社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

「高木秀玄」(聞き手:浜田文雄)『日本における統計学の発展(第24巻)』(1981年8月3日。於:関西大学経済社会研究所)

2016-10-01 22:12:07 | 13.対談・鼎談
「高木秀玄」(聞き手:浜田文雄)『日本における統計学の発展(第24巻)』(1981年8月3日。於:関西大学経済社会研究所)

 インタビューは,大きく3つの話題で行われている。3つとは蜷川虎三の学問遍歴。門下生のこと,経済統計研究会のこと,である。
高木秀玄は,蜷川研究室に昭和16年に入った。その折に,蜷川にドイツ社会統計学,大陸派の数理統計学の研究をやれ,と命ぜられた。レキシス,ボルトケビッチ,シャーリエ,ウエスターゴードなどである。蜷川は一部の人たちにアンチ数理派と思われているが,そうではない。蜷川は水産講習所で海洋調査などをやっていたこともあり,彼の学問研究の基礎には現象の測定ということがいつもあった。蜷川は自らの統計研究の出発の際に,ボーレー『社会現象の測定』を勉強し,その後,デービス,ムーアの本を読んだ。蜷川が若い高木に数理派の勉強をしろ,と言ったのはそういうことが関係していたらしい。

また蜷川はマイヤー研究者だった財部静雄の指導を受けていたので,その影響も大きい。自然現象と社会現象との区別は,重視していた。留学先では,その頃の留学生がそうだったように,ワーゲマン,ゾンバルト,ジージェクの講義などを聞いていたのではなかろうか。蜷川がドイツ留学中に,フラスケンパーが論文「大量の理論」を発表した。蜷川はフラスケンパーがこの論文で鉄道の距離,電気の量などを社会現象として捉えない点に批判的だった。統計は社会現象を大量現象として反映する,という考え方を強くもっていた。蜷川は日本統計学会の創設に努力し,苦労したが,総会では第2回目に一度しか報告をしていない(「統計学における集団の概念」)。それは当時の京都大学が暗澹たる状況にあり,蜷川と対立していた汐見三郎が出ている統計学会は知らぬ,と装っていたからではないか,と高木は推測している。

 蜷川の立場は,統計学は方法論的科学であり,『統計学概論』(岩波書店)をみるとわかるように,統計学が大量を観察する調査の理論と解析の理論とから成るとしている。数理統計学は否定していない。それは『統計利用における基本問題』(岩波書店)を読んでもそうなっている。数理統計は限界概念で,数理的手法はそのままでは現実にあてはまらない,ということを言いたかったにすぎない。

 蜷川の門下生には,大橋隆憲,有田正三,高木秀玄,上杉正一郎,内海庫一郎などがいる。統計学者は認識論,方法論だけで終わってはいけない。統計学プロパーの問題に入っていくべきである。しかし,当時はドイツ社会統計学派のマイヤーやジージェックの研究で固まっていた。その傾向が強いままで来てしまった。内海庫一郎に高木がよく言っていたのは,舞台裏で働く人(唯物弁証法の提唱者)をみんな舞台に乗せてしまうのはいかがなものか,ということだった。門下生たちを東京のグループと結びつけたのは,松川七郎である。

 戦争中はみな兵隊にとられ研究室はからっぽになり,残った者(高木,有田,会計学関係の人たち)がほそぼそと勉強会をしていた。終戦になって内海,上杉らも帰ってきて,そういうひとたちも含めて研究会をたちあげ,第一回の経済統計研究会を関西大学で開催した。会則に社会科学の理論を基礎に統計学をやろうと,明記した。実際にはいろいろな関心をもっている人たちが集まっていた。大橋隆憲,有田正三,松川七郎,米沢治文,竹内啓,上杉正一郎など,若いところでは野村良樹,是永純弘,大屋祐雪などである。経済統計研究会の人たちは,日本統計学会のような大舞台にもっと出ていかなければいけない。

経済統計研究会の学風は,社会科学の研究方法として統計学を研究するということ。数理統計学の限界性の指摘。社会科学の方法論としての統計学の歴史の究明,数理統計学の歴史的側面の研究。海外の研究者との交流は主に,フラスケンパーなどのフランクフルト学派の人たち,それにホルバートなど。

高木はこの後,経済統計研究会のメンバーが調査論に対する関心が薄れてきていることに批判的であると述べている。経済統計そのもののプロセジュアーを丹念に勉強しなければいけない。
課題としては,利用者の側から統計を批判すること,その統計の批判と吟味,統計にまつわるウソ,統計につきまとういびつな面を見ていかなくてはいけない。確率に関しては,それが重要な意味をもつ場面はある。安定性をとらえるには,確率論が必要である。ただし,統計的法則というのは終着点ではないし,それ自体が存在しないのではないか。ミーゼスをぼろぼろになるまで読んだのは,そういう関心からである。統計計算の結果の意味を考えることは非常に重要である。蜷川はそれを言っていた。 

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