スピリチュアル・ライフ by birch99

スピリチュアリズムを小脇に抱えて・・・スピリチュアルな視点で日常を綴ります。

スピリチュアリズム洗脳

2010-09-29 00:56:48 | ◆スピリチュアリズムを小脇に抱えて
’スピリチュアリズムを小脇に抱えて’カテゴリーからの投稿です。

先日新聞を読んでいたら、「あなたは常識に洗脳されている」苫米地 英人 (著)という本の
紹介がありました。ちょっと面白そうだなあと思いましたが未だ読んでおりません。親によ
る洗脳、学校教育による洗脳、社会による洗脳、世間による洗脳、政治による洗脳、メディ
アによる洗脳・・・。

私たちが物事を見る目、秤、尺度等は、その時代の一般的な常識、道徳などが大きな比較対
象になります。そして時代の流れと共に、その常識や道徳は変化してきていますね。私たち
は、自分で、これは良い、これは悪いと判断しているつもりでも、このような常識や道徳の
枠の影響下にあることがとても多いのです。

これらの事に気がつき、一般的に言われる「正しい」とか「間違っている」事に疑問を持
ち、本当に大切な事は何か、大事な事は何かを問われ、スピリチュアリズムにたどり着き、
スピリチュアリズムの訓えを読んで、これこそが正しい道、真理へ通じる道だと共感し、
認識して、一つの生活行動の指針とされる方々も多いのではないでしょうか?

そして、これだ、これだと諸手を挙げて賛同し、これこそが求めていたものだとのめり込ん
でいく・・・。しかし、自分自身の状況、状態が順風満帆の時には良いのかもしれません
が、人生の荒波に巻き込まれている時、ネガティブな状況の時には、そんな理想的な事を言
っている場合でなくなるかもしれません。逆にそんな時こそ、スピリチュアリズムの訓え
が、心の拠り所となり安寧をもたらすものとなれば本物でしょう。

自分自身の霊の状態が、ホントにスピリチュアリズムを求めているのか?言い換えれば、今
世において、生き育まれてきた中で、どの枠組みにも入らない自分自身の、自分だけの考え
方、感じ方、思いがスピリチュアリズムの教えと同化するほどの霊の状態となっているの
か?その訓えが本当にストレスを感じずに受け容れらているのか?この辺りがスピリチュア
リズムを知った後の作業になるように思います。

まずは、自分自身を良い状態に保ち、霊界からの良い働きかけを受け易くして、自分自身に
染み付いた常識や道徳の枠組みを取り払い、フラットな状態から自問自答し、自分の良心を
知り、答えを導き出す。誰のものでもない自分自身で導き出した答えは、誰からの押し付け
でない自分だけのものです。そして、この答えは、結果的にスピリチュアリズムの訓えと繋
がってくると思います。このようなプロセスならば、「洗脳」とはならないでしょう。

下記に似たような事が書かれている箇所がありましたので引用します。

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いま、多くの方が読んでいるスピリチュアリズムの本には、霊的な世界はこうだから、こう
生きましょう、こう考えましょうと、かなり方向を決めつけてしまった書き方をしているも
のが見うけられます。
「人生では、良いことをすれば良いことが返ってくる。悪いことをすれば悪いことが返って
くる」「自分で蒔いた種は自分に返ってくる」だから、聖人君子たれ、完璧であれ、という
ものです。
まじめな方、良い人ほど、そういうスピリチュアリズムの本を経典のように信じ、書かれて
いることを実行しようとしたことでしょう。
実際、こうした本で書かれた完璧主義に支配され、縛られてしまい、どんどん心を壊して、
病に至る方がいらっしゃるのです。
日本の風土には、特に、画一化された生き方に流れやすい風潮がありますから、日本人の多
くは、ある程度の枠を与えられている方が楽だと感じがちなのです。

・・・・・
この背伸び感こそが、無理をしている証拠です。完璧主義の枠組みに入ろうと頑張り、良い
ことをしたいと思っても、本当の自分はそういう人間じゃないことを知っている。
このギャップに苦しみ、あえぎ、それで自分を責め始めるようになる。そんな悪循環に陥っ
ている人は少なくありません。

・・・・・
私たちは永遠に生き続け、永遠に進化向上を続けていきます。守護霊はそれを熟知している
ので、時間的な焦りもありません。今世でできないことがあったら、生まれ変わった来世で
できるようにしよう。来世が無理ならその次でも、その次でもいい。これが守護霊のスタン
スなのです。
だから、決して「こう生きろ」「こうせねばならない」などと、時間的な焦りにつながるよ
うなことを、守護霊がおっしゃることはありません。
守護霊は「私の言うことは聞かなくてもいい」「頭ごなしに否定してもかまわない」という
メッセージをよく送ってきます。守護霊だからといって、メッセージを鵜呑みにすることは
せず、自分の本音の部分で、「これは納得できる」「多少理解できる」「これは違う」と、
自分の心の判断におもむくままに、受け入れ、もしくは拒否すればいいのです。
だから、本当のスピリチュアリズムでは、守護霊がなんと言おうと、親がなんと言おうと、
友達や恋人がなんと言おうと、一貫して「私は何をしたいのか。私はどうありたいのか。」
と問い、答えを探し続け、それを実現することが大切と伝え続けています。
これが生きる上での命の使い方。これが「使命」なのです。

人の心の動きや行動の基準になるものは、「宗教」や「親の教え」や」「一般常識」です。
もちろん、これらはある程度、快適な生活を送る上で、また安全な社会を築き上げていく上
で欠かせないものです。ですが、こうした基準から逸脱してはならない、それらをきっちり
と守るべきだと真面目に向き合ってきた人ほど、スピリチュアリズムを知ると、今度はスピ
リチュアリズムを新しい「教科書」にして生きていこうとしてしまいがちです。
つまり、この「教科書」から離れると正しく生きていけなくなると誤解し、もっともっと善
人として、聖人君子として生きていかなければと思い込んでしまうのです。しかも、今度は
霊界が相手。いつ、どこで、どのように向こうから自分が見られているかわかりませんし、
もしかしたら心の中まで見透かされているかもしれないということで、一瞬たりとも気が抜
けない状況になります。
スピリチュアリズムは私たちの行動を規制し、枠にはめるための堅苦しい「掟」ではありま
せん。
スピリチュアリズムとは何なのでしょうか?それは、自分への「癒し」と「許し」から始ま
る、「愛」についての教科書なのです。
(スピリチュアリズムに苦しんで 本当の答えは自分の心にある 正木りさ著)
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私たちを形作っているものは肉体ですが(表面的には)、肉体を脱ぎ捨てた後に残る霊の状
態を形作るものは、自分自身の精神であり心です。この世でさえも洗脳された精神・心を解
き放つのは大変なようですが、さらに増幅されるような霊の状態での精神解放は、もっと大
変なことなのでしょう。

ですから、スピリチュアリズムと言えども、盲目的な受け容れ方をしたり、現世逃避的な依
存は、そのような霊の状態を形成してしまうでしょうし、受け容れに違和感がある場合は
、逆にストレスとなり今世を生き難くし、更に悪いカルマを生む要素となるかもしれませ
ん。

自分自身を知る事は、とても難しい作業のように思います。忙しく振り回される日常の中で
は、何が好きで何が嫌いかも解らなくなって、自分の心さえも見失いがちです。そんな流れ
を一時停止させるためにも、一日に一度は、静かな環境に身をおき、心を穏やかにして自分
を見つめ直す時間が必要なのかもしれませんね。本当の自分と対話するために・・・。

スピリチュアリズムを知ってどうする?

2010-09-22 18:32:18 | ◆スピリチュアリズムを小脇に抱えて
’スピリチュアリズムを小脇に抱えて’カテゴリーからの投稿です。

スピリチュアリズムを学ぶにつれ、いろいろと人の役に立つことをしようとか、奉仕活動を
しようという思いがムクムクと沸いてきます。特にシルバーバーチの霊訓やホワイト・イー
グルの霊言に接し、各々の魂の琴線に触れたのなら、当然でしょう。

シルバーバーチは、霊訓の中で、次のように語っています。
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摂理に反することをした人は、そうとうは知らずに違反した人よりも大きい代償を払わされ
ます。知識には必ず責任が伴うからです。真理を知りつつ罪を犯す人は、同じ行為を真理を
知らずに犯す人より罪の大きさが違うのです。
(霊訓1 P119)

霊力は素晴らしい威力を発揮します。これには反駁の余地はありません。この事実を否定し
たり、この知識の普及を妨げんとする者は必ずその結果に対して責任を取らねばなりませ
ん。
(霊訓1 P128)

あなたのように霊的な知識を手にした人間は、自分のもとを訪れる人にそれを提供する義務
があります。
(霊訓8 P164-6)
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また、ホワイト・イーグルも奉仕をしなさいと、しきりに通信してきていますね。

特にシルバー・バーチの言葉は、上記のとおり霊的な真理を知り知識を手にした者へ’義
務’や’責任’を強調していますので、私たちの魂を突き動かす、というか使命感を帯びる
ように訴えてきます。
そして、私たちは、○○せねば・・という熱っぽく焦りにも似た感情が高ぶってくるのでは
ないでしょうか?

しかし、シルバー・バーチは、次のようにも述べています。
-------------------------------------------------------------------------------
たった一人でいいのです。全てが陰気で暗く侘しく感じられるこの地上において元気づけて
あげることができれば、それだけであなたの人生は価値があったことになります。そして一
人を二人に、二人を三人としていくことができるのです。
(霊訓1 P31)

暗闇にいる人に光を見出させてあげ、苦しみに疲れた人に力を与え、悲しみの淵にいる人を
慰め、病に苦しむ人を治し、無力な動物への虐待行為を阻止することができれば、それがた
った一人の人間、一匹の動物であっても、その人の地上生活は十分価値があったことになり
ます。
(霊訓1 P101)

たった一人でも心の平静を見出し、自分が決して一人ぼっちの見捨てられた存在ではなく、
無限の愛の手に囲まれているという霊的事実に目覚めさせることができたら、これはもう立
派な仕事というべきです。他のいかなる仕事にも優る大切な仕事を成し遂げたことになり
ます。
(霊訓1 P106)

暗闇にいる人に光を見出させてあげることが出来れば、それがたった一人であっても、それ
だけでその人の人生は価値があったことになります。ここに集まった私たちは、その’たっ
た一人であっても’を’大勢の人々’に置きかえることができます。どうか皆さんはこの同
志の集いを超えた広い視野をもち、世の中には素朴な霊訓のひとことが啓示となり次々と自
由をたぐり寄せるきっかけとなる人が大勢いることを知っていただきたいのです。
(霊訓2 P38-9)

たった一個の魂でも目覚めさせれば、たった一人でも暗闇から光明へ導くことができれば、
たった一人でも弱った人に元気を与え、悩める人に慰めを与えることができれば、それだけ
で私たちは立派な仕事を為し遂げたことになります。
(霊訓4 P36)

あなたがもしたった一人だけでも霊的真理に目覚めさせることに成功したら、それだけであ
なたの全人生が生きがいのあるものとなります。幸なことにわれわれは、たった一人でなく
大勢の人たちに永遠の財産として何より美しい宝石である霊的真理を授けてあげることに成
功しているのです。
あなた方は自覚しておられる以上に人々のために役立っていらっしゃいます。ご自分ではそ
の努力のもたらす結果が測れません。
(霊訓10 P156-7,161)

たった一人でもよろしい。霊的真理に目覚めさせることができたら、あなたの地上生活は無
駄ではなかったことになります。一人でいいのです。それであなたの存在意義があったこと
になります。
(霊訓12 P207)
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これらの言葉で、シルバー・バーチの霊訓を読む読者たちは落ち着きを取り戻すことができ
るのではないかと思います。

個人的には、シルバー・バーチの霊訓と出会い、まもなく四年になろうとしています。霊訓
1~12はすべて読み終えました。
今感じていることは、100人いれば100人の向上の道があって、各々が成長を目指して
いるということです。成長の過程の中で、幼稚園児の魂もあれば、(元々誰でも最初は幼稚
園児でしょう)大学生の魂もあります。

この世に転生してくる宿題も、100人いれば100通りの課題があるでしょう。ですか
ら、自分自身を知り、自分の出来る事から少しずつゆっくりと人に役立つ行為なり、奉仕な
りをしていけばよいのだと思います。

もちろん、マザー・テレサのような滅私の奉仕精神は、シルバー・バーチの教えそのもので
あり、素晴らしい方ですが、それは彼女の高い霊格の魂の使命だったのでしょう。同じよう
な使命を帯びて、この世で頑張っておられる方はたくさんいるのでしょうね。

とはいえ、一人ひとりの生活の中、家庭の中、職場の中等、小さな場かもしれませんが、そ
んな各々の環境の中で、焦ることなく地に足をつけて、ゆっくりとスピリチュアリズムを実
践していけばよいのではないでしょうか。

肉体を備え、感覚が鈍くとも現世において自分の魂の成長を促進することは可能でしょう。
一つ一つ階段を上っていけば、自然に意識することなく言動なり行動なりが出るようになる
ことでしょう。

実践の中には、奉仕的なものもあれば、相手の気持ちになって物事を考えたり、落ち込んで
いる相手を励ましたり笑わせたり、魂の琴線に触れる芸術活動を行ったりと、たくさんの手
法があると思います。

霊的な真理を伝えるとなると、相手の耳が開いていないと(相手に聞く準備ができていない
と)なかなか届き難いものです。長いスパンでお付き合いしていく中で、波長が合ったとき
に伝えればよいのではないでしょうか。

また、無理に○○せねば・・・と自己を追い詰めると、焦燥感や苛立ちの感情が増し、逆に
ネガティブな思考に囚われて、霊界からの援助が遮断されてしまいます。自分自身の魂と折
り合いをつけ、バランスを崩さないように注意することが必要でしょう。常に自分をよい状
態に置き、その力量(魂の成長度)に合わせて事を行っていけばよいように思います。

上る階段は永遠に続いています。ここで悟ったなどという事はありません。そう思った時に
は、おそらく魂の成長は止まってしまうことでしょう。ゆっくり自分のペースで一歩一歩上
っていくことが肝要です。

霊的な成長方法8

2010-09-15 00:00:01 | ◆スピリチュアリズム考察
’スピリチュアリズム考察’カテゴリーからの投稿です。

少し「霊的な成長方法」から逸脱してきましたが、肉体の手入れも大切なことです
ので、前回投稿の野口整体の考え方から生み出された「活元運動」にもう少し触れ
て、このシリーズを終えたいと思います。

下記に「整体法の基礎 野口晴哉」より抜粋します。
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人間の生命は、黴菌が入れば熱が出て消毒し、あとは脂も廻るようになっているの
ですから、却ってそういうことを通して力が出てくるのです。
それでは、具体的にどうしたらいいか、問題はたくさんあります。潜在意識の面に
働きかけて、感じ方の角度を変えていく潜在意識教育の問題と、体の面に直接働き
かける問題とがあります。活元運動は、後者の体の面に直接働きかける運動で、体
の中にある力を動員する方法、意志によらないで動いてしまう錐体外路系を訓練し
て敏感にしようとする方法です。

活元運動は、本来、誰でもやっています。欠伸をするのも、くしゃみをするのも意
識しない動きです。びっくりして跳び退くのも、転びかけて転ぶまいとするのも、
みんな活元運動です。意識しないのに、人間は誰も自分で正常な状態を保とうとす
る運動をしているのです。悪い物を食べて吐くのも、理由もなく頭を掻くのも、ま
た同じことです。では何のために頭を掻くのか、頭部を刺激してやれば頭の働きが
増えるのです。しかし実際にはそういう理屈を知らないでそれをやっているのです。

さらに簡単な例としては寝相です。身体の右側だけに余分な力が偏っている人は、
右足を左足の上に載せている。食べ過ぎた人は両足を広げて、大の字になって寝て
いる。足を高く上げている人は、頭の中だけ忙しい人です。足を上にあげることで、
頭の疲れが休まるからなのです。このように人間は絶え間なく活発に、意識するし
ないに拘らず、外路系運動を行って、自律的に体を調整しているのです。私は、熱
が出るのも、くしゃみをするのも、下痢をするのでも、活元運動と観ているのです。

このような無意識な運動を意識して行うようにすると、意識しない運動が非常に敏
感に起こるような体になるのです。ですから、意識して活元運動をやるのは、活元
運動が必要に応じて敏感に出るような体にするための訓練なのです。

活元運動の誘導方法は、邪気を吐き切ったあと、息を吐きながら背骨に力を入れて
急に抜いて目を瞑っていると、ひとりでに動いてくるのです。なにも不思議な動き
ではないのです。背骨に力を入れるのですが、ただ力を入れると息を吸ってしまう
ので活元運動は出ないのです。息を吐きながら力を入れる。しかも自分の呼吸の速
度よりも速くか、ゆっくりか、その速度を破れば出やすいのです。

人間の動作というものは、力を入れると息を吸い込み、息を吐くと力が抜けてしま
う。それが自然なのです。呼吸の速さは、動きの速さなのです。この自然な流れを
破ることが活元運動に繋がります。つまり、鼻の中にコヨリを入れると、体にとっ
て不自然なために、それを拒否する働きとしてくしゃみが出る。それと同じように
背骨も、ちょっと無理な動作をすると反発が起こり、活元運動が出易くなるのです。
だから、ハアーッと、息を吐きながら背骨に力を入れる、その動作の速度が、呼吸
の速度と違う場合に、それに対する反発が起こって活元運動になるのです。

その動き出す前に、もう一つ条件があります。それはポカンとすることです。これ
を「天心」といいます。寝る前にポカンとするとすぐ眠ってしまいますが’何時に
起きよう’とか’早く寝なくては’とか考えると却って眠れないように、ポカンと
すれば誰でも動き出します。

手の動く人もあれば、体の動く人もあり、その動きはいろいろですが、その動きが
終わるまでやればいいのです。可笑しいことを我慢すると、却って吹き出してしま
い、悲しいことも、我慢していると涙がドッと出てくるように、活元運動も、訓練
の内は途中で止めると却って強く出るようになりますから、活元運動が出だしたと
ころで止めることを何回か繰り返しますと、非常に出やすくなり、それを続けると、
何かあった時にひとりでに活元運動が出るようになります。
(整体法の基礎 野口晴哉 全生社)
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個人的には、15年ほど前に野口整体を知り、独学で活元運動に取り組んだ事があり
ました。なかなか運動は出なかったのですが、続けて行っていくうちにかなり激し
い運動が出始めました。(ちょっと他人様には見せられないような動きです・笑)
昨年、縁があって野口整体と関わりのある整体教室の活元運動のワークショップに
参加したのですが、やり方は間違っていなかったようで、よい確認になりました。
最初から活元運動の仕方を習ってしまうと、どのような動きが出るのかと人と比べ
てみたり、先入観が入りますので、かえって良かったかなと思っています。

ラジオ体操や自彊術など、型にはまった体操も肉体調整の面ではとても良いと思い
ます。しかし、私たちは一人一人違います。生活習慣も違いますし、職業病のよう
に酷使する部位も違います。前世から持ち越されている精神面も違うでしょうし、
育ってきた環境も違います。対人的な向き、不向きや緊張状態の度合い(肩凝りな
ど)、ストレス発散の方法(やけ食い、やけ酒など)なども違うわけです。これら
の要素だけを見ても、当然、身体に負担となる箇所も違うでしょう。

一人一人動きの違う活元運動によって、一人一人の異なった弱っている箇所や、疲
れている箇所が活性化され、強化され、敏感な反応になれば慢性的な不調の状態か
ら回避できるようになるのかもしれません。

また、活元運動が出始める時間、運動が出ている時間は、頭の中が空っぽな状態で
あり、自分自身を客観的に見つめる時間でもあります。それもまた動きのある中で
の瞑想であり、精神面にも有効であるように思うのです。

人は、通常の状態では、全力を出し切ったつもりでも70~80%の力しか出ていない
そうです。100%の力を出すと壊れるような負担が体にかかるために、本能的?にガ
ードされているようです。そして危機的状況に陥った時に、このガードがはずれ、
いわゆる「火事場の馬鹿力」が発揮されるようですが、活元運動をやり続けていれ
ば、この「馬鹿力」も出易くなるのかもしれませんね。

最後に、今一度、スピリチュアリズムというよりは、宗教に触れている箇所があり
ましたので、下記に「整体法の基礎 野口晴哉」より抜粋します。

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戦争の直後に、いろいろな新興宗教が出来たころ、宗教をやる人達は何か不思議な
ことをやらないと都合が悪いのでしょう。私のところに精神集注する術や、活元運
動や愉気の方法を習いに来ました。教えたのが良かったのか悪かったのか・・・今
になってみると、その人達は外路系の体育としての活元運動をやらないし、精神集
注の術として愉気を行わないで、それをみんな信仰のお陰だと言って、奇跡を行っ
たつもりになっている。しかし活元運動も愉気もそういうものではない。私は、総
ての人がもっている力、自然の動きとして、受け容れて欲しかったのです。そのよ
うに受け容れられていたならば、こんなに病人が多くはならなかったと思うのです。
実際、信仰や徳や修行でやれるようになったなどというために、誰れも自分の裡な
る力に目覚めない。活元運動は、自分の裡なる力に目覚めて、初めて自分のものに
なるのです。それを、みんな偉い人の徳や所為や、信仰の所為にされてしまうこと
は大変迷惑で、その当時、教えたことを、今になってちょっとがっかりしています。
(整体法の基礎 野口晴哉 全生社)
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霊的な成長方法7

2010-09-08 00:00:01 | ◆スピリチュアリズム考察
’スピリチュアリズム考察’カテゴリーからの投稿です。

メンタル面での心掛け(五感も含む)のような手法を紹介してきたわけですが、何
より私たちは肉体を持って、この世に顕現してきています。この肉体の手入れをす
る事(健康維持)及びこの肉体に重なり合うように存在すると言われる幽体や霊体
とのバランス調整も大切な事です。

メンタル面以外ではどのような手法があり、また応用できるのでしょうか?治療法
としては、医学的治療は主に肉体を焦点としていますから別として、いわゆる民間
療法があります。民間療法には、土地の風土や信仰によるシャーマン・祈祷師など
による治療行為から、漢方医学や鍼・灸・按摩・指圧など、更に近年においてはホ
メオパシーやカイロプラクティック、断食療法・催眠療法・各種整体など、様々な
療法があるようです。

治療法以外に、自分で調整できるものとしてはどんなものがあるでしょうか?太極
拳も良さそうですね。ヨガもチャクラによる肉体と幽体・霊体との接点調整には有
効のように思います。クリヤ・ヨーガは、クリヤー・ババジ・ナガラジによって復
興され、18のシッダたちによる伝統的な教えと技法を統合したもので、個人に存在
する肉体的、生気的、メンタル的、知性的、霊的レベルの5つの側面に統合的な変化
をもたらし幸福と平安を見出す科学的な技法(by wiki)のようです。いずれも私は
詳しく知りません。

更に野口晴哉(はるちか)氏の創り上げた「野口整体」があります。「整体」とい
う言葉は野口氏が創り上げたと言われていますが、現在用いられているいろいろな
治療法の混在した一般的ないわゆる「整体」と区別されるために「野口整体」と言
われています。

野口氏は、初めのうちは独自の「整体操法」を治療法として活動していましたが、
治療する事を止めて、自らの活動を「体育」であると位置づけるようになりました。
一人一人が自分の生きている力を自覚し、それを発揮するように誘導していくこと
こそが、本当だと気がついたそうです。人の力を借りないでも丈夫になる、これが
野口整体の考え方です。

この野口整体の考え方を伝えるために、活元運動というものを公開しました。人間
の運動系には錐体路という経路があります。ところがそれ以外に、錐体外路系とい
って、錐体路系に依らない運動の様式があります。この錐体外路系の働きを訓練す
るのが活元運動です。

この日頃意識しない運動、潜在意識下の言わば「本能(無意識)で働いている運動」
を訓練して敏感にしてやれば、消化器を丈夫にし、体内の自家用薬もより多く生成
し、体の運動機能も正常に戻り、運動神経も本能レベルに高め、生命力を増すよう
です。

これは、スピリチュアリズムから見れば、この世で生きてきている間に(前世から
持ち越されているものもある)、潜在意識に蓄積された記憶(癖や好み、性質)に
制約され、本来の本能的な運動、思考にガードがかけられた状態から解き放つよう
な作用をするのではないでしょうか。

彼は次のように述べています。
-------------------------------------------------------------------------------
自分の心で、自分の頭で病気をつくっている人、病気を保身術と心得て、治ったら
大変だと思っている人達、病気を保護色の代りに使っている人達・・・そういう依
存する心を他へどかせば体はよくなるのです。

同じ強情を張ったりしても、心で強情を張っているのか、腰が強張っているからな
のか、腎臓が怠けているからそうなるのか、また苛々するというのも胃袋がつかえ
ているからなのか、胃袋が悪くて不愉快なのか、不愉快だから胃袋が悪いのか、そ
の判断は難しい。けれども、胃袋の働きが増えれば、不愉快はなくなるのですから
心と体は別々ではない。心と体を分けるということが間違いの因で、人間は心も体
も、もともと一つなのです。

元気とか、不機嫌とか、気という言葉はいろいろに使われておりますけれども、さ
て、その気とは何かというと、なかなか答えられない。外国の人達は、オーラとか
、ミトゲン線とかいう言葉で説明しておりましたが、それらを丁寧に観ていきます
と、それらはみんな体の中にある細かい物質の分散なのです。しかし、私という人
間の気とは、そういう細かい物質の分散ではなく、分散する力なのです。だから精
神の集注の密度が濃くなると、気はさかんになります。体を動かすことが活発にな
ると、気もさかんになります。

食欲がないなどと心配するのは、人間は食べることで生きているもの、と決めつけ
ているからです。人間は普通、六週間分は体の中に溜めているのです。それを、一
食抜いたらフラフラしたなどというのは、自分の頭がフラフラしているのです。六
週間を越してからフラフラするというなら、体の実体を感じ取ったと言えるのです。

生きている者は、お腹が動いているからお腹に力がある。丹田を充たせば健康にな
るというが、死体には丹田がない。そこでまず、お腹を興味をもって観てゆきまし
た。すると、死ぬ時に出てくる共通の変化がある。それが今でいう禁点の硬結です。
禁点に硬結が出ると四日目に死ぬのです。

みんな、体ははじめからこわれるものとして見ていますが、寿命のある内は生きて
いるし、治っていくのです。いよいよ力が出てくるし、訓練されていくのです。鍛
錬されていくのです。もっと丈夫になっていくのです。そして寿命がなくなってし
まえば、守ろうが、庇おうが死んでいくのです。それを繰り返しているのです。中
には、整体をしたら死なないなんて考える人がいるかも知れません。整体しても死
ぬときは死ぬのです。しかし死なない内は生きているのです。死なない内は丈夫に
なっていくのです、使ってさえいれば・・・。

(整体法の基礎 野口晴哉 全生社)
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少し「霊的な成長方法」から逸脱してきましたが、これらの野口整体の考え方から
生み出された「活元運動」に触れて、このシリーズを終えたいと思います。

霊的な成長方法6

2010-09-01 00:00:01 | ◆スピリチュアリズム考察
’スピリチュアリズム考察’カテゴリーからの投稿です。

さらに、日常において実践できる手法として、どんなものが応用できるでしょうか。

最近、ホ・オポノポノという言葉をよく耳にします。私的には一冊の本しか目を通
しておりませんし、セミナーも受けておりませんので詳しくはよく知りませんが、
古代から行われてきたと信じられているハワイに伝わる癒しの方法のようです。更
に1980年代にハワイの「人間州宝」であるモナ・シメオナが、個人で行うための新
しいホ・オポノポノを創始し、これを「セルフ・アイデンティティ・ホ・オポノポ
ノ」と名付けたようです。

この「セルフ・アイデンティティ・ホ・オポノポノ」の仕組みを見てみましょう。
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私たちの潜在意識は、宇宙創生以来のすべての記憶にアクセスして、顕在意識が認
識する100万倍もの膨大な記憶をいまだこの瞬間にも立ち上げているのです。物
事が完璧でなくなり、私たちが不幸になるのは、この潜在意識の中の過去の記憶が
再生されて、私たちの人生に投影されるからです。この潜在意識の中で毎秒立ち上
がる過去の記憶を消去し、神聖なる知能と一体化する方法がセルフアイデンティテ
ィ・オポノポノです。これによって私たちは過去の記憶に惑わされることなく、神
聖なる知能からのインスピレーションを受け、人間本来のあるべき生き方ができる
ようになるのです。

ホ・オポノポノでは、エゴというものの存在は考えていません。何かをこうしたい
と思うような欲求は、ただ記憶が再生されているだけなのです。
ただし、クリーニングするにあたっては、何かをこういたいという動機でしてはい
けません。純粋な気持ちでしなければならないのです。何かをこうしたいという思
い自体が記憶によるものだからです。

私たちの意識は、二つの状態でしかいることができません。すなわち、インスピレ
ーションを受けている状態か、もしくは記憶に左右されている状態かです。
インスピレーションを受けているときというのは、ゼロの状態です。記憶は知識を
もたらし、それによって欲求が出てきたり行動を起こしたりしますが、インスピレ
ーションを受けているときは考えずに自然に行動します。

「ありがとう。ごめんなさい。許してください。愛しています」
たったそれだけの言葉で、誰にでも、いますぐに、ホ・オポノポノの奇跡が起きる。

過去の記憶をクリーニングしてゼロの地点に立つことができれば、あらゆる問題は
自然に解決される。

(みんなが幸せになる ホ・オポノポノ イハレアカラ・ヒューレン、櫻庭雅文 
徳間書店より
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に書かれている潜在意識とは、個人的な潜在意識だけではなく、ユングが提唱
した分析心理学の集合的無意識(普遍的無意識)をも含んでいます。それは、深い
無意識の領域に、個人を越えた、集団や民族、人類の心に普遍的に存在すると考え
られています。

そして、自分自身をクリーニングしてあげれば、自分自身の潜在意識を含む集合的
無意識の領域までも、それに基づいた人類の過去の記憶が消去され、良い方向に向
かうというもののようです。

また上記の説明によると、フロイトの理論では、「エゴ」は「自我」と訳されるわ
けですが、「自我」の存在を考えずに、個人的な潜在意識を含む集合的無意識の記
憶からの発動によるものと説明しています。

総合すると、私たちは、個的な存在ではあるけれども、その状態は、神聖なる知能
(神、大いなる存在、源泉・・呼び名はいろいろ)からのインスピレーションを受
けている状態もしくは、集合的無意識からの記憶からの発動の状態の二つのどちら
かであるということです。(個人的な浅い部分の潜在意識からの記憶発動は、「自
我」であるようにも思うのですが・・・)

ともあれ、「あなた」と「私」というような二元論で考えるのではなく、「あなた」
と「私」は集合的無意識では一つであり、自分自身の思いをクリーニングすること
によって集合的無意識に繋がっている「あなた」にも影響を与えるという解釈で良
いのだと思います。


具体的な事例として下記をお読み下さい。
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引きこもりを解消するためにお母さんがいくらクリーニングしても、そういう現象
自体はすぐには変わりません。しかし、お母さんが自分のクリーニングをすると、
子どもが閉じこもっていてもお母さんがそれに反応しなくなるので、子どもはそれ
を自然に感じとって自分の行くべき場所へ、自分で行動しはじめます。
このようにホ・オポノポノは、クリーニングした人にだけいいことが起きるという
ものではなく、自分をクリーニングした結果、みんなにいい影響が与えられるもの
なのです。

愛情を感じている母に、「あなたは生まれてくるべき子供じゃなかった」と言われ、
そういうことでお母様を責めるということは、記憶に閉じ込められている状態、す
なわち潜在意識の中の記憶で神聖なる知能と超意識からの光を自らさえぎっている
ということなのです。(このお母様も記憶に操られている)そういうときは、お母
様に対する思いをクリーニングすることによって、神聖なる知能に逆らわなくてす
むようになります。そういう思いを手放して記憶を消去すると、自然にインスピレ
ーションが得られるようになります。
お母様のためにするのではなく、自分のためにするのです。

子供たちも本当は素晴らしい可能性をもっているのですが、さまざまな記憶によっ
て家庭や学校という枠の中に押し込められ、自分らしく成長できなくなってしまっ
ています。さらに、家庭も問題を抱え、学校も問題を抱え、地域も問題を抱え、社
会も問題を抱えというように、このような記憶は連鎖していきます。

(みんなが幸せになる ホ・オポノポノ イハレアカラ・ヒューレン、櫻庭雅文 
徳間書店)
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ユングの提唱した集合的無意識について言及している霊信があるかどうか判りませ
んが(あれば御教え下さい)。シルバーバーチの霊訓の中から、「潜在意識」がキ
ーワードになっている箇所を抜粋します。対比するとまたイマジネーションが広が
ることでしょう。

(と書いたのですが、どうもシルバーバーチの「潜在意識」と、ホ・オポノポノの
「潜在意識」とは言葉は同じでも表現している部分は違うようです。潜在意識の中
でも、ポジティブな部分とネガティブな部分、感情的な部分と本能的な部分、深い
部分と浅い部分など、焦点の合わせ方が違うように思われます。もう少し掘り下げ
て、段階分類などを行えばスッキリすると思いますが、筆者にはそこまでエネルギ
ーがありません・笑)

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精神(大半が潜在意識)にはさまざまな機能があります。人間というのは自我意識
を表現している存在といってよろしい。意識がすべてです。意識そのものが’個’
としての存在であり、個としての存在は意識のことです。意識のあるところには必
ず個としての霊が存在し、個としての霊が存在するところには必ず意識が存在しま
す。あなた方の物質界においては自我のすべてを意識することはできません。なぜ
ならばーあなた方に分かりやすい言い方をすればー自我を表現しようとしている肉
体(脳)よりも本来の自我の方がはるかに大きいからです。
人間は地上生活を通じて、より大きな自我のホンの一部しか表現しません。大きい
自我は死んでこちらへ来て、霊的進化とともに少しずつ意識を広げて自覚するよう
になります。
意識的生活のディレクターであり個的生活の管理人である精神は、肉体的機能のす
べてを意識的に操作しているのではありません。日常生活において必要な機能の多
くは自動的であり機械的です。筋肉、神経、細胞、繊維等々がいったん意識的指令
を受け、さらに連繁的に働くことを覚えたら、その後の繰り返し作業は潜在意識に
委託されます。無意識にやっていること、それは潜在意識がやってくれているので
す。
人間の日常生活の大部分は潜在意識によって営まれております。言わば潜在意識は
倉庫の管理人のようなものです。あらゆる記憶を管理し、生きるための操作の大半
をコントロールしています。その意味で人間のもっとも大切な部分ということがで
きます。
(霊訓4 P154-8)

人間の潜在意識はそれまでの生活によって働き方に一つの習性が出来ており、一定
の方向に一定の考えを一定のパターンで送っています。その潜在意識を使ってこち
らの思想なりアイディアなり単語なりを伝えるためには、その流れをいったん止め
て、新しい流れを作らなくてはなりません。もし似たような考えが潜在意識にあれ
ば、その流れに切り換えます。
(霊訓4 P167)

子供を教育することは、実に貴重でしかもデリケートな原料を扱っていることにな
ります。教育者はまず教育というものの責任の重大さを自覚しなくてはなりません
。子供の潜在意識に関わることであり、教わったことはそのまま潜在意識に印象づ
けられ、それが子供のその後の思想を築いてゆく土台となるのです。
(霊訓4 P217-220)

あなたは今歩んでおられる道を地上に来る前に選択されたのです。その時は大きな
意識で自覚しておられたのです。それが肉体に宿り脳を通して意識するようになっ
て曇らされているのです。脳の意識では潜在意識の深奥は探れないからです。
その誕生前の意識を目覚めさせるためには、その触媒となるべき危機的体験を積ま
ねばなりません。いつかは明瞭に意識する日がきます。
(霊訓10 P121)
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このような知識が無くとも、例えば10人いる部屋の中で、1人でもイライラして
いれば、部屋全体の空気は悪くなると感じますし、4人家族で1人が落ち込んでい
れば、やはり、なんとなくその家の空気は重くなると感じます。怒りっぽい上司の
いる会社では、社員も怒りっぽくなりギクシャクした空気に覆われますし、反対に
笑いの絶えない家庭なら、みんなニコニコと明るい笑顔を振りまき、穏やかな空気
に包まれる事でしょう。

自分を良い状態に置く、そして維持する・・・そのような積極的な手法として、ホ・
オポノポノのみならず感謝想起などはとても有効だと思います。