スピリチュアル・ライフ by birch99

スピリチュアリズムを小脇に抱えて・・・スピリチュアルな視点で日常を綴ります。

2.霊媒師との出会い

2010-01-31 02:07:13 | ◆スピリチュアリズムに辿りつくまで
’スピリチュアリズムに辿りつくまで’カテゴリーからの投稿です。

1991年
霊媒師との出会い

断食寮の寮長が、クリスチャンで、断食中教会へ連れていってもらったことがあった。もと
もと、教会とは、何かと縁があった。教会系の幼稚園に行き、とても、印象に残っている
‘最後の晩餐’に出会い、学生の頃の親友は、クリスチャンで、何回か教会に連れて行かれ
た。(なぜか、惹かれるものがあったし、また、今では内容はあまり覚えていないが、とて
も心に残る説教と出会った。その後、教会で式をあげ、長女は、教会系の病院で生まれた。
(礼拝堂が中にあり、病室に神父さんが毎日やってくるところだった。)

寮から帰宅後、一度近くの教会に行ってみた。信仰するというよりは、教会の空気が好き
で、何かに包まれている暖かいものを感じていたからだ。祈りの効果は知っていた。具合の
悪い頃、祈りによって神経が安定するような気がしていた。

断食から、2~3ヶ月して、たまたま知人の紹介で、俗に言う‘霊媒師’に出会う。彼は、
自分より年下だが不思議な星のもとに生まれた人物だ。幼い頃から、人に見えないものが見
え、感じ取ることのできる能力を持っていたらしい。大きくなってから、普通の生活がした
くて、アメリカに渡るが、向こうで何の面識もない何人かの人から、なんで、その能力を役
立てないのかと言われ、この世界(霊媒師)で生きていく決心をしたようだ。

彼と2時間余りのセッションが行われた。読心術やら、目の前の人間だけの心の透視だけな
らあり得るかなあと、思ったのだが、それだけに止まらず、自分の知らなかった親の事、先
祖の事まで読まれてしまうと、さすがに驚いてしまった。そして、前世の事と霊魂の存在。
今でも、半信半疑な部分はあるが、反面、裏付けができた気もした。

そして、神とは何か、前世とは何か、自分とは何かという世界に入り込んでいった。そう、
神経症、断食そして次に自分に訪れたのは、‘自分探しの旅’だった。

やがて、自然に(必然的に)、本屋さんの精神世界のコーナーに足が運ぶようになる。シャ
ーリー・マクレーン著者の本、エドガー・ケーシーに関する本…etc。この手の本を読みあ
さり、自分に起きる日常の出来事は、偶然でないと、共感するようになった。いいことも悪
いことも、その事が自分にとってどういうことなのか、考えるようになった。ただ、運がい
い、運が悪いと一言で片づけるのでがなく、その裏側の隠されたメッセージを考えるように
なった。運命を受け入れる器ができたような気がした。

エドガー・ケーシーのようにリーディングの結果、かなりの確率で治療法を示した事例には
驚かされるが、霊媒師の言うことが当たる、当たらないということよりも、目に見えない力
(直感、第六感、祈り、胸騒ぎ、虫の知らせetc…)に身をゆだねることが、自分にとっ
て、もっとも自然に生きられ、前向きでいられると感じるようになった。その見えない力が
どこから来るのか?それが、人によって異なり、神か、宇宙か、大いなる自己か、守護霊
か、カルマか…etcということになるのではないだろうか……。
そんな思いがあたりまえになり、日常の生活に解け込んでいった。

まるで、これから次々と身の回りに起こる出来事に準備されていたかのように・・・。
1999年記
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こんな風に書いているわけですが、今にして思えば、思考では解っているものの未だ未だ
心の奥深いところからの結び付きは薄く細かったようです^^;;

1.断食

2010-01-29 23:29:39 | ◆スピリチュアリズムに辿りつくまで
自分自身の整理のために’スピリチュアリズムに辿りつくまで’のカテゴリーを作りました
。通常の投稿に挟みながら加えていこうと思います。(私は1959.9生)

1990年
時代は、まさにバブル景気真っ只中。浜田省吾のJ・BOYを歌いながら、山のような仕事を抱
えて暮らしていました。やっとできた子どもが流れてしまった頃からスピリチュアルな方面
へ、(当時は’精神世界’と呼ばれ、紀伊国屋書店にもそんなコーナーがあった)惹かれる
ようになったと思います。

バブル崩壊のあたりに家を買ったり、子どもが生まれたりと私的な環境も変わっていきまし
た。今回のリーマンショックのように一気に景気が落ち込むというよりは、ジワジワ落ち込
んでいったのでしばらくは忙しかったように思いますね。
そんな状況の中、体調を崩し、自律神経失調症になりました。なんとか速く治す方法はない
かと、いろいろな本で調べた中に断食療法がありました。


(以下1999年に書いた日記より)
1991年2月
当日から、10日間の断食開始。禁煙、禁酒、禁欲の生活が、始まった。気力、体力も相当
落ち込んでいたので、そう苦労なくその生活に入り込めた。寮には様々な人たちが来てい
た。50代の癌の人、40代の胃腸の悪い人、20代のとげのある若者、まったくやる気の
無くなってしまった学生、5年に一度やってくるという医師、ダイエット目的の女性・・・・。
ここでの生活は、とにかく自由。ただ、口にいれられるものは、一日1リットルくらいの水
と、下剤のみ。それと、週に一度の医師によるチェック。

2日目、いつもと同じような調子で目がさめるが、何も食べないというのは、何とリズムの
無いことか。ボーと、テレビを見るが依然として内容が頭に入ってこない。海まで散歩に行
く。とても良い天気だが、2日前の雪が浜に積もっていて、富士山も見え、実にきれいだ。
しかし、あまり感動がない。このまま海に入ったら、死ねるなと頭をよぎる。自分の存在価
値を考える。こうしている間にだって、世の中は回っている。動いている。そう思った時、
自分は自分の為に生きなければならないと感じた。誰の為でもなく、まずは自分のため
に・・・・・・・・。
夜、シャワーを浴びてから、急に体がだるくなりだす。

3日目、4日目と体がだるくてしかたない。ほとんど、横になっていた(よくなる前に一
端、ぐっと悪くなる反応が出るらしい。14日間、断食を行った学生は、最後の頃、顔や体
に赤い吹き出物がたくさん出ていた)。神経がピリピリしているようで、夜もほとんど熟睡
できない。夜中にまぶしいスパークのような光を感じる。

5日目、体の調子はよくなってきたが、あいかわらず、細かい事が気になって集中できな
い。ただ、新聞、テレビの内容が頭に入るようになってきた。宿便という、黒い便がでる。
それ以降、便通が止まる。

6日目、7日目、何故か気力、体力とも少しずつわいてくる。以前、興味のあった事柄など
が復活してくる。空腹感が無くなってくる。食物のテレビ番組をくいいるように見る。

8日目、9日目、更に欲がでてくる。帰ったらやりたい事などを、ノートに書き出し始ま
る。

10日目、補食開始。グレープジュース、小コップ一杯から始まる。10日ぶりに感じる味
覚。胃は、握り拳くらいになっているらしい。

11-14日目、一日二食。10時と4時。少しずつ量を増やしていく。

その後、一ヶ月位の間、一日2食。禁煙、禁酒、禁欲の生活を続けた。食事は、とにかく2
0回位よく噛んで、1時間位かけてゆっくり食べる。動物肉類はこの間一切食べなかった。
量も少しずつ多くしていった。3ヶ月位でほぼ元の体重に戻っていった。

さて、何が変わったのか?

言葉で説明するのは、なかなかむずかしいのだけれど、一言でいうと、’自己客観視’がで
きるようになったという事。誰もが同じ感覚になるとは解らないが、自分の場合は、それが
一番の収穫だった。
休暇後、会社に出て最初に電話をとったとき、自分の声の太さに驚いた。まるで、違う自分
が話しているように感じる。

コンプレックスというのは、’負けず嫌い’と合わさると、’努力’やら’向上心’につな
がるが、問題はその後。やれるところまでやった後の結果を、’やっぱり自分は、人より劣
っている’’やっぱり自分はだめな奴だ’と思うか、それとも’やるだけやったんだからい
いじゃないか’と自分を許してやれるかだ。

自分の空洞の核の部分に足らなかったものは、’自分を許す、自分を愛してやる’という自
己愛だった。

断食後8年近くたった今、感じることは、

物事の割りきりが早くなった。

尾を引かない、少し図太くなった、切り替えが早くなった。

自己客観視が、仕事にも家庭にも他の人たちにも応用がきくようになった。

何が重要なことなのか、少し高いところから自分のことも、他のこともみれるようになっ
た。

うじうじ考えなくなった。立ち直りが早くなった。

あっさり、サバサバするようになった。かといって、冷たい性格になったとは思わない。

季節、天候による気分の浮き沈みがほとんどなくなった。

たたかれ強くなった、めげない、落ち込む回数が減った。

あせらなくなった、あわてなくなった。

何が自分のストレスかがつかめるようになった。

自分の体が喜ぶことをしてやろうと思うようになった。

おかげで、自分なりに行動力が広がり、感覚的に倍の生き方ができるようになった気がす
る。ナルシストは、自分の世界にどっぷりつかって自分だけを愛するのだろうけど、そうじ
ゃない。しかし、今でもむずかしいのは、自分のポジションを維持すること。何かに執着し
たり、自分のポジションからはずれたりすると、必ず、しっぺ返しを食らう。これは、永遠
の課題かもしれない・・・・・。もちろん、一変にこんなふうに変わった訳じゃない。
しかし、間違いなく変われたキッカケにはなっている・・・・・・・・。

なぜ、変わるのか?

思うに、‘食’という人間が生きていく上で、もっとも重要なことがブロックされると、肉
体的にも精神的にも‘生きる’という人間の本能が刺激され(呼び戻され)、内蔵は活性化
され、神経も正しい本来の状態に戻っていくのではないだろうか。特に食材にもあまり興味
がなかったが、見る目が変わった。すべての生活の活動の根源は、食べるということ。それ
が、体を作っているということ。食べることが、自分をいたわり、自分を愛することにつな
がり、血となり肉となることの再認識ができたように思う。

それから……。

断食の効果が現れるのは、食べ初めてから、30~40日だという。この間、夜は、早めに
休み、朝早く起きるという状態が、続いた。以前は、夜型で、寝起きも悪かったが(今は、
戻りつつあるが)、明るくなれば目が覚め、暗くなれば眠くなるといった、自然と一体化し
ているように感じた。

時間をかけてゆっくり食べる。食休みをする。そんなことを続けていくうちに、頭も体も休
む、休ませる、というのが日常になっていく。こういうことが、何よりも大事なことと、感
じるうちにあせったり、あわてたりすることが減り、リラックスして毎日を過ごすように心
がけるようになった。緊張したり、入れ込んだりしていると、自然と肩に力が入る。
そんなことも分かるようになり、どんな時でも体の力をぬいているように心がけるようにな
った。
1999年記

クリヤ・ヨガ

2010-01-28 09:24:32 | ◆スピリチュアリズムを小脇に抱えて
いろいろと一段落したので、日記もアップしていこうと思います。

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’あるヨギの自叙伝’ パラマハンサ・ヨガナンダ著

半身浴しながらと寝る前に読んでいます。そろそろ終わり。

第43章 スリ・ユクテスワの復活

は、スゴイですねー。霊界の様子が詳しく記述されています。
他の霊界通信などと比較すると面白いでしょうね。
ほぼ同じような様子ですが、そのうちまとめてみましょう。

この本に出てくる’クリヤ・ヨガ’。ちょっと興味があったので
カリフォルニアのSRFに問い合わせようかなあと思ったら、
’ババジのクリヤー・ハタ・ヨーガ’のDVDを発見。
とりあえず購入しました。

’ババジと18人のシッダ―クリヤー・ヨーガの伝統と自己覚醒への道’
も読むべきでしょうか・・・?