社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

森博美「承認統計調査」『統計法規と統計体系』法政大学出版,1991年

2017-04-27 21:41:11 | 11.日本の統計・統計学
 統計調整の専門法規は,「統計報告調整法」(昭和27年5月)である。この法律は統計調整を統計企画次元に限局し,その条文は調整技術的なものである。この法律の適用を受け実施される調査は,承認統計調査である。承認統計調査の実施状況を知ることで,「統計報告調整法」の特質を解明することができる。このような理由で,筆者は承認統計調査の特徴の考察を本稿で行っている。

 全体の構成は,次のとおり。「はじめに」「Ⅰ.承認統計調査の実施状況」「Ⅱ.承認統計における調査論理」「むすび」。

 「Ⅰ.承認統計調査の実施状況」では,「年次別調査承認状況」「現行承認統計の特徴」が示される。「統計報告調整法」が制定された昭和27年以来,昭和63年末まで承認された統計報告は16,929件である。この間,年間の承認件数は300-500件であり,昭和30年代前後は年平均350件程度であったが,その後承認のテンポが増えている。調査実施機関では,農水省,通産省,労働省,厚生省,運輸省が関わる調査が多い。特徴的なのは総務省がかかわる調査が,指定統計と比べても極端に少ないことである。承認制度発足当時は承認統計の二大実施機関のうち通産省の承認件数が農林省のそれを上回っていたが,40年代以降はこの関係が逆転している。

 『統計調査総覧』は,日本で実施された政府統計の総合リストである。政府統計の実施状況に関するディレクトリー情報をここから得ることができる。筆者はそれ(昭和59年版)に収録された承認統計調査に関する種々のデータを再集計し,分析して,現行承認統計の特徴をあげている。まず承認統計調査を最も多く実施した機関は農水省である(29.5%)。以下,通産省(17.4%),厚生省(13.7%),労働省(9.8%),運輸省(8.7%)が続く。

 対象属性別では,事業所(45.8%),企業(19.7%)が多い。しかし,調査対象の属性は,調査実施機関によって大きく異なる。承認統計をもっとも多く実施しているのは農水省であるが,その約3分の1は個人,世帯を対象としている。これに対し,通産省ではこの種の調査対象をもつ調査はわずか4件である。

 調査の実施系統と調査対象の関係に関しては,企業が対象とした承認統計の場合,全体の3分の2が実施機関から直接に報告をもとめる形をとる。事業所の場合には調査実施機関による直接調査を含め,その地方直轄組織を経由して実施されるものが全体の71.2%にのぼる。世帯あるいは個人を対象とする場合でも,調査実施機関の地方直轄組織を経由して実施されるものが49.2%である。調査対象の選定方法の内訳は,全数調査39.2%,無作為抽出標本調査38.1%,有意抽出調査22.6%である。これを調査対象の属性でみると,企業や事業所の調査で半数以上が全数調査であるが,個人や世帯の調査では3分の2が無作為抽出調査である。調査票の配集方法に関しては,承認統計調査では全体の3分の2が併用型を含めた郵送法で行われている。この点で,調査員依存型調査が63.0%の指定統計とは対照的である。これを調査対象の属性別でみると,企業や事業所を調査対象とする調査では調査員併用型の調査を含め4分の3が郵送法で実施されている。個人や世帯の調査では調査員依存型の調査比率が高い。調査の定期性では,調査周期1年以下の調査の割合は,企業を対象とする調査で71.6%,事業所54.7%,世帯47.8%,個人24.2%である。2年以上の調査周期(1回限り,不定期を含む)を有する調査の割合は,個人を対象とする調査をのぞけばいずれも半数以下である。

 「Ⅱ.承認統計における調査論理」では,承認統計の調査論理の解明のために,農水省と通産省の承認統計に代表される2つの調査類型のそれぞれについて,現実の調査実績にそくした検討がなされている。承認統計の場合,指定統計や業務統計にみられるような実査過程における法的強制としての調査協力誘因メカニズムは働かない。承認統計の実査過程を特徴づけているのは,申請者の「被拘束性」に象徴されるこの種の統計に固有の論理,すなわち調査実施者と申請者との間に日常的,恒常的に維持されている行政指導的レベルでの強制関係である。換言すれば,このような申請者の「被拘束性」にもとづく非法規的強制関係という調査論理が,統計法規あるいは個別業務法規による調査協力要請メカニズムをもたない承認統計への申告者の「自発的」協力を支えている。

 筆者は以上に要約される承認統計の調査論理を,実際の調査過程に探っている。その結果,得られた結論は次のようである。少々長いが引用する。「個人や世帯を対象とする調査の中にも,実査過程において調査実施者と申告者との間には,単なる統計作成行為を超えた現実の業務を媒介した特別な社会的関係が日常的に維持されているものが多く含まれる。・・・実査過程で成立する社会的関係の形態は多様である。実査における協力要請を日常的に維持されたこのような社会的関係に依拠するという点でこの種の調査は,単に無作為標本として抽出された不特定多数を対象とする調査とは明らかにその調査論理を異にする。このような特別な社会的関係に制約された調査対象としての個人や世帯をここでは特に『被拘束的』個人・世帯と呼ぶことにする」と(268頁)。事業所を対象とする調査でも,事情は同じである。ここでも「恒常的に維持されている『管理-被管理』という特別な社会的関係が,申告者に対する協力要請面で有効な強制力を持ちうる」(269頁)。「中央で指導・監督の立場にある調査実施者が管下の企業や事業者に対して調査を実施する場合,承認統計において広汎に採用されている郵送・自計法は,調査実施者と統計原情報の提供者の間に成立する独特な『被拘束的』関係,さらには定期性調査に対する報告者側の組織的対応という要素を考慮すれば,獲得される結果数字の精度の点からも積極的意味を持つ。なお新規調査や新設の調査項目への記入にあたっては,しばしば過去に遡及した資料の再整理が必要になる。これについても承認統計では報告者側から調査実施者に問合せが行われるのが一般的である。このことも,承認統計調査の実査における調査実施者と報告者の特別な関係を象徴している」(270頁)。

 筆者は「むすび」で,承認統計による結果数字の性格,「個人情報保護法」(昭和63年12月)の制定にともなう「報告調整統計法」の一部改正,承認統計における「裾切り調査」の役割と特徴,「裾切り調査」と「無作為抽出標本調査」との関係と前者の政策関連統計としての存在合理性などに言及し,承認統計が調査協力要請の論理という点でも,調査資料の行政目的への使用の面からも,指定統計と業務統計の中間的存在であることを確認して,本稿を閉じている。

森博美「統計体系論の視角」『統計法規と統計体系』法政大学出版,1991年

2017-04-26 21:37:29 | 11.日本の統計・統計学
本稿は筆者による『統計法規と統計体系』の第二部の冒頭に書かれたもので,統計体系をめぐる論点整理がその内容である。統計体系の内容に関しては,従来2つのタイプのアプローチがあったという。一つは統計体系を実現すべき行政目標としてとらえるアプローチであり,もう一つは統計利用の観点から統計体系を構成する諸統計の基本的性格の歴史的・社会的規定性を明らかにするアプローチである。前者は主として統計行政の担当者が提唱してきた統計作成者の体系論であり,後者は一部の統計研究者の体系論(統計利用者の立場)である。

 最初に「統計法」の起草者の一人であった山中四郎の統計体系についての二様の理解が紹介されている。第一の理解は,統計調査重複の除去その他を通じて達成される一国の全体としての統計体系である。統計体系の整備は,統計調査重複その他の政策によって達成される行政目標としてとらえられる。第二の理解は,個々の統計の比較可能性との関連で説かれる体系である。前者では作成されるべき諸統計が客観的存在としての現実あるいはその問題領域と直接対置され,統計体系として想定された統計の総体が現実の統計の整備状況に対する基準となる。後者では統計間の比較可能性,その連結利用という意味で統計相互の連関という形で統計の体系性が問題となる。

 戦後の日本の統計の発展過程に着目してこの2つの統計体系理解を考察すると,第一の観点の延長線上に統計の体系性をとらえたものに,昭和60年の統計審議会答申がある。統計行政の総合的な中・長期構想をまとめたこの答申は,ストック,サービス,環境統計について「統計体系上」の整備が急務であると提唱している。ここでは統計体系は客観的存在としての現実,統計が反映すべき問題領域に対する既存の統計の不足,不備の理念的検出基準として想定される。第二の観点の具体化は,国民経済計算の定着にそって既存の経済統計がこの体系を構成する勘定項目の推計資料としての性格に担わされ,ここでは統計の過不足は勘定体系の編成という統計の使用目的のフィルターをとおして認識される。

 筆者は関連して,鮫島龍行による明治以降の統計の発展過程の理解を参考に掲げている。自らも統計調査行政に従事した鮫島は戦前の統計の発展がたぶんに自然発生的であったとし,統計体系を整備する発想が生まれたのは戦後であったと唱える。戦前の統計の自然発生性が戦後あらためられるにいたったその契機は,鮫島によれば一つには無作意抽出調査の導入による母集団概念の定着であり,もう一つは国民経済計算体系を中心とした加工統計の普及である。日本の「戦後の統計は,標本調査並びに加工統計の普及を原動力として,調査形態,対象分野さらには連結可能性といった次元で,相互に有機的に連結された統計として全体的な体系化がはかられること」になった(222頁)。戦後の統計の整備に統計行政の面から関与した工藤弘安も,ほぼ同様の理解を示している。(工藤弘安「統計行政の歩み」Ⅳ,Ⅴ,Ⅵ,『統計情報』第36巻,1987-8年)

 統計体系に対するもう一つのアプローチに,統計利用者の側からのそれがある。このタイプの統計体系論は,統計利用の前提として,統計体系を構成すると考えられる既存の諸統計の特質さらに統計相互間の関係の解明を課題とする。大屋祐雪は統計の作成およびその利用が社会経済体制からいかに規定されるかという観点から,大量観察代用法の一形態である標本調査が資本主義経済体制の下で,「経済性」「迅速性」によって合理的な存在であるとしている。資本主義経済において諸統計が構成する統計体系は,センサスとそれに類する大規模な基本的統計調査を軸に,業務統計と標本調査を車の両輪とし,回転していく。筆者は別の論文(「現代政府統計の二形態」『中央調査報』中央調査社,No.285,1981年7月)で一部調査としての「裾切り調査」が「経済性」と「速報性の」を充足した統計として位置づけ,その存在意義を示したが,一部調査のなかの無作為抽出調査と「裾切り調査」も相互にそれぞれの役割を担って,政府統計体系を構成する。

 大屋はこの他にも,第二義統計(業務統計),調査統計(指定,承認,届出統計)のそれぞれを社会経済体制との関連で,作成過程を規定する諸要因を検討し,そこに働く論理が統計の真実性の確保にどのように関係するかを考察した。
上杉正一郎は,政府統計体系のなかで第二義統計の位置を明らかにする課題に取り組んだ。上杉は第二義統計を統計資料の源泉と統計作成主体の正確にしたがって,(1)届出,申告に基づき作成される統計,(2)官庁自身の所管業務の遂行記録として作成される統計,(3)経済行政官庁が管下の企業などから徴集する報告にもとづいて作成される統計,(4)国家企業の業務記録にもとづいて作成される統計に分類し,統計作成過程を規定する社会的関係が統計の信頼性,正確性をどのように制約しているかを論じた。

 筆者は以上をまとめて,「上杉や大屋の所説からも明らかなように,統計利用者の立場からこれまで展開されてきた統計体系に関する諸見解では,いずれも統計の作成過程を規定する社会的,調査技術的諸要因との関係で,体系を構成する諸統計のいわば調査論的理論化にその中心的関心が向けられてきた」(226頁)と総括している。
筆者は「むすび」で,統計数字の基本性格に,実体的特性と形態的特性があるとしている。実体的特性は,対象反映性の側面に関係した統計の性格規定である。形態的特性は,統計の作成形態による性格規定である(静態と動態把握,構造把握と動向把握,調査統計と業務統計など)。これらの性格規定は本稿で論じられた統計体系の内容と密接にかかわる。すなわち統計の実体的特性は現実の問題領域に対応した統計の整備といった統計行政上の問題に通ずる。形態的特性は,統計の等質性を担保する。このようにみると,統計行政との関連で提起された統計体系が有する2つの内容は,統計数字そのものが固有の属性として備える二面性の統計体系次元への投影である。

 統計研究者が提起した統計利用者の立場からの統計体系論は,調査論を中心に展開されたものである。そこでは統計の作成とその利用形態が社会的諸関係の中に位置づけられ,統計体系についてはそれを構成する種々の形態の統計がその作成過程を規定する社会的あるいは統計的技術的条件によってどのような特質を付与されるかが中心的研究テーマであった。このような研究が,統計体系の全体的構造解明へと向かうのは自然である。しかし,統計体系論的見地からの諸統計の特質さらには体系の全体的構造解明という研究課題に関しては,多くの部分が未開拓である。

森博美「届出統計調査」『統計法規と統計体系』法政大学出版,1991年

2017-04-25 21:39:30 | 11.日本の統計・統計学
 届出調査の法的根拠は,旧統計法第8条の指定統計調査以外の統計調査に関する届出義務規定を受け,政令第58号として昭和25年4月1日に制定された「届出を要する統計調査の範囲に関する政令」(以下,「政令」と略)である。この政令は,その運用規程である「統計調査届出手続規程」(昭和28年4月 行政管理庁告示第11号)とともに,旧統計法第8条の運用細則の性格をもつ。
「政令」は第1条で法の目的(届出を要する統計調査の範囲並びに届出の方法)を,第2条で法の適用範囲を,第3条で届出の方法(統計実施者に対する調査届出義務)を規定している。「政令」の核をなすのが第2条である。ここには,(1)調査実施主体,(2)調査目的,(3)調査区域,(4)調査内容が規定されている。

 「(1)調査実施主体」は2つのグループで構成され,第一グループは国,都道府県,指定都市,日本銀行,日本商工会議所である。第二グループは,指定都市以外の都市である。      

 「(2)調査目的」は,「集計し,かつ,製表することを目的として申告若しくは報告又は資料の提出を求める」場合,いずれの調査機関が実施する調査についても,全て届出の対象となる。統計作成以外の目的のための集計,製表もこの規定の適用を受ける。

 「(3)調査区域」は,第一グループに属する調査機関が実施する調査に関しては都道府県,指定都市,都特別区の存在する区域,あるいは2以上の都道府県にわたって実施されるもの全てが届出の対象となる。また,指定都市以外の市が実施する調査についても,その市域全体に関する調査の場合は届出が必要である。なお,調査の実施が区域の一部にとどまる場合は,原則として届出の対象外となる。都道府県や市の区域全体の状態に関する推計を目的とした部分区域調査については,届出が義務づけられている。

 「(4)調査内容」について,第一グループの調査期間が実施する調査はその内容にかかわらず,調査区域,調査目的が届出基準に合致する場合には届出の対象となる。第二グループに属する機関が実施する調査に関しては,次の7分野の調査に限り,その届出が義務づけられる。(1)土地,(2)人口,世帯,住宅,(3)物価,生計費,(4)公衆衛生,(5)雇用,失業,賃金,(6)商品の販売・仕入れ額,企業の資本額,(7)生産高,原料・動力燃料の消費,在庫量。

 「政令」第3条第3項には,届出手続き及び届出書の様式を定めることが規定され,政令の施行とともに「統計調査手続規程」が設けられた。
届出統計調査の年次別届出状況をみると,都道府県や市区町村といった地方公共団体が実施する調査が大半を占める。他方,国の機関ならびに日銀・公社等が実施する届出統計についてその新規届出の時期は,大部分が昭和50年以前のものである。
 筆者はさらに,政府の届出統計の特徴を,機関別実施状況,分野別実施状況,調査対象の属性,調査対象抽出方法,実施系統,実施の周期性について解説している。経済統計の中で日本の金融統計は,日銀が各金融機関に定期的に情報の提供をもとめ,その報告にもとづいて作成される届出統計に依存している。経済以外の分野では,指定統計,承認統計に比べ,教育,福祉,司法さらに郵便といった社会生活関連統計を比較的多く含む。調査対象としては,行政機関が最も多く,次いで事業所(学校を除く),地方公共団体の順である。個人,世帯を調査対象とする調査は,極めて少ない。調査対象の抽出方法では,全数を調査対象とするものが圧倒的大部分である。この点では全数調査の割合が約30%にとどまる承認統計と対照的である。

 調査の実施系統では,中央官庁が下部の行政機関,地方自治体から直接報告をもとめる場合や,中央と地方の間の業務遂行系統がそのまま調査系統となる場合が圧倒的に多い。このため,調査方法は郵送配集による自計式が採用される。実査が調査員を媒介しないのが普通である。調査の周期性では調査周期1年以下の調査が全体の79.5%に達している。承認統計も調査の周期性を特徴としていたが,調査周期1年以下の調査が48.9%であった。政府届出調査の定期性は承認統計より顕著である。

 以上を要約すると,「中央政府が作成する届出統計は,基本的に非経済行政機関が社会生活分野を主たる調査分野として主管官庁の(地方)下部組織に対して,自らの行政活動の結果あるいは活動を通じて把握した事柄について,郵送・自計により定期的に報告をもとめる調査」ということになる(284頁)。政府届出統計のこの性格は,そのなかで特異な地位をしめる日銀の金融統計にも該当する。筆者はこのことを含めて,政府届出統計を「組織内部統計」と特徴づけている。

三潴信邦「社会統計学(リーディング・コンサルタント)」『経済セミナー』No.87,1963年9月

2017-02-11 01:03:51 | 11.日本の統計・統計学
社会統計学の学習案内(ブックガイド)として書かれたものであるが,全体を通読すると社会統計学の歴史の概観にもなっている。内容はS君宛ての書簡の形式をとっている。構成は2つに分かれ,前半は「1.日本における社会統計学の発展」,後半は「2.戦後の社会統計学」である。

 統計学とは何か,その学問的性格を理解するために,『統計学古典選集』(栗田書店,全12巻,1940年より)が推奨されている。この選集は日本における社会統計学の体系的創始者である高野岩三郎(1871-1949)が先頭にたって,当時社会科学の研究の自由を奪われていた社会科学者を大原社会問題研究所に集め,訳業を進めた成果である。その内容は次のとおり。

・第1巻(高野岩三郎訳) フォン・モール『統計学』(1872年),リューダー『統計学批判』(1812年)
・第2巻(高野岩三郎訳) クニース『独立の学問としての統計学』(1850年)
・第3巻(久留間鮫造訳)グラント『死亡表に関する自然的な政治考察』(1862年)
・第4巻(大内兵衛訳)ペティ『政治算術』(1690年)
・第5巻(高野岩三郎・権田保之助訳)ケトレー『道徳的・政治的諸学へ応用された確率理論に就いての書簡』(1846年),クナップ『道徳統計に関する近時の見解』(1871年),リューメリン『統計学の理論について』(1863年・1874年)
・第6巻(大内兵衛訳)ワーグナー『統計学』(1867年)
・第7巻(権田保之助訳)ワーグナー『一見恣意的に見える人間の行為に於ける合法則性』(1864年)
・第8巻(森戸辰雄・大内兵衛訳)ドゥローヴィッシュ『道徳統計と人間の意思の自由』(1867年),シュモーラー『人口統計及道徳統計の結果に就て』(1871年)
・第9巻(久留間鮫造訳)レキシス『自然科学と社会科学』(1874年),レキシス『人間社会に於ける大量観察の理論に就て』(1877年)
・第10巻(高野岩三郎訳)マイヤー『社会生活に於ける合法則性』(1877年)
・第11巻(森戸辰男訳)エンゲル『労働の価格』(1872年),エンゲル『人間の価値』(1883年)
・第12巻(森戸辰男訳)エンゲル『ベルギー労働者家族の生活費』(1895年)
・第13巻(高野岩三郎・森戸辰男訳)ジュースミルヒ『神の秩序』(1741年)

筆者はこの中のとくにグラント著「死亡表に関する自然的及政治的考察」とペティ著「政治算術」を必読書して推している。前者は得てして人口動態統計の古典としてしか受け入れられていないが,グラントは人口現象を社会社会現象としてみる視点があり,出生・死亡という現象に歴史的な人口法則が貫かれていることを示した功績がある。後者を著したペティは,労働価値説の創始者と考えられている人物で,上記の著作は統計が経済学にとってどのような意義をもっているかを考えさせてくれる好著である,という。なお筆者はここで統計学史の著作として,ウェスタ―ガード/森谷喜一郎訳『統計学史』(栗田書店,1943年)とヨーン/足利末男訳『統計学史』(有斐閣,1956年)を挙げている。

 筆者は次いで高野岩三郎が日本の社会統計学の発展に寄与し,貢献したことを詳しく紹介している。ドイツ社会統計学の成果を日本に導入し,社会問題の解決のために不可欠な統計的研究を実践し,方法論をもった統計学,社会科学的統計学にまで成長させたこと,日本で最初の職工の家計調査を東京で行ったこと(1916年),『統計学研究』(大倉書店,1915年),『社会統計学史研究』(栗田書店,1942年)を出版したことは,彼の学問的営為の結実である。

 筆者は同時に,蜷川虎三の統計学について叙述している。蜷川はドイツ社会統計学のマイヤーの影響を受けながら,統計学の基礎として客観的に存在する社会集団を明確に規定し,統計調査を大量観察によってこの社会集団をとらえた。また,大数法則を基礎にした「純解析的集団」の分析を統計解析と規定した。さらに,統計学の対象が統計方法であると主張した。客観的に存在する「社会集団」を強く意識しながら,大数法則の認識という統計学の目標に到達するための「純解析的集団」という形式的集団を想定する,というのが蜷川統計学の特徴である(ここに矛盾があるとの指摘がある)。蜷川の主著は,『統計学研究Ⅰ』(岩波書店,1931年),『統計利用に於ける基本問題』(岩波書店,1932年),『統計学概論』(岩波書店,1934年)である。

 有澤広巳の統計学は,唯物弁証法に基礎をおく統計学である。その主著は『統計学総論』(改造社,1930年),『統計学要論(上)』(明善社,1946年)である。統計利用に関しては『日本経済統計図表』(改造社)がある。有澤統計学の特徴は,統計学の目的を大量観察による因果関係の安定性の把握としたことである。筆者は有沢理論が因果的合法則性の認識を統計認識の目的としたのは正しかったが,それを大数法則によって導出するやり方は唯物弁証法とどのように結びつくのか,よくわからないと指摘している。

 敗戦直後の統計学には,2つの大きな経験がある。ひとつは推計学を基礎にした標本調査論の盛隆であり,もう一つはソ連における統計学論争の影響である。前者はフィッシャー流の母集団―標本理論を土台に,「法則」の究明を目標とする統計学である。ここでいわれる「法則」は自然現象にも社会現象にも普遍的に妥当する科学的法則と目されものである(「統計学=普遍科学方法論」説)。筆者はこの「法則」観を否定し,歴史科学にはその哲学は妥当しないと説いている。後者は,ソ連で1950年代に繰り広げられた論争で,この論争の内容は有澤広巳『統計学の対象と方法』(日本評論社,1956年),経済統計研究会訳編『ソヴェトの統計理論(Ⅰ)(Ⅱ)』(農林統計協会,1953年)に詳しい。論争は「統計学=実質科学」説で落着したが,筆者はこの説では経済学と統計学との区別がなくなってしまうと,否定的である。

 筆者は戦後の社会統計学の理論的深化に役割を果たした著作として,次のものを推薦している。上杉正一郎『マルクス主義と統計』(青木文庫,1951年),『経済学と統計』(青木書店,1955年),「経済統計学の基礎的問題」(『思想』1957年11月号),大橋隆憲『社会科学的統計思想の系譜』(啓文社,1961年),『現代統計思想論』(有斐閣,1960年),『統計学総論』(共著,有信堂,1963年),内海庫一郎『科学方法論の一般規定からみた社会お統計方法論の基本問題』(1962年)。

 最後にこの論稿が執筆された当時、議論になっていた内海理論に対するコメントを付している。筆者の整理によると、内海は統計調査を認識の三段階論(感性的認識-理性的認識-実践)のうちの感性的認識の段階に位置づけ、また「社会集団を統計方法の適用対象とする」考え方を否定している。内海は「集団であるかどうか、その集団の諸性質を問う前にまず、統計数字の記録=資料一般としての性格を充分に考えてみる必要がある」と述べている。この見解に対し、筆者は客観的存在の量的測量のうち社会集団に関するものの分析が特殊な統計方法を必要としているのであって、経済現象で取り扱われる量がすべて統計方法を必要としているわけではない、経済現象を反映する数字一般の社会的存在の意味を強調するあまり、統計的方法を研究対象とする社会統計学の方法科学としての独自性が否定されている、これでは方法科学としての統計学が経済学方法論と同一視されることにはならないか、と懸念を表明している。

泉俊衛「国勢調査」相原茂・鮫島龍行『統計 日本経済(経済学全集28)』筑摩書房,1971年

2017-01-25 17:01:42 | 11.日本の統計・統計学
本稿の目的は,日本の国勢調査の揺籃期から1970年頃までの経緯の要約である。全体の構成は次のとおり。「Ⅰ 国勢調査以前の人口調査」「Ⅱ わが国における国勢調査の展開:1.大正9年第1回国勢調査の実施,2.第2回国勢調査以降の経緯,3.国勢調査結果の概観」。

 日本での国勢調査は,大正9年(1920年)に第1回目が実施され,以来,戦中期に行われた臨時調査を別にすると,5年ごとの施行となっている。第1回調査にいたるまでには紆余曲折があったが,明治5年に全国一斉に行われた「戸口調査」,また明治12年に杉亨二が指導した甲斐国現在人別調,明治後期に東京市,神戸市などで行われた人口センサスが知られる。杉の甲斐国現在人別調は,国勢調査前史を語るならば触れないわけにはいかないが,これについては本書『統計 日本経済』の第1章Ⅲ節3項「明治12年『甲斐国現在人別調』の検討」で詳しく論じられているとして(鮫島執筆),紹介をそちらに譲っている。「Ⅰ 国勢調査以前の人口調査」は,これらのうち,明治後期の人口センサスに重きをおいた記述である。しかし,この計画は議会の解散による予算案のたなあげ,日露戦争の勃発で頓挫した。明治40年代になると東京市,神戸市など全国各地で市勢調査が試みられ,再度国勢調査実施の気運が高まった。筆者はこの頃に実施された,これらの市勢調査の時期,調査事項,調査方法を一覧している。臨時台湾戸口調査(明治38年10月),熊本市職業調査(明治40年4月),東京市勢調査(明治41年10月),神戸市臨時市勢調査(明治41年11月),札幌区区勢調査(明治42年3月),新潟県佐渡郡群勢調査(明治42年12月),京都市臨時人口調査(明治44年11月),第二次臨時台湾与口調査(大正4年10月)がそれである。それにもかかわらず,全国レベルの国勢調査は,戸籍簿による人口統計が作成されていたこと,予算の逼迫,国民への宣伝不足などの事情で,またしても実現されなかった。

生みの苦しみはあったが,第1回の国勢調査は大正9年(1920年)に漸くスタートした。民間(東京統計協会など)の要請,請願があり,社会経済の発展とともに諸般の施策や計画の基本として正確な信頼できる人口調査がもとめらるようになったことが背景にあるが,筆者はとくに軍事上の要請が大きかったと指摘している。ともあれ,国勢調査は明治35年「国勢調査ニ関スル法律」ならびに大正7年「国勢調査施行令」のもとに実施の運びとなった。調査事項は,(1)氏名,(2)世帯における地位,(3)男女の別,(4)出生年月日,(5)配偶関係,(6)職業および職業上の地位,(7)出生地,(8)民籍別または国別,の8項目であった。調査方法は世帯主を申告義務者とする自計式で,全国に202,770地区が設けられ,調査当日の調査員数は246,384人であったという記録がある。

 調査の結果,それまでの人口統計の不正確さが認識された他,性別・年齢階級別人口の統計,就業状態に関する職業別人口の統計,地域別人口の統計など,貴重な統計が得られた。

 国勢調査は10年ごとに実施されることになっていたが,社会の変化に対応するには機間が長すぎるとの認識のもと,大正11年「国勢調査ニ関スル法律」の改正案が提出され,中間年に簡易調査が行われることになった。以来,国勢調査は昭和5年,同10年,同15年と実質的に5年に一度の実施となった。昭和15年の調査は戦時体制下での実施となったため,戦争目的にこたえる調査が要請された。統計調査が全面的に戦争のために動員される不幸な時期に入る。このような事態のなかで,一般には国勢調査とみなされない「昭和19年人口調査」という臨時的調査も実施された(集計結果は大部分公表されず,詳細は不明)。

戦後の国勢調査は昭和25年に再開されたが,それに先だって(1)昭和20年人口調査[昭和20年11月1日実施],(2) 昭和21年人口調査[同21年4月26日実施],(3) 昭和22年臨時国勢調査[同22年10月1日実施] (4) 昭和23年常住人口調査[同23年8月1日実施]が次々と行われた。それぞれ目的があり,(1)は議員制改正に伴う議員定数を決めるためであり,(2)は失業対策の基礎資料を得るためである。(2)(3)は資源調査法にもとづいて施行された「人口調査」である。(4)は当時の連合国軍総司令部の指令にもとづく「配給人口調査」である。昭和22年3月に「統計法」が制定され,以降の国勢調査はこれにもとづいて施行された。

 戦後は25年調査以降,30年,35年,40年,45年と調査が継続された。各回の調査に付加された調査項目は漸次増加し,調査内容が拡充された。筆者はその内容を逐一紹介しているが,ここではその記述を省略する。

 「3.国勢調査結果の概観」では,人口増加と年齢構成の変化,人口の地域分布とその変化,就業者の産業・職業別構成の変化が適当な表の配置をともに示されている。掲げられている表は,次のとおり。「わが国人口の増加と増加率の推移」「人口の年齢(3区分)構成の推移」「労働力率の推移」「人口階級別都道府県の人口」「人口増加県の自然増加率と社会増加率」「人口減少県の事前増加率と社会増加率」「市町村数の推移」「市部,郡部別人口の推移」「就業者の産業(3区分)別割合の推移」「産業(3区分)別就業者の増加」「第2次産業就業者数の推移」「第3次産業就業者数の推移」「職業(大分類)別就業者数」。   
筆者は最後に国勢調査に使われた職業分類,産業分類に言及している。国勢調査施行の過程が同時に職業や産業についての分類体系の整備の過程でもあったという筆者の認識があるからである。