心と体を通して見えてきたもの

個人的な生まれ変わりの体験談。心とは?カルマとは?人間の本質や使命とは?
といったことを考えてます。

第2章 心を通して №497 

2010-12-30 19:53:04 | Weblog
同じ精神をもった人びとが力をあわせれば好ましい現実を造り出せるということを、あなたがたはそろそろ理解すべきだ。「二人でも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもいるからです」というマタイによる福音書の言葉は、ずっと大きな意義をもつようになる。
もちろん社会全体がある考えを持つようになれば、しばしば驚くべきことが起こる。必ずしも、社会を構成する全員でなくてもいい。たとえば、不安と恐れのなかで暮らしている社会には―実際に、そして必ず―最も恐れられるかたちの恐怖が生まれる。
同じように、大きな共同体や集団が考えをあわせることで(あるいは一部のひとたちが言うように、同じ言葉で祈ることで)しばしば奇跡が起こる。
たとえ個人でも、その考えが―祈り、希望、願い、夢、不安が―驚くほど強ければ、奇跡的な結果を生み出す。イエスはたびたび、これを実践した。彼は、エネルギーと物質をどう扱うべきか、どう組み合わせなおし、配分しなおし、コントロールするかを理解していた。多くの〈マスター〉もそれを知っていた。いまでも知っているひとはおおぜいいる。
あなたもそれを知ることができる。たったいま。
それが、アダムとイヴが食べた善悪を知る知恵の実である。それを知るまでは、あなたがたのいまのような人生はありえなかった。アダムとイヴは―これは単に、最初の男と最初の女にあなたがたの神話が与えた名だが―人類の経験の父と母である。
アダムの堕落と説明されているものは、じつは向上だった。人類の歴史で最も偉大な出来事だった。それがなければ、相対性の世界は存在しなかっただろう。アダムとイヴの行為は原罪ではなく、じつは最初の祝福だったのだ。あなたがたは、彼らがはじめて、「間違った」選択をしてくれたことを心の底から感謝すべきだ。アダムとイヴは、選択を可能にしてくれたのだから。
あなたがたの神話では、イヴが「悪者」にされている。善悪を知る知恵の木の実を食べ、巧みにアダムを誘惑して同じ罪を犯させたという。この神話によって、女性は男性を「堕落」させるということになり、性に対するかたよった見方や混乱は言うまでもなく、あらゆるゆがんだ現実を創り出してきた(どうしてそれほど悪いものが、そんなに快く感じられるのだろう)。
あなたがたが最も不安に思い、恐れるものが、あなたがたをいちばん苦しめる。不安は磁石のように対象を引き寄せる。人類の聖なる書物のすべてが―人類が創り出したあらゆる宗教的説話や伝統のなかで―「恐れるなかれ」、とはっきりと諭している。これを偶然だと思うか?
法則は非常に単純だ。
①思考は創造につながる。
②不安や恐怖は似たエネルギーを引き寄せる。
③存在するすべては愛である。』
№498につづく

皆様、良いお年をお迎えくださいませ。m(uu)m
新年は、4日からスタートしますね。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第2章 心を通して №496  | トップ | 第2章 心を通して №498 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事