アートの周辺 around the art

美術館、展覧会、作品、アーティスト… 私のアンテナに
引っかかるアートにまつわるもろもろを記してまいります。

色と音楽の関係

2009-10-30 | 
 今度、抽象芸術を解説するのでこの本『抽象美術入門』(美術出版社)で勉強中。

 はるか昔から絵画は、目に見えるものを見えるがままに(本物と見紛うほどに、特に遠近法が発達した西洋においては)、あるいは描く対象物があることを前提に描かれてきたのが、その常識を打ち破った抽象絵画。と一口に言っても、表現方法とか思想はさまざま。そしてたくさんの画家がそれぞれの画風?を確立するまでには、たくさんの葛藤と理論武装があったことがうかがえます。

 さて、この本の中で、すごくおもしろいことが書いてありました。
 
 20世紀に入ってから活躍したロシアの画家、抽象絵画の先駆者のひとりでもあるカンディンスキーは、色彩、線、形に関する理論を発展させ、絵画と音楽の相似性についての考察を深めた、とのことなのですが、実は彼は特異な才能を持っていたというのです。 
 ある感覚が刺激されると別の感覚がそれに反応を起こすことを「共感覚」というそうですが、カンディンスキーは、眼と耳が結びついていました。何かの色を見るとそれが音になって聞こえるのですが、単に漠然とした音ではなく、特定の楽器による特定の音程が聞こえる、という緊密な関係にあったそうです。
 また、ある音を聞くと、曖昧な色を喚起するのでなく、クローム・イエローとかアラザリン・クリムゾンというようにきわめて限定された色となって眼に見えるのですって!
 カンディンスキーにとっては、音楽と絵画の結びつきは推論の結果でなく主張すべきことでもなく、「単なる事実」でありました。

 それってどういう感覚なのかな??とっても不思議ですね。カンディンスキーの作品は音楽を想起させるって思ってたけど、そうではなく、音楽そのものを描いていたんですね~。

 抽象絵画ってなかなかわかりにくくて、とっつきにくいのですが、どのように生まれたかとか代表的作家の特徴など、とても愛情たっぷりの語り口でわかりやすく書かれている本です。
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色について

2009-10-26 | 
『色―世界の染料・顔料・画材―民族と色の文化史』(マール社)

 美術作品を見るときに色を切り口にするとおもしろいんじゃないかと考え、色彩について勉強したいなあと思いながら、なかなか進んでおりませんが、書店に行って美術書とか色彩に関するコーナーを物色しているとおもしろい本に出会うことがあります。
 先日、見つけたのが上記の本。けっこう立派な本なのですが、中をパラパラ~とめくってみると、カラー写真が豊富で、東西の絵画作品なども載ってたりして、一発でお買い上げしてしまいました。

 取り上げられているのは、白・黄・赤・紫・青・緑・茶と黒の8つの色。それぞれの色が長い人類の歴史の中で、そして世界各地で、どのような意味を持ちどのように用いられてきたかが章立てで紹介されています。古くからの習慣を継承している民族が祭礼などで身にまとう色。もちろん衣装の場合もあるが、肌に直接ペインティングする人々もいる。古代エジプトやヨーロッパの絵画で用いられいてる色の意味。 
 ロイヤル・ブルーといわれたり、マリア様が身につけていたりと、今では高貴な色ともされている青が、中世までのヨーロッパでは野蛮な色、汚い色として嫌われ、東洋でも不吉な色とされていたそうです。

 あと、それぞれの色を作り出す、染料や鉱物が取り上げられいてる。色って絵の具のチューブから生まれるわけじゃないんだよね。

 眺めているだけで楽しい本、だけどしっかり読まなくちゃ!
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『20世紀美術』宇佐美圭司(岩波新書)

2009-10-06 | 
 画家である宇佐美圭司さんが書いた美術論。宇佐美さんといえば、92年に南港にある安藤忠雄建築のライカ本社ビルの無機質な空間で開催された素晴らしい回顧展が印象深い。
 この本では、主に20世紀の現代美術が取り上げられ、その中でも戦後アメリカで隆盛した「抽象表現主義」について、批判的な視点で書かれているのが興味深かった。
 
 マイ・ミュージアムである滋賀県立近代美術館のコレクションのひとつの柱が20世紀アメリカ美術であり、マーク・ロスコやクリフォード・スティル、モーリス・ルイス等のかなり大画面の立派な作品を所蔵していて、アメリカ美術のアイデンティティを打ち立てた抽象表現主義の作品群として、その精神性を押し出して紹介することが多い。(だって、知らない人が見ると、「これが絵?」と言われかねない…)
 
 宇佐美さんが鋭くメスを切り込むのは、その精神性=サブライム(崇高さ)。これを提唱したのは、バーネット・ニューマンで、彼の作品のほとんどは単一に塗られた色面とそれを分断する垂直の色の帯(ジップ:縦縞)で構成されている。巨大な彼の作品を前に圧倒され、強い意志や精神的に深いものを感じてしまう、それがサブライム、しかし宇佐美さんはいう。「ふと視点を変えてみれば、これは単純な絵だ。…タイトルに引き寄せられてこの画面にサブライムを喚起されるのは裸の王様を見ている気がする―と思い出せば英雄も崇高もこけおどしに思えてしまう。」
 実は、これはすごく納得してしまうことで、抽象表現主義の作品が「絵に見えない」のはある意味本当であり、しかしそのただ塗られた画面にアメリカの広大な心象風景とか、祈りたい気持ちなどを感じる事も事実なのである…という紙一重にある価値観。私はそこをおもしろいと思う。
 宇佐美さんは画家であり、表現者であるから、表現とコミュニケーションを一切否定したような抽象絵画に批判的になるのだろう、しかしそこには自身も含めて現代美術に新しい表現とエネルギーを回復したいという願いが伺える。

 この本が書かれたのは94年、しかもきっかけはニューヨークMOMAで開催されたマチスの大回顧展。私も現地で鑑賞して、絵を見る喜びを心底感じたスゴイ展覧会だった。15年たった今の美術界を宇佐美さんはどう見ているのだろうか。
 図書館で借りたけど、ぜひ購入し傍らに置いて教科書にしたかったのだが、もう絶版だった。残念! 
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