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最後の版元 浮世絵再興を夢みた男・渡邊庄三郎(高木 凛)

2014-07-06 | 

  最後の版元 浮世絵再興を夢みた男・渡邊庄三郎

長らく書店で目を付けていた本書をついに購入し、先日読了。とってもおもしろかった!

「浮世絵」というとやっぱり江戸時代、歌麿・北斎・広重・・・といった大家たちの有名な作品を思い浮かべる。正直、大正時代に隆盛したという「新版画」はよく知らないが故、興味がうすく、それが本書の購入を躊躇させていた一因でもある。

江戸が終わり、明治が幕開けた激動の時代、「浮世絵」がどのようにその位置づけを流転させていったかがよくわかる。その価値を高めていったのに外国人の存在は不可欠だった。写真や石版にとってかわられ、存在価値を失いかけた浮世絵を再発見したのはお土産として持ち帰ろうとした外国人だった。そしてそれが商売になるとわかると、出回るのが粗悪品・模造品。いつの世も抜け目ない人はいる。

渡邊庄三郎は、明治時代に生まれながら自ら進んで英語を学び、それを生かして外国人に浮世絵を始めとする日本美術を販売する商店に勤める。その恵まれた環境下で審美眼を徹底的に鍛えた庄三郎は、粗悪な浮世絵の流通が許せなかった。そこで彼は、まずは江戸の大家の技術をきちんと再現した複製画を制作するのだが、野望をあたため、ついに挑戦したのが新しい木版画の制作だった。

浮世絵は、原画を描く絵師の名が知られているけれど、彫師・摺師との三位一体のクオリティがあってこその名作だ。庄三郎が新版画を成功させるにあたっては、彫師・摺師と信頼関係を築き、絵師とプロデューサーである庄三郎の意を汲んでくれることがとても重要だったんじゃないかと想像する。

川瀬巴水、橋口五葉、伊東深水らが描き版画に仕立てられた作品は、江戸浮世絵とはまた違った独特の情緒を湛えていて美しい。記述によると、摺り方、バレンの使い方なども新しいとのことだから、ぜひ実物を間近に見てみたいところ。ちょうど、ずいぶん前に日曜美術館でやっていた巴水の特集の未見だった録画を見ると、構図が現代的であり、それでいて心静かな風景画、特に水の色の愁いを帯びたブルーが何ともいえず美しい。

著者は、長らく門外不出だった庄三郎の日記や手帳、帳簿のメモなど、細かい記述を丹念に調べ、庄三郎の足跡を追っている。本人の言葉には、やはり血肉が宿っているなあ、と感じる。性格や人柄がにじみ出ているようだ。日記って大切なんだな…。

著者が本書を書くきっかけとなったのは展覧会の図録で、その展覧会「よみがえる浮世絵展」は2011年に東京で開催されたということだ。これまであまり興味がなかったので見過ごしていたが、けっこう新版画の展覧会も行われているようだ。この本と出会うことで、私の「浮世絵」の概念が、ひとまわり広がった。

そして何といっても、江戸時代の蔦屋重三郎にも通ずる「版元」の絶大なる存在感。ものを創り出す技術を彼自身は持っていないけれど、優れた審美眼と新しいものを生み出したいという情熱でもってアーティストや協力者たちを駆り立てていく力が素晴らしいと思うし、それがなければ優れた芸術も生まれないのかもしれない。なかなかスポットが当たりにくいそんな役割の人を、丹念に紹介してくれた著者に感謝したいと思う。


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