頭重を訴え、脳神経外科でみてもらいましたが異常はなく、心療内科で
安定剤等を処方してもらっていました。しかし症状はあまり改善されず、神経ブロック療法
や漢方なども試しました。
少し良くなってきたかなと思ったのですが、4月の某朝、持病悪化(心臓)で突然他界して
しまいました。

前日の夜まで普通に話をしていたわけで、実母の時とは違い、実父の突然の他界は衝撃的で
した。この世からいなくなってしまった事が信じられず、しばらく尾を引きました。


2003.11 うつ病

実父の他界あたりから、仕事上で、膨大な仕事量のあるプロジェクトを任されました。通常
の業務に加えたプロジェクトであった為に非常にきつく、またその仕事を分散するにも人材
がおらず独りで抱え込むことになってしまいました。11月末期限のそのプロジェクトが近づ
くなり精神的に不安定になりました。

今思うに、その仕事に没頭するあまり全く回りが見えない状態でしたね。また、そのプロジ
ェクトは非生産的で、自分の思考とは大きなズレがあり、大きな負荷、ストレスがかかって
いたと思います。

やがて、眠れなくなり、食欲も落ち、テレビを見ても新聞を読んでも、全く頭に入ってこな
くなりました。アルコールを飲んでも全く酔わない。非常に強い焦燥感がありました。11月
の中頃、仕事をしていて、理解の停滞や何をしているのか解らない状態となり、心療内科へ
行きました。そこで’うつ病’と診断されたわけです。

これが’うつ病’なのか・・・その後、一ヶ月半の休職を余儀なくされ自宅待機となりまし
た。抗うつ剤、安定剤の服用となったわけですが、しばらくそのプロジェクトが頭から離れ
ず焦燥感が続きました。結果的にはそのプロジェクトは暫定的に何とかなったのですが、
しんどかったですね。

一ヵ月半の後、症状は治まり、V字型に回復しました。その後も特に問題なく精力的に公私
活動できました。予防として、セロトニン活性化の為に、リズム運動であるウォーキングや
丹田呼吸法なども積極的に継続して行っていました。

この頃、’臨死体験’坂本政道著を読み、モンロー研究所を知り、ヘミシンクの音楽を聴い
たりしていましたね。


2004.12 スマトラ島沖大地震

学生の頃の知人でヨガの先生をしている方がいました。十数年ぶりのまさに目に見えない力
による再会後、時々連絡をとって一緒に飲みに行ったりしていました。彼はもともと身体が
弱く整体の健康道場へ通っていました。私と同時期に母を亡くしました。包み込むような柔
らかい気を持つ人でしたね。

そんな彼がスマトラ島沖大地震によるインド洋津波にのまれスリランカで帰らぬ人となりま
した。(ヨガを学ぶ生徒さんと一緒に旅行していたらしい)実父の突然の他界に続き、親友
との突然の別れは、私の心の奥に深く暗い闇をもたらしました。


2005.2 うつ病再発

特に何か大きな出来事があったわけでもないのですが、今後しばらく今の仕事とその生産性
の無い仕事をこなしていかなければならないのか・・・との思いが強くなり、身体が動かな
くなりました。それは、うつ病の再発でした。

その後またしばらく休職し退職も考えましたが、プロジェクトの責任者からはずしてもらう
条件で復職しました。しかし、挫折感、孤独感、自己崩壊、自己嫌悪、自信喪失、気弱面増
幅などの状況から抜け切れず、非常に苦しい状態が続きました。メンタル的には、まさにど
ん底状態でした。薬はあまり飲みたくなかったので、リズム運動や、鍼治療に通いました。
(鍼治療は効果がありましたね)復職当初は、長時間の車の運転もできない状態で、まさに
気が萎えているようでした。

半年を過ぎたあたりから、ようやくまずまず普通に働けるようになりましたが、公私共に、
トラブルや想定外の出来事に遭遇すると過剰・過敏に反応し、辛い状態が続きました。上が
ったり下がったりを繰り返しながら、それでも何とか仕事はこなしていました。表面的には
以前の状態に戻ったように見えたことでしょう。


2006.2 親友他界

心臓肥大の病で、高校の同級生が自宅で倒れそのまま帰らぬ人となりました。2005.11に両
家族で食事をしたのが最後となってしまいました。その頃、私も体調があまりよくありませ
んでしたから、元気付ける言葉もあまりかけることができず今でも悔いが残っています。こ
んなにはやく旅立ってしまうなんて・・・ショックな出来事でしたね。

5.目に見えないものに惹かれて

2010-02-06 08:36:08 | ◆スピリチュアリズムに辿りつくまで
’スピリチュアリズムに辿りつくまで’カテゴリーからの投稿です。

1999~2002年

・巨木(パワースポット、風水)
・バイオリズム~月光浴
・レイキ(霊気)
・トマティス理論(&モーツァルト療法)
・倍音効果(ディジュリドゥ、ホーミー)
・野口整体(活元運動)
・ワイズ博士の前世療法、他(本)
 などなど・・・

当時は’霊’や’あの世’の存在は信じていたものの、この世とあの世には深いミゾのよう
な大きな隔たりがあり、別次元の世界だと思っていました。そんな遠い別次元の世界の情報
を得られるのは霊能者だけで、私のような一般人にとっては縁遠いものと思っていたようで
す。

まして、霊界の構造など思いもよらず、霊界からの守護や援助などを感じようともしません
でした。目に見えないもの・・気、エネルギー、波動、直感、第六感覚、瞑想などの漠然と
したものへの興味に留まっていたようです。

’人によいエネルギーを与える’・・それにはまず自分が元気な状態を維持することであり
、そのために目に見えないものを取り入れるという自分なりの解釈だったように思います
ね。
2010.2.2記

4.ロッカー

2010-02-05 12:35:05 | ◆スピリチュアリズムに辿りつくまで
’スピリチュアリズムに辿りつくまで’カテゴリーからの投稿です。

1997.11実母の他界した三ヶ月後、以前から知り合いだったロッカーが、音楽活動を再開し
た。実に20数年ぶりの活動再開である。彼は、商用ベースの音楽を嫌い、音楽シーンから
姿を消し、サラリーマン生活を続けていた。(今も、続けている)日本でも、ここ数年、本
物の楽曲を聴きたいなどの機運が高まり、また、創作者も自分のやりたいことができる環境
が整ってきた。(インディーズ・レーベルなどで)彼も、年齢的なこと、そして環境が整っ
てきたことも相まって活動再開にこじつけた。

彼は言う。聞き手に精神的に良いポジティブなエネルギーを与える楽曲でなければいけな
い。自分にとって、ロックが一番の表現方法だと。

’良いエネルギーを相手に与える’これは、まさに自分でも感じていたことであった。自分
も音楽は好きだし、学生の頃、バンド活動もやっていた。青春期、楽曲によってずいぶん共
鳴もしたし、励まされた。(今でも)楽曲の精神面での影響力は、身を持って感じている。
楽曲によって大きく人生が変わってしまった人も知っている。

そんな彼の人間性のにじみでる楽曲をいろいろな人に聴いてもらいたいとの想いから、HPを
立ち上げたりもした。

自分のエネルギーの放出先として、同調していて、今でも支援し続けている。
1999年記

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彼との出逢いもとても不思議なものでした。川のほとりの土手で一緒に食べた秋刀魚弁当。
二人で柴又帝釈天に立ち寄り、渋滞の環状七号線で車窓から射し込んだ柔らかく暖かかった
陽光・・・。

彼とは月に一度位のペースで一緒に飲みますが、この十年以上前の出来事が今でも話題にの
ぼります。どうってことのない出来事なのですが、何故か二人とも魂の琴線に触れ深く印象
付けられています。

彼にはいろいろな事を教わりました。’一度生きて、死んでいく中で何ができるか’’魂の
琴線に触れる楽曲を伝えたい’’人に良いエネルギーを与えたい’当時、酔う都度に彼の口
からはそんな哲学的な言葉が飛び出していましたね。

彼はスピリチュアリズムを知りませんが、今にして思えば、シルバーバーチの語る言葉との
共通点が多く驚かされます。

三年ほど前に私と相性のよい霊能の方に、彼の写真を見せたところ面白い前世のビジョンを
語ってくれました。

私が僧侶だった頃(修行僧?どうもキリスト教や神道など宗教関係者だった前世があると、
他の霊能の方にも言われたことがあります)、細い道を歩いていた時に大きな石が道の真ん
中にあって、歩行の邪魔だからとその石をどかそうとしたが、重くて動かなかった。そこに
現れた荒くれ者(浮浪人? それが彼・笑)が動かすのを手伝ってくれた事が縁になって現
世に至っているとの事でした。

面白いですね^^
おそらくソウルメイトには違いないようで、今後もこの世を離れるまで互いの縁は続いてい
くことでしょう^^
2010年2月1日・記

3.難病の母

2010-02-03 00:05:42 | ◆スピリチュアリズムに辿りつくまで
’スピリチュアリズムに辿りつくまで’カテゴリーからの投稿です。

・筋萎縮性側策硬化症

1993年1月、義父が脳内出血で倒れる。
同年夏ごろから、実母が発音異常を訴える。脳系の病いかと検査を受けるが、原因は特定で
きない。
1995年7月、実母、検査入院先の病院で、家族のみに筋萎縮性側策硬化症と告知を受ける。
さすがに告知を受けて2~3日、自分のエネルギーの低下を感じた。現代の医学では、原因
が解明されていない為、治療の方法はないと、断言される。この病気の協会を訪れたが、病
気の進行に伴う対処法のケア・ブックを紹介されてだけで、やはり治療の手段はないとの回
答だった。いずれ動けなくなると分かっていても、回りとしては、何かをせずにはいられな
い。
霊媒師の助言、ならびに東洋医学に必然的に関心が高まり、いろいろと調べるようになっ
た。鉱泉水、卵油など、良いと思われるものは何でも試していった。しかし、症状は少しず
つ進行していった。

・気功師

1996年5月、ある人の紹介で、気功師に出会う。本人の効果がありそうだとの感触と、やる
気も伴って通うことになった。外気功に併せて、自分自身で気が練れるようにとリハビリの
生活が続いた。進行は、止まっているようにも感じた。が、夏を過ぎたあたりから、気力が
減退。処々の事情もあり、外気功治療を断念する。その後、慢性筋肉疲労をとる東洋医学系
の治療所に数回通ったが、歩く気力もなえてしまった。藁をも掴む思いで、いろいろやって
きたわけだが、いよいよ、八方塞がりの状況に負い込まれる。自分のエネルギーも低下して
気管支炎をこじらせてしまった。

・介護

その後、ある出来事をキッカケに治療から、介護へと気持ちを転換させた。区の援助もあ
り、保健婦、訪問看護婦、ヘルパー、かかりつけの医師による自宅介護の生活が始まった。
自分としては、どんなに疲れている時でも、なるべく、エネルギーを貯めて明るく接するよ
うに心がけた。母は、そんな状態になってまで生きていたくないと、人工呼吸器を拒ん
だ。

母は、寂しがりやだった。それと同時にプライドの高い人だった。少しずつ動かなくなって
いく体は、日に日に死へと近づいてゆく。’病気を治したい’という想いが断ち切られた
時、その運命を受け入れて余命をどうすれば、有意義に、穏やかに、そして安らかに過ごす
ことができるのだろう。

・何を支えに生きてゆくのか?

そんな母にかける言葉は、
毎日、毎日、その日、その日を大切に生きてゆこう。
朝、目が覚めたら、あ~今日も一日生きられると、神様、仏様に感謝して暮らしてゆこう。
いくら健康な人でも、明日はどうなるかわからない。天災や事故に会うかもしれない。
大丈夫、次の世界は間違いなくあるのだから・・・。

しかし、 ・・・誰も母にはなれない・・・

残り少ない母のこの世での日々、そして’命’を考えていたら、その問いは、自分にも向け
られていった。

何のために生きているのか?

・他界

1997年9月、母は、自宅で、眠るようにあの世に旅立っていった。介護にも力が入っていた
矢先だった。プツリと糸が切れたように・・・・・・。最後の10日間は、あまり感情の変
化もなく、今思うには、あちらの世界とこちらの世界を行ったり、来たりしているようだっ
た。なるべく、迷惑がかからない様にと思ったのか、日を選び、時間を選び、最後まで気を
使って旅立っていった。目に見えないものには敏感な人だったが、心から、身をゆだねよう
とはしなかった。

母が亡くなって、しばらくの間、自分のエネルギーの放出先が無くなってしまい、迷い子の
ような状態になってしまった。それでも、日々に流され、時間に追われ、時は流れていっ
た。しかし、’何の為に生まれてきたのか’’何の為に生きているのか’の問いかけは、自
分自身のしこりとなって、なおくすぶり続けていた。
1999年・記