教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

AKBにある努力と成長という幻想

2014-07-26 00:39:30 | オタネタ全般
興味深いものがあった。



愛とは - ☆☆騎士おーちゃんの討伐物語☆☆
http://blog.goo.ne.jp/o-tixyan/e/1f143e1d096a4fe981cdcfc38b9a1d78

> 人間には人を愛することで自己満足(相手のために何かをすることで自分自身に充足感をもたらすこと)
> する欲求がある。
>
> その受け皿になったのが、AKB商法だと思う。



おーちゃん氏のAKB商法の分析。
これはなるほどと思うところがある。
全文はリンク先を参照いただきたし。

だが、最近これとはまた別のものが見えてきた。
それを書きたい。



AKBは歌やダンスがうまいのか?

・・・こんな問いはもはや時代遅れな感がある。
だいたい副総理だって↓こんなこと言ってる。



麻生大臣「AKBに一流品はいない」
http://blog.livedoor.jp/uwasainfo/archives/2180001.html

>  麻生氏は「日本を象徴するおしん、なでしこ、AKB48。この3つの共通点は
> ひとりで一流品はいないことだ」と“指摘”。そのうえで、AKBについて
> 「(海外の芸能人のほうが)プロポーションもいい、歌もいい、顔もきれい。プロに聞いたらみんな言う。
> しかし、せーのでまとまったら必ずAKBだ」と述べた。



これをして人は「学芸会レベルだ」と侮蔑していた。

たしかにAKBは学芸会レベルな気がする。
そこに反論の余地はない。

なら、AKBは何が良いのか?

最近ようやくわかったことがある。
それはだな・・・
努力や成長を美化する日本人の宗教観にとても良くマッチしているところがAKBなのではないかということだ。



日本人は努力や成長に高い価値観を持つ。

そんなことはアタリマエじゃないか!・・・と言うかもしれないが、諸外国はどうもそうではないようにも見える。

たとえばアメリカ。
アメリカは努力や成長という過程よりも、成功という結果に重きを置く。
努力や成長は舞台裏に隠れていて、成功してスーパースターになった人こそが憧れの対象となる。
アメリカのスーパーヒーローなんてマッチョなおっさんしか出てこないでしょ?

日本はそうではない。
成功という結果よりも、それをつかむための過程でしてきた努力や成長こそを美化対象とする。
努力したけどダメでした、それでも成長したんだからいいじゃないか、それが日本人の宗教観である。
アメリカのパーフェクトなヒーローに対し、日本はこれからどんどん強くなる未完の大器の青少年こそが物語の主人公にふさわしいとされる。

一見すると韓国は日本型っぽい気がするかもしれないが、そうではない。
韓国は、自分が「目上の者」になって「他人をしいたげる立場」になることこそが勝ち組の証左であり、何もしなければ自分が「目下の者」に自動的になってしまい「他人にしいたげられる立場」に落伍する恐怖から努力する、といったほうが韓国の実情に近い。
まあそれはいいとして。

では、努力や成長とAKBとはどう関係があるのか?

それこそAKBは良い意味で学芸会レベルであるというので説明できる。



AKBのとあるメンバーの誰か、ここでは無作為に抽出してAさんとしよう。

そのAさんは、あるときからAKBのメンバーになる。
その瞬間には単なるその他大勢のほぼ無名のメンバーでしかない。
そのAさんは努力をし、総選挙のたびに順位に一喜一憂しながら少しづつ成長していく。

そもそもAKBの総体としての生い立ちからしてそういうモノである。

対してそのAさんのファンBさんに注目しよう。

BさんはあるときAさんに目をつけた。
このときAさんはまだその他大勢だった。
Bさんは握手会にいってAさんをはげまし、CDつき投票券を何枚も買って応援しつづけた。
その結果、Aさんは順位をあげた。

このときBさんはどう思うか?

「俺たちがいっしょに育てたんだ!」
そう言うだろう。
しかも本心で。

これは何を意味するか?

Bさんは自分ではほとんど何もしていないのに、Aさんの努力や成長を共有したかのような錯覚を覚える。
それが、努力や成長に高い価値観を持つ日本人であるがために、とてもすばらしいものに見えてしまう。
それが、AKBは良い意味で学芸会レベルであるという意味である。

くわえて、AKBは何かは知らんけど楽しそうなことをしているように見える。
たとえば学祭をみんなでワイワイガヤガヤやっているところを遠巻きに見ているような見え方だ。
AKBの握手会や投票券システムは、その楽しそうな何かの当事者になったかのような錯覚を覚えさせるようにできている。
そういう意味でもAKBは学芸会。



最近わかったのだが、AKBうんぬんは抜きにしても、あるていど歳をとってくると実生活では楽しいことは探さないと見つからなくなってくる。
ヘタしたら会社の単純作業労働と家で寝ることだけが人生のほとんどすべてかのような印象を持つ人も少なくない。
趣味で何かをするにしても、どっぷり浸かりすぎて実生活に悪影響が出るほどのめりこまないと楽しくないが、そこまでガチでやるのは歳をとってくるとかなり疲れる。

そうなるとどうなるかというとだな・・・。
実生活で努力や成長がなくなるのだ。

実生活での努力とは、ガマンして朝起きて会社にいくことという意味になる。
実生活での成長とは、仕事を覚えて中堅になれば無くなる。

この感覚は学生や入社年度の浅い社員にはわからない。
歳をとれば何でもいいから成長するためには自分が能動的に動かなければならない。
だが若ければ、そこにしかれたレールの上にいれば成長がある。
たとえば受験勉強しかり。
しかも、仮にそこからはみ出したとしてもまだ未来はそれなりに明るい。

歳をとったとき、人はそれでいいのか?

それで良いか悪いかということには全く気がついておらず、なんか人生つまらんなぁ…という漠然とした不満を持つ人が多いんじゃないかという気がする。

わたしは趣味に関してはかなりガチ勢なほうだ。
休日も、朝起きて艦これをし、午前中はファミレスで食事をしながら延々と本を読みふけり、昼には不動産屋と物件の打ち合わせをし、夜はblogを書きつつアニメを鑑賞し、寝る前もまた艦これ、なんていう1日中まるまる全力全壊趣味の時間みたいな過ごし方をしている。
今年のGWは朝から晩まで毎日艦これのイベント海域で戦っていたし、去年のGWは朝から晩まで毎日シューティングゲームを作っていた(注:プレイしていたではなくプログラミングしていた)し、もっと前のGWでは朝から晩まで毎日本を読んでて吐きそうになったこともあった。

だが、同年代のほとんどの人はそうではない。
「おまえら休日は楽しいか?」
と聞いてもうまく答えられない人のほうがむしろ多くないだろうか。

だが、この不満は解決可能である。

この不満を満たす最も一般的で正攻法な方法は、たぶん子供を育てることなんじゃないかという気がする。
子供がいれば、有無を言わさずそれを育てるのに強制的に労力というかたちで努力を提供せざるを得なくなるし、自分には枯渇した成長というものを世の中でいちばんたくさん持っている。
それを各人がその立場を維持することを望んでいるか後悔しているかどうかはさておきとして、日本人の価値観である努力と成長の達成を最もよく実感できるのは子供である。

そして不満の解決方法はもう1つある。
それがAKB。

そこには、楽しそうに見える何か、そして努力と成長がある。
それは歳をとればほとんどの人は失っていくものだ。

AKBに大金をつっこんでいるヘンタ…ゲフンゲフン、えっと、紳士たちは、恐らくほとんどがいい歳こいたおっさんで、日常は小康状態を保ってはいるものの、変化のない日常につまらなさを感じ、かつ子供がいない。
それには大金をつっこめるだけの財力を有するには学生では無理だという意味もあるが、それだけではなく、そういうものがAKBの客層にふさわしいという意味もある。

誰か言ってただろ?
「AKBはいっしょに育てていく感じがいいんだ」
ってさ。
そいつどんなヤツだった?






参考までにこれまでのAKB関連記事:



AKBのCDは捨てるのが当然
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20110601

AKB48オタ と アイマスオタ
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20101109

AKBで唯一関心するところ
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20121114

アキバ系とAKB48
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20100507

AKB48は歌がヘタでもかまわん気が
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20120405

アニオタから見たAKB48総選挙
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20120608

アニオタがAKB総選挙を語る
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20140701