ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

琵琶湖西南2024春⑧近江ヴォーリズ巡りと豊郷小学校

2024年04月16日 | 建築&土木見物
この旅行に行くまで建築家としてのヴォーリズのことはほとんど知りませんでした。
このブログで登場したのは明治学院大学の礼拝堂、早稲田奉仕園スコットホール、東芝高輪倶楽部の3件だけです。
なので出発する前にヴォーリズの生涯と、建築作品に関する書籍を図書館で借りて最低限の予習をして臨みました。

ヴォーリズは学生時代に建築家を学んでいる途中でキリスト教の伝道師として生きる決意を持ち生涯の目標を転換します。
明治38年、25歳の時に英語教師として近江に赴任しますが生徒への伝道活動をがんばりすぎて周囲から反発を受けて2年で失職。
数年間の無職生活の後、日本で伝道を続けるための生活の糧としてかつて学んでいた建築設計の仕事を始めます。
たくさんの建築に関わりますがやはり生活の中心は伝道ですし、何度か病に倒れて母国で療養しているうちにメンソレータムの製造販売も始めます。
情熱とマルチな才能を併せ持っていた人のようですが、こと建築に関しては片手間のうえ、建築科として完全なプロではありません。
一言で「ヴォーリズ建築」と言っても大正時代の作品以外は「ヴォーリズ建築事務所」の作品であってもどこまでヴォーリズ本人が関わったかは定かではありません。
昭和32年にクモ膜下出血で実業家ら遠ざかった後も、現在に至るまで60年以上もヴォーリズ建築事務所は多くのすぐれた仕事を継続しています。
なので「ヴォーリズが設計した建物」と「ヴォーリズ建築事務所が設計した建物」の判別がなかなか困難で近づきにくかったです。

ヴォーリズは明治に赴任し、昭和16年に日本国籍を取得後も昭和39年に亡くなるまで近江八幡で暮らしました。本当に好きだったんですね。
近江八幡にはたくさんのヴォーリズ作品が残されており小一時間の散歩でずいぶんたくさんの建物を見ることができます。
今回は名前の紹介のみに留めます。まずはヴォーリズ自邸(現:ヴォーリズ記念館)。この2階で83年の生涯を閉じました。

村岡邸・旧岩瀬医院

旧八幡郵便局 昭和期に失われていた玄関部分は2004年にヴォーリズ建築保存再生運動を目指すNPO「一粒の会」によって再生されました。

アンドリュー図記念館 ヴォーリズが設計した最初の建物です。

旧近江兄弟社 地塩寮 こうなると普通の日本のアパートです。ときわ荘を連想してしまいました。

日本基督教団 近江八幡教会

池田町洋館街①ダブルハウス

大正3年から10年にかけて池田町に4棟建てられた住居のうち3棟がそのまま残されているというのは本当に驚きです。
ヴォーリズ作品が、かなり早い段階から地元で文化財として認識されてきた証です。この中央が膨らんだレンガ面白い。

池田町洋館街②旧ウォーターハウス邸 植物に覆われたwikipediaの写真とずいぶん違うと思ったら2023年にリフォームされて宿泊できる施設になっていました。

池田町洋館街③吉田悦蔵邸 14歳で英語教師だったヴォーリズに出会い感化されてキリスト教信者となり生涯をパートナーとして過ごした吉田悦蔵の自邸。

いくつかの建物は有料で内部見学もできたりカフェだったりするのですが、なんせ見ていたのが朝7時過ぎでしたのですべて外観見学のみでした。
まあ、それで私には充分でしたが。そこから安土城に登って、さらに西北に車を走らせて彦根のお隣、豊郷町に行きました。

最後に見たかったのがこちら。ヴォーリズ建築事務所の設計、竹中工務店の施工で1937(昭和12)年に建てられた豊郷小学校校舎。
近江商人の一人で当時の丸紅の専務であった古川鉄治郎の全額寄付に拠るもので、当時の小学校として鉄筋コンクリートは珍しい物でした。
水洗トイレや暖房設備、内線電話などの最先端の設備を備えていたことから「東洋一の小学校」「白亜の教育殿堂」などと称されていたそうです。

校舎向かって左手に旧豊郷小学校酬徳記念図書館。

吹き抜け二層の館内。奥には鉄製三層の本棚が組み込まれています。

豊郷小学校校舎は私には「カムカムエブリバディ」の岡山駅ですが、広く一般にはアニメ「けいおん」の高校設定として知られています。
人気アニメの聖地としての活用が最も集客も見込めるので、校舎内も全面的に「けいおん」の世界が展開されていました。
アニメの登場人物が使用していたと同タイプの楽器がたくさん。奥に見える螺旋階段の上の部屋にはさらに20本以上置いてありました。
校舎本体の音楽室にもさらに数本。これらの楽器はどういう経緯でここに置かれたんでしょう。

校舎中央の階段室。緩やかに湾曲した壁、小学生の身体に合わせた階段。

階段の手すりには「うさぎとかめ」をモチーフにしたブロンズ像が設置されています。これは建築当初からあるらしい。



20年ほど前には校舎取り壊しを進める町長と反対派の間で裁判や傷害事件も起きる大もめの事態になっていたそうです。 
2009年に改修して一般公開を開始。2013年に有形登録文化財に登録されました。残しておく力があるなら残せてよかったです。

こちらは右翼側にある行動。この日は地元の人たちが踊りのお稽古で使用中で中には入れませんでした。

豊郷小学校見学を終えて、草津に車を返しに行く途中で東近江市五個荘金堂伝統的建造物群保存地区も見学。
これで2024春の滋賀旅行の全行程を終了しました。行こうと思っていたところの9割くらいは完遂できたかな。
滋賀県いいところです。やはり京都のお隣というのはなかなかすごいことだと知りました。
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2 コメント

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ゆっくり行ったことが (takako)
2024-04-17 16:23:04
なかった滋賀県。
レンガの家が好きです。
小さいころ、レンガの家が憧れでした。
素敵な建物がたくさん。
takakoさん (B)
2024-04-18 09:03:11
私も今回初めて滋賀県のことを考えた気がします。
それまでは滋賀と岐阜の区別もはっきりしていませんでしたから。
そうだ、今度は岐阜も行かねば。

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