スピリチュアル・ライフ by birch99

スピリチュアリズムを小脇に抱えて・・・スピリチュアルな視点で日常を綴ります。

価値観が変わる

2011-03-10 11:52:30 | ◆スピリチュアリズムを小脇に抱えて
私たちが、この世を去った後、物質的な肉体は消えてしまいますが、記憶も思いも精
神もこの世で生きていた時と同じように自分自身(個性)を維持しながら残り続ける
のであれば、この世での物事に対する価値観も大幅に変わってきます。

「幾らお金を貯めこんでも墓場までは持っていけません」とよく言われます。まあ、
三途の川の渡し賃(六文?)は必要かもしれませんけれど(笑)

この世で生きていくには、そりゃお金は必要で、お金があるに越したことはないでし
ょう。貧しければ、生きていくのに精一杯で、心も貧しくなるかもしれません。しか
し、どんなにお金に執着したところで、誰でもいつかはこの世を離れ、お金の無い国
へ行くのです。
転生(生まれ変わる)することになっても、前世で貯めこんだお金は使えないでしょ
う(笑)

「人間が必死に求めようとする地位や財産や権威や権力にも重要性を認めません。そ
んなものは死とともに消えてなくなるのです。が、他人のために施した善意は消して
消えません。なぜなら善意を施す行為に携わることによって霊的成長が得られるから
です。博愛と情愛と献身から生まれた行為はその人の性格を増強し魂に消えることの
ない印象を刻み込んでいきます。」
(シルバーバーチの霊訓1 P117)

霊界から霊能者を通じて、膨大な量の通信を送ってきたシルバーバーチは上記のよう
に語っています。

善意を施す行為・・・じゃあ、ボランティアでもやればいいのか?と思うかもしれま
せん。が、思いの出発点はそこではなく、困っている人の為に何かをしたいという思
いが、結果としてボランティアになるということです。

偉くなりたい、有名になりたい・・・それが悪いわけではありません。そのような憧
れや目的は、人生に活力を与えてくれることでしょう。例えば、イチロー選手のよう
になりたいとの思いがあるとしましょう。その思いが、野球選手としてなのか、有名
だからなのか、カッコイイからなのかは解りませんが・・・。しかし、イチロー選手
も、はじめから偉大な選手だったわけではありません。地道にコツコツと練習を続け、
一本一本のヒットを積み重ねて、その結果、偉大な人物となり有名になり、沢山の人
々に夢や希望を与えているのです。

私たちが死んだ後に、自分自身に残るものは、「心」です。善意を施す行為とは、相
手の気持ちが分かる、相手の身になって考える心の具体的な行動です。困っている人
に手を差し伸べるのも、悩んでいる方の話をきくのも、重苦しい空気を明るくする笑
顔を絶やさずにいることも同じです。人に対してだけでなく、全ての生きとし生ける
もの、植物や動物、そして地球の気持ちを考えることも同じです。

それこそが、この世で生きていく中で、もっとも大切な価値あるものなのでしょう。

幾つから始めても無駄な事はない

2011-03-09 11:51:38 | ◆スピリチュアリズムを小脇に抱えて
霊学の教えでは、私たちの身体は肉体だけでできているのではなく、幾つかの身体が重なり合って
できていると教えています。

魂>観念体(根源体)>幽体>肉体

自我>アストラル体>エーテル体>肉体

など、名称は様々ですが、どの教えも私たちは幾つかの身体が重なり合ってできていると伝えています。

私たちが、この世を去った後、物質的な肉体は消えてしまいますが、幽体(エーテル体)以上の幾つか
の身体は、この世で生きていた時と同じように自分自身(個性)を維持しながら残り続けるようです。
記憶も思いも精神も・・・。

「死んだらおしまい」ならば、「いまさら何かをするなんて何の意味があるのか」との問いが浮かんで
きます。
しかし、死んだ後も記憶も思いも精神も残り続けるのなら、たとえ幾つになっても、年老いてからでも、
何かを習ったり、何かを始めたりすることは、けして無駄ではないということになります。(霊界へ
行くことになっても、転生してくることになっても)

もし、このような事を信じられるのであれば、ただ単にこの世での生活のリズムのために、何かをする
という消極的な考え方で生き長らえるのでなく、もっと何かに興味を持ったり、もっと掘り下げて何かを
学んだり、魂の琴線に触れるものと接し感動したりと、積極的でしかもゆったりと焦ることのない生き方
ができるようになるかもしれません。

○○才からの手習い、大いに結構♪  まさに好奇心は若さの秘訣♪  
入り口は興味本位でも、どんな物事にも深い教えが隠されています。 コツコツと生き込みましょう^^ 


意識による判断の7秒前に、脳が判断

2011-03-01 16:21:16 | ◆スピリチュアリズムを小脇に抱えて
’意識による判断の7秒前に、脳が判断’

先日、テレビを見ていたら、こんなのをやっていました。

2008年4月13日(米国時間)に『Nature Neuroscience』誌に発表されたドイツのマック
スプランク脳科学研究所の報告によると、fMRI(脳スキャナー)を使った研究者らは、
被験者が自分で認識するより7秒も早く、彼らの決定を予測できたそうです。私達は、
意識して決断しているようですが、実はその7秒も前から無意識脳から信号が発射され
ていたのです。

ぼけ~と見ていましたし、ネットで検索をかけても具体的な実験の詳細内容がヒット
しないので、何とも言えないのですが、7秒という時間はかなり長いですから、もしか
すると被験者が、質問を受け取る前に無意識脳が決断するケースもあったのでしょう
か?もし、そうであったならば時空間を飛び越した所からの情報をキャッチしたこと
にもなりそうですね。

この実験報告は、自分の意志で決断を下す前に、自分の無意識脳は決断を下している
ということなのでしょうけれど、自分の知らない答えを自分の潜在意識から導き出す
手段としては、ダウジングやオーリングテストがあります。ダウジングは無意識の筋肉
運動、オーリングテストは指先に力が入るか否かで答えを導き出すとされています。

いずれにしても、この無意識脳は、潜在意識、普遍意識に繋がるもので通常は、直観や
第六感覚として意識に顕れてくるように思います。

普段は、ほとんど毎日必ずそのバスを利用していた人が、何となく乗りたくない感覚
を味わい乗らなかったり、アクシデントで乗れなくなったりして、その後、そのバス
が大きな事故に巻き込まれたといったような話はよく耳にします。

ところで、この研究報告では、脳の予測が完全に正確だったというわけでないそうです。
が、予測が外れたケースでは、おそらく決定の間際になって自由意志が作用し、潜在意
識による受け入れがたい決定を覆すのかもしれないともしています。

アストラル体の発達している人は、論理的に考えるよりも、感覚的に行動することを得
意とする人に多く看られます。感覚的な判断といっても、全体を観通している普遍意識
からくる直観的な判断であるなら、個人意識の限られた視野の中での論理的な結論に比
べて、判断の正しさが逆転することもある。
(黎明 15.普遍意識5-7)


地上においても霊界においても、道徳的、精神的ないし霊的問題に関連してある決断を迫
られる事態に直面した時、正常な人間であれば’良心’が進むべき道について的確な指示
を与える、というのが私の考えです。神によって植えつけられていた霊性の一部である良
心が瞬間的に前面に出て、進むべきコースを指示します。
問題は、その指示が出たあとから、それとは別の側面が出しゃばりはじめることです。偏
見がそれであり、欲望がそれです。良心の命令を気に食わなく思う人間性があれこれと理
屈を言い始め、何かほかによい解決法があるはずだと言い訳を始め、しばしばそれを’正
当化’してしまいます。しかし、いかに弁明し、いかに知らぬふりをしてみても、良心の
声がすでに最も正しい道を指示しております。
良心は精神的発達とつながっている場合もありますが、つながっていない場合もありま
す。私は良心とは神が与えた霊的監視装置で、各自が進むべき道を的確に指示するもので
あると主張します。
(シルバーバーチの霊訓6 P161-2)


一方、無意識は、行動の面からは意識しない動作であり、健康な人達の日常はほとんどこ
の動作で行われているので、さほど脳は疲れません。ところが心の病を煩っている場合
は、どうもこの辺りの機能がうまくいかず脳が疲れてしまうようです。

思い煩ってはなりません。心配の念はせっかくの援助の通路を塞いでしまいます。私はい
つも取り越し苦労はおやめなさいと申し上げております。心配の念は有毒です。悪気を生
み出し、それがあたりを取り囲みます。陰湿な雰囲気で包まれてしまいます。その状態に
なると霊の力も突き通せなくなります。
(シルバーバーチの霊訓9 P65)

自分では無意識のまま霊力の通路となって役立っている人が大勢います。ご本人は何かし
ら感じるものがありながらも、それを説明できず、ましてや霊の世界、死後の世界からの
働きかけとは思いも寄りませんが、しかし、ふだんの生活の中で常識では考えられないこ
とが起きていることに気づいています。
(シルバーバーチの霊訓7 P111)


心の病に陥り、堂々巡りのネガティブな思考から脱却するのは、なかなか大変な事です。
最終的には、それまでに慣れ親しんだ思考回路を変えていかねばなりません。その時、
スピリチュアリズムの訓えや考え方が役に立つのではないかと思います。