アートの周辺 around the art

美術館、展覧会、作品、アーティスト… 私のアンテナに
引っかかるアートにまつわるもろもろを記してまいります。

『20世紀美術』宇佐美圭司(岩波新書)

2009-10-06 | 
 画家である宇佐美圭司さんが書いた美術論。宇佐美さんといえば、92年に南港にある安藤忠雄建築のライカ本社ビルの無機質な空間で開催された素晴らしい回顧展が印象深い。
 この本では、主に20世紀の現代美術が取り上げられ、その中でも戦後アメリカで隆盛した「抽象表現主義」について、批判的な視点で書かれているのが興味深かった。
 
 マイ・ミュージアムである滋賀県立近代美術館のコレクションのひとつの柱が20世紀アメリカ美術であり、マーク・ロスコやクリフォード・スティル、モーリス・ルイス等のかなり大画面の立派な作品を所蔵していて、アメリカ美術のアイデンティティを打ち立てた抽象表現主義の作品群として、その精神性を押し出して紹介することが多い。(だって、知らない人が見ると、「これが絵?」と言われかねない…)
 
 宇佐美さんが鋭くメスを切り込むのは、その精神性=サブライム(崇高さ)。これを提唱したのは、バーネット・ニューマンで、彼の作品のほとんどは単一に塗られた色面とそれを分断する垂直の色の帯(ジップ:縦縞)で構成されている。巨大な彼の作品を前に圧倒され、強い意志や精神的に深いものを感じてしまう、それがサブライム、しかし宇佐美さんはいう。「ふと視点を変えてみれば、これは単純な絵だ。…タイトルに引き寄せられてこの画面にサブライムを喚起されるのは裸の王様を見ている気がする―と思い出せば英雄も崇高もこけおどしに思えてしまう。」
 実は、これはすごく納得してしまうことで、抽象表現主義の作品が「絵に見えない」のはある意味本当であり、しかしそのただ塗られた画面にアメリカの広大な心象風景とか、祈りたい気持ちなどを感じる事も事実なのである…という紙一重にある価値観。私はそこをおもしろいと思う。
 宇佐美さんは画家であり、表現者であるから、表現とコミュニケーションを一切否定したような抽象絵画に批判的になるのだろう、しかしそこには自身も含めて現代美術に新しい表現とエネルギーを回復したいという願いが伺える。

 この本が書かれたのは94年、しかもきっかけはニューヨークMOMAで開催されたマチスの大回顧展。私も現地で鑑賞して、絵を見る喜びを心底感じたスゴイ展覧会だった。15年たった今の美術界を宇佐美さんはどう見ているのだろうか。
 図書館で借りたけど、ぜひ購入し傍らに置いて教科書にしたかったのだが、もう絶版だった。残念! 

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