スピリチュアル・ライフ by birch99

スピリチュアリズムを小脇に抱えて・・・スピリチュアルな視点で日常を綴ります。

8.想念形体(エレメンタル)~欲望→思考型(欲望的思考)と思考→欲望型(思考的欲望)

2014-08-11 18:48:59 | ◆想念形体(エレメンタル)

前回の続きですが、エレメンタルの創造を具体的に観ていきましょう。メッセンジャー
とエソテリック・ティーチングを参考にしてまとめてみます。


●「欲望→思考型(欲望的思考)エレメンタル」

潜在意識によってつくられる。

・主に感情によって波動することによって作られるエレメンタル。
 (感情や欲望の影響下にあり、思考は二次的な役割)

・このエレメンタル形成は、物質的な対象→反応として興奮→欲望の発生→満足でき
 る状況の設定によって創造される。

・この欲望的思考のエレメンタルは、思考や欲望の性質を理解していない普通の人の
 特徴である。

・ほとんどの人は、アストラル~メンタル体の構成を潜在意識レベルで行っている。
 なぜなら、ほとんどの人たちはアストラル~メンタル体の個性を、自分の欲望や感
 情に任せっきりにしているからである。

・この欲望的思考のエレメンタルは、結果として、自分のつくったエレメンタルの餌
 食になってしまうことが結構ある。

・人が外に投影したエレメンタルは、いずれそれを作った人間の潜在意識に戻って来
 る。そうして、記憶の中から意識の表面に上がって来て、新たなエネルギーを吸い
 込んだら再び沈んで行く。
 人間の潜在意識にもっと長くいられるまで、これらと同じサイクルが繰り返され、
 更に、人のエーテル・ダブルからエネルギーを吸収して、生命を持続させる。
 こうやって、タバコ、賭け事、アルコールの依存症や習慣が形成されていく。

・エレメンタルは、それが生じる原因となった欲望が強ければ強いほど、激しく放た
 れる。またエレメンタルが目的を遂げようと猛進し、それが達成された時、必ずそ
 のエレメンタルを創った人間のもとに戻り、さらに増大した力でもう一度投影され
 ることになる。
 こうした過程が何度となく繰り返され、その結果、私たちのアストラル~メンタル
 体の中に、それが低次元のエレメンタルであれば陰惨な闇の状況を、思考→欲望型
 の良いエレメンタルであれば強い愛の環境を創りだしていく。

・このエレメンタルは、「汚れた霊ども」「悪魔」と呼ばれたものである。

・敵対的な行動や暴力だけが他者を傷つけるわけではない。握りこぶしで殴ることと
 同じか、時にはそれ以上にダメージを、私たちはアストラル~メンタル界の活動で
 他者に与えている。

・「みだらな思いで他人の妻を見るものはだれでも、既に心の中でその女を犯したの
 である。(新約・マタイ5-27~28)」この言葉は、欲望的思考のエレメンタルをうま
 く顕している。


●「思考→欲望型(思考型欲望)エレメンタル」

意識的につくられる。

意識的な思考によって作られるメンタル体のエレメンタル。
 (思考の影響下にあり、視覚的なイメージが操れる)

欲望が形成される以前に、コントロールされた思考によって創られるのが、この
 思考的欲望のエレメンタルである。

・このような思考的欲望のエレメンタルの方が欲望的思考のエレメンタルよりも長く
 持ち、そして力より強く、目的の仕事をずっと早くこなすことができる。

・このエレメンタルは、人間を安全で真っ直ぐな道へと導き、環境を浄化し、人類
 全体の進化に役立つ状況をもたらす。

・一つひとつの設定をどう理解して対応するのかー荒々しい感情で対応するのか、穏
 やかな理性で対応するのか。
 物質や活動に酔い、低次の感情や欲望から引き起こされる力に弄ばれて意識を形作っ
 ている人類は今、非常に嘆かわしい状況にある。
 意識とは、自分の権限と意志によって自己決断できるようにしていくものであって、
 単に「時間・場所」の環境で遊ぶための道具ではない。

・真理の探求者は、欲望と感情が自分を助けてくれる役割を持つような強くて良い
 エレメンタルを、強い思考を通して創造する訓練をするべきである。
 
・私たちは自分の創るエレメンタルによって自己のパーソナリティー(アストラル~
 メンタル体)を害することもできれば、浄化することもできる。浄化することこそ、
 私たちが自らの個性を進化させていく方法なのである。

・「自己暗示」は、ある特定な目的のために自己意識を持って作られたエレメンタル
 と云える。

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上記を読むと、「思考→欲望型(思考型欲望)エレメンタル」の創造が、私たちの個性
を進化(悟りや解脱に向けて)させていく方法だと説いています。しかし、この世で生
きている限り、感情や欲望をコントロールすることは至難の業でしょう。
感情が発生する前に思考する。欲望が生まれる前に思考をコントロールする。この
ような事が可能なのでしょうか?

喜怒哀楽は、人間の自然な表現だと思っていました。芸術活動もまた、感情の表現
の一部なのだと解釈していました。

ある事象に対して、何よりも先に、感情や欲望が表現されてしまえば(反応されてし
まえば)、すでに「欲望→思考型(欲望的思考)エレメンタル」が生み出されてしまい
ます。
例えば、誰かに悪意に満ちたことをされてカッとなったりすれば、その相手に対して「嫌悪」
や「憎しみ」や「怒り」を抱きます。その思いが生まれる前(エレメンタルが創造され
る前)にコントロールするとなると、いわゆる「よくできた人」にならなければなりま
せん(苦笑)


さて、ここで「シルバーバーチの霊訓」から「未熟」という言葉をキーワードにして
引き当てた部分を抜粋してみます。

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あなたの心に怒りの念があるということは、それはあなたの人間的程度の一つの指
標であり、進歩が足りないこと、まだまだ未熟だということを意味しているわけで
す。あなたの心から怒りや悪意、憎しみ、激怒、ねたみ、そねみ等の念が消えた時、
あなたは霊的進化の大道を歩んでいることになります。
(霊訓5 P96)

まじめに、あなたなりの最善を尽くすことです。そして他人に対して寛容と慈悲の
心を向けてあげることです。それができるということが進化しつつある霊の証です。
人間は誰一人として完全な者はいません。煩悩をそなえた存在であり未熟である
が故に、時には的はずれのことを考えて間違いを犯すものです。だからこそお互い
に寛容と慈悲と受容性と愛が大切となるわけです。
(霊訓12 P72-3)

私は’悪’とは同じエネルギーの用途を誤っていることだから許すべきではないと
いう考え方をとります。あなたが’悪い奴ら’と思っている人間は未熟な人間とい
うことです。その人たちが表現しているエネルギーは成長と改善のためにも使用で
きるのです。悪い人間というのは霊的成長における幼児なのです。
(霊訓12 P95-6)

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「シルバーバーチの霊訓」に限らず、スピリチュアリズムでは、「悪い奴ら」に対し
て、敵対するような感情を抱くのではなく、相手は、霊的成長段階にある、未熟な魂
である、自分もまたそのような段階を経て今に至っている、という解釈の仕方を訓え
ています。
この辺りに感情や欲望のコントロールのヒントがあるように思えます。

次回は、私たちの抱くさまざまな「感情」に対して、どのように向き合い、解釈して
いけばいいのか、掘り下げてみたいと思います。

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7.想念形体(エレメンタル)~性質と分類

2014-07-27 23:13:41 | ◆想念形体(エレメンタル)

エレメンタルの性質と分類を具体的に観ていきましょう。メッセンジャーとエ

ソテリック・ティーチングを参考にしてまとめてみます。

 

●エレメンタルの性質

まず、私たちは、感情と思考を通して波動することができ、エレメンタルを誕
生させます。
このエレメンタルは、独立した他の生き物と同様に自分自身の生命を持ち、そ
のエレメンタルと同じ波長を持つ物に影響を与えます。

自己暗示」は、ある特定な目的のために自己意識を持って作られたエレメン
タルと云えます。

あらゆる思考、チラリと見かけた映像の一つひとつ、観念、散漫な心、感情に
よって、私たちは絶えずエレメンタルを創っています。
また、たとえ眠っている時でも私たちは自分や周囲に影響を与えるエレメン
タルを創り、放っています。

私たちの蓄えているほとんどのエレメンタルは知能が高く、常に要求を繰り出
ます。エレメンタルはアストラル~メンタル体を強制して、自分たちが十二
分に満足し、再び活性化した状態になるよう行動させることができます。

例えば、蓄えが貪欲、嫉妬、憎しみなどのエレメンタルで一杯なら、こうした
エレメンタルはアストラル~メンタル体に指令を出し、ひどい内心の不満を感
じさせるのはもちろん、大きな不和をもたらしたり騒々しい喧嘩をするように
仕向けるでしょう。

自分自身が本質的に愛情深く平和であれば、私たちのエレメンタルは、私たち
が人を助け、奉仕できるような状況に導いてくれることでしょう。

私たちの肉体を構成する細胞と同じようにアストラル~メンタル体を構成する
のは、一つひとつのエレメンタルであり、自身の欲望や弱さ、美徳や強さなど
の投影されたものだと云えます。

また、7年経過すれば、7年前にその肉体に存在した細胞は一つも残っていない
と言われていますが、同じことが、私たちのアストラル~メンタル体にも起こ
っていて、エレメンタルの生産、再生産に伴い、アストラル~メンタル体を構
成し、再構成を続けています。

私たちが脆弱なアストラル~メンタル体を創り上げたら、私たちは磁石となっ
て、よく似たエレメンタルを引き寄せることになります。こうしたエレメンタ
ルはかつて周囲の誰かが創ったもので、アストラル~メンタル領域を浮遊して
いるが、同じ波長を持っていなければ引き寄せ吸収することはできないので、
引き寄せた責任は私たち自身にあります。

例えば、私たちの周囲には沢山のエレメンタルがあり、多くが自分は社会の犠
牲者だと考えるようなアルコール中毒者のエレメンタルもあります。こうした
エレメンタルは常に私たちを取り巻いていますが、誰もが影響されるわけでは
なく、自分で創ったり、引き寄せたりした彼ら自身に責任があることになりま
す。

エレメンタルを破壊することはできません。いったん一つのエレメンタルが創
られたら、それは活性化された状態か、もしくは休止状態という、どちらかの
状態で必ず存在し続けることになります。

私たちのアストラル~メンタル体は、エレメンタルの質と量によって構成され
ています。ある種のエレメンタルを除去しようと思ったら、不要なエレメンタ
ルを有益なものと入れ替える必要があります。一人ひとりのアストラル~メン
タル体は、エレメンタル群の相対的なバランスと相互依存的なネットワークか
ら構成されています。
そのため、アストラル~メンタル体を早急に大きく変えることは困難で、大き
なエレメンタルや同じような種類の集合体であるエレメンタルを急激に取り除
けば、一人の個人を極めて不安定な状態にさせ、精神的な錯乱状態さえ引き起
こす危険性があります。

エレメンタルと直接戦っても、決して勝つことはできません。過去の連鎖を断
ち切るには理性を働かせてそのエレメンタルの源を探し出し、次に建設的なエ
レメンタルに置き換え、古いエレメンタルを超越していくこと。それが最善の
方法です。

過去の出来事をクヨクヨ考え、思いに浸るのではなく、”手放す”ことが必要
です。すでに過ぎ去り、変えようのない過去を手放す方法は、エレメンタルの
命である活力補給を断ち切って、自分を苦しめてきたエレメンタルを非活性化
させることです。そうすることで、私たちは過去に縛られることなく、”今”
を生きられるようになります。

私たちは自らをヒーラーととらえ、身の周りで助けを必要とするすべての人を、
友人として見なくてはなりません。こうした人々に近づいてアストラル面の傷
を見分け、彼らが再び完全性へと還れるよう、支援に努めなくてはなりません。
これが唯一、私たちの周囲に善なるエレメンタルを創造する方法です。

 

 

多くの心理療法士はある種の感情や出来事を追体験させ、患者のアストラル~
メンタル体を悩ませる記憶やフラストレーションを吐き出させることが治療に
役立つと信じていますが、このような手法は、記憶を取り巻くエレメンタルを
弱体化させるどころか、かえって問題に注目することでエレメンタルを再活性
化してしまいます。
(この記述に関して・・・退行催眠療法は、被験者を子どもの頃もしくは、前
世まで戻して記憶を探り、心的外傷を取り除くというものですが、これは追体
験させるという事です。果たして療法としてどうなのでしょうか?それとも、
あくまで、被験者の知らない「記憶の無い漫然とした不安」なり、「得体の知
れない恐怖心」などに対して原因を特定し、それを知る事による「納得」する
事が重要視されるのでしょうか?
さらに「納得」することにより、その悪いエレメンタルが他の良好なエレメン
タルに置き換えられると考えれば良いのでしょうか?)

●エレメンタルの分類

①パーソナリティー(アストラル~メンタル体)から湧き出てくるもの。

②外側の環境から引き寄せられるもの。

③パーソナリティーが共通のバイブレーションで振動しているがゆえに、同種の
 エレメンタルの集合を引き寄せる場合のもの。(グループ・エレメンタル)

④自分の「欲望-感情」に伴って形成するもの。
 (欲望→思考型(欲望的思考)エレメンタル)

⑤自分の「思考-感情」に伴って形成するもの。
 (思考→欲望型(思考的欲望)エレメンタル)

 

①に関しては、個性の根幹に関わり、前世から持ち越されているように思います。
②に関しては、今世の育ってきた環境などによって培われてきた思考や感情が惹
きつけるように思えますね。③に関しては、「何らかの信念もしくは活動を何世
紀にもわたって永続的に共有して育まれてきたもの」ということで、歴史的、宗
教的、時代背景的などの要因が関係しているように感じられます。
④、⑤に関しては、その性質を知ることにより、エレメンタルの創造をコントロ
ールすることが可能になりそうで、自分自身のパーソナリティー(アストラル~
メンタル体)を良い状態へと置くことができそうです。

というわけで、次回は、④、⑤の自らのエレメンタルの創造について観ていきた
いと思います。

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6.想念形体(エレメンタル)~相手に向けられた想念形体

2014-07-20 04:36:05 | ◆想念形体(エレメンタル)

では④の「相手に向けられた想念形体」に関して観ていこうと思います。

・これらの想念形体は、ほとんどいつもアストラル界に現れる。思いの表現であ
 ると同時に感情の表現だからである。

・個人に向けられた想念形体は明確な結果を示す。こうした結果はその受け手の
 オーラに部分的に再現されるか、そのオーラからはじき返されるかの何れかで
 ある。

愛の思いと守ろうとする望みが相手に強く向けられると、その人のオーラの中
 に楯となり守りとなって留まる。
 そしてそれは、そのオーラにぶつかって来る敵意ある力を弱める。我々は、自
 分の愛する人のまわりに、紛れもない守護の天使を創造し、それを保持してい
 くのである。
 遠くにいる子どもの為の親の祈りは、このようにして子どもをとりまき、彼女
 はその方法を知らなくても、その祈りは答えられるのである。

善い思いや悪い思いが個人に対して投射される場合には、相手のオーラの中に、
 その思いの振動に応じて共鳴することのできる材料を見つけなければならない。
 どんな組合せの資質もある一定の制限の中で振動できるにすぎない。
 もし、想念形体の振動率が、そのオーラの振動率と異なるとすれば、その想念
 形体は全くそのオーラに影響することはできない。従って、想念形体はそのオ
 ーラからはね返される。
 その場合、想念体がオーラにぶつかった時のエネルギーに釣り合うだけの力を
 伴ってはね返されるのである。何の抵抗もなく、磁力の線に沿って戻ってくる。
 まさに逆戻りしてその思いを発した人を打つのである。この人にはアストラル
 体とメンタル体の中に自分がつくった想念体と同じ資質があるので、同じ振動
 の中に投げ込まれる。
 このようにして「呪い」や「祝福」は自分にはね返ってくるのである。

・悪い利己的な思いに関係のある粗悪な資質が自分の体の中に残っている限り、
 この人は自分に対して悪感情を持っている人たちから来る攻撃に自分を開放し
 ていることになる。
 しかし、自己浄化によりこうした資質を完全に無くしてしまうと、この人を憎
 む人々は害を与えることができなくなる。そしてこの人はこの人たちの敵意の
 槍先の中で静かに平和に進んで行くことができるのである。

これらの記述を簡単に図に現わすと下記のようになります。

1.「善い思い」でも「悪い思い」でも相手のオーラの中に同じ振動率が見出せれ
 ば取り込まれる。

まさに「類は友を呼ぶ」の世界です。


2.「善い思い」でも「悪い思い」でも相手のオーラの中に同じ振動率が無ければ
 はね返され自分に戻ってくる。

「悪い思い」の場合は、悪感情を持っている人たちから来る攻撃に自分を開放し
ていることにもなり、まさに「人を呪わば穴二つ」(他人を呪い殺せば、自分も
相手の恨みの報いを受けて呪い殺され、相手と自分の分で墓穴が二つ必要になる)
の世界です。

3.「愛の思い」と「守ろうとする望み」が相手に強く向けられると、その人のオ
 ーラの中に楯となり守りとなって留まる。

「遠くにいる子どもの為の親の祈りは、このようにして子どもをとりまき、彼女
はその方法を知らなくても、その祈りは答えられるのである」とあります。愛と
守護の強い思いは、時空を超えて届くのですね。正しい動機と普遍意識に合致し
た祈りなり、願いは成就されるという事でしょう。

下記に、関連するような記述がありましたので引用します。

女性はイアコヴォスに外科医のメスの下に身を置くことに恐怖心があることを説
明した。イアコヴォスは彼女の不安を和らげる会話をして、それから椅子に座る
ように勧めた。彼はそれから、両手を彼女の頭の上に置き、目を閉じて、深呼吸
をした。そのような姿勢で五分ぐらいが過ぎた。
「手術の直前になったら、私のことを思い浮かべて下さい。付き添いますから」
とイアコヴォスは女性に言った。

患者さんは手術直前に私のことを思い浮かべます。その時、私がつくった治療用
のエレメンタルが動きはじめ、私が実際、その場にいたりするのと同じ行動をとっ
てくれます。彼女の想念が、彼女と私の間のつながりをつくります。
(メッセンジャー P80より)

想念形体は、独立した生き物である。自分の手を離れても魂を持ち、アストラル
やメンタル資質の身体を持つ生物です。

次回から、更に具体的に想念形体(エレメンタル)を観ていきたいと思います。 

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5.想念形体(エレメンタル)~思考者の像の想念形体、物質的な像の想念形体

2014-07-18 11:16:57 | ◆想念形体(エレメンタル)

④の「相手に向けられた想念形体」に関しては、実例をたくさん集めて投稿しよ
うと思っていますので、先に⑤「思考者の像をとる想念形体」と⑥「何か物質的
なものの像をとる想念形体」を観ていきます。


⑤思考者の像をとる想念形体

人が自分のことを遠い所にいる。
その場所に行きたいと熱心に願う。

その場所に自分自身の像を想念形体として作る。

見る人が透視能力を持っていたり、または、自らを物質化するだけの力を十分に
持っていると、アストラル体、即ちその人自身の幽霊となって観える。


この記述を読んで思い出したのが、’あるヨギの自叙伝’ パラマハンサ・ヨガ
ナンダ (著) の中のスリ・ユクテスワによる幽界から語られた霊界通信の場面で
す。
スリ・ユクテスワは、’1936.3.9 9時’に死去したが、’1936.6.19 15時’に復
活し、ヨガナンダの元に物質化して訪れた。(以下は、復活後二時間ほどの中で
行われた霊界通信の一部です)

・スリ・ユクテスワの身体

これは血の通った肉体だ。わたしの目にはエーテルのように希薄に見えるが、お
前の目には紛れもない肉体に見えるだろう。わたしは、宇宙原子から全く新しい
からだをつくったのだ。

わたしはほんとうに復活したのだ。ただし、地球にではなく、幽界の星にだ。
そこの住人たちは、地球の人々よりも、はるかによくわたしの高い水準に順応す
ることができる。

私は、たこのようにしっかりと先生にしがみついていた。私には、ほのかななつ
かしい先生特有の快い体臭が感じられた。先生は、半分は言葉で、半分は精神感
応によって、その意思を伝えられた。こうして私は、先生が伝えられる思想を非
常な速さで理解することができたのである。(ヨガナンダ)

私のこの新しいからだは、前の古いからだと全く同じに出来ている。わたしはこ
のからだを、いつでも自由に、しかも地上に居たときよりもずっと頻繁に、物質
化したり解体したりしている。からだを急速に解体することによって、わたしは
今では一つの星から他の星へ、あるいは、幽界から観念界や物質界へ、光という
特急であっという間に旅行することができる。


これらは、スリ・ユクテスワが他界した後の物質化の様子ですが、スリ・ユクテス
ワは地上生活中も、遠方から物質化してヨガナンダの前に現れたことのある記述
があります。

 

⑥何か物質的なものの像をとる想念形体

例1

ある人が、自分の友だちの事を考える。

自分のメンタル体の中に、その友だちの小さな像を作る。

その像は、外へ出て行き、普通はこの人の前の空中をぶら下がって漂っている。

同じように、例えば、部屋、家、景色などを考えるとこれらのものの小さなイメ
ージがメンタル体の中に作られ、そのあとで具現化する。

具体的な事物でなく、想像を働かせている時にも、全く同じことが言える。

例2

自分の描こうとしている絵を考える。

自分のメンタル体の資質で作り上げ、

自分の前の空間に投射し、自分の心の目の前におき、

それを写す。

例3

書こうとする小説の登場人物を考える。

自分のメンタル体の資質で登場人物のイメージを作り上げ、

意志の働きで、一つの場面からそれらのあやつり人形を動かして見たり、別に離
して見たりして見る。

小説の話の筋は文字通り、この人の前で演じられたりしている。


このようなメンタル像は実際に存在し、イメージは全く客観的なものなので透視
能力のある人には容易に見られ、それを作った人でない誰かによって再配列する
ことさえ出来る。(普通の人では理解できない。)

例えば、小説の著者がはじめに考えていたのとは全く違った方向に話の筋が運ぶ
ようになったり、時には想念形体が遊び好きの自然霊によって魂を吹き込まれ
り、死んだ小説家がアストラル界で話の進展を見守り、手を加えることが出来る
と考えると、自分の暗示を提案したりする。


大好きな異性の事を真剣に考えたり、憧れのクルマの事を真剣に思い浮かべたり
すると、メンタル資質の具現化した人なり物が自分の前にぶら下がって漂うので
しょうか?何とも想像できませんね。
霊能者が観る相手の情報などは、このようなメンタル資質のモノから得ているの
でしょうか?
以前に、ある霊能者の所へ行った時に、胸に十字架のペンダントをして、赤い車
に乗っていったのですが、見事にそれらを当てました。読心術やテレパシーなど
も同じような仕組みなのかもしれませんね。


想像物に関しては、絵画、楽曲、小説など芸術活動領域に多そうですね。初めか
らイメージした通りの作品に出来上がるのならば、その人の投射しているモノを
描きだしているのでしょうけれど、途中から、異なるインスピレーションを受け
取って変化していく作品になる場合は、霊界からの誰かのアプローチがあるのか
もしれません。

スポーツなどで取り入れるイメージ・トレーニングも、このような想念形体の形成で説
明が付くのでしょうか?

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4.想念形体(エレメンタル)~個人的な想念形体と漂う想念形体

2014-07-16 12:14:40 | ◆想念形体(エレメンタル)

人は思いを起こすと自らのメンタル体内に、ある律動が起きて二つの結果が生じる。第一は
波動を生ずること。第二には想念形態を生ずること。

前回は、波動放射について観てみましたが、今回から「想念形体」について観ていきます。

「波動放射」と、「想念形体浮遊」について、「思いは生きている」P21~44を読むと、上図
のようになりました。これは、私個人の図解表現ですので、誤っているかもしれませんし、
根本的に解釈がおかしいところもあるかもしれません。もし、不適切なところがありましたら、
お知らせ下さい。

●想念形体の概要

エレメンタル・エッセンスは、我々をとりまいている半知性的生命で、メンタル界と、
アストラル界の資質を活気づけている。この資質は、人間の思いにきわめて容易に応ず
る。

メンタル体、アストラル体から送り出される思いは、直ちにこの生気を与えられた資質
一時的な媒体としてまとうのである。

このような思いは、さしあたり一種の生き物となり、思いの力はそれの魂であり、活気
づけられた資質はその体ということになる。これが想念形体(エレメンタル)である。

想念形体には無限に多くの色や形がある。思いの性質がその色を決定する。

人の思いが、誰か他の人に直接つながれると、その結果生じる想念形体はその人に向かっ
て動いて行き、その人のアストラル体とメンタル体に注ぎかける。

では、この図の中の②と③について観ていきます。

②個人的な感情に基づいた想念形体(個人的な想念形体)

もし、思いが自分自身についてであると、即ち、個人的な感情に基づいたものであると、
その思いは思いを作り出した人のまわりを徘徊し、この人の受身的状態の瞬間には、
いつでもその人に反応しようとする。

例えば、みだらな思いの結果出来た想念形体・・・仕事で忙しく働いている間は、その
人のアストラル体はその仕事以外の振動に影響を受けないが、仕事をやめて休むと、こ
の人には明確な思いがなくなると、知らぬ間にこっそり近づくそのみだらな振動をこの
人は感じるようになる。

このように誘惑は外から来るのではなく、誘惑は自分自身の想念形体の自分への当然な
反応に他ならない。人は皆、自分自身の家である箱の中に閉じ込められ、自分の習慣的
な思いによって創造した想念形体の塊に取り囲まれて空間を旅している。このような媒
体を通して人は世界を眺める。外部から自分に達するあらゆる振動の比率は多かれ少な
かれその人の持つ振動の比率によって修正される。こうして、その人が思いと感情の統
御を学ぶまでは、その人はありのままには何も見ていない。

「他人は自分の鏡」という言葉があります。一般的には「人の振り見て我が振り直せ」
のような意味合いだと思うのですが、これを、個人的な感情に基づいた想念形体に囲ま
れた人が、外の世界を観ようとした時、その想念形体に脚色された世界しか観えず、自
分で作り上げた世界が投影されている、いわば外の世界は、自分の思いの鏡であるとの
解釈もできます。

お風呂上りにビールを飲みたくなる。ふと仕事の集中が途切れるとタバコを吸いたくな
る。誰かを失った悲しい思いが不意にこみ上げてくる。明日のプレゼンの緊張が襲って
きて不安になる。自分がどう思われているか気になる。人から言われた言葉や、態度が
気になる。喧嘩をした後の後味が悪い。酔っ払った時に感情的になって放った言葉が気
になる。
癖や習慣性のある事象や自分自身や他人の行動・言動などの回顧、不安や後悔、取り越
し苦労なども想念形体のひとつという事になるのでしょう。

「仕事で忙しく働いている間は、その人のアストラル体はその仕事以外の振動に影響を
受けない」これは、逆転の発想で、「何かに集中している時には、自分の感情に基づい
た想念形体は近づいてこない。」という事になります。
この世界で毎日を暮らしていると、確かに、仕事に集中している時などには、悩み事が
消えていたりしますね。忙しくしていると、お腹が空いている事にも気が付かない時も
あります。
まさに「寝食を忘れて没頭する」です。この何かに集中している時、この時こそ、今を
ありのままに生きている状態であるというわけですね。
ギターを演奏している時、歌を歌っている時、カメラを構えて被写体と向き合っている
時、スポーツをしている時、絵を描いている時・・・などなど、何かに集中するのが、
良いのでしょう。

すると、ヴィパッサナー瞑想も効果がありそうです。なにしろ、ヴィパッサナーの意味
は、「ものごとをありのままに見る」ですから^^

以前の投稿より

「ありのままを見る」手法としては、「自己催眠」の「自律訓練法」が挙げられると思
います。手足が重い~手足が暖かい~お腹が暖かい~額が涼しい~など、身体的な感覚
に意識を集中させるというものです。この場合は自分自身の触覚への意識ですが、さら
に同じような方法として、「ヴィパッサナー瞑想」という瞑想法があります。これは、
「物事をあるがままに見る」「今という瞬間に完全に注意を集中する」というもので、
例えば歩いていているときに、左足が上がった、左足が地面に付いた、右足が上がった、
右足が地面に付いた、など、自分の動作を一つ一つ意識していくという動的瞑想法です。
これらの集中意識を視覚や聴覚に向ければ「私は今、○○を見ている」「私は今、○○
を聴いている」となります。

 

③個人的でも、他の人にも向けられていない想念形体

それは単に、それを作った人によってはじめに送り出された振動を放射しながら、大気
の中を無関心に漂っている。もし、それが、誰か他の人のメンタル体に接触しなければ、
この放射は次第にエネルギーの貯えを使い尽くし、やがて粉々になる。

手近なメンタル体に共鳴振動を目覚めさせることに成功すると、引かれてそのメンタル
体に吸収される。そして、その形体を生んだ時の思いと実際に同じ思いが、メンタル体
の中に作られる。想念形体はごく僅かなメンタル体にしか吸収されないが、その僅かな
場合には、はじめの考えをそっくり再現する。 

メンタル体に吸収される場合については、④の「相手に向けられた想念形体」で観てい
きますが、「波動放射」の伝わり方が「まるごと伝わるのではなく「思いの性質」を伝
える」のに対して、想念形体は、「実際に同じ思いや考えが再現される」ようです。
具体的にはどういう事なのでしょう。次回に続きます。

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3.想念形体(エレメンタル)~波動放射について

2014-07-15 15:31:59 | ◆想念形体(エレメンタル)

前回の投稿で、ものすごく簡単に、

「私たちの精神活動である思考や感情(想念)は、メンタル界やアストラル界の要素
(エレメンタル・エッセンス)から作られる形体(想念形体(エレメンタル))となって
浮遊したり、波動となって放射されたりする。」

と要約しました。想念の現れ方には、「波動放射」と、「想念形体浮遊」の二つの面があ
ります。これらを具体的に見てみましょう。

「波動放射」と、「想念形体浮遊」について、「思いは生きている」P21~44を読むと、上図
のようになりました。これは、私個人の図解表現ですので、誤っているかもしれませんし、
根本的に解釈がおかしいところもあるかもしれません。もし、不適切なところがありましたら、
お知らせ下さい。

私たちのあらゆる思いは、想念形体を作り出すわけですが、それらは上図のように分類さ
れるようです。これらを順番に見てみましょう。

人は思いを起こすと自らのメンタル体内に、ある律動が起きて二つの結果が生じる。第一は
波動を生ずること。第二には想念形態を生ずることです。

①波動放射

あるメンタル体が波(思い)を送りだす。

相手の人のメンタル体にぶつかる。

相手の人に同タイプの思いが起きる。

放射している振動は、自然界の他の全ての振動と同じように、その源からの距離に応じて
力が弱くなる。(低級な思いほど消えていくが、高級なものほど遠くまで届く。)

これは、「波を出す人=話す人」、「波を受ける人=聞く人」に喩えると分かり易い。

話す人の声は空気中に音波の動きを起こす。
それはこの人からあらゆる方向に放射される。

近くにいる人には大きく聞こえ、
遠くにいる人には小さく聞こえる。

届く距離は、声の力(思いの力)とその人の発音の明瞭さ(思いの深さ)による。また、
この声は、何か別のことに集中していたりする人の耳には入らない。(何か別の思いに
深く囚われている人の心には影響を与えずに通り過ぎていく。


放射している振動は「思いの性質」は伝えるが、「何を考えているか」は伝えない。

例えば、ヒンズー教徒が、クリシュナに献身して、夢中になって座っているとすると、
この人から注ぎ出る感情の波はその波の影響下に来るあらゆる人々の献身的感情を刺激
する。皆がクリシュナに献身するのではなく、回教徒の場合はアラーに対して、キリス
ト教徒はイエスに献身するということである。

高級な思いを放射すると、その振動は当然ながら同じ性質の振動にすでに慣れていた心
に特に強く作用するが、その振動がぶつかるメンタル体には、いずれにも或る影響を与
える。だから、高級な思いに慣れていない人々の中に、高級な思いの力を目ざます傾向
がその振動にはある。

だから、全く意識してなくても、高尚なことを考える人はみな伝道者のような仕事をし
ていることは明白である。
「思いは生きている」P23~25要約

 

上記のように、波動放射に関しては、波動を放つ人の思いは、そのまままるごと伝わって
いくのではなく、「思いの性質」を伝えるようです。さて、この「思い」が「想念形体」
になると、どうなるのでしょうか?つづく

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2.想念形体(エレメンタル)~思いは形体となったり放射されたりする

2014-07-12 15:04:12 | ◆想念形体(エレメンタル)

先の投稿に記したとおり、肉体が滅んだ後にも、アストラル体やメンタル体を通じて、
私たちは生き続けるわけですが、当然それは精神の世界であり、感情や思考の世界で
あると想像できます。この世での物質的なものとは縁がなくなるわけですね。霊界通
信などで、あの世での生活の様子などが数々送られてきていますが、ここでは霊界で
の事は触れずに、今、こうしてこの世(物質世界)で生きている間にも、肉体以外の
体であるアストラル体やメンタル体も活動しているわけですので、それらについて考
えていきたいと思います。


さて、想念形体とは、一体どういうもので、どんな作用をするのでしょう。


・考える者である人間は、メンタル界の精妙な資質の無数の組み合わせで構成されてい
 る体で包まれている。

・この体は、その人間の達している知的進歩段階に応じて、構成要素が洗練され、機能
 上、よく組織されるようになる。

あらゆる思いは、メンタル体に一組の相互的振動を起させる。

この刺激のもとで、メンタル体は振動の性質に従って形作られているメンタル体自体
 振動部分を切り捨てる。

・そして、メンタル体は周囲の資質から、つまり、メンタル界のエレメンタル エッセ
 ンスから、微妙さの似ている資質を集めるのである。

・すると、純粋で単純な想念形体が出来る。想念形体はそれを作った考えによって生命
 を与えられた、激しい活動性をもつ生き物である。

・もし、更に精妙な種類の資質で作られれば、その想念形体は大変なエネルギーを持つ。

・そして強くしっかりとした意志によって誰かに向けられると、非常に強力な代行者と
 して使うことが出来るのである。

 ・人間のエネルギーが欲望の外部対象に向かって流し出されたり、情欲、情緒的活動に
 支配されると、このエネルギーはメンタル界の資質よりも精妙でないアストラル界の
 資質の中で働く。

人間の欲望体(アストラル体)といわれるものは、この種の資質で作られている。粗
 雑なタイプの人間の場合、アストラル体はアストラル界の濃密な資質で作られる。

・アストラル体はアストラル界に存在するアストラル界独特の生命体を生み出す。これ
 は、想念形体と一般的構造は同じだが、アストラル界限定で、動物性質の支配のもと
 で心によって作られる。

・欲望によって支配されている心の活動-欲望の体に振動が起り、アストラル体は、振
 動の性質に従って作られたアストラル体自体の振動する部分を振り捨てる。これがア
 ストラル界の自分に適したエレメンタル エッセンスをひきつける。

・このような想念形体は、その体としてはこのエレメンタル エッセンスを、また、生
 気を与える魂としてはその想念を出した欲望や情欲をもつのである。

・想念形体の力は、この欲望や情欲と結びついた、メンタル・エネルギーの量に従う。

・メンタル界に属するものと同じように、これらは人工的エレメンタレスといわれ、
 れらは最も普通のものである。普通の男女の思いは欲望や情欲や情緒によって染まっ
 ていないものは少ないからである。

「思いは生きている」神智学協会P17~19より

現在のパーソナリティーとは私たちにとって、さまざまな世界を経験し、解釈するための
乗物であると同時に、潜在意識的もしくは自己意識的、もしくは超意識的に生じた、さま
ざまなエレメンタルの集合体です。

エソテリック・ティーチング P170

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
肉体・・・荒魂(あらみたま)・・・主に食欲性欲の媒体
幽体・・・和魂(にぎたま)・・・主に感情・情緒・芸術的感覚の媒体
霊体・・・幸魂(さきたま)・・・主に理性・知性・学問的才能の媒体

「人生は本当の自分を探すスピリチュアルな旅 近藤千雄著より」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記の肉体~幽体あたりが、アストラル体に当たり、
   幽体~霊体あたりが、メンタル体に当たると思われます。


上記の内容を要約すると、


・私たちの精神活動による思考や感情は、私たちのメンタル体(動物的や自分本位の欲
 望や感情などはアストラル体)に振動を起こさせ、その振動部分を切り捨てる。

・その振動部分にメンタル界(またはアストラル界)から類似のエレメンタル・エッセ
 ンスを集め、ひとつの「想念形体」を作りあげる。

・この「想念形体」は、それを作った考えによって生命を与えられた、激しい活動性を
 もつ生き物である。


これでも、何だかよく解りませんね^^;

で、いろいろググってみたら、「心と体を通して見えてきたもの」バンビさんのブログ
に辿り着きました。バンビさんに初歩的な質問をさせて頂いたところ、とても解りやす
いイメージ解説を頂きましたので拝借いたします。

自分の「メンタル体」を「太鼓」にたとえます。私たちが「何かを思考する」=「太鼓
をポンと叩く」とすると、その叩いた太鼓の部位が振動します。

その太鼓の表面に細かい粒子が広がっているとすると、その部位の粒子は振動に合わせ
て、ある形を作ります。

強く叩けば(思いが強ければ)その振動にあった粒子の形が作られます。叩き方が複雑
ならば(慈愛でなく独占愛の気持ちなど)やはり、その振動にあった粒子の形が作られ
ます。この作られた粒子の形が、例えば無重力空間のような空間であれば形を伴ったま
ま漂います。(ほんとか?・笑)
この場合の粒子がエレメンタル・エッセンスに当たり、粒子で出来上がった形が想念形
体(エレメンタル)となります。

今度は、この粒子を「水」に喩えてみましょう。水の中のメンタル体のある部位が振動
すると、波に形を変えて、あちこちに広がっていきます。例えば、小さなお風呂の中で、
じっとしてお湯の表面を見ていると、心臓の鼓動で水面がわずかに動いているのが解り
ます。この場合、水がエレメンタル・エッセンスに当たり、波が想念の波動となります。

以上の事から、ものすごく簡単に要約すると、

私たちの精神活動である思考や感情(想念)は、メンタル界やアストラル界の要素
(エレメンタル・エッセンス)から作られる形体(想念形体(エレメンタル))となって
浮遊したり、波動となって放射されたりするようです。

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1.想念形体(エレメンタル)~この世において

2014-07-09 10:50:48 | ◆想念形体(エレメンタル)

人間は生命の表現様式として看た場合、非常に複雑な媒体構造をしています。肉体を
構成する個々の細胞は常に新陳代謝を繰り返していますが、身体全体では一つの統一
体として機能しますし、腸内細菌等は、ある意味では彼等自身の目的を持った個体な
のですが、彼らのはたらきがなければ人間の体内での消化という過程は機能しません
から、人間の一部であることは確かなのです。
これと同じ様に、人間の心の媒体として感情や思念を表現するアストラル及びメンタ
ル・レヴェルの表現媒体も、鉱物になる以前の生命の表現様式の集合体から構成され
ており、神智学ではエレメンタル・エッセンスという名前で呼ばれています。このエ
レメンタル・エッセンスは、彼等自身の進化のために、外部の刺激(波動)に対して
敏感に反応するという性質があり、この性質のために、人間として表現されている意
識が充分に進化して、各波動領域の媒体に対する主権を完全に確立するまでの間は、
エレメンタル・エッセンス自体の活動によって、心が外部の出来事に影響されて揺れ
動くという現象を作り出しているわけです。

「黎明・上巻」より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

前回の「「黎明」考察」の箇所に上記のような文言があったのですが、この「エレメ
ンタル(・エッセンス)」について、ちょっと掘り下げていこうと思います。

「肉体・アストラル体・メンタル体」に関して、判り易いように図にしてみました。
ここで、注意して頂きたいのは、一般的(?)には、多重構造の身体概念に関しては、

「肉体(荒魂)-幽体(和魂、エーテル体)-霊体(幸魂、観念体、アストラル体、霊妙体)」
と表現する事が多いように思うのですが、神智学では、「肉体-幽体-霊体」を
「肉体・エーテル体-アストラル体-メンタル体」、ダスカロスは、
「肉体-サイキック体-ノエティック体」としていますが、「想念形体」
に関しては、神智学やダスカロスの本に詳しく書かれていますので、それらに沿って
「肉体・アストラル体・メンタル体」の身体概念図としました。(コーザル体に関し
ては「想念形体のカテゴリー」では触れません)

この身体概念図は、下記の文言から導いています。

肉体、サイキカル体(アストラル体)、ノエティカル体(メンタル体)には、それぞ
れエーテル対応物、もしくはエテール・ダブルがあります。肉体の一つひとつの細胞
や原子も、それぞれ個々のエーテル・ダブルを持ち、これらすべてが合わさって肉体
全体のエーテル・ダブルを形成しています。
(肉体の)エーテル・ダブルは体が分解されるまで、体から切り離されることはあり
ません。
エソテリック・ティーチング(ダスカロス) P138~139

身体概念図には現しておりませんが、上記の文言から、肉体を構成する細胞や原子に
も、それぞれにエーテル・ダブルがあるようですから、物質的肉体と同じエーテル・
ダブルが存在するようですが、肉体が消え去れば、この肉体に対応するエーテル・ダ
ブルも無くなると思われます。(下記参照)

エーテル・ダブル
最も単純な単細胞から複雑な生命体まで、この現象界に存在するすべての生物は、
や対外にはみ出した領域に広がる「エーテル・ダブル」を持つ。完璧にして不滅のエ
ーテル・ダブルは、3つの身体の鋳型であると同時に、それぞれの健康を維持するた
めに機能している。エーテルはこのエーテル・ダブルの中に蓄積され、体の各所に分
配される。エーテル・ダブルは3つの体のいずれかが投影されている限り存在し、
体が死ねば肉体のエーテル・ダブルは消滅するが、他の2体のそれは残る。
エソテリック・ティーチング(ダスカロス) P224

また、前回の「「黎明」考察」には、

肉体から生命が引き揚げると活動を停止して分解され
ます。そして魂すなわち意識の個的表現は、表面意識となる下限媒体を様々な波動領
域の表現世界に移し変えながら進化して往く、というように、それぞれの媒体の表現
領域と表現様式が変化するだけで、実相としての生命に始まりとか終わりとかいうも
のは存在していないのです。「黎明・上巻」より

という箇所がありますが、この表現領域とは、アストラル体やメンタル体の事であり、
肉体が滅んだ後も、個的表現(個性)はこの媒体領域で存続していく事が読み取れま
す。

しかし、この身体概念図から、私たちは肉体が滅ぶ前から、これらのアストラル体や
メンタル体をまとっているわけですから、今こうして肉体を持っている間もアストラ
ル体、メンタル体も個的表現(個性発露)をしているわけです。アストラル体はアス
トラル界において、感情を主に司る、欲望や情欲、情緒的活動などが反映され、メン
タル体はメンタル界において、精神的・知的な思考などが反映されるようです。
(「他の身体概念では、ここで云うアストラル体がエーテル体、メンタル体がアスト
ラル体と表現されることが多い)

この肉体をまとっている間においても、アストラル体、メンタル体の活動が「想念形
態(エレメンタル」として認識できるようで、「人間として表現されている意識が充
分に進化して、各波動領域の媒体に対する主権を完全に確立する」事に繋がる情報が
ありそうです。

次回から、この「想念形体(エレメンタル)」を詳しくみていこうと思います。なお、
この身体概念図にチャクラが描かれていますが、関係がありそうなので印しておきま
した。

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19.創造の原理6-3

2014-07-04 14:49:39 | ◆「黎明」考察

誕生と死という現象を外側から見るのではなく、宇宙に遍満する唯一の生命の側から
観れば、原子としての表現は長時間にわたって物質の波動領域に留まっており、また
肉体を構成する細胞としての表現は、受精の瞬間から形成され、地上での全表現期間
(一生)にわたって更新され、肉体から生命が引き揚げると活動を停止して分解され
ます。そして魂すなわち意識の個的表現は、表面意識となる下限媒体を様々な波動領
域の表現世界に移し変えながら進化して往く、というように、それぞれの媒体の表現
領域と表現様式が変化するだけで、実相としての生命に始まりとか終わりとかいうも
のは存在していないのです。

 

表現領域が変化するだけで、当たり前のように存在し続ける魂・・・・いや~、この
ような表現で「人の死」を捉えると怖くない気がしてきますね。私は、両親とも他界
しておりまして、その「死」に接しておりますが、遺体はホントに生命力がなく、抜
け殻のように感じました。ああ、もうここには居ないんだなあと、実感したものでし
た。

 

人間は生命の表現様式として看た場合、非常に複雑な媒体構造をしています。肉体を
構成する個々の細胞は常に新陳代謝を繰り返していますが、身体全体では一つの統一
体として機能しますし、腸内細菌等は、ある意味では彼等自身の目的を持った個体な
のですが、彼らのはたらきがなければ人間の体内での消化という過程は機能しません
から、人間の一部であることは確かなのです。
これと同じ様に、人間の心の媒体として感情や思念を表現するアストラル及びメンタ
ル・レヴェルの表現媒体も、鉱物になる以前の生命の表現様式の集合体から構成され
ており、神智学ではエレメンタル・エッセンスという名前で呼ばれています。このエ
レメンタル・エッセンスは、彼等自身の進化のために、外部の刺激(波動)に対して
敏感に反応するという性質があり、この性質のために、人間として表現されている意
識が充分に進化して、各波動領域の媒体に対する主権を完全に確立するまでの間は、
エレメンタル・エッセンス自体の活動によって、心が外部の出来事に影響されて揺れ
動くという現象を作り出しているわけです。

「黎明・上巻」より


さて、何度かこの文章を読んだのですが、よく解りません。「エレメンタル・エッセ
ンス」をググってみると、フィンドホーンのエレメンタル・エッセンスという水?が
沢山ヒットしました(笑)

「人間として表現されている意識が充分に進化して、各波動領域の媒体に対する主権
を完全に確立する」
これらは、おそらく悟りの境地(覚醒、心理への到達、普遍意識顕現など)に達する
と、という意味なのだろうと思います。となると、このエレメンタル(エレメンタル・
エッセンス)について考察しなければなりませんね。エレメンタルに関しては、神智
学やダスカロスの本の中にでてきます。

少し、掻い摘んで読んでみたり、ある方のブログを読んで質問してみたりしたのです
が、私の実践しようと努力しているカルマ・ヨガにもかなり応用が利きそうなので、
考察し、このブログでも後日取り上げていこうと思っています。

例えば・・・

 

ひとつ例をあげてみよう。キプロスの社会では、政治に関して夢中になって議論して
いる人たちをたくさん見かける。政治に関する争いは日常茶飯事で、家族をばらばら
にしてしまうこともある。これは人を本当に愚かにするひどい状況だと思う。


<あした、事務所に行って、みんなが政治問題について議論を始めたら、きっと自分
も加わりたくなるだろう。その瞬間、自制心をなくしてはいけないと自分自身によく
言い聞かせなさい。自分の中のエレメンタルや知識や知恵をみんなに見せるようにと、
あなたは駆り立てられるだろう。みんなの議論をしっかり聞いて是非を判断しながら、
一言も話さないでいてごらんなさい>と。彼は<その場を去ってしまった方がいいの
ではないか>と聞いたので、<いいや、逃げても何もならないよ>と答えた。

 

無関心でいることによってエレメンタルの力を吸い取ってしまい、それを中和してし
まうのだ。すると、そのエレメンタルは溶けてなくなってしまうか、エーテル界に浮
遊して、そこで他の人に拾われたりする。私たちがスピリチュアルに成長して行くと、
私たちがエーテル界に残したエレメンタルによって、同胞たちが好ましくない状態に
堕ちて行くことに対しての責任を意識するようになる。キリストがなぜ<自分を裁い
て欲しくなければ他人を裁いてはならない>と言ったのか分かるかな?私たちは、私
たちの内なる自己によって裁かれるからだ。そのエレメンタルをつくり出した状況を
既に超えたかも知れないが、エレメンタルは形成されてしまっている。

 

真理の探求者はもう欲望的思考によるエレメンタルをつくることはやめて、意識的に
つくられたエレメンタルを完全にコントロールできるようになるところまで行かなく
てはいけない。(メッセンジャーより)

 


とりあえず、このブログ内で、「肉体」と検索をかけ、肉体と重なり合う○○体と関
連のある箇所を抜粋してみました。(参考までに)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

肉体・・・荒魂(あらみたま)・・・主に食欲と性欲の媒体
幽体・・・和魂(にぎたま)・・・主に感情・情緒・芸術的感覚の媒体
霊体・・・幸魂(さきたま)・・・主に理性・知性・学問的才能の媒体
神体(本体)・・・奇魂(くしたま)・・・主に霊性・博愛・道徳性の媒体

これらとは別に
複体(ダブル)・・・肉体とそっくりの形体をした半物質体で、肉体と霊体
を繋ぐ接着剤のような役目を果たしている。

「人生は本当の自分を探すスピリチュアルな旅 近藤千雄著より」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人間生活には三つの側面があります。まず第一に霊であり、次に精神であり、そして
肉体です。
(シルバーバーチの霊訓12 P210-1)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

肉体・幽体・観念体(根源体)・魂

肉体・エーテル体・アストラル体・自我

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

肉体やエーテル体、アストラル体からメンタル体に至る各波動領域の媒体に、反応と
しての波動が生じます。
肉体・エーテル体・アストラル体・メンタル体・ブッディ体

・物質レヴェル・・・肉体の脳細胞(ニューロンのネットワーク)に浸透した生命
・感情のレヴェル・・・アストラル体に浸透した生命
・思念のレヴェル・・・下位メンタル体に浸透した生命
(黎明より)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

肉体-幽体-観念体
(スリ・ユクテスワの表現)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

肉体-エーテル体-霊妙体-火焔体-神体・光明体-最高精神
(マイヤーズ通信)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

表現は微妙に違いますが、大体

肉体(荒魂)-幽体(和魂、エーテル体)-霊体(幸魂、観念体、アストラル体、霊妙体)

と表現できそうです。

ただ、「黎明」や神智学では、「肉体-幽体-霊体」を

「肉体・エーテル体-アストラル体-メンタル体」、

ダスカロスは、

「肉体-サイキック体-(サイコ・)ノエティック体」

としています。

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18.創造の原理6-2

2014-06-27 18:18:02 | ◆「黎明」考察

生命は生き生きと活動し、生成し、発展し、消滅するというサイクルを現象として顕
わしていますが、この変化がある程度以上に活発であり、私達のそれぞれが持ってい
る感覚でそのとき知覚されるレヴェルにあれば、私達はその中に生命の息吹を感じる
わけです。
ところが物質レヴェルでは、例えば鉱物のこうした変化は非常に微妙なものであり、
多くの人達が気付く程の変化をするには極めて長い時間を要するので、「鉱物には生
命がない」という誤った観念が造られてしまったのです。

ところがアストラル・レヴェルのある程度以上の波動領域になると、物質レヴェルの
原子や素粒子に相当する(寸法的には、遥かに小さい)この波動領域の媒体を構成す
る素材が、ちょうど一個一個の細胞のような生命体としての表現様式を持っているた
めに、鉱物さえも生命があると言う感覚が、この波動領域では一般的なものとなります。

鉱物や植物の意識の波動に同調できる人は、自分の波動で参照することによって、ちょ
うど人と人が言葉で会話をするときのように、鉱物や植物とコミュニケーションを行う
ことが可能です。実際には植物や鉱物から発せられるのはアストラル・レヴェルの波動
なのですが、受け取る人の波動で参照すると、その人の主観が反映した言葉になって聞
こえる場合もあります。
木がすぐ近くで焚かれていた火を熱がったり、楽器が元の所有者に帰りたがっていたり、
というような意識を感じ取れる人が実際にいます。私達の多くが時折、無生物だと思い
込んでいたものの中に生命を感じるような気持ちがすることがあるのは、潜在意識にな
っているアストラル体のはたらきによって、このような情報をキャッチしている場合が
よくあります。 

黒文字部分:「黎明・上巻」より

 

石と話のできる人、植物と話のできる人、昼間なのに星を見ることができる人、何かの
物体に触れるとその物体の記憶を読み取る事のできる人などなど、植物はいわゆる生命
体ですが、無機質な物体からも情報を得たりする人の話は結構聞きますね。
アストラル・レヴェルからの情報を自分の波動領域、潜在意識でキャッチし情報を得て
いるようですが、そうなるとその情報はキャッチする人によって微妙に違ってくるかも
しれませんね。ただ、物体が嫌悪感を抱いているとか、喜んでいるなどの大まかな情報
は一致してくるのかもしれません。

物体の記憶というのは、どうなのでしょう?物体の持ち主の思いが映し出される、いわ
ゆる残留思念なのか、はたまた物体そのものの記憶なのか・・・この辺りはよく分かり
ませんが、いずれにせよ普通の意識状態からは受け取ることはできず、アストラル・レ
ヴェルにアクセスできるいわゆる霊能力が必要なのでしょう。

人の感情による水の結晶の変化やキルリアン写真なども、そのような情報の視覚化なの
かもしれませんが、私はよく分かりません。

キルリアン写真の世界   

水からの伝言wikipedia


こららの内容を読んで、思い出したのはライアル・ワトソン著の「シークレット・ライ
フ」です。下記に少し抜粋します。

自分の意思をもっていると思われる機械はコンピュータばかりではない。1978年、
イリノイ州ブルーミントンで駐車場のメーター係をつとめていたパティー・ジャクソン
は、ヘッドライトがつけっぱなしの車を見つけて消しにいこうとした。
彼女がドアの把手に触れたとたん、エンジンがひとりでにかかって急発進し、コンクリ
ートの車輪止めを乗り越えるや、駐車場を全速力で駆けぬけていった。そのとき、車の
鍵は通りの向かいの美容室から出てきたばかりのサンドラ・ザイクスの手に握られてお
り、彼女は無人の自分の車が轟音をたてて同市のメーンストリートに入っていくのをた
だ呆気にとられて見送るほかなかった。
つづく数分間、その暴走シボレーは車の流れをジグザグに縫っては駐車場に戻るという
奇行を3回くり返し、躍起になって追うパトカーをかわしたあげく、自殺をはかろうと
してか正面から来たトラックにまともにぶつかって大破した。
「気味の悪いホラー映画を見ているようだった」と語ったのはバッテリーを外してやっ
とのことでその人騒がせなヘッドライトを消したエドウィン・オファーレル巡査。彼の
上司のマイケル・リアリー巡査部長などは車を押収した際、捜査官を待つすきに車が逃
げ出さぬよう牽引業者に厳重な注意をうながしたという。原因はついにつきとめられな
かった。(P8)

また、偶然のいたずらだろうか、身近な日常の事物がほとんど故意ともとれるふるまい
をすることがある。1979年の夏休み、15歳のロバート・ヨハンセンは近所のオス
ロ・フィヨルドで毎日成果の乏しい釣りをして過ごしていた。
ある夕方、少年はようやく4キロ半からのみごとなタラを釣り上げ、意気揚々とそれを
ラルクローレンに住む祖母に進呈した。
夕食の用意にとりかかった老婦人、テクラ・オーネンがさばいた魚の腹からは、なんと
高価なダイヤモンドの指輪がころがり出てきた。それは3年前、彼女がフィヨルドで水
泳中に紛失した、代々受け継がれてきた家宝だった。(P9)。

こうしたことがらがわたしにはどうも気がかりなのである。一件一件が、というのでは
ない。まとめて眺めると穏やかならぬパターンが見えてきて、妙に興味をそそられるの
だ。 生物学者のわたしがその基礎訓練を受けたころ、まず生命のあるものとないものと
を区別することをたたきこまれた。生命を生命たらしめている要件を見きわめ、ある複
雑さ以上の生命システムだけに関心をしぼるように教わったものだ。
それ以外のことがらは、よその建物で講義されている地学や無機化学に属し、だいたい
においてわたしの関心の埒外だとされた。しかし今はもう、そのように分断された見方
をすることは許されなくなっている。生命がたやすく定義できないのもわかってきたし、
まったく無機質で無生物であることが否みがたい「物たち」までがまるで生命があるか
のように、しかもときには感覚や意識までもっているかのようにふるまうことが明らか
になってきた。(P9)。

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