教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

自己性格診断

2014-07-05 15:22:56 | 経済/経済/社会
自分の性格を自分で診断するのはとても難しい。
なぜなら、人はどうしても自分が分散の中心にいると思ってしまいがちだからだ。

たとえばだな。
とても几帳面な人がいたとしても、その人は自分が几帳面だとは思っておらず、「俺のまわりのヤツらはみんなずぼらすぎる!」と思っているかもしれない。
人はえてしてそういうものだ。

わたしの場合どうか?

弟はわたしのことを「集団行動嫌い」と言った。
言われるまで自覚症状がなかったが、これはよく当たってる。

大学時代の恩師は「好きなことはすごくやるけど、嫌いなことはまっっったくやらない」と言った。
これは当たってるし、自覚症状もあった。
ただ、何でも人なみにできるように努力したとしてもそれに付加価値なんてつくはずもなく、自分の得意なところだけもっと得意になればそれでいい、そう思っていたというのが真の自覚症状であった。

当blog読者の某氏は「好きなことはほっといても人一倍やるけど、嫌いなことを押し付けたら人一倍反発しそう」と言った。
これもそんな気がする。

母親は「もうちょっと気づかいするよう気をつければ誰かいい人みつかるかもしれないのにね」と言った。
誰かいい人がどうのという点は置いといて、少なくとも気づかいしようと腐心していない点は当たってる気がする。
特に初対面の女の子に対してご機嫌とりなんてまずやらない。

ただ。
父親の言うことだけはなぜか当たらない。



父親はわたしのことを「女嫌い」だと言った。
これは当たってない。
話すとそれだけで1つの記事になるくらい長くなるので省略するが、女が嫌いなのとはちょっと違うのは当blog読者のみなさんなら何となくおわかりだろう。
ただし、よくわかっていない人から見れば、女嫌いかのように見えるかもしれない。

また母親には「俺がもっと家庭ってのは良いものだって見せてやれなかった」と言っているらしい。
これはいまだに自覚症状がない。
自分の育った家庭が不幸だったとは思っていない。
ただ、両親のような家庭を築きたいとは思っていないし、結婚すれば幸せになれるとも思っていないのは確かなので、客観的にそう見えるのは妥当な気もする。

これはオトナになってから気がついたことなんだが…。
わたしの父親があえて施した教育は、いま思いつく限りすべて外れた。
たとえば、電気のおもちゃで遊ばせたくなくて積み木みたいなので遊ばせたかったらしいのだが、気がついたらその子(我輩)は電気のエンジニアに育ってしまった…とか。

ただ、この法則は弟には当てはまらない以上、必ずしも父親のやりかたが決定的にまずかったとも言いきれない面はある。



前々から思っていることがある。

二次元の女の子にホンキになってしまう性格や志向は、その生い立ちや性格に相関があるのか無いのか…ということについてだ。

当記事でそのために性格をあらためて自己分析しても、それに該当する部分はよくわからなかった。
ただあえていえば「俺は俺のしたいようにする、俺は俺のしたくないことはしない、世間体など犬にでも食わせろ」という父親を除く皆から見えるその性格、それが後押ししていることは確かだと思われる。

これが単に性的嗜好という意味だけだったら、たぶん関係ない。
たとえば、デブ専になるかどうかがその人の生い立ちに相関は…たぶん無いよね。

だが、そうではないものもある。
たとえばDVに走る人は、その人の生い立ちに相関は…ある場合もよくあると言われている。

好きになる女は自分の母親に似ている…とはよく言われる。
わたしにはこれは当てはまらないが、弟にはよく当たっている。
まっとうに育てばそうなるが、しかし人生のどこかでコレジャナイと思う体験があるとそのテンプレを逸脱する女の趣味になる…のだろうかね。

我が家でいえば、弟はまっとうに育ち、わたしはまっとうに育たなかった、そういうことか。