ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

見沼代用水西縁の桜散歩

2024年04月05日 | TOKIOの道と川

好きな駅ランキングを作ったらベストテンには入れたいさいたま新都心駅。

用水に囲まれた見沼田んぼ一帯を日本一の桜回廊にしようと1980年代から行政と市民運動で桜の植樹を続け、現在では総延長20kmを越えるようになりました。
見沼代用水を知ったのは3年前の秋で、その後西縁、東縁合わせて5回ほど散歩に来ていますがいずれも秋から冬にかけての季節でした。
今回ようやく春に来られたのですが、残念ながらメインのソメイヨシノはまだ開花したばかり。でもいろんな品種が植えられているので充分花を楽しめました。
こちらは今回一番たくさん見られたエドヒガン。

ものすごく立派なシダレザクラがありました。

これは個人の敷地内で幹もかなり太かったので、植樹ではなく古くからあるように見えました。

本当にきれい。とりあえずこの1本見られただけでも今日出かけて来た価値があったな。

ソメイヨシノはというとこんな感じです。

来週が見頃でしょうが、来週も後半までお天気はあまり期待できないですね。

こちらはミヤビザクラ。自治医大付属さいたま医療センターの裏手です。

桜の種類が分かるのは1本ごとに植樹した年月と寄付をした個人や団体の名前が刻まれたプレートがあるからです。

少し先にはもう終わってしまった花もありました。樹種名は分かりませんでした。

完全に若葉だけになってしまっているのは河津桜(かも)

大宮第三公園。見沼代用水の西に武蔵一宮氷川神社と大宮公園がありますが、ちょっと東に離れたところに大宮第二公園、大宮第三公園と並んであります。

見沼代用水から排水路の芝川方面にかけて下っているので奥には湿地や池もあります。

本当にお散歩には最高です。

東武野田線を越えるのにちょっと遠回りさせられました。こんなに良い遊歩道なんだからちょこっとトンネルでも掘ってくれればいいのに。

春の見沼田んぼ。

土地が大量にあるせいか遊歩道沿いには巨大病院がいくつもあります。

見晴らし公園には風車がありました。

菜の花畑も満開です。

入学式前の記念写真かな。

のどけき埼玉の春。

風車の少し先の市民の森の入り口にハローサイクリングのポートがあったので自転車を調達。東大宮駅までの4kmがあっという間でした。
湘南新宿ラインを越えるのに800mも遠回りさせられたので自転車で正解でした。

本日のコース①風車と菜の花畑から東大宮駅は無駄に長いだけなので、ここを歩くなら東武の大宮公園駅をゴールにすることを勧めます。

本日のコース②今までの見沼代用水散歩を全部合わせて表示して見ました。

本日のルート③今日のゴールの東大宮から見沼代用水の起点となる行田の利根川取水口まではまだ直線で30km。実測だと40kmくらい?まだまだです。
どうやって終わらせるか楽しく悩んでいます。やっぱりBromptonを担いで行くことになるのかな。
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明治通りを往く

2024年03月30日 | TOKIOの道と川

靖国神社の標本木で東京の開花宣言が出されたのが3月29日。板橋区で私が定めた標準木では二日前の27日には10輪以上の花が咲いていました。

そんな日に都営新宿線西大島駅から明治通りを北に、東八道路までの2.5kmの未踏部分を塗りに行きました。
うちから最も身近な都道である明治通りですが検索しても「明治通りを往く」というタイトルの記事はありません。
明治通りは都内のあらゆる散歩で使われて途切れ途切れで軌跡がとられたために、わざわざ明治通りに線を引くという機会が一度もなかったようです。

首都高小松川線の下。高速通りということで軌跡を取ることをはなから諦めていますが、意外とこういう公園になっている所を繋いでいけるかも。

10分も北に行けばすぐに亀戸。大塚や中目黒辺りで見かけるレトロ寄せの店舗デザイン。低コストで集客力が高いデザインです。

亀戸の歯医者さん。今すぐ見れます。「見」じゃなくて「診」。見「れます」じゃなくて診「られます」と頭の中で赤字を入れてしまいます。

亀戸駅から10分で亀戸香取神社。下町は香取神社多いです。

スポーツ振興や勝利の神様として親しまれています。こちら石に触ることで勝運と幸運のご利益がある「勝石(かちいし)」。

香取神社の100m先の北十間川福神橋を渡った先が花王のすみだ事業所。花王を支えたかつての主力工場です。
広大な敷地の南端にある新南棟は事業所開設100周年の2022年に竣工。亀戸から来た人に最初に目に入るのがこのド派手なデザイン。設計・施工は清水建設。

特に公開している建物ではありませんが、ロビーだけ見学させてもらいました。

花王の先に東武亀戸線小村井駅。全長わずか3kmの都内ローカル線。以前丸八道路を往くの時にごく短い部分で丸八道路と並走していました。

丸八道路との分岐点を過ぎて明治通り未踏部分は終わり。押上スカイツリー方面に帰ります。

また亀戸線越え。昭和30年代の塗装を再現したリバイバルイエローの車体は一編成しかないので、さっき小村井駅の写真の車体が押上から戻って来たところのようです。

明治通りか押上への十間橋通りは昭和のトタン建築がたくさん残っていてどれも見ごたえ充分です。

こういうのを観光資源にしたらいいのにと思いますが、これ見てうれしい人はまだそんなに多くないのか。あと数枚写真あるけど止めておこう。

長谷尾花鳥店はとんがりハウス。

スカイツリーしたから半蔵門線で帰宅しました。
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YAMAPの軌跡MAPの道路幅は時々ヘン

2024年03月26日 | TOKIOの道と川

中目黒から山手通りを南西に下って目黒清掃工場入り口の信号で左(北西)に入る道。この後、二つの道路を比較するので仮に道路Aとします。
山手通りから恵比寿駅方向に繋ぐ2車線の道路で東急バスも通る2車線の準幹線道路です。
元々は三田用水の下をくぐるように切り通された茶屋坂隧道として作られた道で、現在でも茶屋坂通りの通称名で親しまれています。

その茶屋坂通りで恵比寿ガーデンプレイスに向かっていて、アメリカ橋の200m手前で右に曲がりました。
よくある感じの一方通行の何の変哲もない路地で、こちらを仮に道路Bとします。

国土地理院の地図で見るとこんな場所です。左下から道路Aを登って来て道路Bの路地に入る。
なぜわざわざこんな路地に入って来たのか。
それはこの時、歩きながら見ていたお馴染みのYAMAPの軌跡MAPでなぜか道路の太さがAとBで逆になっていたからです。

青い軌跡が引かれているのでちょっと見にくいのですがそれでもBの白い線がAの線より2倍以上太いことが分かります。なぜ?
道路には国道、都道、区道などの格付けがあるので、地図によっては実際の道路幅と表示が逆転することもあるのですがこの2つの道路では当てはまりません。
目黒区の道路台帳でも見ましたが、道路交通法でも建築基準法的にもAの茶屋坂通りの方が名もない路地より道幅も道路の格も上です。
YAMAPの軌跡MAPは時々こういうことがあります。
GPSで軌跡を取っている地図は国土地理院の標準地図で表示されているのですが、過去の軌跡をすべて表示する軌跡MAPのベースとなるデータがなんか変。

同じ中目黒南で、山手通りを恵比寿と逆に少し行ったところにあるうねうねした道。他の道より明らかに太く表示されています。

二つの道路が交差するところでストリートビューを見るとそんなに違いはありません。地理院の地図でも同じ太さで表示されています。

YAMAPの軌跡MAPの表示されている幅がなんかヘンで不思議だという地図クラスタだけに興味深い話題でした。普通の人にはホントどうでもいいんだろう。
こうやって書いておけば数年後に誰かがその理由を教えてくれるかもしれないので書いておきます。

茶屋坂通りから見る目黒川。この写真は3週間前の写真ですが、たぶん今日もまだこんな風景なんだろうな。
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町田街道を往く&都立大戸緑地(70/72)

2024年03月23日 | TOKIOの道と川

ひょっとすると初乗車の可能性もあるJR横浜線で相模原駅下車。南口はペデストリアンデッキ完備。多くの商業施設で賑わっていました。

反対側の駅の北側は南北1km東西2kmに亘って在日米軍の相模総合補給廠があるため、街としては一切発展できませんでした。

平成の終わり頃から徐々に日本に返還され始めてその一部がスポーツ公園に変わりました。
中学生の頃好きだった泉谷しげるの「ねどこのせれなあで」という歌の一番ラストが「明日相模原まで出刃包丁を買いに行こう」という物騒な歌詞でした。
なので私にとって相模原と聞くと出刃包丁という言葉が浮かんでしまいます。目黒の高級住宅地育ちの泉谷がなぜ相模原という言葉を使ったのかずっと不思議でしたが、
現地で広大な基地の横を歩いていて分かりました。相模原が1970年代初頭のベトナム反戦運動の象徴的な場所だったんですね。

米軍キャンプを抜けて境川を越えると本日のお目当ての町田街道。ベースとなるのは八王子と町田を繋ぐ戦国時代からの古道です。
明治時代には八王子に集まった絹を集荷して輸出のために横浜港へ運ぶ道として沿道が反映しました。それを記念して現在でも「絹の道」と呼ばれています。
相模原からしばらくは自転車通行帯も完備したなかなかよき道でした。

ちょっとだけ脇にそれて南多摩尾根幹線道路を往くのゴールにした多摩境駅と繋いでおく。この時は逆方向に崖の上から崖下を見下ろしていました

国道16号八王子バイパスを越える。

八王子バイパス脇の横断歩道前にあったトリックアートが描かれた不動産屋さん。動物が覗いている飛び出したような窓が実は全部トリックアートです。

旧町田街道の分岐の先は狭い片道一車線道路になります。少し先にある横浜線相原駅の踏切渋滞もあって車道を行くのも歩道を行くのも走りにくい道でした。
書き忘れましたが今日も相模原駅で自転車をレンタルしています。

東京都指定史跡青木家屋敷。この奥に巨大な藁葺き屋根の母屋と納屋があります。文化財でありながら中で病院も営業しているという変わり種。それにしても大胆な貼り紙。

町田街道はほとんど境川と平行に走っています。都市部では見られないようなものすごい蛇行がそのまま残されていて趣深いものがあります。
私が日々親しんでいる石神井川でも戦前の航空写真を見れば練馬から王子までほぼこのようなうねった川でした。

「八木重吉記念館」という看板が見えたのでちょっと寄って見ると柵の奥にヤギがいました。八木重吉だからヤギ?
八木重吉というのは明治31年生まれの著名な(といっても私は存じ上げませんでしたが)詩人でした。ヤギは人懐っこくてかわいかった。

大戸地区に入って町田街道をいったん離れてどんどん登って都立大戸緑地。訪問70番目の都立公園です。

先日訪ねた中藤公園と同じようにこちらも計画面積は広いのですが公園として開放されているのはそのごく一部分です。とりあえず駐車場とトイレはきちんとしていました。
標識に沿って「雨乞いの碑」という場所に向かってみます。短い距離ですが一気に50mほど登らされてきつかった。

日照りが続くと「この山の上に集まり火を焚き祝詞をあげ大鐘をたたき焚火の周りを回りながら雨乞いの歌をうたい降雨の祈りをささげた」と石碑に記されています。
雨乞いなんて江戸時代の話かと思ったら、最後は昭和22年頃まで行われていたんだそうです。

山頂からは横浜方面が見渡せます。

反時計回りにぐるっと回って下りて来たところ。緩やかな傾斜地に作られた段畑の後なのか、連続した低い石垣があります。奥には早い桜。

石垣もかなり古そうでもしかして城跡の曲輪かとも思いましたがそういう事実はありませんでした。

たくさん植えられている中で2本だけ咲く桜。

例年になく開花の遅い今年ですが思いがけず今年最初のお花見ができました。半月前に凍らせておいた炊き込みご飯のおにぎり美味し。

桜の上を軍用機らしきものが行きかいます。相模原の基地関係でしょうか。

駐車場の脇に草地広場。公園施設としてはこれでほぼ全てです。練馬城址公園、中藤公園、大戸緑地。この3つがとりあえず開園はしたけど、、、という公園。

谷を挟んだ反対側の山腹に法政大学の多摩キャンパスが広がっています。今日は立ち寄らないで町田街道をどんどん進みます。

高尾駅の1km南に北野街道の起点があります。119-A標識コレクション1点追加。

高尾駅に到着。ちょうど京王線が入って来ました。写真でも傘をさしている人が見えますがこの時低気圧が関東地方を横断中で各地で大荒れとなりました。
駅に入る直前でほんの一瞬濡れましたが、途中でふらふら寄り道していたら大変な目に遭う所でした。あぶね。

本日のコース。最近多摩地域でよく遭遇する川をざっくり水色の線で書き入れてみました。
大栗川、浅川は多摩川に合流しますが、境川は最後まで独立した川として江ノ島まで続きます。大したもんだ。
そういえば自転車に乗り始めた頃、栗原先輩のガイドで南町田から江ノ島までサイクリングしたのがまさにこの境川沿いだったんですね。
あれから間もなく20年。
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野猿街道を往く

2024年03月20日 | TOKIOの道と川

立川から南武線に乗り換えてやや都心に戻る方向で3つ目の谷保駅。かなりマイナーな駅ですが過去に甲州街道散歩や 国立散歩で来ていてこれで3度目。
電車を降りたら目の前で寒桜が見頃でした。

野猿街道のスタートは谷保駅から10分ほど歩いた日野バイパス府中インター付近なのでまずそこに向かいます。
地図アプリで最短距離を進んでいくと畑と畑の隙間みたいなところを通らされました。これって本当に私有地でなく公道なんでしょうか。

地方卸売市場入場会社の中で2年前まで売上高が最大だった東京多摩青果。入り口の近くで自転車をレンタル。

日野バイパス青果市場東交差点が野猿街道の起点です。(ちなみに道路管理上はこちらが「終点」ですが)
国道20号日野バイパスから都道20号線野猿街道へ。どちらも20で紛らわしい気もしますが、こういうのも「あえて」なんだろうな。

日野バイパスからしばらくの間はかなり立派な道路です。

府中四谷橋で多摩川を越えます。多摩川をしていた時にハープ橋の横からの写真を撮っていました。

大栗川。この川を「川の名前を調べる地図」で調べると大栗川ではなく大丸谷戸川って表示されるんですがどうしてなんだろう。

木立の向こうに黄土色のタワー。かなり大きい。

帝京大学の八王子キャンパスでした。帝京大学は現在、板橋、八王子、宇都宮、福岡、霞ヶ関の5か所にキャンパスがあります。
もともと都内にあったのが八王子に移転したのかと思いきや、そもそも1966年にここ八王子で設立された大学だったんですね。
向こうに門が見えますが、そこから小栗川の段丘をジグザグに登って行く長い道が見えます。立派そうな総合博物館もあるし、そのうちキャンパス見学に行ってみよう。

野猿街道沿いに大塚・帝京大学という名前のモノレール駅があります。ここから徒歩で15分で帝京大学。

野猿街道は3kmほど先の二股で右に逸れます。ここから北の駅の近くで北野街道に合流する場所が野猿街道の起点。今日はそっちには行かずにまっすぐ左に進みます。

小栗川とびったり平行に進む都道20号。

川沿いの傾斜地に建つ家並みが面白い。同じようなデザインだけど同じではない。こういう分譲だったのか。どの家も3~4フロアの構成です。

スタートから約12kmで本日の目的地の多摩美術大学に到着しました。
川崎市の多摩美(たまみ)という住所と多摩美(たまび)を間違えて行きたかった多摩美に行けなかったあの日から4年。ついに目的を達成しました。
今日のお目当ては伊東豊雄設計の多摩美図書館です。

ここんところ多摩丘陵を積極的に攻めているのでかなりYAMAPの軌跡も増えました。今回は右上の谷保駅から左下の多摩美術大学までのコース。
野猿街道は赤い線の部分ですが分岐の先は以前大学セミナーハウスに行った時に南大沢駅から通っていました。なのでこれで9割がた走破ってことにします。
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青梅街道を往く&都立中藤公園(都立公園69/72)

2024年03月14日 | TOKIOの道と川

高田馬場から萩山乗り換え、西武多摩湖線で武蔵大和駅。散歩圏内にある駅の中で5本の指に入るかっこよさです。桜の時に来たい駅です。

駅の裏手にあった児童公園。ドラえもんのアニメ以外で実際に本物の土管の置いてある公園なんてそうそうはありません。

地図に博物館マークがあったのでちょっと寄って見た東大和市立郷土博物館。予想外のスケールでちょっとびっくりしました。
傾斜地に博物館本館とプラネタリウムが裏手の丘陵公園に繋がる階段で繋がれている。階段の地下のトンネルで行き来します。

資料館部分もすっきりした展示。奥のシアターで狭山丘陵の成り立ちと村山貯水池ができるまでの映画を見ました。狭山丘陵は「緑の孤島」なんだそうです。確かに!

展示棟の屋上がそのまま狭山緑地と繋がっています。右手の林の向こうに真っ白な富士山。

都道43号立川東大和線、通称芋窪街道の未踏部分を埋めに新青梅街道交差点まで往復。芋窪街道これで全線完了。

芋窪緑地の南にある豊鹿嶋神社。1993年の大改修の際に発見された棟札から本殿が1466年に建立された東京都最古の神社建築であることが判明しました。
(本殿は覆殿の中にあって見ることはできませんが)
参道の大きな杉の木と向かい合うように左側にも若い杉が植えられていますが、100年後には2本の巨木の間を抜けて行くような壮大な計画でしょうか。

多摩丘陵南に沿う青梅街道の未踏破部分。ほとんどの車は少し南の新青梅街道を往くので静かで長閑です。

武蔵大和駅から6kmほど西にで狭山丘陵に入って行くと都立中藤公園があります。2016年に開園した三番目に新しい都立公園なのですが、とにかく情報が少ない。
通常、地図で見る公園はその範囲を緑色などで塗られているものですが、中藤公園に関してはそれがありません。検索しても園内マップもない。入り口が分からない。

右に行く手前の掲示板にあった破れかけた地図でここが中藤公園だということは分かりました。でもこの地図、現在位置がなくて分かりにくい。

案内を頼りに行ってみた「芝生広場」。丘陵地の開けた斜面で武蔵村山市を見渡せます。

北東側に歩いて行くと谷津を渡るなかなか立派な「かぶと橋」。

かぶと橋の先は多摩湖自転車歩行者道でした。右側はフェンスで塞がれていてどこが中藤公園なのかもう分かりません。

フェンスに自分で閂を操作して入れそうなゲートがあったので行ってみます。

進めません。

工事用のフェンスがありますが右側が意味ありげに開けてあって、その先に谷底に降りれそうなコンクリートの階段がありました。
こちらも行ってみましたが、すぐにヤブで覆われて歩けそうにありません。

GoogleMapで見ると道はちゃんと番太池に繋がっているんですけどね。
この番太池。2022年の「羽村取水堰から軽便鉄道跡を往く」の時に鉄道跡のトンネルをいくつも越えた先にあって一度行っています。
その時は逆に番太池から現在いる青丸の場所から多摩湖自転車歩行者道にショートカットしようとして途中で挫折して戻ったと書かれています。
この道は両方向で私が進むことを拒んだということです。でも地図にはこんなにはっきりと書かれているのに。

仕方ないのでまたかぶと橋を渡って来た方向に戻りつつ途中で「もみじ広場」に寄りました。この辺りは公園らしかった。

中藤公園は2016年に開園したといっても全計画57万㎡(黄色い囲み)のうちの僅か4万9千㎡(赤い飛び飛びの囲み)が整備された過ぎないのでした。計画の10%以下です。
そして今回私が歩いたのが青い線で示した部分です。
東京都建設局が令和4年に作成した中藤公園マネジメントプランの中の推定利用者数を見るとこの直近5年間で1年間で100人から200人でした。1年間でです。
ひと月あたりだと10人から30人未満。都が作った「推定」でこうですから本当の所は限りなくゼロに近いんじゃないかな。かなりマニア向けの公園でした。

帰る途中で軽便鉄道を往くの時に通った赤堀トンネルの上が中藤公園の芝生広場であることが分かりました。
中藤公園には行ったことがなくてもその地下のトンネルを通ったことで、軌跡マップでは中藤公園に行ったかのように表示されていました。
ちなみにトンネルの上にある山桜は三春滝桜の子孫樹なんだとGoogleMapに書かれていました。
三春の滝桜は仕事を辞めてすぐの春にバスツアーで行きました。あれは良かった。また行きたいな。

武蔵大和で借りた自転車は最後に西武立川駅という玉川上水の近くで返却することができました。
都立公園69個目完了。残り3つ!となったところで、実はまた知らなかった都立公園の存在が明らかになりました。この話はまたいずれ。
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日光街道を往く

2024年02月28日 | TOKIOの道と川

あまり天気の良くなかった2月後半。やっと晴れたので地図を見ながらうんうん悩んで足立区梅島にやってきました。
昨年10月に都内の未踏の道がかなり減っていて歩きに行くところがなくなって来たと愚痴っていましたが、あれから5か月で更に厳しくなりました。
足立、葛飾、江東の荒川越え3区にはまだ未踏の地がそれなりにあるんですが、3回以上乗り換えしないとたどり着けない場所が多くて気が進みません。
とりあえず、日光街道(国道4号)の環七より外を歩くことにして、埼京線=山手線=千代田線=東武スカイツリーラインと乗り継いで梅島駅スタート。

日光街道に出るための歩いているとベルモント公園と言うのがありました。「足立区と西オーストラリア州ベルモント市との友好親善のシンボルとして作られた公園」です。
赤いレンガ風洋館はオーストラリアのあれこれを展示している陳列館。同じようにオーストラリアにも「足立公園」があるんでしょうか。

電柱に「荒川が氾濫した場合の想定浸水深4.5m」の表示がありました。電柱の上の赤い線の所まで水が来るそうです。たいへんだ。

足立区役所。本庁舎は1996年松田平田設計によるもの。日光街道の歩道橋がそのまま庁舎2階に繋がったりしてなかなか先進的な区役所でした。

環七梅島陸橋。以前うちから自転車で西新井大使に行った時には左から来てここで右折して区役所の前を通って都内に帰って行きました。ここも都内だけど。

島根2丁目歩道橋。足立区と島根県に何か縁があるのかと思いましたが特になかったです。地名については諸説あり。

20分ほど歩いた所でメタセコイアの梢が見えたので寄り道して見ました。元淵江公園とその中に足立区生物園。生物園が意外にもなかなかの見ものでした。別項にします。

毛長川を越えるあたりで県境を越えて埼玉県草加市に入りました。

草加市に散歩に来たのは2021年の1月でした。奥の細道の草加松原が美しかった。深川~千住~草加~越谷~春日部というラインを初めて意識したのもその時でした。

2023年5月より運用開始した春日部市新庁舎。

設計は石本建築事務所。ここのところ埼玉県各市の新庁舎を見ることが多い。のぺっとしたガラスウォールばかりだった庁舎ですが最近は庇が深いのが流行です。
1~2階の屋根部分は街道沿いの商家のイメージのようです。土曜日で中に入れなかったので外観見学のみでした。

草加神社。

前回も写真を撮った煎餅を焼く娘像を見てから帰路に着きました。

まったく高低差のない日光街道。次は草加から越谷かな。それと県境歩き。
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狛江通りを往く

2024年02月03日 | TOKIOの道と川

小田急線で狛江駅へ。駅で言うと成城学園==喜多見==狛江==和泉多摩川=登戸という並びで、喜多見までが世田谷区で和泉多摩川までが東京都。
成城学園散歩や、多摩川の散歩で喜多見、和泉多摩川はここ数年で複数回利用していますがその中間の狛江駅はおそらく人生初の下車でした。
最初に駅の北側に出たら駅の真横に竹林とこんもりした木々が見えて驚きました。

森は泉龍寺という立派なお寺の境内でした。開山は765年。良弁僧正がこの地で雨乞いをしたのが起源ということになっています。
山門、本堂ともに江戸時代のもの。昭和20年5月に狛江市も空襲を受け焼夷弾が落とされましたがなんとか火災は防いだと市のサイトに記録がありました。

山門下側の谷底にある弁財天池。古より清水の湧く泉で泉龍寺や和泉という地名の元となった池です。周辺の開発により昭和47年で水は枯れ、現在は人工の泉となっています。
ここから狛江駅までの間が弁財天池特別緑地保存地区で最初に見た森や竹林です。柵で囲われていた中に入ることはできません。
23区内の鉄道沿線でこれだけ駅と緑地が隣接しているのは珍しい風景です。

今日は狛江駅の南からスタートの予定だったのにうっかり北側に降りたおかげで初っ端に時間がかかってしまいました。本当に行けば何かある。
こちらが狛江駅南側。飲食系のチェーン店は一通りありますが、発達した商店街などはなくすぐに落ち着いた住宅地が広がります。

駅から3分で世田谷通り。世田谷通りを都心方向に3分で本日のお目当ての狛江通り。狛江通りは東京都の通称道路名。本日の起点標識。
道路法では都道11号大田調布線で大半が多摩堤通りとなる都道の一部ですが実際には多摩堤通りと狛江通りは一切繋がっていません。
全面ゆとりのある2車線で、甲州街道までカーブのほとんどない一直線。近年作られた都市計画道路のようにも見えますが江戸時代からの農道が整備された道です。

小田急線の高架をくぐってすぐに狛江市役所。同じ敷地内に市民センターと中央図書館もある複合施設ですが、現在市役所以外の施設を移転する計画が進行中です。
2施設の移転後に市役所新庁舎という目論見ではないかと想像しています。

区役所の斜め向かいにあるかちての郷農か地主の邸宅。

昭和30年代以降、農地だった場所がマンションや建売住宅に変わって行きました。

松原通りと交差。今まで狛江市内に来たのは、世田谷通り、荒玉水道道路、松原通りの3回だけ。松原通りの時もここで写真を撮っていました

小田急バス狛江営業所車庫通過。狛江通りが狛江市民の大動脈であることがわかります。

慈恵医大第三病院前。この辺りだけ道路幅が少し狭くなっています。

病院を過ぎると調布市国領町。すぐにイトーヨーカドー国領店。手前の駐車場の柵がどう見ても神社の石柵。ストリートビューで遡って見たらやはり神社がありました
重機神社。すごい名前ですがこの場所は2009年までミシンで知られるJUKI株式会社の本社があった場所でした。ジューキミシンって元は「重機」でした。
会社が縁起を担いで敷地内に神社を作ることはままありますが重機神社もそのひとつ。現在は本社、神社ともに多摩市鶴牧に移転していました。

品川通りと交差。古代から品川湊と武蔵国府の府中とを結ぶ品川街道(品川みち)の名残です。品川道もいつか歩きに行くでしょう。

古道の証の庚申塔。

国領駅。これまでこの場所にあった踏切が狛江通りのボトルネックでしたが2012年に地下化が完成し現在の姿となりました。

踏切が残っていた頃の風景。後ろのタワーマンション(グランタワー調布国領)は2004年の完成です。

通称道路名としての狛江通りは駅の先の旧甲州街道との交差点で終り。道路自体はまっすぐ甲州街道まで続いているんですが。
旧甲州街道を右に曲がって甲州街道との分岐まで行きました。

京王線の線路に沿って国領駅に戻ります。奥に見えるのがさっき見たグランタワー調布国領。
この辺り線路が地下化されていると思っていましたがまだ地上にあります。地下に潜るのは意外と国領駅の直前でした。

国領駅の地下ホームの端から仙川方向を見ると地下駅と言っても非常に浅い場所にあることが分かりました。これなら開削でできたんでしょう。
わずか3kmの短い道路ですが、周辺なかなか面白いです。
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中野から氷川台・放射第36号線橋梁

2024年01月22日 | TOKIOの道と川

スケールで言えば渋谷新宿に続く規模で再開発が行われている中野駅周辺。昨年夏に営業を終えた中野サンプラザはまだあります。
サンプラザの裏側では中野区役所の新庁舎がまもなく完成し、4月から使われ始める予定です。

中野サンモールを北へ。サンモールや中野ブロードウェイは今のところ再開発の予定地ではありません。ここを潰したら中野区は終わりそう。

中野通り。哲学堂の方へ右にカーブして行くのが都道420号です。今日は右の沼袋の方へ。

沼袋駅踏切。西武線では中井と野方の間で踏切解消のために線路の地下化工事を行っています。いかにも西武線の駅前らしいこの風景も間もなくなくなります。

商店街から鳥居が見えたので寄ってみました。

その先に会ったのは神社ではなくて明治寺というお寺でした。明治天皇の崩御をきっかけに大正元年に開かれた新しいお寺です。
関西の西国三十三観音、関東の坂東三十三観音、秩父の三十四観音の合わせて百の観音が置かれています。その後増えて現在は180体以上。
しかし、神仏習合でない時代に生まれたお寺になぜ鳥居があるんでしょうか。

妙正寺川散歩の終盤で江古田の森の先で見た江古田川。この時の終点と線を繋いでおきます。

東武練馬と中野駅を沼袋経由で繋ぐバス。下井草周辺とかでも見ましたが西武線沿線には無謀とも思えるバスの擦れ違いゾーンが多数あります。

環七を越えて。気温6度しかない寒い日に名前もなく都道ですらないような道を目的もなく歩くという妙な趣味を持ったことを不思議に思います。

西武池袋線桜台駅通過。この辺りは大江戸線、西武池袋線、有楽町線などが無駄に集まっていて交通の便がかなり良い。

氷川台駅手前で石神井川を越えて。

駅のすぐ横で新しい橋を作る工事をやっていました。川沿いの桜並木を眺めるために真ん中に少し広い場所がありました。

驚いたのは橋の大きさ。というか幅。川の幅は10m少々なのですが、そこにかかる橋の幅が30m以上あります。渡る川の3倍の幅を持つ超横長の橋ということです。

さらに驚いたことに、橋から振り返ってもこの橋に繋がるはずの道路がありません。
分かりました。ここは新大宮バイパスから練馬を経由して池袋に繋げようという放射第35号線、36号線の途中でした。
昨年2月に高島平から新大宮バイパスの都内部分を歩いて来て、最後にここ氷川台駅でゴールにしたのですが、その少しだけ先の部分でした。
まだ周辺の用地買収すらすんでいないタイミングで橋だけ先に作っておくというのはとても不思議です。

完成予想図。ここまでできるのはまだ10年20年単位で先の話です。生きているうちに見られるかな。
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烏山川緑道を往く(2)

2024年01月12日 | TOKIOの道と川

2024年最初の道と川散歩は世田谷区の烏山川緑道。三軒茶屋から烏山方向に歩きます。
烏山川緑道は2回目。前回は同じく三軒茶屋から池尻方向に北沢川緑道との分岐点までの短い距離をちょこっと歩いていました。

環七少し手前の若林稲荷神社(福寿稲荷神社)の赤い鳥居が見えたので参拝していきました。

環七を越えて。緑道歩きで迂回せずに幹線道路を横断できることはほぼありません。

三軒茶屋から若林駅付近まで世田谷線は烏山緑道と平行でしたが、その先で世田谷線は上町方向に段丘の上、緑道は下と別れます。
5分ほど進んだ国士舘中学・高校の北側では高さ10mはあろうかという崖がありました。世田谷線はこの崖の上を走っています。

国士舘中学の角で世田谷区役所に行くために一旦緑道を離れて北へ。
区役所に通じる道はトンネル経由で段丘の上に。トンネル上部は道の左右にある国士舘大学の施設と一体化した人工地盤になっていました。おもしろい。

必要だった戸籍謄本が三軒茶屋の太子堂出張所で首尾よく入手できず、区役所本庁に行く羽目になり烏山緑道で歩いていくことにしました。
そのおかげで2年近い大幅な工期遅れで揉めている世田谷区役所工事現場を見ることができました。前川國男の第一庁舎(左)はまだ現存してるんですね。

世田谷区役所でも1時間20分ほどかかってしまい、緑道を再スタートしたのは12時半過ぎでした。オナカヘッタ。
緑道は段丘の上の国士舘大学世田谷キャンパス(左)と梅が丘キャンパス(右)の隙間を進みます。この部分の緑道は現在改良工事中。

区立城山中学校の裏手では人工の川の流れも再現されていました。烏山川緑道は世田谷区の公園課もかなり注力して公園として整備している印象です。

緑道周辺の住宅もなんとなく高級感が感じられます。

江戸時代に彦根藩直轄領地だった頃、代官屋敷からこの場所で烏山川を渡って豪徳寺に参拝したことでしょう。

世田谷線宮の坂駅の手前で緑道は行き止まりになります。左手に案内板がありますが地図を見ても普通に緑道が繋がっているように書かれています。左へ迂回。

宮坂区民センターの脇の駐輪場で越えられなかった世田谷線を見る。

少し進んだ席に都道427号線の桜木トンネルが見えました。以前、菟道27号線を往くで狭い所をくねくね歩いた都道の、小田急線以南の部分。
なんとか真っすぐな広い道にしようと補助第128号線として工事を進めている中の一部として2021年3月に開通したトンネルです。桜木中学校の真下を通っています。

脇の階段からトンネルの上に登りました。先に見えている横断歩道の左右が烏山川緑道です。

烏山川緑道から話が逸れますがせっかくなので位置の確認。元地図はwikipediaの項目「東京都道427号瀬田貫井線」からお借りしています。

鴎友学園の脇の部分は万葉集ゆかりの植物が植えられた「万葉の小径」として整備されています。

鴎友学園と万葉の小径。

昨年末の「用賀中町通りを往く」で馬事公苑からの帰りに経堂駅まで帰る時に通った農大通り。一か月もしないうちに同じ風景を見るとは思いませんでした。

経堂駅付近の低層マンション「ザ・パークハウス経堂」(右)。目の前に緑道の桜並木。その向こうに大型スーパー、ライフ経堂店。佳き立地です。

小田急線の高架と芝犬を散歩させる人。このまま3kmくらい歩いて千歳清掃工場付近まで行けば烏山緑道も完走になるのですが、今日はここまでにします。

経堂駅。ここもけっこう短い期間に3回もスタートかゴールになっています。もう一度来たらサンポ特異点になりますね。
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清州橋通りを往く

2024年01月03日 | TOKIOの道と川
自然災害と大事故がたて続けで起きて暗い幕開けの2024年ですがブログは今日から平常運行。最初は2023年のアップ残し分から。

12月27日に春日で人間ドック受けました。8時に行って10時には終わってしまったので都営線を乗り継いで岩本町に出てそこから北に向かって歩きました。
お目当ては清州橋通り。荒川と隅田川の間では東西方向の道で、清州橋より都心側では90度向きを変えて南北方向の道に変わります。
清州橋通りと別に清州通りもあるのでちょっと勘違いしそうですが、どちらも東京都の通り名になっている別々の道です。

井桁金網ビル。岩本町付近は比較的大規模開発に晒されておらず、このような昭和の香りがするユニークなビルがたくさん残っています。

神田、日本橋周辺でちょいちょい見かける一方通行の大通り。清州橋通りも岩本町と浜町の間の1.2kmくらいが一方通行です。
交差点からいくらでも逆走車が入って来そうでちょっと怖い。

靖国通りとの交差点に建つバブリースタイルのビルは龍角散ビル。1991年大成建設の設計・施工。

すぐに神田川を越えて。隅田川に合流する直前の神田川はけっこう川幅が大きくなっています。

詳細が分かりませんが昭和10~20年あたりの雰囲気が色濃い近代建築。3階壁面のレリーフが立派。その右隣の金属パネルがはめ込まれたビルも香しいです。
このあたり、ちょっと裏に入ればいろいろ出て来そうな予感がします。

蔵前橋通りを越えた先の東側に「おかず横丁」という古そうな商店街が残っていました。この奥にある鳥越神社から続いているようです。
台東区鳥越一帯が昭和レトロな場所としてアド街なんかんでも取り上げられていました。

こちらも著名な近代建築、都営台東小島アパート。1964年に建てられたツインコリドー。残念ながらすでに全室退去して取り壊しにかかろうとしているところでした。
各部屋の窓に3本ずつ取り付けられている金属製のフレームが外観に特徴を与えていますがこれ何かな。洗濯物を干すためのもの??

その小島アパートの真向かいに入り口がある佐竹商店街。

特にレトロを見に来たわけではありませんが、次々と昭和の新日本紀行的風景が目の前に現れます。

昭和40年の昭和が舞台となる映画のロケセットを作ったらこんな感じになりそう。

ミカンを売るんだという強すぎる意思が現れているフルーツ店。

先ほどの鳥越おかず横丁周辺もそうでしたが、いわゆる住宅地とは異なる街並みですが、江戸から続く庶民の生活の流れが残っています。
佐竹商店街は「日本で二番目に古い商店街」を名乗っています。「日本一古いと名乗る商店街はたくさんあるけど日本で二番目と言っているのはここだけ」だそうです(笑)

今日のお昼は失敗してもいいからこの商店街でお昼を食べようと決心してこちらの中華料理店に入りました。そういえば今日は朝食抜きだったんだ。

本日のランチのひとつ、もやしそば炒飯セット。どちらも普通に一人前の量がありましたが、私も朝昼2食分と思って完食しました。めちゃくちゃ美味しかった。

佐竹商店街は新御徒町駅まで。こんな商店街近くの駅が大江戸線とつくばエクスプレスの2線利用可能でした。
そしてその少し北に銀座線の稲荷町駅。銀座線で上野の隣です。二駅先は浅草。大正から昭和にかけては大東京市の中心的な場所でした。

稲荷町駅の1分先にあった寿湯。

散歩の途中で銭湯を見つける度に写真を撮っていますが、営業中であることは滅多にありません。散歩は午前中ですが、ほとんどの銭湯は15時くらいからの営業です。
こちらは11時からの営業でしたのでひと風呂浴びて行きました。地元の老人たちが浴槽を占拠するようなこともなく、かなり大きな露天風呂もあって素晴らしかった。

浅草橋通りは昭和通りと並行していますが最後は上野駅の北東で昭和通りに合流して終わります。

鶯谷駅から帰りました。今回も見どころ多かった。行けば何かある東京の道。
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用賀中町通りを往く

2023年12月22日 | TOKIOの道と川

スタートは大井町線等々力駅。23区内に残る貴重な木造の駅舎です。ちゃんと調べてはいませんが大井町線、池上線あたりにはまだいくつかあります。
最近だと戸越銀座駅や旗の台駅のように21世紀風のリニューアル木造駅舎も見られますが、やはり本物の魅力には及びません。

島式ホームの先端で改札を出ると上下線の線路に挟まれた場所が駅への出入り口。面白い。こないだの九品仏駅も同じでした。

駒沢公園通りに続いて今日も世田谷区の区道です。用賀中町通りは、世田谷区の区道の中では最長の赤堤通り(5.0km)、千歳通り(4.6km)に続いて4.2kmと第3位の長さです。
ちなみにこの道の名前はこの道路標識を見て初めて知りました。「用賀中町通りを歩こう」と思って来たわけではありません。

環八と246を行き来するバイパスとして機能しそうな位置関係です。最後に地形図を出しますが、それなりに高低差のある周辺です。

渋い料亭のような店。神田きくかわの上野毛店でした。最寄りの上野毛駅から850m。周囲にお店など一切ない場所にポツンと鰻店です。行ってみたい。

微妙に見覚えのある緑のビル。駒沢通りを往く(後編)のブログの9枚目の写真に同じのが写っていました。意外と風景の記憶って残るものです。

交差点から橋が見えたのでちょっと見に来ました。こんな所にある開渠の川。谷沢川でした。このまま南に下って等々力渓谷の流れとなる川です。

宇多田ヒカルさんが中学校に通われた清泉インターナショナルスクール。中央の逆カマボコ型の屋根が面白い。

246に出ました。渋谷からずっと頭上に会った首都高3号線と246が初めて分かれる場所です。

246を超えて用賀駅入り口そばに用賀神社に参拝。靖国鳥居の奥に神明造りの拝殿が見えます。

本日も立派な宮造りの銭湯がありました。用賀栄湯さん。

じわじわと坂を上って用賀駅から10分ほどで馬事公苑の角に来ました。 この塀が473m続きます。長!

左を見れば清掃工場の煙突が。馬事公苑と砧公園が700mしか離れていないことに驚きました。

世田谷通りまで来て用賀中町通りの終端。

今日は7年間の工事期間やオリンピック期間を経てようやく公開された馬事公苑を見に来ました。

本日のルート。野川、仙川、谷戸川、丸子川、九品仏川、呑川など様々な川筋が見えます。

馬事公苑を見てから最後は最寄りの千歳船橋駅ではなく経堂に帰って行きました。寒かった~。
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天文台通りを往く・武蔵境通りを往く

2023年12月20日 | TOKIOの道と川

初めて降り立つJR西調布駅。栄えている調布駅ののひとつ西というだけで比較にならないのどかな駅前です。
2009年のストリートビューで見ると駅前には古き良き昭和の商店と住宅が並んでいますが、2017年に駅前再開発で消滅しました。

本日のお目当ては天文台通り。中央自動車道の真下から始まります。道路の起点または曲がり角で使用される119-A標識のコレクションもかなり溜まって来ました。

返還されて公園やスポーツ施設になった旧調布基地に沿って。以前来た時は味の素スタジアムの裏を抜けてこのあたりにぽっと出てきました。

国立天文台へ。天文台があるので天文台通りです。紅葉がとてもきれいでした。

都道123号と天文台通り。終端の武蔵境駅近辺で少しだけ違うコースとなりますが、全体の9割以上は共通しています。

東八道路の交差点で三鷹天命反転住宅を眺める。

人見街道も越えた先に国際基督教大学。何度も前を通っていますがなんとなく自由見学が許されていないような雰囲気で未だに内部を見たことがありません。

武蔵境駅。都道123号は駅の西を真っすぐ抜けていきますが天文台通りは線路の南側で駅に入り込んでいきます。
この辺りが都道としての管理と、通称道路名との目的の違いかな。

駅前ロータリーから北に伸びる「すきっぷ通り」商店街の入り口が天文台通りの終わり。ここから北は武蔵境通りになります。

桜橋で玉川上水を越えて。上水沿いも紅葉がきれいでした。

境浄水場の正門を見てから西側の壁に沿って北へ。これで境浄水場を取り囲む四方の道を全て埋めることができました。

いなげやでレンタサイクルを借りてここからは自転車で一気に北上します。田無駅横の西武新宿線と石神井川を越えて。

自転車になると途端に目的地を目指すだけの移動に変わります。田無からひばりが丘駅の途中にもいろいろあるんですが自転車を停めて写真を撮るには至りません。
ひばりヶ丘駅で自転車を返却しようとしたら駐輪場が満車で返却できませんでした。最寄りの片道850mも離れた公園まで返却に。最後にどっとくたびれました。
レンタサイクルはアプリで返却予約をしておかないとどんな事情でも自転車を返却できません。分かってはいたのにちょっと侮りました。うっかりうっかり。
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駒沢公園通りを往く

2023年12月16日 | TOKIOの道と川

駒沢公園通りの始まりは目黒通りの等々力3丁目交差点。長年にわたって学生時代の宴会をさせてもらっている恩師宅から直線で300mの場所です。

世田谷区の通称名ありの道路63路線のひとつ。道路としては駒沢通りや自由通りより前の明治時代から存在しています。
目黒通りから国道246までの2.2kmに亘って銀杏並木になっています。沿道の人はこの時期大変だろうな。

上の写真の下り坂は呑川に向かう傾斜でした。ここは去年の呑川を往くの上流編で通過した場所です。

駒澤大学深沢キャンパス。先日のキャンパスレポの際に「圧迫感を感じる」と書いたのはこの風景。

駒沢公園は子供の頃の遊び場と何度か書いていますが、西の端の公式野球場の裏まではほとんど来ていなかったと思います。

駒澤大学キャンパス見学を終えて246を通過。

駒沢公園通りは246から先、世田谷線世田谷駅まで続いていますがお昼が近づいたのでお散歩は中断。すぐ近くにある駒沢給水塔を見に行きました。
閑静な住宅地のマンションの向こうに鉄骨とトラスの橋が見えて来る風景はなかなか劇的です。

近づくと木々が邪魔をして見えにくい。

塀際まで行くと隙間から部分部分を覗くことはできますが。もうちょっときっぱりと全体を見たいので残念に思います。

結局このくらいの位置が一番妥協できる場所でしょうか。
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見沼代親水公園

2023年12月13日 | TOKIOの道と川

日暮里から尾竹橋通りを北上して最後にちょっと西に逸れて見沼代親水公園。
江戸の中期から長きに渡って埼玉から東京北東部の田畑を潤してきた見沼代用水の東縁の終端付近が約1.7kmに渡って公園となっています。

開園は1984年。公園の南端から橋って1.7km先の毛長川との合流地点に向かいます。



紅葉見頃でした。

見ている分にはきれいでいいのですが、落ち葉が水路の金網を塞いでしまうのでお掃除の人は大変です。ご苦労様です。

小さな諏訪神社がありました。

親水公園の源。湧水井風ですがもちろん人工的に作られたものです。

日暮里舎人ライナー「見沼代親水公園駅」。東京都最北の駅です。
沿線にほとんど何もない舎人ライナーの終着駅ですが、一日の乗降者数は起点となる日暮里、西日暮里駅に次いで3番目。乗客の多くは埼玉県民です。
埼玉県としてはあともう少しでも舎人ライナーに延伸してもらいたいと考えていますが、営業としては赤字路線なのでなかなか難しいところです。

見沼代用水東縁と毛長川の合流地点。写真右から左が見沼代用水、奥から手前が毛長川。交差する二つの川は、以前は見沼代用水が伏せ越しで毛長川の下をくぐっていました。
現在は大半の水は毛長川に落とされますが一部の水は浄化施設を経由して親水公園にポンプで送られて、先ほどの湧水井レプリカから流れ出しています。

ということで、この地点が見沼代用水東縁の最終地点ということになります。近くに管理終点の標識があったらしいのに見そこないました。
前回、用水沿いを歩いた最後に次は利根川からの取水部分に行きたいと思っていましたが、逆に終端に来てしまいました。

見沼代用水から分水した神領堀用水も同じこの場所から分水していて、現在では暗渠が緑道となって南に伸びています。本当に広範囲に農業を支えていたんですね。

近くに氷川神社の方向を示す看板があったので地図アプリで「氷川神社」と入力して見たらこんな結果。見えている範囲だけで16もの氷川神社があるようです。
今年の始めに氷川神社リストを作って、東京+埼玉だけで270社存在する氷川神社をなるべく多く回ろうと思ったこともありましたが、これ見たらやる気もなくなりました。

竹ノ塚のライフで購入した鯖明太ちらし弁当。親水公園のベンチに戻って食べました。サバと高菜と明太子。これ以上何を望むことがあろうか。美味。

本日のルート。13.6kmのうち西新井から竹ノ塚の4.5kmほどは電動自転車も併用しています。大都市圏の散歩だからできる効率技です。

帰りは舎人ライナーで日暮里に帰ります。舎人ライナーは車両の先端に前向きの座席があるので楽しいのですが、この時間帯だとちょいと眩しすぎました。
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