スピリチュアル・ライフ by birch99

スピリチュアリズムを小脇に抱えて・・・スピリチュアルな視点で日常を綴ります。

’小桜姫物語―霊界通信’

2007-12-17 23:27:52 | ◆スピリチュアリズム・本
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小桜姫物語―霊界通信 (単行本)
浅野 和三郎 (著)

出版社: 潮文社; 〔復刻版〕版 (2003/07)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
内容(「BOOK」データベースより)
死を往生、往いて生まれることと知っていたのはわれわれの祖先の純一な魂であ
った。これは浅野多慶子夫人を通じて守護霊小桜姫が語った霊界の種々相。わが
国における記念碑的な霊界通信である。


小桜姫のこの世での生活そして、亡くなった後のあの世での生活、さらに神と人
との仲介としてお宮に入り、あの世から見る参拝者の事などが書かれています。

・ガイドは自然霊(人霊ではない)で守護霊は別にいる(人霊)

他に関しては大枠で、ニュートンなどと一緒です。
生まれ変りに関しての記述は全く出てきません。


実は、小桜姫の事を知る前に、小桜姫の祀られている小桜神社へ行った事がある
のです。そして、この物語に出てくる、日本武尊が,暴風雨に阻まれ,立ち往生
してしまったとき,同行してきた弟橘媛(オトタチバナヒメ)がみずから入水し
て海神の怒りを鎮め,航海の安全を図ったという伝説にちなみ,創建された走水
神社へも行った事があるのです。

なにやら縁や繋がりがあるように感じてなりません。
http://paw.no.land.to/kozakura.pdf



若宮神社(小桜姫)の由来 三浦市発行紙より

当若宮神社の祭神である小桜姫は、代々鎌倉幕府の重臣を勤めた名門大江家筆頭
大江広信の一人娘として育った。若宮神社という名前は、三浦の地をこよなく愛
し地元の里人たちからも慕われた小桜姫の別称に由来している。

小桜姫が二十歳の春、父広信は、足利時代の武将で相州三浦新井城主であった三
浦道寸の嫡男三浦荒次郎義光をたいそう気に入り、最愛の姫を嫁がせた。嫁いで
十年余り、幸せな日々は瞬く間に過ぎ戦国の暗雲は三浦一族にも襲い掛かった。
世に言う北条早雲の三浦攻めである。
小桜姫は浜諸磯の先端の森かげに仮家を設け、腰元たちとともに身を隠していた
が対岸の城が炎に包まれるのを見て、涙ながらに夫に別れを告げたのであった。

三浦一族は、新井城での篭城三年間の末、武運尽き滅ぼされてしまったのである。
時は将軍足利義稙の時代、永正十三年(1516年)七月十一日のことである。

城跡である現在の油壷に三浦一族の墓が建てられたが毎日墓参をする小桜姫を見
るにつけ、里人たちは「小桜姫様は本当に烈女の鑑だ。どこまでも三浦の殿様に
操を立て通すとは見上げたものである」と、皆涙ぐんでその後姿を見送ったと
いう。

落城して一年余り後、夫を亡くしたことによる気落ちと人生の無情心からであ
ろう、次第に身体が衰え始め、ついに日課の墓参も叶わぬようになり三十四歳で
世を去ってしまわれたのであった。

その後、小桜姫を女性の鑑として信奉し、姫の墓に願い事をしていくものが後を
断たなかったという。

小桜姫が亡くなって約200年後、江戸時代も半ばの頃伊豆から関東にかけて未
曾有の大嵐が襲い、伊豆半島・房総半島は立ち直れないほどの大惨事となったと
伝えられている。

三浦半島も全滅の危機に曝されたが、諸磯の一女人が常日頃熱心に尊信していた
小桜姫さまにお願いすればと思い立ち荒れ狂う嵐の中姫の墓にかけつけて一心不
乱に祈願をした。

時を一にして三浦の地に奇跡が起きたのである。俄かに風はおさまり、三浦半島
は大きな被害も無く平穏を取り戻したという。その夜、かの女人の夢枕に小桜姫
が立たれたのである。

そのことがいつしか里人にも伝わり、「小桜姫さまはたしかに三浦の土地の守り
神様だ。三浦の土地だけ助かったのは、皆小桜姫さまのおかげだ。ありがたいこ
とではないか」と、立派なお社をつくることにした。

神社の建立場所は、戦の際に姫が身を寄せていた浜諸磯が選ばれ、里人の心を一
つに合わせた若宮神社が完成したのである。厳粛な鎮座祭が行われた日は、四、
五里も離れたところから人々が集まり海岸は人の波で埋まり、茶屋や露店でにぎ
わったという。

こうして、小桜姫は里人達の氏神様として永く後世に伝えられ現在に至っている。

最新の画像もっと見る