~~ 綾子考 お気楽ver. 三 ~~
通勤途中にちょっとした公園があるんですが、その一角に大きな蜘蛛が巣を張っているんです
その蜘蛛を見る度に、私は芥川龍之介の『
蜘蛛の糸』を思い出します
というより、私は蜘蛛を見たら『蜘蛛の糸』を漏れなく思い出します
だから、家蜘蛛が部屋に現れたら、ひっ掴まえて外に放ちます
絶対に殺めたりしません
で、『蜘蛛の糸』を思い出すんですが、その度に「お釈迦様って質(たち)悪いなぁ」と思うんです
「あの状況では、誰でもあぁ言うやろ」って思うんです
ましてやカンダタは、人を殺めたりした罪人なんだから、それなりの心の持ち主だろうし
中途半端な慈悲程、遣る瀬無いモノはない様に思うんです
「救うなら最後まで責任持って救えよ!」って思うんです
まぁ、このお釈迦様は芥川龍之介の中のお釈迦様であって、もしお釈迦様が実在するのなら「ちゃんと救うっちゅうねん!」とおっしゃられるかもしれませんが
でも、なんとなく、カンダタが『こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己(おれ)のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いてのぼって来た。下りろ。下りろ。』と喚かずに蜘蛛の糸を上って極楽に辿り着いても、きっと地獄に落とされる様な気がします
「皆、極楽に辿り着ければいいが」って、カンダタは思わないだろうから
そう思える様に導き、教授すべきだと思うんですが、「自分で行き着け!」というのが基本スタンスの様ですし
さて、私は常日頃から自ら生き地獄を創ってしまう傾向にあるんですが、まぁその事自体についてはもう少し自分の中で整理してから書きたいと思います
結構、私と同じ様な状況に陥ってしまう人って居ると思うんです
解決策にならなくても、「あぁ~同じ様に悩んでいるんだ」という出会いだけでも、救いになる時がありますから
で、つい最近まで自分で自分を苦しめていたんですが、毎日ずっと苦しんでいた訳ではありません
至る所に書いてありますが、私は吉井さんの事が好きです(笑)
「好き」という事象は本当に凄いです
それこそ、頭がおかしくなる一歩手前まで行ってても、吉井さんの事を思ったら温かいモノが心に溢れかえって、本当に幸せな気持ちになるんです
気持ちを切り替えて、笑顔で「頑張ろう!」って思えるんです
あの時は強固なモノを創り上げていたからその気持ちが続かなくって、「ダメだ・・・」「頑張ろう!」「ダメだ・・・」「頑張ろう!」の繰り返しだったけど
まぁ、吉井さんの事を本気で好きな時点で、「・・・頭、おかしいんじゃね?」なのかも知れませんが・・・
それを言い出すと前に進まないので(笑)
対象が誰であろうとも(笑)、「好き」という事象は、本当に生きる力を与えてくれるんだなぁ~と、今回も実感したんです
その力を前に進む力に変えられたという事は、私も少しは成長したって事かな?
昔はそこに逃げ込んで、引き篭もってたんだから
救いの糸は、太いロープにも、切れそうにないワイヤーにもする事だってできるけど、心が衰弱したら、それこそ切れてしまいそうな蜘蛛の糸に・・・
その糸を垂らしているのはお釈迦様じゃなくて、実は自分だって事、多かったりするんだなぁ
どうか切れません様に
どうか切っちゃいません様に