アートの周辺 around the art

美術館、展覧会、作品、アーティスト… 私のアンテナに
引っかかるアートにまつわるもろもろを記してまいります。

バルテュス展@京都市美術館

2014-07-28 | 展覧会

テレビ番組や雑誌で予習もし、楽しみにしていた「バルテュス展」へいよいよ行ってきました!美術館までの道中はえらい雨。そのせいもあってか、日曜日とはいえけっこうすいていて、ゆっくり鑑賞することができました。

会場入っていきなり、バルテュス晩年のスイスのお宅にあったアトリエの再現。写真などを見るとかなり忠実なようでした。バルテュスがこだわった光を取り入れる窓はもっと大きいのかと思ったな…。今回の展覧会には節子夫人の尽力とこだわりが大きいことがうかがえます。

作品は年代を追って展示されています。最初の目玉はやはり絵本「ミツ」の原画。11才のときに描いて、リルケにその天才ぶりが認められ出版にこぎつけたという。どちらかというと、めちゃめちゃ絵がうまい、というより子供らしくかわいらしい絵です。かわいがっていた猫がいなくなって、見つからなくて泣いて終わるところが、いじらしい感じ。この作品は、ショップのいろんなグッズに用いられて、華々しく売り出されている人気ものでした。(本も売ってた!)

10~20代の作品もあったが、バルテュスが俄然輝きだすのは、26才のとき、物議を醸したというパリ・ピエール画廊での初個展。嵐が丘を下敷きにしている「キャシーの化粧」やポーズが怪しい「鏡の中のアリス」は、人物の表情やポーズと配置の妙、そして光り輝く女性の肌の感じにより、何とも言えない不思議な迫力があります。予習で何度も目にしていたけど、思っていたより大きな作品だし、やはり実物の作品から受ける衝撃は大きかったですね~。

そして30代に描かれた名作の数々。本展の目玉である「夢見るテレーズ」と「美しい日々」は、本当に素晴らしかったです。少女を描いている、とか、ポーズがヘン、とか、そういうことが全く気にならないほどに、色調や構成や描かれている人物の表情やポーズが、もうコレしかない!ってくらいに完璧なのです。テレーズの表情は崇高な感じすらし、身体全体から光が放たれているように輝いています。反対に、「美しい日々」の少女は暖かい光に包まれているようで、表情も「自分にうっとり」とかではなく、とても凛として美しいと思いました。まるでボッティチェリのヴィーナスのよう…。

そしてシャシーの田舎暮らしの時代を経て、ローマの「アカデミー・ド・フランス」館長の時代へ。このとき、ヴィラ・メディチの内装の修復を手がけたバルテュスは、特に壁の仕上げにこだわったといいます。だから、でもないのでしょうが、この時代の作品たちは、まるで壁を塗り込めたような厚塗りの作品が多かったです。

「読書するカティア」はステキでした。大きな作品で、本当に背景の丹念に塗り込められた壁が主役のような作品です。落ち着いた色合いの中で、本の黄色が燦然と輝いて見えました。節子夫人をモデルにしている日本風の「朱色の机と日本の女」も、映像や印刷で見るのでは全く想像できない質感です。ちょっと塗り過ぎか?ってくらいの厚さ、しかもセメントのようなザラザラ感。その物質に絵が埋め込まれているような印象です。全く独特だと思いました。

今回、かなり大規模な回顧展だとは思いますが、それでももっと見たい作品がたくさんあります。今回習作が出品されていた「トルコ風の部屋」にも再会したいし、「山(夏)」もかなり見たいです。

貴族の出身で幼い頃から文化人に囲まれた特別な生育環境、その後のフツーじゃない人生、画風も時代によってバラエティに富んでいるし、少女をテーマにすること、またそのポーズに独特のこだわりがあることなどなど、ものすごくアンビバレントで不思議な人だと思いました。でも、まぎれもなく「画家」だなあ!とも思いました。実際に作品を前にすると、目を奪われ心を動かされるのです。他の誰でもない「バルテュス」なのですよね。

彼の作品がまとまって見れる貴重な機会です。ぜひぜひ足を運ばれる事をおすすめします!展覧会は9月7日(日)まで。

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ミラノ ポルディ・ペッツォーリ美術館「華麗なる貴族コレクション」

2014-07-19 | 展覧会

長いタイトルの展覧会やな~。もうすぐ終わってしまうので、あべのハルカス美術館に仕事帰りに行ってきました。何といっても、この横顔の美女に会いに!!

ミラノにある邸宅美術館、名門貴族であるポルディ・ペッツォーリ家が代々蒐集してきた幅広い美術コレクションを公開している美しい館だそうです。この美術館から、ルネサンスから19世紀美術に至るまでの約80点を展観。

前回の「東大寺展」のシンプルさに比較すると、カーテンなんかが取り付けられていて、装飾的な会場。まず、鋼鉄の甲冑が展示されています。先般、「野口哲哉展」で日本の甲冑をまじまじと見たところなので、その素材感とつくりの違い、でも双方ともえらく装飾的で美しさを追求しているところが、とってもおもしろいと思いました。

そして15世紀の絵画が次々と。

ルネサンス以前の13世紀の板絵の宗教画も何点かあったのですが、そのいわゆる非人間的というか、稚拙というか、そういう中世期の絵画(決して嫌いではないが)から、わずか100年のあいだに、何と表現は進化をとげたことだろう!と、ホントに感心します。

目玉である横顔の美女、「貴婦人の肖像」は、女性の表情とか髪の毛の感じとか、アクセサリーの装いとか、めちゃくちゃモダンですよ~!これが1470年頃の制作というのですから、本当に驚きます!!今回の限られた作品だけでは限界がありますが、それでもルネサンスを経て、宗教画だけではない、「人間」を描くことに目覚めていったんだなということを感じます。その時代は絵画が大衆的なものではなかったとは思いますが、表現の新しさはどのように人々に受け入れられていったのでしょうか…。興味深いです。

他に良かったのは、劇的な場面が印象的なボッティチェリの「死せるキリストへの哀悼」、虚構の風景の空の明るさが心に残るカナレットの「廃墟と古代建造物のあるカプリッチョ」。カプリッチョって初めて聞きましたが、奇想画を意味し、実在するものと空想上のものとを組み合わせた18世紀によく描かれた風景画のこと。廃墟などが描かれているのが特徴のようで、妙な流行りなどもあるもんですな~。

会場の解説などは、かなり詳細でしたが、閉館まぎわでしたので、あまりゆっくり読めなかったのが残念。せっかくの都会の美術館なので、森美術館並みとは言いませんが、せめて21時まで開館していると嬉しいかな~。

展覧会はいよいよ21日(月祝)まで。未見の方はお急ぎください!

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伊藤若冲の名宝展@相国寺承天閣美術館

2014-07-13 | 展覧会

人知れず、名作を取り揃えた展覧会をやっている相国寺承天閣美術館、一度訪ねてみようとずっと思っていました。

さて、京都今出川・同志社大学の隣に位置する相国寺は、夢窓疎石を開山とし、室町幕府第三代将軍足利義満によって創建された臨済宗の立派なお寺です。実は観光名所である金閣寺・銀閣寺は、この相国寺の塔頭寺院であるというのは、あまり知られていません。

この承天閣美術館は、昭和59年に相国寺創建600年記念事業の一環として相国寺・金閣寺・銀閣寺その他寺院に伝わる美術品を受託し、保存及び展示公開、修理、研究調査、禅文化の普及を目的として建設されたとのことです。

若冲は、相国寺の住持大典(だいてん)和尚を生涯の師と仰ぎ、深い親交を結んでいました。後に宮内庁に献上された有名な「動植綵絵」30幅も、もとは相国寺に寄進されたもの。そして、今回の展覧会で50面すべてが展示されている「鹿苑寺(金閣寺)大書院旧障壁画」は、まだキャリアのない若冲の才能を見抜き、大典が若冲一人に委ねて制作されたといいます。たいした眼力です!

大書院の間取りとともに、若冲の素晴らしい作品に囲まれたお部屋の様子を思い浮かべると、興奮します。特に、常設展示になっている床を飾る「芭蕉月夜図」と「葡萄小禽図」はすごい迫力だなあと思いました。床の間って、お軸とか花を飾るところだから、あのように絵画で装飾されたのは初めて見た気がします。すごい装飾的じゃないですか?!また、芭蕉という植物は、日本でもポピュラーだとは思うのですが、何となく異国っぽさもあって、月の光の輝きといい、なんだかすごい重量感があったんですよね~。まだ経験の少ない若冲の、意欲があふれているようにも思います。

他にもおなじみの鶏の絵もたくさん見れました。若冲の描く鳥の絵って、ホント、全く類型化されていない、実際の鳥をカメラで一瞬で捉えたような姿態を描き出していてとても興味深いです。観察し尽くしていたんでしょうね~。また青物商らしく、野菜が特別な思いをもって描かれているという解説にもうなずくものがあり、微笑ましく思いました。

久しぶりに若冲を堪能できる展覧会、お客様であふれ返っているわけでもないので、ゆっくりと作品と対峙できる、この贅沢な時間よ!京都に来られる機会があれば、ぜひ訪ねてみていただきたいと思います。

展覧会は9月23日(火)まで。会期中は無休とのこと。

さて、京都はいよいよ祇園祭の季節となりました。帰りに四条まで出て見ると、道のあちらこちらで山鉾の建て込みが行われていました。写真は船鉾。前の方はちゃんと船の形だった!今年は前祭と後祭の2回に分かれて行われるとのこと。夏本番です~。

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最後の版元 浮世絵再興を夢みた男・渡邊庄三郎(高木 凛)

2014-07-06 | 

  最後の版元 浮世絵再興を夢みた男・渡邊庄三郎

長らく書店で目を付けていた本書をついに購入し、先日読了。とってもおもしろかった!

「浮世絵」というとやっぱり江戸時代、歌麿・北斎・広重・・・といった大家たちの有名な作品を思い浮かべる。正直、大正時代に隆盛したという「新版画」はよく知らないが故、興味がうすく、それが本書の購入を躊躇させていた一因でもある。

江戸が終わり、明治が幕開けた激動の時代、「浮世絵」がどのようにその位置づけを流転させていったかがよくわかる。その価値を高めていったのに外国人の存在は不可欠だった。写真や石版にとってかわられ、存在価値を失いかけた浮世絵を再発見したのはお土産として持ち帰ろうとした外国人だった。そしてそれが商売になるとわかると、出回るのが粗悪品・模造品。いつの世も抜け目ない人はいる。

渡邊庄三郎は、明治時代に生まれながら自ら進んで英語を学び、それを生かして外国人に浮世絵を始めとする日本美術を販売する商店に勤める。その恵まれた環境下で審美眼を徹底的に鍛えた庄三郎は、粗悪な浮世絵の流通が許せなかった。そこで彼は、まずは江戸の大家の技術をきちんと再現した複製画を制作するのだが、野望をあたため、ついに挑戦したのが新しい木版画の制作だった。

浮世絵は、原画を描く絵師の名が知られているけれど、彫師・摺師との三位一体のクオリティがあってこその名作だ。庄三郎が新版画を成功させるにあたっては、彫師・摺師と信頼関係を築き、絵師とプロデューサーである庄三郎の意を汲んでくれることがとても重要だったんじゃないかと想像する。

川瀬巴水、橋口五葉、伊東深水らが描き版画に仕立てられた作品は、江戸浮世絵とはまた違った独特の情緒を湛えていて美しい。記述によると、摺り方、バレンの使い方なども新しいとのことだから、ぜひ実物を間近に見てみたいところ。ちょうど、ずいぶん前に日曜美術館でやっていた巴水の特集の未見だった録画を見ると、構図が現代的であり、それでいて心静かな風景画、特に水の色の愁いを帯びたブルーが何ともいえず美しい。

著者は、長らく門外不出だった庄三郎の日記や手帳、帳簿のメモなど、細かい記述を丹念に調べ、庄三郎の足跡を追っている。本人の言葉には、やはり血肉が宿っているなあ、と感じる。性格や人柄がにじみ出ているようだ。日記って大切なんだな…。

著者が本書を書くきっかけとなったのは展覧会の図録で、その展覧会「よみがえる浮世絵展」は2011年に東京で開催されたということだ。これまであまり興味がなかったので見過ごしていたが、けっこう新版画の展覧会も行われているようだ。この本と出会うことで、私の「浮世絵」の概念が、ひとまわり広がった。

そして何といっても、江戸時代の蔦屋重三郎にも通ずる「版元」の絶大なる存在感。ものを創り出す技術を彼自身は持っていないけれど、優れた審美眼と新しいものを生み出したいという情熱でもってアーティストや協力者たちを駆り立てていく力が素晴らしいと思うし、それがなければ優れた芸術も生まれないのかもしれない。なかなかスポットが当たりにくいそんな役割の人を、丹念に紹介してくれた著者に感謝したいと思う。

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