オートバイで行くインド・アフガニスタンの旅

写真やイラストつきのオートバイ旅行記

no.128 エドガーの伯父さん宅に当分の間お世話に

2018-11-06 18:29:00 | オートバイ旅行記

 こうしてエドガーの伯父さん宅に世話になることになり、先ずは一安心する。
伯父さんの家は当時の西ドイツの郊外住宅地にあり、そういう所に多く建つ、
合掌旨屋根の典型的な二階建て住宅で、地下室がボイラー室とエドガーの部屋になっており、
その部屋には、客用にもう一つ予備のベッドがあるので、ちょうどそれを僕が使わせてもらった。

 そして1,2階が伯父さん夫婦の家、それに屋根裏部屋が新婚さんのいとこ、というふうに、
一軒の家をそれぞれで住み分けている。


 この屋には伯父さんの一人息子がいるのだが、今は病気療養、入院中なので、本来ならば
地下室はこの息子さんの部屋なのだが、その空き部屋にエドガーが収まったわけである。

そしてその恩恵に、この僕も預かっているわけである。


  そういうわけで、早速フィッシャー夫妻とエドガーに僕が報告方々、息子さんのPetterを
汽車に乗って1時間あまりの病院に見舞いに行く。

そしてPetterの了解を得て、無事落ち着つき先が決まったので今度はとりあえず職探しと思ったら、
都合のいいことに、エドガーの勤め先で、運転助手を募集しているとのことで、臨時だが、
使ってもらえることになった。

 最初の仕事は事務所の引っ越しで、地図や本などを4階まで、運び上げるのだが、これがエレベーター
ではなく、階段を徒歩で上って行くのだから、大変だ。
  

 文句を言いたいところだが、ワーパミ無しでやっているのだから、文句も言えない。
でも金が確実に入るというのは、何としても嬉しい。 
これで当分の間の余裕ができた。


 エドガーには大いに感謝すべきである。
インドのカシミールでの偶然の出会いがなかったら、ここでのこともなく、もっと苦労したろう。

 ところで屋根裏部屋に居を構える「いとこの結婚式」ということでこの屋の皆して、
そのお祝いにお呼ばれした。


 ここでは関係者が皆、一堂に介して祝うという規模の大きなものでなく、
ごく身近な家族が気楽に祝うというものである。

 そういうものだから、内容はドイツ人らしく、ごく慎ましやかなものであった。


 ワインに安い丸パン、それにピーマンと肉の串刺しの焼肉、あとはモツの鍋だけといった
まさに質素なものであった。 

 それで、理解できたのだが、いつぞや僕が外から帰って来た時、お父さんが、玄関前の
土間に座って、表面の可皮が真っ黒になり、中の実がグニャグニャになった、普通なら
棄ててしまうようなバナナを美味しそうにというか、捨るのがもったいないというのか、
とにかくまんざらでもない顔して食べているのを思い出したのだ。

 戦後の名残りがこういうところにまだ見られるのかどうかは分からないが、
僕にとっては、そう思えても不思議でない光景だった。



 という塩梅で、とりあえず語学校入学の一件を除けば、これでひとまずドイツに
落ち着区という目的を果たしたので、こ「のホンダのナナハンによる旅物語がたり」は
終わりにする。


 ここまでお読みくださった愛読者の皆様には、拙い文章にお付き合い下さり感謝申し上げます。

 それでは、皆さん、さようなら!

 またどこかで、お会いしましょう!


 

 旅には良いことがある。

 

 

  


 

 


 

no.127 フランクフルトでエドガーに再会

2018-11-01 17:42:37 | オートバイ旅行記



  翌日の朝、目が覚めたら、すごく静かなのでカーテンを空けたら小雪模様の天気だった。

  エドガーの家には夕方に来るように言われたので、それまで、どう時間をつぶそうか? と、
  思ったが、この空模様では外に出る気もしない。

  そこで、ふと気が付いたのが日本から持参した「都はるみ」などのカセットテープを
  久し振りに聴くことだった。 インド以来、持っていることすら忘れていた。

  もともと、好きな曲ばかり、持って来たのだから、当たり前だが同じ曲を繰り返し、繰り返し
  何度も聞き惚れた。 やっぱり日本語はいい、心から酔える。
            
  そんな風にして時間を過ごすうちに、いつの間にか、夕方近くになり、もうそろそろと思い、
  空も小やみになったこともあり、エドガーの家に向かった。


  エドガーの家に着くと、エドガーはいなかったものの、3階の眼っかちの背の高いおばあさんが
  出て来て、親切にもコーヒーを入れてくれ、それとリンゴもだしてくれた。

  そのおばあさんは子供変わりに小鳥を2羽飼っており、いろいろ話かける。
  そのうちにエドガーの母リディア・フロリーが帰ってきた。

  先ずは挨拶の後、僕がこちらのお宅を訪ねた経緯を話す。

  

  そして、彼女の話では、息子と自分はカナダに移住していたが、西ドイツの故郷のHofに
  帰ることになり、彼女はエドガーに先立ち帰り、エドガーの方は日本はじめインドなどを巡って
  帰ってきたのだが、

  ここHofでは、、仕事が見つからず、それで、今はフランクフルトの伯父の家に下宿して
  そこで職を得ているので、そちらにいる。 とのことであった。

  そこで早速、電話をしてくれた。
  
  電話を替わると、まごうことなき、それは懐かしいエドガーの声だった。

  そうして、とりあえず、こちらはその伯父さんの家のあるフランクフルトに行くことになった。

  その夜はリディアの家で、夕食のご馳走にあずかり、そして再びユースホステルに帰ったのだった。
  
  ユースホステルに帰ると、ホールクスワーゲンのヴァン車が停まっており、男二人のカナダ人だった。
  これから南に行くとのことであった。


  
  翌日の朝起きると雪だったので、フランクフルト行きは諦め、12時ごろ再び、フロリーの家に行き、
  昼食をいただく。

  その後、博物館などに行く。
  それから、雪の中をほっき歩く。行きはJHのおばさんが、車で送ってくれて、帰りはバスで(50円)
   7時に再び、リディア宅を再び訪れ、夕飯をごちそうになる。


  翌日はフランクフルトめざしてアウトバーンを行くが、
  生憎と天気はますます悪くなる一方で、雪もひどく、走っているのがきついので、引き返すことにした。

  翌朝も同じ様などんよりとした空だったが、フランクフルトに近づくにつれ、それまでの天気が
  信じられないほどの青空になった。
  
  フランクフルト・アム・マインの伯父さんの家に着いたのは、夜遅くになったが、何はともあれ、
  無事に着け、フロりーとの再会を喜んだ。
  そして、その夜は伯父宅に泊めてもらう。
  
   翌日は金曜日でフロリーは休みなので、午前中はフロリーが日本で世話になった人に出す手紙の
  代筆や日本から来た手紙の翻訳をする。

  午後からは、街見学に出かける。 夜はHof宛てにきていた手紙を受け取り、また、エドガーの母より
  そのことで電話を受け取る。 誰から来ているのかな? と気になったら、インドのカシミールの
  kanwal Singh とcharran Singh の二人からだった。 

  それからトルコのErdar からも来ていて、たいへん懐かしく、早速返事を書いた。

  こうして僕はエドガーの下宿先の叔父の家に厄介になった。


  
  次回に続く!


  




 適当な写真が無いので、こんなバイクで遥々(はるばる)日本から遠路ここ西ドイツまでやって来ました。
 という、慰めです。 この文章はオートバイによる旅での話しであることを思いだして・・・。