ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

琵琶湖西南2024春⑦安土城跡

2024年04月15日 | たびたび旅

最初にして最も豪華絢爛だったという安土城とその天主(一般には天守ですが安土城のみ天主と表記されます)。
歴史に疎い私でも時代劇で何度となく見ていますがいまひとつスケール的なイメージが掴めなかった城に行ってきました。
入場料700円を支払い、まずは一直線に山頂に向かう大手道の階段。画面中央で両手を樋ロケているのが私。撮影は地上で待機のRさん。

現在では石の角も崩れて踏面はコンクリートで固められていますが、完成当初の隅々までピシーっとしてた姿はどれほどの威容だったことか。
最初の直線部分が長さ80m。京都駅の大階段より長い。

3分登って振り返るともうこんな眺め。今、田んぼになっているところも城下町があって楽市が開かれていたのかな。
今回はほとんど調べないで描いているので疑問形で終わる文章が多い。

石仏が材料として使われているところには案内板があってすぐに分かるようになっています。

大手道の途中に秀吉の屋敷もあったんですね。他に家康邸、前田利家の屋敷が同じ程度の面積であります。
眺めも良く立地の良い場所のようですが、本丸までは20分くらい登らないといけないのでけっこう通勤は大変だったかも。

直線80mの後はジグザグしたり折れ曲がったりしながら110mの高低差を登ります。

二の丸への入り口、黒金門跡。

石垣の石もぐんと大きくなります。ここまでが家臣の屋敷、この先が信長の居城。

黒金門跡の先は防御態勢が高まりいくつもの桝形を通って開けた本丸に入ります。

天主への階段。

四方を1.5mほどの石垣で囲まれた天主跡。礎石の並ぶこの部分は天守穴倉。地下室です。

意外にコンパクトに見えますが、周囲の石垣は現在残っている数倍の幅があり、見えている穴倉部分の二倍半の広さがあった、と説明板に書かれていました。

左側が崩れてなくなってしまった天主石垣の外側部分。

石垣の上からの眺め。

一通り見てから無事に下って来ました。帰りは摠見寺を通って下りるのが正式のルートですが遠回りになるので上りと同じ大手道で下りてきました。
ここも桜がきれいで良かった。

駐車場の桜の下で、二日間お世話になった日産のレンタカーと記念写真。
シフトレバーが電子制御だったり、バックミラーが液晶モニターだったり、いろいろと令和を感じさせる車でした。
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2 コメント

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安土城は (だ)
2024-04-15 23:09:38
西北東を湖水に囲まれ、大手門あたりは沼地になっていて、その右(西)のあたりに城下町があったようです。
いろんな復元イラストがありますが、たぶんこんな感じだったかと
https://shirobito.jp/article/1515

古い絵図ではこんな感じ
https://kenchikuka31.net/27489

安土城は、明治から昭和の最初の方の発掘調査では、報告書が満足に出されていないので、いろいろ不明だったりするようです。
だみあん (B)
2024-04-16 09:17:34
ありがとうございます。ほとんど「四方を水に囲まれた」と言っていいくらいですね。
天主台からの眺めなど、まったく違う風景だったことがよく分かりました。
諏訪の高島城もそうでしたが、湖も農地を広げるために際限なく埋めたてられたんですね。

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