ミュンヘンに来てホフブロイへ行かない人は、先ずはいないだろう。
それほど世界のビール党垂涎の場所だ。
ミュンヘンの名を知らなくてもホフブロイの名を知る愛好者は多いに違いない。
僕はアルコール類はダメな方なのだが、それでも話のタネにミュンヘンに来た以上
ぜひ、行ってみたい。 というわけで、翌日早速行ってみた。
噂にたがわず、建物の内外といい、早くからビールを楽しもうという人達で、すでに
溢れかえっていた。
建物の内にはレストランもあるみたいだが、僕は野外の年季の入った長い木製テーブルに
席を取った。 というよりは、既にそこに陣取っていたほろ酔い加減の客に強引に
手を引っ張らっれたのだった。
周りは既に出来上がっている人々で、席に座ると早くも彼らの仲間に、それと
同時に、ジョッキを抱えたウエター、ウエイトレスが先ほどからそこにいたかのように
さーっとジョッキを差し出す。 その早業は見ていて気持ちがいい。
それと欠かせないのが、何と言ってもおつまみのソーセージだ。
ドイツ語では
ブルストというが、特にバイスブルストという日本でふつうの魚肉ソーセージぐらいの
大きさのその名のとおり白い色のソーセージである。
ビールのジョッキと共に、そうしたおつまみもさっと神のごとく出てきて、早くも僕も仲間に。
僕が座ったテーブルの建物側にはバが陣取り、盛り上がる。
こうしてあっという間に時間は過ぎ去り、気が付いたら、ユースホステルに
帰っていったのだった。
こういったこともあって、僕はすっかりソーセージ党になり、とくに昼は
彼らのようにホットドックとビールの小瓶で済ますことが多くなった。
ところで、ドイツのユースはその発祥の地だけあって、規則が厳格で、
3日間以上泊まることができない。
それで近くのPullachユースホステルに移った。 2.2DM/泊
しかし、そうものんびりしていられない。
ただでさえ、西ドイツは物価が高く、手持ちの金が、羽がはえたようにどんどん減っていく。
その上、ミュンヘン・オリンピックを控えて景気がさらに良いため、物価の上昇も厳しく、
それもこたえる。
そういうこともあって、知り合ったばかりだが、厚かましくもオランダ人の旅行者仲間にも
相談する。 そして一緒に中華食堂などに出向くが、生憎どこも既に先達がいて、空振りに
終わった。 このオランダ人は自国語の他に英語、ドイツ語など、語学に堪能で、
どこに行っても、困らないようだ。
その彼が言うにはオランダなら、ノーパミ(労働許可書)でも、すぐに仕事が見つかると
のことである。
そこで、とりあえず、インドのカシミールで仲良くなったエドガー・フロリーの家を訪ねることにした。
もともとドイツに着いたら、一番に訪ねて来るように、言われていたので丁度いい、
彼に会ってそして相談してみようと思いたった。
エドガーの家は東ドイツに近いHofという町で、歴史のあるそのあたりの
中心地のようである。 ミュンヘンからもそう遠くでなさそうである。
ミュンヘンよりアウトバーンを行く。 途中より雨になり、それがみぞれに変わり、とても寒い。
エドガーの家を訪ねると、2階の住人が下りてきて、彼はフランクフルトに
行っているから今はいないと言い、明日の夕方に来るようにと言う。
幸いにもエドガーの家よりさほど遠くないところに、ユースホステルがあり、
そこに泊まったのだが、その途中にスーパーマーケットがあったので、
食料でも仕入れようと立ち寄った。 そこで、2リッター入りのコーラやスプライトを初めて見た。
珍しいので、つい、その両方を買ってしまった。
そしてユ-スホステルに着くが、そこはガランとしていてまるで人気がない。
やっているのかどうか、心配になったのでエントランスに入り大声でスんでみた。
そしたら奥から中年の女性が出てきて、今日は誰も泊まっていないという。
それで、今夜泊まりたいが、と言うとOKだという。
いくら天気が悪いと言っても結構広さのある部屋に一人だけというのも寂しい。
窓から外を見ると相変わらず雨が音もなく降っている。 それがさびしさを一層かき立てる。
通りの名がベートーベン通りとある。
次回に続く!
Hofのユースホステルを撮った写真が残っていたのだが、見つからない。
残念だ。
代わりに日本出発前の自宅ガレージでの勇姿。後ろのバイクは幻の陸王。