’スピリチュアリズムに辿りつくまで’カテゴリーからの投稿です。
1991年
霊媒師との出会い
断食寮の寮長が、クリスチャンで、断食中教会へ連れていってもらったことがあった。もと
もと、教会とは、何かと縁があった。教会系の幼稚園に行き、とても、印象に残っている
‘最後の晩餐’に出会い、学生の頃の親友は、クリスチャンで、何回か教会に連れて行かれ
た。(なぜか、惹かれるものがあったし、また、今では内容はあまり覚えていないが、とて
も心に残る説教と出会った。その後、教会で式をあげ、長女は、教会系の病院で生まれた。
(礼拝堂が中にあり、病室に神父さんが毎日やってくるところだった。)
寮から帰宅後、一度近くの教会に行ってみた。信仰するというよりは、教会の空気が好き
で、何かに包まれている暖かいものを感じていたからだ。祈りの効果は知っていた。具合の
悪い頃、祈りによって神経が安定するような気がしていた。
断食から、2~3ヶ月して、たまたま知人の紹介で、俗に言う‘霊媒師’に出会う。彼は、
自分より年下だが不思議な星のもとに生まれた人物だ。幼い頃から、人に見えないものが見
え、感じ取ることのできる能力を持っていたらしい。大きくなってから、普通の生活がした
くて、アメリカに渡るが、向こうで何の面識もない何人かの人から、なんで、その能力を役
立てないのかと言われ、この世界(霊媒師)で生きていく決心をしたようだ。
彼と2時間余りのセッションが行われた。読心術やら、目の前の人間だけの心の透視だけな
らあり得るかなあと、思ったのだが、それだけに止まらず、自分の知らなかった親の事、先
祖の事まで読まれてしまうと、さすがに驚いてしまった。そして、前世の事と霊魂の存在。
今でも、半信半疑な部分はあるが、反面、裏付けができた気もした。
そして、神とは何か、前世とは何か、自分とは何かという世界に入り込んでいった。そう、
神経症、断食そして次に自分に訪れたのは、‘自分探しの旅’だった。
やがて、自然に(必然的に)、本屋さんの精神世界のコーナーに足が運ぶようになる。シャ
ーリー・マクレーン著者の本、エドガー・ケーシーに関する本…etc。この手の本を読みあ
さり、自分に起きる日常の出来事は、偶然でないと、共感するようになった。いいことも悪
いことも、その事が自分にとってどういうことなのか、考えるようになった。ただ、運がい
い、運が悪いと一言で片づけるのでがなく、その裏側の隠されたメッセージを考えるように
なった。運命を受け入れる器ができたような気がした。
エドガー・ケーシーのようにリーディングの結果、かなりの確率で治療法を示した事例には
驚かされるが、霊媒師の言うことが当たる、当たらないということよりも、目に見えない力
(直感、第六感、祈り、胸騒ぎ、虫の知らせetc…)に身をゆだねることが、自分にとっ
て、もっとも自然に生きられ、前向きでいられると感じるようになった。その見えない力が
どこから来るのか?それが、人によって異なり、神か、宇宙か、大いなる自己か、守護霊
か、カルマか…etcということになるのではないだろうか……。
そんな思いがあたりまえになり、日常の生活に解け込んでいった。
まるで、これから次々と身の回りに起こる出来事に準備されていたかのように・・・。
1999年記
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こんな風に書いているわけですが、今にして思えば、思考では解っているものの未だ未だ
心の奥深いところからの結び付きは薄く細かったようです^^;;
1991年
霊媒師との出会い
断食寮の寮長が、クリスチャンで、断食中教会へ連れていってもらったことがあった。もと
もと、教会とは、何かと縁があった。教会系の幼稚園に行き、とても、印象に残っている
‘最後の晩餐’に出会い、学生の頃の親友は、クリスチャンで、何回か教会に連れて行かれ
た。(なぜか、惹かれるものがあったし、また、今では内容はあまり覚えていないが、とて
も心に残る説教と出会った。その後、教会で式をあげ、長女は、教会系の病院で生まれた。
(礼拝堂が中にあり、病室に神父さんが毎日やってくるところだった。)
寮から帰宅後、一度近くの教会に行ってみた。信仰するというよりは、教会の空気が好き
で、何かに包まれている暖かいものを感じていたからだ。祈りの効果は知っていた。具合の
悪い頃、祈りによって神経が安定するような気がしていた。
断食から、2~3ヶ月して、たまたま知人の紹介で、俗に言う‘霊媒師’に出会う。彼は、
自分より年下だが不思議な星のもとに生まれた人物だ。幼い頃から、人に見えないものが見
え、感じ取ることのできる能力を持っていたらしい。大きくなってから、普通の生活がした
くて、アメリカに渡るが、向こうで何の面識もない何人かの人から、なんで、その能力を役
立てないのかと言われ、この世界(霊媒師)で生きていく決心をしたようだ。
彼と2時間余りのセッションが行われた。読心術やら、目の前の人間だけの心の透視だけな
らあり得るかなあと、思ったのだが、それだけに止まらず、自分の知らなかった親の事、先
祖の事まで読まれてしまうと、さすがに驚いてしまった。そして、前世の事と霊魂の存在。
今でも、半信半疑な部分はあるが、反面、裏付けができた気もした。
そして、神とは何か、前世とは何か、自分とは何かという世界に入り込んでいった。そう、
神経症、断食そして次に自分に訪れたのは、‘自分探しの旅’だった。
やがて、自然に(必然的に)、本屋さんの精神世界のコーナーに足が運ぶようになる。シャ
ーリー・マクレーン著者の本、エドガー・ケーシーに関する本…etc。この手の本を読みあ
さり、自分に起きる日常の出来事は、偶然でないと、共感するようになった。いいことも悪
いことも、その事が自分にとってどういうことなのか、考えるようになった。ただ、運がい
い、運が悪いと一言で片づけるのでがなく、その裏側の隠されたメッセージを考えるように
なった。運命を受け入れる器ができたような気がした。
エドガー・ケーシーのようにリーディングの結果、かなりの確率で治療法を示した事例には
驚かされるが、霊媒師の言うことが当たる、当たらないということよりも、目に見えない力
(直感、第六感、祈り、胸騒ぎ、虫の知らせetc…)に身をゆだねることが、自分にとっ
て、もっとも自然に生きられ、前向きでいられると感じるようになった。その見えない力が
どこから来るのか?それが、人によって異なり、神か、宇宙か、大いなる自己か、守護霊
か、カルマか…etcということになるのではないだろうか……。
そんな思いがあたりまえになり、日常の生活に解け込んでいった。
まるで、これから次々と身の回りに起こる出来事に準備されていたかのように・・・。
1999年記
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こんな風に書いているわけですが、今にして思えば、思考では解っているものの未だ未だ
心の奥深いところからの結び付きは薄く細かったようです^^;;