オートバイで行くインド・アフガニスタンの旅

写真やイラストつきのオートバイ旅行記

no.121 ユーゴスラビアを行く

2018-04-29 11:51:35 | オートバイ旅行記


 今回の通過国、ユーゴスラビアの地図

  
  赤いラインは走行ルート右下のマケドニアより入って、左上のスロベニアよりオーストリアに抜ける。
 その行程を8日間で走る。

  その初日はパンクを修理してもらった店の前にトラックが泊めてあったので、夜遅くなっことも
 あり、運転席に鍵が掛かっていないのを幸いに、無断で寝ることにした。
 それというのも、アテネの空港で日本から送ってもらったバイクの部品に関税を払ったりで、
 出費がかさみ、この先、物価の高そうなヨーロッパ諸国での旅費が心配になったからである。


 この運転席で眠るというのは思いのほか寒く、夜中何度も起こされた。 10月21日(木)

 翌日の朝、起きて見るとバイクのフォグランプが左右両方とも盗まれていた。
 「しまった。 やられたー!」「やっぱしね!」と、多少の危惧をしていただけに
 残念極まりなかった。 甘く見過ぎたことを後悔したのだった。

 「後悔先に立たず」というが、少しの金をけちったために却って損をしてしまった。
 この国では宿泊代の方がずーっと安いのだ。

 イラン以来の野宿だが、これからはもうぜったい野宿はすまいと思った次第だ。
 このことを見ても今のマケドニアはあの古代ギリシャ文明の雄・アレキサンダー大王の時代の
 面影もない貧乏国に堕したみたいだ。


 そんなわけで、次の日はマケドニアの首府のスコピエのユースホステルに泊まる。
 一泊 22ディナー で朝食付きだから安い。

 翌日は首都のベオグラード方面の道を途中で間違え50Km以上行き過ぎ気が付いて引き返すが、
 夜になってしまう。 途中すごい渓谷があり、そこのホテルに泊まろうと案内してもらってる
 ちょっとした隙にザックのポケットに入れておいたカメラのスタンドを盗まれる。

 なんて言う国だ! ユーゴスラビアは!  余程泥棒が多いと見える。
 先のフォグランプといい、これからは、ちょっとの油断もならないと気を引き締めて
 行かなければいけないなぁと、改めて思った次第だ。

 次の日は途中山間(やまあい)の道をぬって一路下る。
 両側は岩山で、そこを抜けるとまるで箱庭のような牧歌的な景色が続く。
 すごく美しい湖も渡る。 遠くに望む山が薄紫に幾重にも重なりとてもきれいだ。
 ここを過ぎ、もう一つ峠を超えるとアドリア海に出る。


 次回に続く!







  

no.120 バイクの修理

2018-04-08 11:33:07 | オートバイ旅行記




 街中のユースホステルに移り、翌日はアテネ國際空港に行く。
頼んでおいた日本からのオートバイ部品が届いているはずだからだ。

 案の定、前輪はじめ各部品が来ているとのことで、税関で所定の金額を支払い
問題なくそれらを引き取ることができた。

 早速、ユースホステルに戻り、修理に取り掛かり、なんとか終えたがこういう時に
日頃の経験がものをいう。 このところハードな走行や転倒事故で思った以上に
バイクがくたびれていたというか、あちこち傷んでいて、トルコのアンカラでの
トライアンフボンネビルとの競争など、よくできたなと今更思うのだった。

 何はともあれ、修理もなんとかでき、冬も迫ってきたので、早くギリシャにおさらばしようと、
翌日にアテネを出立することにした。 都合なんだかんだと4泊もしてしまったが・・・。

 その気になったのにはもうひとつわけがある。

 ギリシャに入ってからは、どうも居心地が悪いのである。

地元の人と親しく言葉を交わせる機会も無い上に、旅行者と見て、平気でズルをする。


 こんな例もあった。
ぶどうを買ったのであるが、ギリシャは来たばかりで、慣れないせいもあって、間違って10倍もの
代金を払ってしまったのだが、その店のおかみさんはそれを知っていて、まったくの知らんぷり。
僕は、これに後で気が付いたので、あきらめざるをえなかった。
先に通ったKAVALAもそおだったが、ギリシャ人は根性が卑しいという印象を僕に持たせてしまった。
これはトルコ人の優しさ、歓待の直後だったことが余計そう感じたのだと思うが。


 その夜、同室の斎藤君(29才)が、自分もインドに行きたいので、情報を教えて欲しいという。
行けるとは思っていなかったらしい。 そこにインドからやって来たという僕が来たものだから
喜んで飛びついたのであった。 そのお礼にと、終わってから喫茶店でコーラなどをごちそうになった。

 今日は10月21日だが、ギリシャにおさらばして、いよいよユーゴ―スラビアに向けて出発だ。
行きに来た高速道路を再びテサロニキまで戻り、そこから西に別れる道を取る。

 アテネ~テサロ二キ間の高速代は29ディナール  (ユーゴスラビアの通貨)

 ユーゴに入る手前のトンネルが寒かったので、その寒さ除けにタオルで口を覆っていたのが、
風で飛ばされ、眼にかぶさり、前が見えず横転してしまった。 そのうえ、トンネルを出た先の
橋の上で三ケ所もパンクをしてしまった。 まったくついていない。

 その日はマケドニアのユースホステルに泊まった。

 同室者にフィンランド人とイギリス人がいたが、ここでもお互いに旅先の情報交換をした。
 これからの宿はユースホステルに泊まることが多いだろうが、当然、若い旅行者が多く、
 行く先の旅行情報を交換するには便利な場所だ。


 次回に続く!



 
 アレキサンダー大王、この地マケドニアは古代ギリシャにあって、
 かの英雄アレキサンダー大王を生んだ所だ。 
 そのマケドニアをこれからバイクで訪れると思うと胸が躍るではないか!