ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

帽子を脱がないタレントたち

2008-05-12 | ちょっと一言
最近、テレビを見る機会が多くなった。15年以上もテレビを見ない生活をしていたので、いろいろ珍しいものを見る機会が多い。楽しいこともあるけれど、不愉快なことも多い。民放のバカ番組には本当に身の毛がよだつ。NHKの偏向・追従ニュースにはもっと腹が立つ。もともとドラマは見ないのだが、来年4月からのNHK朝の連続ドラマは小江戸川越を舞台の物語らしいので、それはちょっと見てみたいなとも思っている。

 それにしても、なんとなく不愉快な気分になるのが番組の中でコメントをするタレントが、部屋の中でも帽子をかぶったままで平気でテレビカメラに向かって話をしていることだ。部屋の中で帽子をかぶっていても許されるのは、女性がファッションとしてかぶっている帽子だけで、男が帽子を脱がないのは相手に対して失礼千万だと思う。そういう考え方がもう無くなっているのだろうか。男も帽子をファッションとしていれば部屋の中でも相手と話をしているときにも帽子を脱がなくてもいいことになったのだろうか?

 私はまだまだ古い人間なのかもしれないが、私に話しかけるのに(テレビカメラに向かって話すことは、テレビを見ている人に向かって話すことだ)帽子をかぶったままというのは不愉快になる。女性はその点、男性よりは大目に見られているが、先日見たテレビ番組では、あるタレントが帽子をかぶったまま食事をしていた。女性といえども食事中に帽子をかぶったままというのは、無礼という他はない。

 しかし、どうもこれはテレビタレントだけのことではないようだ。レストランでも帽子をかぶったまま食事をしている男どもを見かけることが多くなった。若者に多いのだが、決して若者専門でもなさそうだ。いい年をしたおじさんが帽子をかぶったまま食事しているのを見る。まぶかに野球帽や正ちゃん帽をかぶり、しっかり大きなマスクをして、建物の中でも顔を見せない男があちこちにいる。女もしかり。

 これでは今の子供たちの時代になるとそれが当たり前になっているかもしれない。「赤信号みんなで渡れば怖くない」と言ったタレントがいたが、ことの正邪よりも他人と同じかどうかだけを判断基準としている人が増えてきたような気がする。帽子をかぶったまま相手と話をするのは、敵意を見せない、相手に安心感を与える、というエチケット以上のものだし、食事のときに帽子を脱ぐのは、ご飯を作ってくれた人や食事を用意してくれた人、食材を買うお金を稼いでくれた人、そして信じる人にとっては神に感謝を捧げるためである。

 なんでも他人のことばかりを気にするよりも、物事の正邪をこそ判断して自分の行動基準を定めるようにならないといけない。そうでない人が増えたことが、おかしな雰囲気の社会を容認する人々の群れをさらに作り出している。 

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